再開する銀金の研究者
魔導騎士団本部の廊下に、軽やかな足音が響いていた。
その足音の主は、王立魔導技術院の研究員、フィオナ・リュミエールだった。
肩のあたりで切り揃えられた淡い銀金色の髪が、歩くたびに揺れる。
紫色の瞳は、廊下の装飾にも、すれ違う騎士たちにも向けられていなかった。
彼女が見つめているのは、手元の資料だった。
「……廃棄された検査装置の番号が、異なる二つの検査記録に使われている。しかも、回収された部品には後から追加された回路……」
小さく呟きながら、紙をめくる。
「面白いですね」
「……何が面白いんだ?」
突然、頭上から声が降ってきた。
フィオナが顔を上げる。
そこには、大柄な男が立っていた。
鍛え抜かれた身体。
顔に刻まれた傷。
そして、威圧感のある外見とは裏腹に、どこか人懐っこい笑み。
魔導騎士団長、ガルド・ヴァレンシュタインだった。
「お前が、技術院から来た研究員か?」
「はい。フィオナ・リュミエールです」
「おう! 俺はガルドだ!」
「存じています。団長」
「そうか!」
ガルドは豪快に笑った。
「で、何が面白いんだ?」
「こちらです」
フィオナは資料を差し出した。
ガルドは受け取ると、眉間に皺を寄せた。
「……細かい字だな」
「検査記録ですから」
「それは分かる」
「では、こちらの番号をご覧ください」
フィオナが指さしたのは、二枚の記録に記された同じ識別番号だった。
「この番号の装置は、すでに廃棄されたことになっています」
「ああ。その話は聞いてる」
「ですが、廃棄されたはずの装置の番号が、別々の検査記録に残っています」
「……誰かが、勝手に使ったってことか?」
「その可能性はあります」
フィオナは頷いた。
「ただし、番号が同じだからといって、同じ装置が使われたとは限りません」
「……どういうことだ?」
「検査装置そのものではなく、識別番号だけが流用された可能性もあります」
ガルドは少し考えた。
「つまり、実際には別の装置で検査して、書類だけ偽装したかもしれねえってことか」
「はい」
「なるほどな」
ガルドの表情が引き締まる。
「それなら、単なる故障じゃ済まねえ話だ」
「まだ故意かどうかも分かりません」
フィオナは落ち着いた声で言った。
「ですが、調べる価値は十分にあります」
「おう。そういうことなら、遠慮なく調べてくれ!」
そのとき。
「団長。廊下で立ち話をされていたのですか」
聞き慣れた声が響いた。
振り向くと、白い長髪の騎士が歩いてきていた。
ユリウス・フォン・エーデル。
魔導騎士団副団長であり、ガルドを支える白銀の騎士。
フィオナは、その姿を認めると表情を和らげた。
「ユリウス副団長。お久しぶりです」
「フィオナさん」
ユリウスも微笑んだ。
「クレイヴェル領での一件以来ですね」
「はい。あのときは、お世話になりました」
「こちらこそ。あなたの解析がなければ、あの転送門への対処は難しかったでしょう」
「副団長たちが魔物を食い止めてくださったおかげです」
フィオナは小さく頭を下げた。
ユリウスは、その様子に懐かしそうな表情を浮かべる。
「また一緒に仕事をすることになるとは思いませんでした」
「私もです」
フィオナは手元の資料を見下ろした。
「ですが、今回の回路は非常に興味深い構造をしています」
「……相変わらずですね」
ユリウスが苦笑する。
「研究のこととなると、目の色が変わる」
「そうでしょうか?」
「ええ」
そのやり取りを見ていたガルドが、二人を交互に見た。
「何だ。知り合いだったのか?」
「はい。以前、クレイヴェル領で共に任務に当たりました」
「ほう!」
ガルドは感心したように頷いた。
「なら、話が早えな!」
「団長」
「何だ?」
「話が早いのは結構ですが、まず研究室へ移動しましょう」
「……おう」
ユリウスの静かな一言に、ガルドは素直に頷いた。
フィオナは、その様子を少し不思議そうに眺めていた。
◇
研究室には、北区の工房から回収された金属板が並べられていた。
細かな溝が刻まれた板。
焼け焦げた接続部。
そして、何かの装置に取り付けられていたと思われる小さな金属片。
フィオナは手袋をはめ、慎重に一枚を持ち上げた。
「……なるほど」
表面を光にかざす。
「……これは」
彼女の表情が変わった。
ユリウスが問いかける。
「何か分かりましたか?」
「まだ断定はできませんが……」
フィオナは金属板を机に置いた。
「この回路は、単に魔力を測定するためのものではないようです」
「……どういう意味ですか?」
「魔力の一部を、別の経路へ逃がす構造があります」
彼女は図面を広げた。
「ここが通常の測定回路。そして、こちらが追加されたと思われる部分です」
細い線が、主回路から枝分かれしている。
「この経路を通れば、測定器が読み取る魔力量を変化させられる可能性があります」
ガルドが腕を組んだ。
「つまり、検査の結果をごまかせるってことか?」
「理論上は」
「……理論上?」
「はい。実際にどのような働きをしていたのかは、まだ分かりません」
フィオナは続けた。
「それに、この回路にはもう一つ、気になる部分があります」
「何ですか?」
ユリウスが尋ねる。
「逃がした魔力を、別の経路へ戻せるようにも見えるんです」
研究室に、短い沈黙が落ちた。
「……戻す?」
ガルドが聞き返した。
「はい」
「何のために?」
「分かりません」
フィオナは即答した。
「ただ、もし検査中に魔力を逃がし、その後で戻していたとすれば……」
そこで言葉を止めた。
紫色の瞳が、金属板の細い溝を追う。
「……いえ。まだ仮説が多すぎます」
ユリウスは静かに頷いた。
「確証がない段階で、結論を急ぐべきではありませんね」
「はい」
フィオナは顔を上げた。
「ですので、お願いがあります」
「何でしょう?」
「この部品が回収された工房の、詳しい見取り図を確認したいんです」
「見取り図ですか」
「はい。部品単体では、装置全体の構造が分かりません」
フィオナは机の上の金属板を指さした。
「この部品がどこに取り付けられていたのか。それによって、考えられる用途が大きく変わります」
ユリウスは少し考えた。
「分かりました。捜査資料を確認しましょう」
「ありがとうございます」
「ただし、資料には捜査上の機密も含まれます。必要な範囲に限らせてください」
「もちろんです」
フィオナは頷いた。
その返答を聞いて、ユリウスは扉の方へ向き直った。
「アイリス」
「はい」
扉の近くで待機していた女性騎士が、一歩前に出た。
鮮やかな青い髪は、短く整えられたショートウルフ。
凛とした青い瞳が、ユリウスを見つめる。
「フィオナさんの資料確認を手伝ってください。必要に応じて、工房の捜査記録も整理していただきたい」
「承知しました」
アイリスは一礼した。
そして、フィオナへ向き直る。
「アイリス・フェルディアです。今回の調査では、資料管理と現場との連絡を担当しています」
「フィオナ・リュミエールです。よろしくお願いします」
二人は、軽く頭を下げ合った。
その直後。
「……綺麗な青ですね」
フィオナが言った。
「……え?」
「髪の色です」
アイリスは思わず瞬きをした。
「……髪?」
「はい。とても鮮やかで」
フィオナは真面目な表情で続ける。
「魔導染料で再現しようとしても、なかなか難しい色合いだと思います」
「……そ、そうか」
アイリスは少し戸惑った。
「ありがとう」
「いえ。事実を申し上げただけです」
フィオナは柔らかく微笑んだ。
その笑顔を見て、アイリスはなぜか視線を逸らした。
「……では、資料室へ案内する」
「はい。お願いします」
二人は研究室を出ていった。
ガルドは、その背中を見送った。
「……変わった研究者だな」
「ええ」
ユリウスは小さく笑った。
「ですが、腕は確かです」
「お前がそう言うなら、期待できそうだな!」
ガルドは豪快に笑った。
ユリウスも微笑んだ。
だが、その表情はすぐに引き締まる。
「……団長」
「ん?」
「今回の件、単なる設備事故ではない可能性が高くなってきました」
「ああ」
ガルドは頷いた。
「誰かが意図的に、検査の結果を変えようとしていたかもしれねえ」
「はい」
「……面倒なことになってきたな」
その声には、先ほどまでの軽さはなかった。
◇
同じ頃。
王立総合学園の研究棟では、シオンたちが測定装置の改良を続けていた。
「……よし!」
エリオットが声を上げた。
「今度は、かなり安定したよ!」
机の上には、小さな魔導装置が置かれていた。
通常の星晶石から流れる魔力を記録するための補助回路。
前回の実験では、記録回路そのものが余計な反応を生み出していた。
そこで三人は、測定回路と記録回路を分離し、互いの影響を減らすよう改良した。
「……前より、ずいぶん綺麗な線になったな」
シオンは記録紙を見つめた。
「ええ」
リシアが頷く。
「ただし、まだ試験回数が足りないわ」
「分かってるよ」
エリオットは笑った。
「でも、少しは喜んでもいいだろ?」
「……それは、まあ」
リシアは小さく微笑んだ。
「いいと思うわ」
「やった!」
エリオットが両手を上げる。
シオンは苦笑した。
だが、その気持ちはよく分かる。
何度も失敗し、原因を探し、少しずつ改良してきた。
その結果が、ようやく目に見える形になってきたのだ。
「……次は、記録の比較だな」
シオンが言った。
「そうね」
リシアは資料を広げた。
「南区と西区の事故記録。それから、学園で確認された異常反応の記録」
「ただし、同じ現象だと決めつけないようにしないと」
シオンは頷いた。
「……ああ」
似た反応があるからといって、原因まで同じとは限らない。
それを忘れてはいけない。
シオンは記録紙を見つめた。
魔力の流れ。
わずかな揺れ。
目に見えない変化。
それらを正しく読み取ることができれば、何かが分かるかもしれない。
だが。
(……焦るな)
シオンは自分に言い聞かせた。
答えを急いで、間違った判断をすることだけは避けたい。
そのとき。
「シオン」
エリオットが声をかけた。
「これ、見てくれる?」
「……何だ?」
「ここの記録なんだけど」
エリオットは、二枚の記録紙を並べた。
「通常の星晶石で測ったものと、前回の異常反応を再現しようとしたときのもの」
シオンは目を細めた。
「……少し、違うな」
「だろ?」
エリオットが頷く。
「異常反応の方は、一度魔力が弱くなってから、少し遅れて強くなってる」
リシアも記録紙を覗き込んだ。
「……確かに」
「でも、これが何を意味するのかは分からない」
エリオットは肩をすくめた。
「単なる測定誤差かもしれないし」
シオンは黙って記録紙を見つめた。
一度、弱くなる。
そして、遅れて強くなる。
どこかで聞いた話と、似ている気がした。
(……いや)
シオンは首を振った。
似ているからといって、同じ原因とは限らない。
それに、前回の異常反応は再現実験の中で生じたものだ。
実際の事故とは条件が違う。
「……もう少し、試してみよう」
シオンは言った。
「同じ条件で、何度か測ってみたい」
「賛成!」
エリオットが頷いた。
リシアも資料を整理し始める。
「では、条件を記録しておくわ」
シオンは小さく息を吐いた。
まだ、何も分からない。
だが。
分からないことを、分からないままにしておくわけにはいかない。
◇
夕方。
魔導騎士団本部の資料室では、アイリスとフィオナが工房の見取り図を広げていた。
「……こちらが、北区の工房の内部構造です」
アイリスが説明する。
「入口は一か所。奥に作業場があり、その隣に小さな保管室があります」
「なるほど」
フィオナは図面を覗き込んだ。
「この壁の部分は?」
「そこは、すでに調査済みだ。特に異常は見つかっていない」
「……そうですか」
フィオナは少し考えた。
そして、図面の端を指さした。
「では、こちらは?」
「……床下の配線用通路だな」
「配線用通路?」
「古い工房だから、床下に魔導線を通すための空間がある」
フィオナの瞳が、わずかに輝いた。
「……なるほど」
「何か気になるのか?」
「はい」
フィオナは、回収された金属板の図面を重ねた。
「この部品は、単体で使うには少し不自然なんです」
「……不自然?」
「はい。回路の接続部分が、途中で切れています」
彼女は指先で線をなぞった。
「もちろん、取り外した際に破損した可能性もあります。ですが……」
フィオナは床下の配線用通路を指さした。
「もし、この部品が床下の別の装置と繋がっていたとしたら?」
アイリスの表情が変わった。
「……まだ、見つかっていない装置があるかもしれないということか」
「可能性の一つです」
フィオナは頷いた。
「ただ、工房には罠が仕掛けられていたと聞いています」
「ああ」
アイリスの声が低くなった。
「副団長と団長が調査した際、床の仕掛けが作動した」
「なら、床下にはまだ危険な回路が残っているかもしれません」
「……そうだな」
アイリスは図面を見つめた。
あの工房は、すでに封鎖されている。
だが、回収した部品の解析が進んだ今、新たに確認すべき場所が見えてきた。
「副団長に報告する」
アイリスが言った。
「再調査の必要があるかもしれない」
「はい」
フィオナは頷いた。
「ただし、もし調査するのであれば、私も同行したいです」
「……何?」
アイリスは顔を上げた。
「危険だ」
「承知しています」
「罠が残っている可能性があるんだぞ」
「はい」
フィオナは真剣な表情で答えた。
「だからこそ、回路の構造を理解している人間が必要だと思います」
アイリスは言葉に詰まった。
確かに、理屈は分かる。
だが。
「……それでも、危険な場所へ研究者を連れていくわけには」
「アイリスさん」
フィオナが、静かに名前を呼んだ。
「私は、危険を軽く考えているわけではありません」
紫色の瞳が、まっすぐにアイリスを見つめる。
「ですが、危険だからといって、何も調べなければ……」
そこで、少しだけ言葉を探した。
「……同じような事故が、また起こるかもしれません」
アイリスは黙った。
南区。
西区。
すでに、複数の場所で異常が発生している。
原因が分からないままなら、次はもっと大きな事故になる可能性もある。
「……分かった」
アイリスは小さく息を吐いた。
「同行できるかどうかは、副団長の判断になる」
「はい」
「それと」
「何でしょう?」
「もし同行することになったら、必ず私たちの指示に従ってくれ」
フィオナは微笑んだ。
「もちろんです」
「……本当だな?」
「はい」
アイリスは少しだけ眉をひそめた。
なぜだろう。
この研究者の返事は、妙に不安になる。
「……無茶はしないでくれよ」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
フィオナは一瞬だけ目を丸くした。
そして、柔らかく笑った。
「ありがとうございます」
「……何が?」
「心配してくださって」
「……いや、任務だから当然だ」
「そうですか」
フィオナは、どこか嬉しそうだった。
アイリスは、なぜか少しだけ居心地が悪くなった。
◇
その夜。
魔導騎士団本部の執務室では、ユリウスが新たな報告書を読んでいた。
「……床下の配線用通路、ですか」
「はい」
アイリスが頷いた。
「フィオナさんの見解では、回収した金属板が別の装置と繋がっていた可能性があります」
「なるほど」
ユリウスは図面を見つめた。
「確かに、前回の調査では床下まで十分に確認できていません」
「はい」
「ですが、罠が設置されていた場所です。慎重に進める必要がありますね」
「同感です」
ユリウスはしばらく考え込んだ。
そして。
「……明日、技術班と協議しましょう」
「承知しました」
アイリスが一礼する。
そのとき。
「おい、ユリウス」
執務室の扉が開いた。
ガルドが顔を覗かせる。
「まだ仕事してんのか?」
「……団長」
ユリウスは顔を上げた。
「報告書を確認しているところです」
「そうか」
ガルドは部屋に入ってきた。
そして、机の上に積まれた書類を見た。
「……また増えてねえか?」
「必要なものですので」
「お前、昨日も遅かっただろ」
「……昨日は、少し」
「少しじゃねえだろ」
ガルドは腕を組んだ。
「無理すんなって言ったはずだぞ」
ユリウスは小さく息を吐いた。
「……覚えています」
「なら、今日はもう終わりにしろ」
「ですが」
「ですが、じゃねえ」
ガルドは机の上の書類を一枚取った。
「残りは明日だ」
「団長」
「何だ?」
「……あなたも、まだ仕事が残っているのでは?」
ガルドは一瞬、黙った。
「……おう」
「でしたら、私だけ帰るわけにはいきません」
「……そう来たか」
ガルドは苦笑した。
ユリウスも、わずかに微笑んだ。
その様子を見ていたアイリスは、静かに一礼した。
「では、私は失礼します」
「ああ。お疲れさまです、アイリス」
「おう! 明日も頼むぞ!」
「はい」
アイリスが部屋を出る。
扉が閉まると、ガルドは大きく息を吐いた。
「……まったく」
そして、ユリウスの机に向かい合うように椅子を引いた。
「仕方ねえ。俺もここで仕事するか」
「……団長?」
「お前だけ残すのも、気分が悪いからな」
ユリウスは、少し驚いたようにガルドを見た。
「……ありがとうございます」
「礼なんかいらねえよ」
ガルドは笑った。
「さっさと片づけて、飯でも食いに行こうぜ」
ユリウスは、静かに微笑んだ。
「……はい」
その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
◇
同じ夜。
王都の北区。
封鎖された古い工房の前に、一つの影が立っていた。
周囲に人影はない。
影は、扉に貼られた封鎖の札を見つめた。
「……まだ、調べているのか」
低い声が、夜の空気に溶ける。
影は懐から、小さな金属片を取り出した。
そこには、細い線と点が刻まれていた。
北区の工房で見つかった部品と、よく似た印。
影はしばらくそれを見つめたあと、静かに握りしめた。
「……余計なことを」
そして、何事もなかったかのように、その場を去っていった。
工房の扉は、閉ざされたままだった。
だが、その奥にはまだ、誰も知らないものが残されているのかもしれない。
王都の夜は、静かに更けていく。
その静けさの下で、見えない歯車が、少しずつ動き始めていた。




