偽りの検査印
王都の朝は、いつもどおりの喧騒に包まれていた。
露店の商人が声を張り上げ、荷馬車が石畳を行き交う。パン屋からは焼きたての香りが漂い、通学途中の子どもたちが笑いながら走っていく。
南区と西区で魔導設備の異常が起きてから、数日。
事故のあった区域では一部の設備が停止したままだったが、王都全体の生活が止まったわけではない。
人々は、いつもの暮らしを続けていた。
だからこそ、その暮らしを支える仕組みに何が起きているのか、確かめなければならなかった。
◇
魔導騎士団本部。
「……お前、何してる?」
ガルド・ヴァレンシュタインが執務室の扉を開けると、そこには見慣れた人物がいた。
雪のように白い長髪。
紫水晶色の瞳。
机に向かい、書類を整理しているユリウス・フォン・エーデルである。
「おはようございます、団長」
「おはようじゃねえ」
ガルドは腕を組んだ。
「昨日、休めって言ったよな?」
「はい」
「じゃあ、何でいる?」
「確認しておきたい資料がありまして」
「……」
「短時間で終わらせる予定です」
「……ユリウス」
「はい」
「お前、俺の言うこと聞く気あるか?」
ユリウスは静かに微笑んだ。
「もちろんです」
「嘘つけ!」
執務室に、ガルドの声が響いた。
ユリウスは涼しい顔で書類を揃える。
「団長こそ、昨日は十分にお休みになりましたか?」
「……」
「何時にお休みになりました?」
「……」
「団長?」
「……夜だ」
「それは存じています」
「細かいことはいいだろ!」
「よくありません」
二人はしばらく睨み合った。
やがて、ガルドが大きく息を吐いた。
「……分かった。今日は二人とも早く帰る。それでいいな?」
ユリウスは少し驚いた。
「……団長も?」
「ああ」
「本当に?」
「お前、俺を何だと思ってるんだ?」
「仕事を終えるまで休まない方だと」
「お前も同じだろうが!」
ユリウスは口元を緩めた。
「……では、約束です」
「おう」
ガルドは頷いた。
そして、ユリウスの右腕へ視線を落とす。
「……痛みは?」
「ほとんどありません」
「ほとんど、か」
「……少しだけです」
「医務室には行ったのか?」
「昨日、診てもらいました」
「ならいい」
ガルドはようやく安心したように頷いた。
その様子を見て、ユリウスは胸の奥が温かくなるのを感じた。
だが、同時に思う。
(……こういうところが、困るのです)
団長は、誰にでも分け隔てなく接する。
部下が怪我をすれば心配し、困っていれば助ける。
自分だけが特別なわけではない。
それでも、期待してしまう。
ほんの少しでも、自分を特別に思ってくれているのではないかと。
「……ユリウス?」
「……はい?」
「何ぼんやりしてる?」
「……何でもありません」
ユリウスは書類を持ち直した。
「技術部門から、北区の工房で回収した金属板について報告が届いています」
ガルドの表情が引き締まる。
「……何か分かったのか?」
「はい。少なくとも、通常の加工用部品ではないようです」
◇
技術部門の研究室には、数枚の金属板が並べられていた。
表面には細かな溝が刻まれ、端には数字とも文字ともつかない模様が残っている。
「こちらをご覧ください」
技術担当者が、古い設計図を広げた。
「三か月前に廃棄されたと記録されている、星晶石検査装置の図面です」
ユリウスが覗き込む。
「……回路の配置が似ていますね」
「はい。ただし、完全に同じではありません」
担当者は金属板を指さした。
「本来、この部分には魔力の流れを測定する回路があるはずです。ですが、回収品には別の経路が追加されています」
「別の経路?」
ガルドが尋ねる。
「ええ。測定した魔力を外部へ逃がすのではなく、一時的に別の部分へ流す構造に見えます」
「……それが何を意味する?」
「まだ分かりません」
担当者は慎重に答えた。
「検査精度を上げるための改良かもしれませんし、別の目的で改造された可能性もあります」
ユリウスは頷いた。
「つまり、この金属板だけでは不正な装置だと断定できない」
「そのとおりです」
「では、刻印については?」
担当者は別の紙を取り出した。
短い線と点を組み合わせた模様。
「製造元を示す一般的な刻印ではありません。ただ、部品の組み合わせ位置を示すための印である可能性があります」
「……組み合わせ位置?」
「複数の部品を決まった順序で取り付けるための目印です」
ガルドが腕を組んだ。
「つまり、ほかにも同じような部品があるかもしれねえってことか」
「はい」
ユリウスは金属板を見つめた。
廃棄されたはずの検査装置。
その設計に似た部品。
そして、同じ検査番号が記された複数の星晶石。
もし、これらが同じ装置に関係しているなら。
「……装置が廃棄されていなかった可能性もありますね」
ユリウスが呟いた。
担当者は頷いた。
「あるいは、部品だけが再利用されたのかもしれません」
「分かりました。引き続き調査をお願いします」
「承知しました」
ガルドは金属板を見下ろした。
「……なあ、ユリウス」
「はい?」
「これ、学園の坊主たちにも見せたらどうだ?」
ユリウスは少し考えた。
「……シオン君たちですか?」
「ああ。魔導回路のことなら、あいつらも何か気づくかもしれねえ」
「確かに、参考になる意見は得られるかもしれません」
ユリウスは頷いた。
「ただし、捜査資料ですから、扱いには注意が必要です」
「分かってる。正式に頼めばいいだろ」
「……そうですね」
ユリウスは微笑んだ。
「団長にしては、慎重なご提案です」
「おい。今、何か余計なこと言わなかったか?」
「気のせいでしょう」
「絶対言っただろ!」
研究室に、担当者の小さな笑い声が漏れた。
◇
王立総合学園。
昼休みの食堂では、学生たちの話し声が響いていた。
「……で、昨日の試作品はどうなったんだ?」
カイル・レインフォードが尋ねた。
シオンはスープを一口飲んでから答える。
「まだ調整中だよ」
「調整中?」
「ああ。測定値を細かく記録する仕組みはできたけど、誤差が残ってる」
「……難しいな」
「簡単に言えば、正常なものを異常だと判断しないようにしてるんだ」
カイルはしばらく考えた。
「……つまり、敵じゃない奴を敵だと思って斬らないようにするってことか?」
シオンは少し驚いた。
「……まあ、そういうことだな」
「なら分かる!」
カイルは満足そうに頷いた。
隣にいたディーン・アシュベルクが口を開く。
「だが、敵かどうか判断できるまで待っていたら、先に攻撃されることもある」
「……そうなんだよな」
シオンは頷いた。
「だから難しい」
カイルはパンをちぎりながら言った。
「でも、何も考えずに斬るよりはいいだろ?」
「もちろん」
「だったら、まずは見分ける方法を覚えるしかないんじゃねえか?」
シオンは少し考えた。
見分ける方法。
それは、今自分たちがやろうとしていることだった。
「……そうだな」
シオンは笑った。
「ありがとう、カイル」
「おう!」
カイルは嬉しそうに頷いた。
ディーンが小さく笑う。
「たまには、まともなことを言うんだな」
「たまにはって何だよ!」
「そのままの意味だ」
「お前なあ!」
いつもの言い合いが始まる。
シオンは、そんな二人を見ながら少しだけ肩の力を抜いた。
考えすぎて動けなくなることもある。
だが、仲間と話していると、自分一人では気づかなかった考え方が見えてくる。
それは、学園へ来てから得た大きな変化の一つだった。
◇
午後の研究室。
シオン、エリオット、リシアの三人は、昨日の試作品を改良していた。
「……ここを分ければ、余計な反応を減らせるかもしれない」
エリオットが回路図を指さす。
「測定回路と記録回路の間に、緩衝部分を入れるのね」
リシアが頷いた。
「そう。直接つながっていると、記録側の変化が測定値に影響するかもしれないから」
シオンは図面を見つめた。
「……それなら、記録回路を動かす魔力源も別にした方がいいかもしれない」
「なるほど!」
エリオットが目を輝かせた。
「それなら、測定対象の魔力に影響されにくくなる!」
「ただし、装置が大きくなるわ」
リシアが指摘する。
「……そこは問題だな」
シオンは頷いた。
持ち運びが難しくなれば、現場での使用には向かない。
だが、今はまだ試作品だ。
小型化を急ぐより、まず正確に記録できることが重要だった。
「……今は大きくてもいいと思う」
シオンが言った。
「まず、正しい記録を取れるか確かめよう。そのあとで小型化を考えればいい」
リシアは頷いた。
「賛成よ」
「僕も!」
エリオットが笑った。
そのとき、研究室の扉が叩かれた。
「失礼します」
担当教員が入ってくる。
「三人とも、少しいいかな」
「はい」
シオンたちは顔を上げた。
教員の手には、一通の封書があった。
「魔導騎士団から、追加の協力依頼が届いている」
「……またですか?」
エリオットが驚いた。
「ああ。北区の工房で回収された魔導回路の部品について、意見を聞きたいそうだ」
シオンは目を見開いた。
「……北区の工房?」
「詳しい事情は、まだこちらにも伝えられていない」
教員は封書を机に置いた。
「ただし、捜査に関係する資料なので、閲覧には制限がある」
リシアが頷く。
「それは当然ですね」
「それで、君たちに確認したい」
教員は三人を見渡した。
「協力する意思はあるかい?」
シオンは、すぐには答えなかった。
自分たちは学生だ。
魔導騎士団の捜査に関わることが、どこまで許されるのか。
何かを見落とせば、調査を誤らせるかもしれない。
だが。
何もせずにいることが、正しいとも限らない。
「……先生」
シオンが口を開いた。
「はい」
「俺たちが分かる範囲で意見を伝えるだけなら、協力したいです」
教員は頷いた。
「もちろん、そのつもりだよ」
「ただ、分からないことは分からないと答えます」
「それでいい」
シオンは静かに頷いた。
まだ、自分の判断に絶対の自信があるわけではない。
だが、不安があるからこそ、できることとできないことを区別する。
それも、一つの決断だった。
◇
翌日。
魔導騎士団本部の技術研究室に、シオンたちの姿があった。
ユリウスが三人を迎える。
「ようこそ。お忙しいところ、ありがとうございます」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
シオンが頭を下げる。
エリオットは、研究室の設備を見て目を輝かせていた。
「……すごい」
「エリオット」
リシアが小声で注意する。
「分かってる。触らないよ」
「まだ何も言っていないわ」
「顔が言ってた」
ユリウスが微笑んだ。
「興味があるなら、あとで見学できる範囲をご案内しましょう」
「本当ですか!?」
「ええ。ただし、担当者の許可が必要です」
「ありがとうございます!」
エリオットは嬉しそうに頭を下げた。
そのとき、奥の扉が開いた。
「おう! 来たか!」
ガルドが姿を現した。
大きな身体。
背に負った大剣。
豪快な笑顔。
「お前たちが、例の学生か!」
シオンたちは一瞬、圧倒された。
「……はい」
シオンが答える。
「シオン・クレイヴェルです」
「おう! ガルド・ヴァレンシュタインだ!」
ガルドは豪快に笑った。
「ユリウスから話は聞いてるぞ!」
「……団長」
ユリウスが静かに言った。
「少し声を抑えてください。ここは研究室です」
「おっと、そうだったな!」
声の大きさは、ほとんど変わっていなかった。
エリオットが笑いをこらえる。
リシアは、何とも言えない顔をしていた。
シオンは思った。
(……この二人、ずいぶん雰囲気が違うな)
だが、ユリウスがガルドへ向ける視線には、どこか柔らかなものがあった。
それが何を意味するのか、シオンには分からなかった。
◇
研究室の中央には、北区の工房から回収された金属板が並べられていた。
「こちらです」
ユリウスが説明する。
「通常の検査装置に似た回路が刻まれていますが、一部に不明な経路が追加されています」
シオンたちは、金属板を直接触らずに観察した。
「……確かに、変わった構造ですね」
エリオットが呟く。
「この部分、測定した魔力を別の場所へ流しているように見える」
リシアが図面を確認する。
「でも、普通の検査装置なら、測定値を記録するための回路につながるはずよね」
「そうだな」
シオンは頷いた。
金属板に刻まれた溝。
その配置。
魔力の流れを想像する。
だが、何かが引っかかった。
「……副団長」
「何でしょう」
「この金属板、ほかの部品と組み合わせて使うものですよね?」
「その可能性が高いと考えています」
「……やっぱり」
シオンは、端に刻まれた模様を指さした。
「この印、部品の向きを示すものかもしれません」
エリオットが顔を上げる。
「……向き?」
「うん。もし複数の金属板を組み合わせるなら、向きを間違えないように印をつけることがあるだろ?」
「なるほど!」
リシアも頷いた。
「ただし、印の意味を確認するには、ほかの部品が必要ね」
「そうだな」
シオンは金属板を見つめた。
まだ、分からないことが多い。
だが。
この回路は、単なる検査装置の一部ではないかもしれない。
そう感じた。
そのとき。
「……シオン君」
ユリウスが声をかけた。
「はい?」
「何か気になることがありますか?」
シオンは少し迷った。
確証はない。
ただ、回路の配置を見ていると、どこか違和感がある。
以前なら、その感覚をどう説明すればいいか分からず、黙っていたかもしれない。
だが。
「……あります」
シオンは答えた。
「ただ、まだ推測です」
「構いません」
ユリウスは頷いた。
「聞かせてください」
シオンは金属板を指さした。
「この回路、測定した魔力を一時的に別の場所へ流す構造に見えます。でも……」
「でも?」
「……もし、流した魔力をあとから戻す仕組みだったら?」
研究室に、短い沈黙が落ちた。
エリオットが目を見開く。
「……あとから戻す?」
「うん。測定中は別の場所へ逃がしておいて、一定の条件になったら戻す」
リシアが眉をひそめた。
「……それなら、測定値が実際の状態と一致しない可能性がある」
「そう」
シオンは頷いた。
「例えば、検査中だけ正常な値に見せることも……理屈の上では、できるかもしれない」
ユリウスの表情が引き締まった。
「……検査結果を偽装するための回路、ということですか?」
「まだ分かりません」
シオンは即座に答えた。
「そういう使い方も考えられる、というだけです」
ガルドが腕を組む。
「……なるほどな」
ユリウスは静かに頷いた。
「重要な指摘です。ただし、実際にその機能があるかは、技術者による確認が必要ですね」
「はい」
シオンは頷いた。
自分の考えを伝えた。
だが、それが正しいとは限らない。
だからこそ、次に確かめるべきことが見えてくる。
そのことに、少しだけ安心した。
◇
会議が終わったあと。
ガルドとユリウスは、研究室の外を歩いていた。
「……面白い坊主だな」
ガルドが言った。
「シオン君ですか?」
「ああ。まだ若いのに、よく考えてる」
「ええ」
ユリウスは微笑んだ。
「以前から、興味深い視点を持っていました」
「お前が気に入るわけだ」
「……気に入る?」
「研究者としてだよ」
「……もちろんです」
ユリウスは少しだけ目を伏せた。
ガルドは、そんな様子に気づかず続ける。
「しかし、あの回路が本当に検査結果を誤魔化すためのものだったら、厄介だな」
「はい」
ユリウスの表情が引き締まる。
「星晶石の品質検査そのものが信用できなくなる可能性があります」
「……そうなると、王都中の設備を調べる必要があるかもしれねえ」
「ええ。ただし、今の段階でそこまで広げるのは早計です」
「分かってる」
ガルドは頷いた。
「まずは、確かな証拠を集める」
「……団長」
「何だ?」
「今日は、ずいぶん慎重ですね」
「お前がいつも言ってることだろ?」
ユリウスは目を瞬かせた。
ガルドは笑った。
「俺だって、ちゃんと聞いてるんだぞ」
ユリウスは、しばらく黙っていた。
そして。
「……それは、嬉しいですね」
小さく微笑んだ。
ガルドは首を傾げる。
「……何でだ?」
「……何でもありません」
ユリウスは、いつものように答えた。
だが、その声は少しだけ柔らかかった。
◇
その夜。
魔導騎士団の技術部門では、金属板の詳細な解析が始まっていた。
シオンたちの指摘を踏まえ、技術者は追加回路の働きを慎重に調べていた。
そして。
「……これは」
一人の技術者が、思わず声を漏らした。
回路の一部を図面上で再構成すると、ある特徴が浮かび上がった。
魔力を測定するための経路。
そこから分岐する、別の経路。
そして、一定の条件で再び合流する構造。
「……やはり、戻しているのか?」
技術者は記録を確認した。
だが、そこで新たな疑問が生まれた。
もし、この回路が単に測定値を偽装するためのものなら。
なぜ、わざわざ魔力を一時的に蓄える必要があるのか。
数値を誤魔化すだけなら、もっと簡単な方法があるはずだった。
「……違う」
技術者は呟いた。
「これは、測定値を偽装するだけの回路じゃない……」
彼は、もう一度図面を見直した。
そして、ある可能性に気づく。
もし、この回路が星晶石へ魔力を送り込むためのものだったとしたら。
しかも、通常の供給経路とは異なる形で。
「……まさか」
技術者の顔から、血の気が引いた。
検査装置。
星晶石。
供給停止後の異常反応。
それらが、一本の線でつながり始めていた。
だが、その線が示すものは、まだ仮説にすぎない。
技術者は深く息を吐き、報告書を取り出した。
そして、最初の一行を書き始めた。
『回収部品の追加回路について、通常の品質検査とは異なる用途が存在する可能性あり』
その報告が、翌朝の魔導騎士団本部へ届けられることになる。
ガルド、アイリスのイメージ添付してます。




