↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第二部 交錯する星々

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/117

壁の向こうの魔力

 王都の北区には、古い建物が多い。


 何代にもわたって使われてきた工房や倉庫が、狭い路地を挟んで並んでいる。


 新しい建物のように、すべてが図面どおりとは限らない。


 増築された壁。


 塞がれた通路。


 使われなくなった地下設備。


 そして、その存在さえ忘れられた魔導回路。


 今、魔導騎士団が調べている工房も、そんな建物の一つだった。


     ◇


「……隣の倉庫への立ち入り許可が下りました」


 魔導騎士団本部の会議室で、アイリス・フェルディアが報告した。


 鮮やかな青いショートウルフの髪が、肩の動きに合わせて揺れる。


 向かいに座るユリウス・フォン・エーデルが頷いた。


「所有者からの協力は得られたのですね」


「はい。倉庫の使用状況を確認したうえで、立ち入りに同意していただきました」


「よかった」


 隣で資料を見ていたフィオナ・リュミエールが、ほっと息を吐いた。


「これで、工房の外側から測定できますね」


「ただし、調査できる範囲は限られています」


 アイリスは図面を広げた。


「倉庫には現在も荷物が保管されています。所有者から許可を得た場所だけを使用します」


「はい。十分です」


 フィオナは頷いた。


 その表情には、昨日までの興奮とは少し違う、落ち着いた集中があった。


 ユリウスは二人を見比べた。


「今回も、安全管理はアイリスに任せます」


「承知しました」


「フィオナさんには、測定と技術的な判断をお願いします」


「はい」


「ただし、危険があると判断した場合は、調査を中止してください」


 フィオナは真剣な表情で頷いた。


「分かりました」


 ユリウスは、机の上の資料へ目を落とした。


 そこには、昨日シオンたちが提出した測定記録も含まれている。


 補助電源の再投入直後に現れた、魔力の低下と遅れた上昇。


 工房の床下で観測された変化と、似た特徴を持つ記録だった。


「……学園側の測定結果については、引き続き比較を進めます」


 ユリウスが言った。


「ただ、現場で何が起きているのかを確認するには、別の証拠が必要です」


「はい」


 フィオナは頷いた。


「今日は、その手がかりを探したいと思います」


     ◇


 北区の倉庫は、問題の工房から細い路地を挟んだ場所にあった。


 木製の大きな扉。


 積み重ねられた木箱。


 古い油と乾いた木材の匂い。


 倉庫の管理人は、少し不安そうな表情で騎士たちを迎えた。


「……本当に、うちの倉庫は大丈夫なんでしょうね?」


 アイリスは丁寧に頭を下げた。


「現時点で、こちらの倉庫に異常があるという情報はありません。ただ、隣接する建物の調査のため、確認にご協力いただきたいのです」


「そうですか……」


 管理人は、少しだけ安心したようだった。


「荷物は、あまり動かさないでくださいよ」


「承知しました」


 アイリスは頷いた。


 その後ろで、フィオナが小さな鞄を抱えている。


「……フィオナさん」


「はい?」


「足元に気をつけてくれ。床が少し傷んでいる」


「分かりました」


 フィオナは慎重に足を運んだ。


 アイリスは、その様子を確認してから倉庫の奥へ進んだ。


 壁際には、古い木箱が積み上げられている。


 その向こうが、問題の工房に面した壁だった。


「……ここだな」


 アイリスが図面を確認する。


「はい」


 フィオナは頷いた。


「この壁の向こうに、工房の床下通路があるはずです」


「……測れるのか?」


「試してみます」


 フィオナは鞄から、昨日使った小型の測定器を取り出した。


 掌ほどの金属箱。


 表面には細い針。


 そして、魔力の変化を記録する小さな紙片。


「まず、壁から離れた場所で基準値を測ります」


「分かった」


 アイリスは周囲を確認した。


 騎士たちが、倉庫の出入口を警戒している。


 フィオナは測定器を構えた。


 針は、ほとんど動かない。


「……ここは、問題なさそうです」


 彼女は数値を書き留めた。


 次に、壁へ近づく。


 アイリスも、その隣に立った。


「……どうだ?」


「少し待ってください」


 フィオナは測定器を壁へ向けた。


 針が、わずかに揺れる。


「……あ」


 アイリスが顔を上げる。


「何かあったか?」


「……反応があります」


 フィオナは目を細めた。


「ただ、非常に弱いです」


「……昨日と同じか?」


「似ていますが、まだ比較できません」


 彼女は、慎重に測定器を動かした。


 壁の左側。


 中央。


 右側。


 そのたびに、針が微妙に動く。


「……ここですね」


 フィオナが、壁の一箇所を指さした。


「この辺りだけ、反応が少し強いです」


 アイリスは、その場所を見つめた。


 何の変哲もない石壁。


 だが、よく見ると。


「……フィオナさん」


「はい?」


「この壁、色が違わないか?」


 フィオナが顔を近づける。


「……あ、本当ですね」


 石材の一部が、周囲よりわずかに新しい。


 継ぎ目も、少しだけ不自然だった。


「……後から補修したのかもしれないな」


「はい」


 フィオナは頷いた。


「改修記録とも一致します」


 アイリスは、壁に触れようとしたフィオナの手を見て、声をかけた。


「……待ってくれ」


 フィオナの手が止まる。


「……はい?」


「まだ触らない方がいい」


 アイリスは、壁を慎重に見つめた。


「前回の工房には、床に罠があった。壁にも何か仕掛けられているかもしれない」


「……そうですね」


 フィオナは素直に手を引いた。


「ありがとうございます」


 アイリスは小さく頷いた。


「……測定だけにしておこう」


「はい」


 フィオナは再び測定器を構えた。


 そのときだった。


 針が、わずかに下がった。


 そして。


 少し遅れて、上がった。


「……!」


 フィオナの表情が変わる。


「アイリスさん」


「何だ?」


「今の反応……」


 彼女は記録紙を確認した。


「昨日の工房内で観測した変化と、似ています」


 アイリスは、壁を見つめた。


「……つまり、この向こうに何かある?」


「可能性はあります」


 フィオナは頷いた。


「ただ、壁の中なのか、さらに向こうなのかは分かりません」


「……分かった」


 アイリスは周囲を確認した。


「今日は、ここまでにしよう」


 フィオナは、少しだけ名残惜しそうに壁を見た。


 だが、すぐに頷いた。


「はい」


 その返事を聞いて、アイリスは小さく息を吐いた。


(……無理をしなくなったな)


 いや。


 正確には、無理をしないよう意識しているのだろう。


 その違いは、意外と大きい。


     ◇


 倉庫を出ると、午後の陽射しが路地を照らしていた。


 フィオナは、記録紙を見ながら歩いている。


「……フィオナさん」


 アイリスが声をかけた。


「はい?」


「歩きながら読むのは危ないぞ」


「……あ」


 フィオナは顔を上げた。


 目の前には、小さな段差。


「……すみません」


「いや」


 アイリスは苦笑した。


「本当に、研究のことになると周りが見えなくなるんだな」


「……よく言われます」


 フィオナは少し恥ずかしそうに笑った。


「でも、今日はちゃんと気をつけていたつもりなんです」


「……そうか」


「はい」


「……なら、もう少し気をつけよう」


「はい」


 フィオナは、素直に頷いた。


 アイリスは、その様子を見て少しだけ笑った。


 この数日で、フィオナという人物が少しずつ分かってきた。


 研究に夢中になると、周囲が見えなくなる。


 だが、危険を軽く考えているわけではない。


 指摘されれば、きちんと耳を傾ける。


 そして、自分の間違いを認めることをためらわない。


(……悪い人ではない)


 いや。


 それどころか。


(……一緒に仕事をしやすい人だ)


 アイリスは、そう思った。


     ◇


 同じ頃。


 王立総合学園の実習室では、俺たちが昨日の測定記録を整理していた。


「……つまり、補助電源の再投入が原因かもしれない、ってこと?」


 エリオットが尋ねる。


「原因というより、きっかけかもしれない」


 俺は答えた。


「きっかけ?」


「ああ」


 俺は、記録用紙を並べた。


「補助電源を入れ直したとき、記録回路の内部で魔力の流れが一時的に変わった可能性がある」


 リシアが頷く。


「でも、それが星晶石の反応に影響したかは、まだ分からない」


「そう」


 俺は頷いた。


「だから、次は補助電源だけを切り替えて、測定器側に変化が出るか確認したい」


 エリオットは目を輝かせた。


「おお! それならできそう!」


「ただし、実験用の小さな星晶石だけで」


 リシアが釘を刺す。


「分かってるって!」


 俺は苦笑した。


 以前なら、少しでも手がかりが見つかれば、すぐに次の実験を始めたくなっていたかもしれない。


 だが、今は違う。


 南区や西区で起きた事故を知っている。


 そして、北区の工房には、実際に危険な罠が仕掛けられていた。


 軽率な判断が、誰かを傷つけるかもしれない。


(……慎重すぎるのかもしれないけど)


 それでも。


 俺は、記録用紙へ視線を落とした。


(……今は、これでいい)


     ◇


 夕方。


 魔導騎士団本部の会議室には、アイリスとフィオナが戻っていた。


 ユリウスは、二人の報告を聞きながら図面を確認している。


「……壁の一部に、補修の痕跡があったのですね」


「はい」


 アイリスが答えた。


「その付近で、弱い魔力反応が確認されました」


「フィオナさん、測定結果は?」


「こちらです」


 フィオナは記録紙を差し出した。


 ユリウスは、数値を確認した。


「……昨日の工房内の反応と、似ていますね」


「はい。ただし、同じ原因かどうかは分かりません」


 フィオナは答えた。


「壁の内部に何かある可能性はありますが、現時点では断定できません」


 ユリウスは、しばらく考えた。


「……壁を開けるには、さらに慎重な準備が必要ですね」


「はい」


 アイリスが頷いた。


「所有者の許可も必要ですし、罠の有無を確認する必要があります」


「そうですね」


 ユリウスは、図面を閉じた。


「まずは、改修記録を詳しく調べましょう」


「承知しました」


 アイリスが答える。


 フィオナも頷いた。


「私も、技術院に戻って関連資料を確認します」


「お願いします」


 ユリウスは微笑んだ。


「お二人とも、お疲れさまでした」


     ◇


 会議室を出た後。


 フィオナは、廊下の窓際で立ち止まった。


 外は、夕暮れの色に染まり始めている。


「……アイリスさん」


「何だ?」


「今日は、ありがとうございました」


「……またか」


 アイリスは少し笑った。


「フィオナさんは、よく礼を言うな」


「そうでしょうか?」


「ああ」


 フィオナは少し考えた。


「……でも、本当に助かっているので」


 アイリスは、隣に立った。


「……私も助かっている」


「え?」


「フィオナさんがいなければ、あの壁の反応には気づけなかった」


 フィオナは、少しだけ目を見開いた。


「……そう言っていただけると、嬉しいです」


 アイリスは頷いた。


「だから、礼はお互い様だ」


 フィオナは、少しだけ笑った。


「……そうですね」


 二人は、しばらく窓の外を眺めた。


 王都の街並み。


 夕陽に染まる屋根。


 遠くで鳴る鐘の音。


 その静かな時間の中で、フィオナがぽつりと言った。


「……私、少し変わったかもしれません」


「……何が?」


「以前は、研究のことになると、他のことが見えなくなってしまうことが多かったんです」


 アイリスは、思わず苦笑した。


「……今も、少しそうだと思うが」


「……そうですね」


 フィオナも笑った。


「でも、最近は、周りのことを考えるようになりました」


「……そうか」


「はい」


 フィオナは、窓の外を見つめた。


「アイリスさんと一緒に調査をしていると、自分だけでは気づけないことがあると分かります」


 アイリスは、少しだけ驚いた。


「……私も同じだ」


「え?」


「フィオナさんと一緒にいると、今まで気にしなかったものを見るようになる」


 フィオナは、ゆっくりとアイリスを見た。


「……例えば?」


「壁の継ぎ目とか、古い図面の違いとか」


 アイリスは少し笑った。


「以前なら、そこまで気にしなかったかもしれない」


 フィオナは、嬉しそうに微笑んだ。


「……それは、よかったです」


 アイリスは頷いた。


 そして、ふと気づいた。


 いつの間にか、フィオナと話すことが自然になっている。


 最初は、危険な場所へ同行する研究者として、注意深く見ていた。


 だが、今は違う。


 彼女の意見を聞きたいと思う。


 自分の考えも、伝えたいと思う。


 それは、仕事をする相手としての信頼なのだろう。


 今のアイリスは、そう考えていた。


     ◇


 その夜。


 北区の古い路地裏。


 人通りの少ない場所に、一人の人物が立っていた。


 手には、小さな金属片。


 表面には、線と点を組み合わせた印が刻まれている。


 人物は、遠くに見える工房の封鎖を眺めた。


「……壁まで気づいたか」


 低い声が漏れる。


 その人物は、金属片を指先で転がした。


「……面倒なことになったな」


 しばらく沈黙が続いた。


 そして。


「……だが、まだ間に合う」


 人物は、静かに踵を返した。


 足音が、暗い路地の奥へ消えていく。


 その頃。


 王都の別の場所では、古い魔導灯が一瞬だけ明滅していた。


 誰も気づかないほど、小さな変化。


 だが、その灯りの奥で。


 魔力の流れが、ほんのわずかに乱れていた。


 そして、その乱れは。


 まだ、誰にも知られないまま、王都の地下へと広がり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。