途切れた記録の先
魔導騎士団本部の朝は、いつもより騒がしかった。
廊下を行き交う騎士たちの足音。
技術班へ運ばれる測定記録。
北区の工房に関する報告書が、次々と机の上へ積まれていく。
昨日の調査では、封じられた壁の内部で魔導回路が発動した。
壁から噴き出した魔力が調査班を襲い、内部の回路の一部は焼き切れたとみられている。
幸い、重傷者は出なかった。
だが、重要な証拠が失われた可能性がある。
それ以上に問題なのは、あの壁がなぜ反応したのか、まだ分かっていないことだった。
◇
「……で、結局あれは何だったんだ?」
ガルド・ヴァレンシュタインが、会議室の机に両肘をついた。
大柄な身体を前へ傾け、向かいの技術班責任者を見つめる。
「罠なのか? 故障なのか?」
「現時点では、どちらとも断定できません」
責任者は、少し緊張した様子で答えた。
「ただし、壁の内部に複数の魔導回路が存在していたことは、ほぼ確実です」
「ほぼ、か」
「はい。直接確認できたわけではありませんので」
ユリウス・フォン・エーデルが、静かに口を開いた。
「……記録に残った魔力の流れは、どうでしたか?」
「それが、少々奇妙でして」
責任者は、一枚の記録紙を広げた。
「最初に、壁の内部へ魔力が集まっています。その後、一部が外部へ放出されました」
「昨日の攻撃ですね」
「はい」
責任者は頷いた。
「ですが、すべてが外へ放出されたわけではありません」
ユリウスの紫色の瞳が、記録紙へ向けられる。
「……残りは?」
「別の経路へ流れています」
ガルドが眉をひそめた。
「別の経路?」
「はい。壁の内部から、さらに奥へ」
会議室に、短い沈黙が落ちた。
アイリス・フェルディアが、図面へ視線を落とした。
「……床下通路でしょうか」
「可能性はあります」
責任者が答える。
「ただし、測定装置の位置からは、正確な方向までは特定できません」
フィオナ・リュミエールは、記録紙をじっと見つめていた。
淡い銀金色の髪が、肩先で揺れる。
「……少し、気になります」
ユリウスが顔を上げた。
「何でしょう?」
「この部分です」
フィオナは、記録紙の終わり近くを指さした。
「魔力の放出が終わった後、わずかですが、反応が残っています」
「……残留魔力では?」
「その可能性もあります」
フィオナは頷いた。
「ですが、減り方が不自然なんです」
ガルドが首を傾げた。
「どういうことだ?」
「普通なら、魔力が放出された後は、徐々に反応が弱くなります」
フィオナは、指先で数値の変化をなぞった。
「でも、ここでは一度弱くなった後、また少し強くなっています」
アイリスが顔を上げる。
「……昨日までの記録と似ているな」
「はい」
フィオナは頷いた。
「ただし、今回の反応はもっと複雑です」
ユリウスは、しばらく考え込んだ。
「……壁の回路が壊れた後も、別の場所で魔力が動いていた可能性がある」
「はい」
フィオナは答えた。
「それを確認したいと思っています」
「……なるほど」
ユリウスは頷いた。
そして、静かに言った。
「では、次の調査は工房の内部だけに限定しない方がよさそうですね」
◇
同じ頃。
王立総合学園の実習室では、俺たちが昨日の実験結果を確認していた。
「……やっぱり、毎回同じ結果にはならないね」
エリオットが、記録用紙をめくりながら言った。
「うん」
俺は頷いた。
「補助電源を入れ直しても、変化が出るときと出ないときがある」
リシアは、机の上の星晶石を見つめていた。
「……他に違う条件は?」
「供給量も測定時間も同じ」
俺は答えた。
「でも、完全に同じ状態だったとは言い切れない」
「……そうね」
リシアは頷いた。
エリオットが、ふと顔を上げた。
「ねえ、シオン」
「何?」
「これってさ、回路の中に魔力が残っているかどうかで、結果が変わるんじゃない?」
俺は、思わず手を止めた。
「……残っているかどうか?」
「うん」
エリオットは、机の上の回路を指さした。
「補助電源を切っても、全部の魔力がすぐに消えるわけじゃないだろ?」
「……ああ」
「だったら、前の実験で残った魔力が、次の実験に影響しているとか」
リシアが、ゆっくりと頷いた。
「……考えられるわね」
俺は、記録用紙を見つめた。
確かに。
これまで、実験の間隔は一定ではなかった。
すぐに繰り返したときもあれば、しばらく時間を置いたときもある。
「……試してみよう」
俺は言った。
「次は、実験の間隔を揃える」
「おっ!」
エリオットが嬉しそうに笑った。
「それなら、すぐできるね!」
「ただし、最初に回路内の魔力が十分に減っているか確認する」
リシアが付け加えた。
「うん」
俺は頷いた。
そのときだった。
実習室の外から、鐘の音が響いた。
授業開始を知らせる鐘ではない。
短い音が、続けて三回。
俺たちは、顔を見合わせた。
「……何だ?」
エリオットが呟く。
リシアは窓へ近づいた。
「……校内の警報?」
俺も立ち上がった。
廊下の向こうから、慌ただしい足音が聞こえてくる。
そして、扉が開いた。
「全員、実習を中断してください!」
教員が、険しい表情で入ってきた。
「……何かあったんですか?」
俺が尋ねると、教員は短く答えた。
「王都の東区で、魔導設備の異常が発生したそうです」
俺は、思わず息を呑んだ。
南区。
西区。
北区。
そして、今度は東区。
(……また?)
胸の奥に、冷たいものが広がった。
◇
王都東区。
商業施設と住宅が混在する一角で、騒ぎが起きていた。
通りの中央には、公共用の魔導送水装置が設置されている。
周辺の建物へ水を供給するための設備だ。
その装置が、突然異常な音を立て始めた。
「……おい、何だあれ!」
「水が止まらないぞ!」
装置の配管から、水が勢いよく噴き出していた。
制御盤の表示は、すでに停止を示している。
だが、送水は止まらない。
むしろ、圧力が上がり続けている。
「……離れろ!」
現場に駆けつけた騎士が叫んだ。
周囲の人々が、慌てて後退する。
その直後。
配管の一部が、鈍い音を立てて破裂した。
水が石畳へ叩きつけられる。
破片が飛び散り、近くの露店の屋根を突き破った。
「きゃあっ!」
悲鳴が上がる。
騎士たちが、すぐに避難誘導を始めた。
「こちらへ!」
「建物から離れてください!」
混乱の中、一人の少年が転倒した。
水に濡れた石畳で足を滑らせ、立ち上がれなくなっている。
その頭上で、配管の固定具が軋んだ。
次の瞬間。
金属製の支柱が、少年へ向かって傾いた。
「……危ない!」
騎士が駆け寄る。
だが、間に合わない。
そのとき。
銀色の光が、通りを横切った。
支柱の下に、魔力の障壁が展開される。
鈍い衝撃音。
落下した支柱が、障壁に受け止められた。
「……っ!」
少年は、目を見開いたまま動けなかった。
「大丈夫ですか?」
穏やかな声が響く。
雪白の長い髪。
紫色の瞳。
銀の鎧を纏った騎士が、少年の前に立っていた。
ユリウス・フォン・エーデル。
魔導騎士団副団長だった。
「……た、助かった……」
少年が震える声で呟く。
ユリウスは微笑んだ。
「もう大丈夫ですよ」
そして、近くの騎士へ声をかけた。
「この子を安全な場所へ」
「はっ!」
少年が連れていかれる。
ユリウスは、送水装置へ視線を向けた。
装置の内部では、青白い光が不規則に明滅している。
「……また、停止後の反応ですか」
彼は、静かに呟いた。
◇
魔導騎士団本部。
東区の異常発生を知らせる報告が届くと、ガルドは即座に立ち上がった。
「……今度は東区か!」
大きな声が、会議室に響く。
「ったく、次から次へと!」
アイリスが、すぐに敬礼した。
「団長、現場へ向かいますか?」
「ああ!」
ガルドは頷いた。
「ユリウスが先に行ってるんだろ?」
「はい。近くで別件の巡察中だったため、すでに現場対応に入っています」
「……そうか」
ガルドは、少しだけ表情を引き締めた。
「なら、俺も行く」
アイリスが頷いた。
「承知しました」
フィオナも立ち上がった。
「私も、現場の記録を確認したいです」
ガルドは、彼女を見た。
「……危ねえぞ?」
「分かっています」
フィオナは答えた。
「ですが、北区の工房との共通点があるかもしれません」
ガルドは、少し考えた。
「……よし」
そして、アイリスへ視線を向けた。
「アイリス、頼めるか?」
「はい」
アイリスは頷いた。
「フィオナさんの安全は、私が確認します」
フィオナは、少しだけアイリスを見た。
その言葉に、胸の奥がわずかに温かくなる。
だが、今はそれを考えている場合ではなかった。
◇
東区の現場に到着したとき、送水装置の周囲はすでに封鎖されていた。
水の流出は、応急的に止められている。
だが、石畳には破損した配管の破片が散らばり、近くの露店も大きく壊れていた。
「……ユリウス!」
ガルドが声を上げた。
ユリウスが振り返る。
「団長」
「無事か!」
「はい。問題ありません」
「怪我は?」
「ありませんよ」
ガルドは、ほっと息を吐いた。
「……なら、いい」
ユリウスは、少しだけ微笑んだ。
「ご心配をおかけしました」
「……別に、心配なんか」
ガルドは、そこで言葉を止めた。
ユリウスが、静かに首を傾げる。
「……違うのですか?」
「……いや、心配した!」
ガルドは、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「お前が怪我してたら、困るからな!」
ユリウスは、一瞬だけ目を見開いた。
そして、すぐに視線を逸らした。
「……ありがとうございます」
そのやり取りを、少し離れた場所からアイリスが見ていた。
だが、特に何も言わなかった。
今は、調査が優先だった。
「……フィオナさん」
「はい?」
「現場を確認しよう」
「はい」
二人は、送水装置へ向かった。
破損した配管。
焦げた制御盤。
そして、停止したはずの星晶石。
フィオナは、慎重に測定器を取り出した。
「……反応は?」
アイリスが尋ねる。
「……少し残っています」
フィオナは答えた。
「ただ、北区の工房ほど強くありません」
「……そうか」
アイリスは頷いた。
フィオナは、測定器を動かした。
そのとき。
針が、わずかに下がった。
そして。
少し遅れて、上がった。
「……!」
フィオナの表情が変わる。
「アイリスさん」
「何だ?」
「……また、同じ変化です」
アイリスは、測定器を見た。
確かに、記録紙には小さな変化が刻まれている。
「……北区と同じか?」
「似ています」
フィオナは頷いた。
「ただし、原因が同じとは限りません」
アイリスは、送水装置を見つめた。
南区。
西区。
北区。
そして、東区。
別々の場所で、似た異常が起きている。
「……偶然とは、思いにくくなってきたな」
アイリスが呟く。
フィオナは、静かに頷いた。
「……はい」
◇
夕方。
魔導騎士団本部では、緊急会議が開かれていた。
ガルドとユリウス。
アイリスとフィオナ。
そして、技術班の責任者。
机の上には、東区の送水装置の記録が並べられている。
「……東区でも、停止後の魔力反応が確認された」
ユリウスが言った。
「はい」
フィオナは頷いた。
「ただし、南区や北区との関連は、まだ確定していません」
ガルドは腕を組んだ。
「……それでも、何か繋がってるんじゃねえか?」
「可能性は高まっています」
ユリウスは答えた。
「ですが、証拠が必要です」
フィオナは、東区の記録紙を見つめた。
「……もう一つ、気になることがあります」
ユリウスが顔を上げる。
「何でしょう?」
「東区の送水装置にも、検査記録があります」
「……それが?」
「北区の工房で見つかった、あの検査番号と照合したいんです」
会議室に、短い沈黙が落ちた。
ガルドが眉をひそめる。
「……また、あの番号か」
「はい」
フィオナは頷いた。
「もし同じ番号が使われていたなら、関連を調べる手がかりになるかもしれません」
ユリウスは、静かに頷いた。
「……すぐに確認しましょう」
◇
その夜。
王都の片隅にある、古い建物の一室。
薄暗い部屋の中で、一人の人物が机に向かっていた。
机の上には、いくつかの金属片。
その表面には、線と点を組み合わせた印が刻まれている。
人物は、窓の外を見つめた。
「……東区も動いたか」
低い声が漏れる。
机の上の金属片を、一つ手に取る。
「……思ったより、早いな」
その人物は、しばらく考え込んだ。
そして。
「……次は、どこまで気づくか」
小さく、そう呟いた。
窓の外では、王都の魔導灯が静かに輝いている。
その灯りの一つが、わずかに明滅した。
まるで、何かの合図のように。
だが、その意味を知る者は、まだいなかった。




