白銀の剣と不器用な想い
王都北区の旧工業区画に、朝靄が漂っていた。
かつて職人たちの槌音が響いていた通りは、今では人影もまばらだ。閉ざされた工房の窓には埃が積もり、石畳の隙間から伸びた雑草が風に揺れている。
その一角に、魔導騎士団の一隊が集結していた。
「……団長」
ユリウス・フォン・エーデルは、隣に立つ大男を見上げた。
「なぜ、こちらにいらっしゃるのですか?」
「何でって、捜査だからだろ?」
ガルド・ヴァレンシュタインは当然のように答えた。
その背には、巨大な剣が収まっている。
「北区の捜査は、私が指揮すると申し上げたはずですが」
「ああ。だから、お前が指揮しろ」
「では、団長は?」
「俺はついていく」
「……」
ユリウスは目を閉じた。
雪のように白い長髪が、朝風に揺れる。
「団長。指揮官が二人いては、現場が混乱します」
「だから、お前が指揮しろって言ってるだろ」
「では、団長は私の指示に従ってくださるのですね?」
「もちろんだ!」
あまりにも力強い返事だった。
ユリウスは、わずかに目を細める。
「……本当に?」
「おう!」
「危険だから待機してくださいと申し上げても?」
「状況によるな!」
「……今、何と?」
「状況による!」
ユリウスは深いため息をついた。
「……やはり、信用できません」
「何でだ!?」
少し離れた場所で、アイリス・フェルディアがそのやり取りを聞いていた。
隣にいた若い騎士が、小声で尋ねる。
「……副団長、朝から大変そうですね」
「いつものことよ」
アイリスは苦笑した。
「でも、団長が来ると少し安心するでしょう?」
「それは、まあ……」
「私もよ」
彼女は二人へ視線を向けた。
王国屈指の実力を持つ魔導騎士団長。
そして、その隣で冷静に全体を支える副団長。
性格は正反対に見えるが、戦場での連携は見事なものだった。
ただし。
(……副団長の苦労は、もう少し減ってもいいと思うけど)
アイリスは心の中で付け加えた。
◇
捜査対象の建物は、古い煉瓦造りの工房だった。
公共設備管理所の記録では、星晶石の納入先となっていた場所である。
しかし、工房としての営業記録はなく、建物の使用契約には二年前に死亡した人物の名前が使われていた。
魔導騎士団は、関係機関と調整したうえで正式な立ち入り調査に踏み切っていた。
「周辺の確認は?」
ユリウスが尋ねる。
「完了しています」
アイリスが報告した。
「裏手に荷車の通れる道があります。最近使われたと思われる車輪の跡も確認しました」
「足跡は?」
「複数あります。ただし、古いものとの区別は難しい状況です」
「分かりました」
ユリウスは建物を見上げた。
窓は板で塞がれている。
正面の扉には錆びた鎖が巻かれていた。
「まず、外周を確認します。内部に人がいる可能性も考慮してください」
「了解!」
騎士たちが配置につく。
そのとき。
「よし、俺が扉を開けるか!」
ガルドが一歩前に出た。
「団長」
「ん?」
「お待ちください」
「何だ?」
「まだ内部の安全確認が済んでいません」
「だから、俺が先に入って確認するんだろ?」
「……」
ユリウスは額に手を当てた。
「団長」
「おう」
「先ほど、私の指示に従うとおっしゃいましたね?」
「言ったな」
「では、ここで待機してください」
「……」
ガルドはしばらく考え込んだ。
そして。
「分かった!」
意外にも、あっさり頷いた。
ユリウスは少し驚いた。
「……よろしいのですか?」
「お前がそう言うならな」
「……」
「何だ、その顔は」
「いえ……」
ユリウスは視線を逸らした。
「……ありがとうございます」
「礼を言われるようなことか?」
「私にとっては、十分です」
ガルドは不思議そうに首を傾げた。
アイリスは、その様子を見て小さく笑った。
◇
工房の扉が開かれた。
内部には、古い加工台と棚が並んでいた。
床には埃が積もっている。
だが、すべてが長年放置されていたわけではなかった。
「……ここだけ、埃が少ないですね」
アイリスが床を指さす。
奥の作業台の周囲には、最近人が出入りしたような跡が残っていた。
「荷物を置いていたのでしょうか」
ユリウスが呟く。
騎士たちは慎重に室内を調べた。
棚の中には、古い工具。
使いかけの研磨剤。
破損した魔導器具の部品。
そして、作業台の下から、一枚の布に包まれた木箱が見つかった。
「副団長!」
アイリスが呼ぶ。
「こちらを」
ユリウスは木箱を確認した。
蓋には、古い工房の印が刻まれている。
だが、印の一部が削られていた。
「……開けられますか?」
「封印の有無を確認します」
技術担当の騎士が慎重に調べる。
「魔力反応はありません。機械式の錠前です」
「では、開封してください」
鍵を外す音が響いた。
蓋が開く。
中に入っていたのは、数枚の金属板だった。
「……これは?」
アイリスが首を傾げる。
ユリウスは一枚を手に取った。
表面には細かな溝が刻まれている。
魔導回路の一部に見えた。
「……検査装置の部品でしょうか」
「可能性はあります」
技術担当の騎士が答える。
「ただし、これだけでは用途を特定できません」
ユリウスは頷いた。
「本部へ持ち帰り、専門家に確認してもらいましょう」
そのときだった。
奥の壁際から、かすかな音が聞こえた。
かちり。
何かが動く音。
ユリウスの表情が変わった。
「……全員、下がってください」
騎士たちが一斉に動く。
次の瞬間。
壁際の床に刻まれていた魔導回路が、淡い赤色に輝いた。
「……罠か!」
アイリスが叫ぶ。
床の一部が沈み、壁の隙間から細い光が走った。
それは、室内を横切るように広がっていく。
「防護結界!」
ユリウスが即座に魔法を発動した。
半透明の障壁が騎士たちの前に展開される。
光が結界に衝突した。
甲高い音が響く。
だが、結界は破られない。
「……くっ!」
ユリウスは歯を食いしばった。
光の圧力が、予想以上に強い。
しかも、攻撃は一度では終わらなかった。
二度。
三度。
床の回路が、次々と輝く。
「副団長!」
アイリスが叫ぶ。
「このままでは……!」
「分かっています!」
ユリウスは結界を維持しながら、周囲の騎士へ指示を出した。
「全員、出口へ! 技術班は装置に触れないでください!」
騎士たちが後退する。
そのとき。
背後から、豪快な声が響いた。
「ユリウス!」
ガルドだった。
「団長!? 待機していたはずでは!」
「お前が危ねえんだから、待ってられるか!」
「……っ!」
ガルドは巨大な剣を抜いた。
刃に、濃密な戦気が宿る。
「どこを斬ればいい!」
ユリウスは一瞬、言葉を失った。
だが、すぐに状況を判断する。
「右奥の床です! 赤く光っている回路の外側、石板の継ぎ目を!」
「分かった!」
ガルドが踏み込んだ。
巨体からは想像できない速度だった。
大剣が振り下ろされる。
轟音。
石床が砕け、回路の一部が断ち切られた。
赤い光が、一瞬だけ弱まる。
「……まだです!」
ユリウスが叫ぶ。
「左側にも回路があります!」
「任せろ!」
ガルドは剣を返した。
二撃目。
今度は壁際の石板が砕け散る。
光が途切れた。
床の魔導回路が、ゆっくりと暗くなっていく。
やがて。
室内に静寂が戻った。
「……停止しました」
アイリスが呟いた。
ユリウスは結界を解除した。
そして、深く息を吐く。
「……団長」
「おう!」
「……なぜ、入ってきたのですか」
「お前が危なかったからだ」
「私が待機を命じたことは?」
「覚えてるぞ」
「では、なぜ……」
ガルドは不思議そうに首を傾げた。
「お前が危ないのに、黙って見てろってのか?」
「……」
ユリウスは言葉を失った。
ガルドは続けた。
「俺は団長だ。部下が危険なら助ける。それだけだろ」
その言葉に、ユリウスは少しだけ目を伏せた。
部下。
その一言が、胸の奥に小さく刺さる。
だが。
自分が危険なとき、迷わず飛び込んできてくれた。
その事実が、何よりも嬉しかった。
「……ありがとうございます」
ユリウスは静かに言った。
ガルドは笑った。
「おう! 無事でよかったな!」
ユリウスは微笑んだ。
「……ええ」
ただし。
「ですが、団長」
「ん?」
「命令違反については、あとでお話があります」
「……何?」
「覚悟しておいてください」
「おいおい! 助けたんだぞ!?」
「それとこれとは別です」
アイリスは、二人のやり取りを聞きながら肩を震わせていた。
◇
同じ頃。
王立総合学園の研究棟では、シオンたちが試作品の改良を進めていた。
「……これで、記録回路の誤差は少し減ったかな」
エリオットが装置を覗き込む。
「前回よりは安定しているわね」
リシアが記録を確認した。
シオンは図面に目を落とした。
故郷でグレンと作った劣化警告装置。
その考え方を応用し、測定値の小さな変化を記録する補助回路。
まだ完成には程遠い。
だが、少しずつ形になっていた。
「……一つ、気になることがあるんだ」
シオンが言った。
「何?」
リシアが顔を上げる。
「俺たち、異常が起きる前の変化を調べてるだろ?」
「ええ」
「でも、その変化が本当に危険な兆候なのか、まだ分からない」
エリオットが頷く。
「うん。だから、今は記録を集めてる」
「そうなんだけど……」
シオンは言葉を止めた。
自分たちの装置が、いつか騎士団の現場で使われるかもしれない。
もし、そのとき。
警告が出なかったら。
あるいは、誤った警告を出したら。
誰かが危険な目に遭うかもしれない。
「……シオン」
リシアが声をかけた。
「また、考えすぎているんじゃない?」
「……そうかもしれない」
シオンは苦笑した。
だが、今回は以前とは少し違った。
不安があるからといって、何もしないわけではない。
「……だから、今のうちにできるだけ確かめたい」
シオンは顔を上げた。
「完成していないものを完成したと言うつもりはない。でも、どこまで信用できるかは、自分たちで調べたいんだ」
リシアは頷いた。
「それなら、賛成よ」
「僕も!」
エリオットが笑った。
「それに、失敗するなら今のうちだよ。安全な結晶で試しているんだから」
「……そうだな」
シオンは頷いた。
そして、再び図面へ向き直った。
◇
夕方。
北区の工房では、罠の解除後も調査が続けられていた。
ガルドとユリウスは、建物の外で報告を受けていた。
「……つまり、あの回路は侵入者を排除するためのものだった可能性が高いのか」
ガルドが尋ねる。
「はい」
技術担当の騎士が答えた。
「ただし、致命的な攻撃を目的としていたかどうかは不明です。警告装置として設置された可能性もあります」
「警告にしちゃ、ずいぶん物騒だな」
ガルドが眉をひそめる。
「ええ」
ユリウスは頷いた。
「少なくとも、一般的な倉庫の防犯設備とは異なります」
アイリスが報告書を差し出した。
「回収した金属板についても、専門家の確認が必要です」
「分かりました」
ユリウスは書類を受け取った。
「本部へ持ち帰りましょう」
そのとき。
「ユリウス」
ガルドが声をかけた。
「はい?」
「お前、腕は大丈夫か?」
「……腕?」
「さっき、結界を張ってたときに無理してただろ」
ユリウスは少し驚いた。
確かに、結界を維持した際に右腕へ負担がかかっていた。
だが、外から見て分かるほどではないと思っていた。
「……問題ありません」
「本当か?」
「はい」
ガルドは、じっとユリウスを見つめた。
「……嘘だな」
「……」
「見せてみろ」
「団長、ここはまだ現場です」
「いいから」
ガルドはユリウスの右腕を取った。
大きな手が、手首を包む。
ユリウスの身体が、わずかに強張った。
「……っ」
「ほら、やっぱり痛むんじゃねえか」
「……少しだけです」
「少しでも痛むなら、ちゃんと言え」
ガルドは真剣な顔で言った。
「お前が無理して倒れたら、俺が困る」
ユリウスは、言葉を失った。
胸の奥が、急に熱くなる。
「……団長」
「何だ?」
「……そのようなことを、簡単におっしゃらないでください」
「何でだ?」
「……」
ユリウスは視線を逸らした。
「……いえ。何でもありません」
ガルドは首を傾げた。
「変な奴だな」
「……よく言われます」
「誰に?」
「主に、団長にです」
「そうだったか?」
ガルドは豪快に笑った。
ユリウスは、ため息をついた。
だが、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。
◇
騎士団本部へ戻った頃には、日が暮れていた。
ユリウスは報告書をまとめ、ガルドの執務室へ向かった。
扉を叩く。
「団長、報告書をお持ちしました」
「おう、入れ!」
扉を開けると、ガルドは机の上に大量の書類を積み上げていた。
「……団長」
「何だ?」
「その書類は?」
「今日の報告書だ」
「……なぜ、すべて団長の机に?」
「お前が忙しそうだったからな。俺がやっとこうと思って」
ユリウスは目を瞬かせた。
「……団長が?」
「おう!」
「……書類仕事を?」
「何だ、その反応は!」
「いえ……」
ユリウスは、そっと机の上の書類を確認した。
内容は、意外にも丁寧に整理されていた。
誤字は少ない。
必要な項目も揃っている。
「……きちんと書けている」
「当たり前だろ!」
「……失礼しました」
ユリウスは微笑んだ。
ガルドは少し得意げだった。
「俺だって、やるときゃやるんだ」
「ええ。存じています」
「……本当か?」
「もちろんです」
ユリウスは静かに答えた。
「団長が、誰よりも責任感の強い方だということは」
ガルドは少し驚いたように目を見開いた。
「……何だ、急に」
「事実を申し上げただけです」
「……そうか」
ガルドは照れくさそうに頭をかいた。
ユリウスは、その様子を見て微笑んだ。
そして、書類を机に置いた。
「……団長」
「ん?」
「今日は、ありがとうございました」
「さっきも聞いたぞ」
「何度でも申し上げます」
ユリウスは、まっすぐにガルドを見つめた。
「……あなたが来てくださって、本当によかった」
ガルドは、しばらく黙っていた。
そして。
「……おう」
少しだけ、声を落として答えた。
「俺も、お前が無事でよかった」
ユリウスの胸が、小さく跳ねた。
その言葉に、特別な意味があるのかは分からない。
きっと、団長にとっては部下を気遣う、ごく自然な言葉なのだろう。
それでも。
今は、それで十分だった。
「……では、失礼します」
ユリウスは一礼した。
扉へ向かう。
その背中に、ガルドの声がかかった。
「ユリウス」
「はい?」
「明日は休めよ」
「……え?」
「腕、痛むんだろ。無理すんな」
ユリウスは、少し困ったように笑った。
「……団長こそ、お休みになってください」
「俺は大丈夫だ!」
「……でしょうね」
ユリウスは、もう一度ため息をついた。
そして。
「……おやすみなさい、団長」
「おう! おやすみ!」
扉が閉まる。
廊下に出たユリウスは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
右手を、そっと胸元へ当てる。
まだ、ガルドに掴まれた手首の感触が残っているような気がした。
「……本当に」
ユリウスは、小さく呟いた。
「……ずるい方です」
誰もいない廊下に、その声は静かに消えていった。
◇
一方、王都北区の工房から回収された金属板は、騎士団の技術部門へ運ばれていた。
夜遅く。
一人の技術者が、金属板を光にかざしていた。
「……妙だな」
表面に刻まれた溝。
その配置は、一般的な魔導回路とは少し異なっていた。
魔力を流すための回路というよりも。
何かを測定するための回路に近い。
「……検査装置の部品か?」
技術者は、別の資料を取り出した。
廃棄されたはずの検査装置の設計記録。
そこに描かれていた回路の一部と、目の前の金属板。
形状は似ている。
だが、完全には一致しない。
「……改造されている?」
技術者は眉をひそめた。
金属板の端には、小さな刻印があった。
それは、通常の製造番号ではなかった。
数字でも、工房の印でもない。
ただ、短い線と点を組み合わせた、不思議な模様。
技術者は、その模様を紙に写し取った。
「……何の印だ、これは」
答える者はいない。
窓の外では、王都の夜が静かに更けていた。
だが、北区の工房で見つかった金属板は、南区と西区の事故を調べるうえで、新たな手がかりとなりつつあった。




