白銀の騎士、再び
王立総合学園の正門前に、一台の馬車が停まった。
黒を基調とした車体には、銀色の紋章が刻まれている。
交差する二本の剣と、それを囲む魔法陣。
アルセリア王国魔導騎士団の紋章だった。
「……本当に来たんだな」
研究棟の窓から馬車を見下ろし、エリオット・ベルンが呟いた。
「正式な協力依頼が届いたんだから、当然でしょう」
隣に立つリシア・エルフォードは、いつもどおり落ち着いていた。
もっとも、その手には昨日から整理し続けている実験記録が握られている。
彼女なりに緊張しているのかもしれない。
「いや、そうなんだけどさ。魔導騎士団って、もっとこう……遠い存在だと思ってたから」
「遠い存在?」
「王都で事件が起きたら颯爽と現れて、悪い奴を倒して、みんなに感謝されるような人たち」
「ずいぶん大雑把な認識ね」
「夢があるって言ってよ」
シオン・クレイヴェルは、そんな二人の会話を聞きながら窓の外を見つめていた。
馬車の扉が開く。
最初に降りてきたのは、騎士団の制服を着た女性だった。
その後に、一人の青年が姿を現す。
雪のように白い長髪。
紫水晶を思わせる瞳。
端正な顔立ちと、隙のない立ち居振る舞い。
シオンは思わず目を見開いた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
リシアが尋ねる。
「いや、あの人……」
見覚えがある。
それも、単に顔を知っているという程度ではない。
数年前、クレイヴェル領で起きた事件。
魔導回路に関する不可解な現象を調べるため、領地を訪れた騎士たち。
その中に、あの青年がいた。
「……ユリウス副団長?」
シオンが呟く。
エリオットが勢いよく振り向いた。
「えっ!? 知り合い!?」
「知り合いってほどじゃないけど、前に会ったことがある」
「前に!? どこで!?」
「俺の故郷で」
「……シオン」
リシアが静かに言った。
「あなた、ときどき何でもないことみたいに、とんでもない話をするわね」
「そうか?」
「そうよ」
シオンは首を傾げた。
本人にとっては、過去の出来事の一つにすぎない。
だが、今思えば、あの頃から自分の周囲では説明のつかないことが起きていた。
そして今回も。
また、魔導騎士団が関わることになった。
◇
学園の会議室。
シオンたちが入室すると、先に到着していたユリウスが顔を上げた。
その視線がシオンに向けられる。
ほんの一瞬。
紫水晶色の瞳に、驚きの色が浮かんだ。
「……やはり、君でしたか」
「お久しぶりです、ユリウス副団長」
シオンが頭を下げる。
ユリウスは柔らかく微笑んだ。
「お久しぶりです、シオン・クレイヴェル君。ずいぶん大きくなりましたね」
「何年か経っていますから」
「ええ。クレイヴェル領で会った頃とは、見違えました」
そのやり取りを、エリオットが口を開けて見つめていた。
「……本当に知り合いなんだ」
「だから言っただろ」
「いや、言ったけど!」
ユリウスが小さく笑う。
「君のお友達ですか?」
「はい。エリオット・ベルンと、リシア・エルフォードです」
「よろしくお願いします!」
エリオットが勢いよく頭を下げた。
「リシア・エルフォードです。今回の実験では、測定条件の管理を担当しました」
リシアは落ち着いた口調で自己紹介する。
「魔導騎士団副団長、ユリウス・フォン・エーデルです」
ユリウスも丁寧に応じた。
「今回は皆さんに、ぜひ協力していただきたいことがあります」
その隣では、女性騎士が書類を広げていた。
「魔導騎士団のアイリス・フェルディアです。事故現場の調査記録を担当しています」
アイリスは三人へ会釈した。
シオンたちも挨拶を返す。
会議室には担当教員のほか、学園の設備管理責任者も同席していた。
全員が席に着くと、ユリウスが話を切り出した。
「まず、南区と西区の事故について、皆さんにお礼を申し上げます」
「……お礼、ですか?」
シオンが聞き返す。
「ええ。特に西区では、皆さんの研究記録が現場の判断材料になりました」
ユリウスは一枚の図面を広げた。
「魔力供給を遮断したあとも、結晶が反応を続ける。その可能性を考慮したことで、作業員が不用意に装置を開放する事態を避けられました」
エリオットが息を呑む。
「……本当に、役に立ったんですね」
「もちろん、現場の技術者たちの判断と努力があってこそです」
ユリウスは頷いた。
「ですが、皆さんの記録がなければ、別の手順を選んでいた可能性もあります」
シオンは図面を見つめた。
自分たちが研究室で記録した、わずかな測定値の変化。
それが、事故現場で誰かを守る手がかりになった。
その事実には、素直に安堵した。
だが、同時に疑問も浮かぶ。
「……西区の装置は、もう安全なんですか?」
「現時点では、内部の反応は停止しています」
ユリウスが答える。
「ただし、根本原因は分かっていません。装置は運転を再開せず、調査のため封鎖しています」
「そうですか」
「そして、もう一つ」
ユリウスの表情が引き締まった。
「南区と西区で使用されていた星晶石について、不自然な記録が見つかりました」
◇
ユリウスが机に置いたのは、二枚の検査証明書だった。
「こちらは南区第三魔力分配所で使用されていた結晶の記録。もう一枚は、西区第七街路のものです」
リシアが身を乗り出す。
「……加工工房が違いますね」
「ええ」
「検査日も違う」
エリオットが続ける。
「でも、検査装置の識別番号が同じだ」
シオンも記録を確認した。
番号は確かに一致している。
「同じ装置で検査しただけじゃないんですか?」
「通常なら、それで説明できます」
アイリスが答えた。
「ですが、その装置は三か月前に廃棄されたことになっています」
「……え?」
エリオットが目を丸くした。
ユリウスが頷く。
「検査証明書に記された日付は、どちらも廃棄後です」
会議室に沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのはリシアだった。
「記録の転記ミスという可能性は?」
「あります」
ユリウスは即答した。
「古い番号を誤って使っただけかもしれません。廃棄記録そのものが間違っている可能性もあります」
「つまり、現時点では不正があったとは言えない」
「そのとおりです」
ユリウスは満足そうに頷いた。
「だからこそ、慎重に調べる必要があります」
シオンは二枚の証明書を見比べた。
検査装置の番号。
加工工房。
納入日。
そして、星晶石の製造番号。
「……副団長」
「何でしょう」
「この二つの結晶は、今どこにあるんですか?」
「騎士団の管理施設です。南区のものは損傷した装置から回収し、西区のものも安全を確認したうえで取り外しました」
「まだ反応していますか?」
「南区のものには、ごく弱い反応が残っています。西区のものは、現在の測定では反応が確認されていません」
シオンは考え込んだ。
南区と西区で、完全に同じ現象が起きたわけではない。
だが、どちらも魔力供給を遮断したあとに異常が続いた。
そして、自分たちが調べていた結晶にも似た反応がある。
「……俺たちの結晶と、比較したいんですね」
「ええ」
ユリウスは頷いた。
「ただし、皆さんに危険な実験をお願いするつもりはありません」
その言葉に、担当教員が口を開いた。
「学園としても、学生が事故品を直接扱うことは認められません」
「承知しています」
ユリウスは穏やかに答えた。
「まずは記録の比較です。必要な測定は騎士団の技術者が担当します」
シオンは頷いた。
それなら、自分たちにもできることがある。
だが。
(……記録を比べるだけで、分かるだろうか)
そう考えたとき、ふと昔のことを思い出した。
故郷の工房。
鍛冶職人グレンと一緒に試行錯誤した日々。
魔導回路の劣化を、故障する前に知らせるための装置。
あのときも、最初は小さな変化をどう測定するかという問題から始まった。
「……そうだ」
シオンが小さく呟く。
ユリウスが顔を向けた。
「何か思いつきましたか?」
「はい。ただ、使えるかどうかは分かりません」
「聞かせてください」
シオンは少し迷ってから口を開いた。
「昔、故郷で魔導回路の劣化警告装置を作ったことがあるんです」
エリオットが勢いよく振り向いた。
「……ちょっと待って」
「何だ?」
「魔導回路の劣化警告装置?」
「ああ」
「それ、先に教えてよ!」
シオンは目を瞬かせた。
「言ってなかったか?」
「聞いてない!」
エリオットは机に両手をついた。
「そんな面白そうなものを作ってたなら、真っ先に話してよ!」
「……エリオット」
リシアが呆れたように言う。
「今は装置の話を聞く場面でしょう」
「分かってる! でも気になる!」
「あとで聞きなさい」
「……はい」
エリオットは渋々座り直した。
ユリウスが口元を緩める。
「相変わらずですね、シオン君」
「……何がですか?」
「興味深いものを作っても、あまり大げさに話さないところです」
シオンは苦笑した。
ユリウスは、その装置が開発された頃の事情をある程度知っている。
クレイヴェル領での調査の記憶が、二人の間にあった。
「その装置を、今回の調査に使えると?」
「そのままでは難しいと思います」
シオンは答えた。
「もともとは、回路の劣化による小さな変化を検知するためのものですから」
リシアが頷く。
「今回の現象とは、測定対象が違うわね」
「そう。でも、考え方は使えるかもしれない」
シオンは紙を一枚取り、簡単な図を描いた。
「俺たちは今、魔力が再び出てきた瞬間を調べています。でも、その直前にも小さな変化があるんです」
昨日見つけた、わずかな測定値の揺れ。
シオンは、その部分を指さした。
「この変化を、もっと細かく記録できれば……」
「異常が起きる前の兆候を捉えられるかもしれない」
リシアが続きを引き取った。
「そういうこと」
エリオットが目を輝かせる。
「それなら、回路の変化を連続して記録する仕組みを作ればいいんじゃない?」
「簡単に言うけど、測定間隔を短くするほど記録装置の負荷が増えるわよ」
「そこは工夫する!」
「具体的には?」
「……今から考える!」
「でしょうね」
シオンは思わず笑った。
だが、ユリウスは真剣な表情で図面を見つめていた。
「……興味深い提案です」
「まだ、実現できるか分かりません」
「それで構いません」
ユリウスは静かに答えた。
「危険を完全になくすことは難しい。ですが、危険が近づいていると早く分かれば、取れる行動は増えます」
シオンは、その言葉を胸に刻んだ。
異常を見つけるだけではない。
異常が起きる前に、人を守る。
自分たちの研究が、そこにつながるかもしれない。
◇
会議が終わったあと。
シオンは廊下でユリウスに呼び止められた。
「シオン君。少しだけ、よろしいですか?」
「はい」
エリオットとリシアは先に研究室へ戻り、廊下には二人だけが残った。
窓から差し込む午後の日差しが、白い髪を柔らかく照らしている。
「クレイヴェル領で会った頃のことを、覚えていますか?」
ユリウスが尋ねた。
「もちろんです」
「あのときも、君は普通なら見過ごしてしまうような違和感に気づいていましたね」
シオンは少し考えた。
「……そうでしたね」
「今回も、同じような感覚があったのですか?」
シオンは答えに迷った。
研究室で星晶石を見つめたとき。
内部の魔力が、妙な動きをしたように感じた。
何かが、こちらを向いたような感覚。
だが、それをどう説明すればいいのか分からない。
「……ありました」
やがて、シオンは答えた。
「ただ、はっきりしたものじゃありません」
「詳しく聞かせてもらえますか?」
「結晶の内部を見ようとしたとき、魔力の流れが少し変わったように感じたんです」
「変わった?」
「はい。普段の魔導回路とは、何か違う感じがして……」
シオンは言葉を探した。
「うまく説明できません」
ユリウスは急かさなかった。
ただ、静かに話を聞いている。
「その感覚を確かめようとすると、少し頭が痛くなることもあります」
「……なるほど」
ユリウスは考え込んだ。
「シオン君」
「はい」
「一つ、約束してください」
「何でしょう?」
「その感覚を、無理に使おうとしないことです」
シオンは顔を上げた。
ユリウスの表情は真剣だった。
「君が感じ取っているものが何なのか、私にも分かりません。ですが、身体に負担があるなら、慎重になるべきです」
「……はい」
「君の研究は、きっと多くの人の役に立つでしょう」
ユリウスは穏やかに続けた。
「ですが、そのために君自身が傷ついては意味がありません」
シオンは少し驚いた。
研究の価値を認めてもらえることは嬉しい。
だが、こうして自分の身体を心配されるとは思っていなかった。
「……ありがとうございます」
「いえ」
ユリウスは微笑んだ。
「それに、君に何かあれば、ガルド団長に叱られてしまいますから」
「……団長に?」
「ええ。あの方は、子どもが無茶をすることを嫌います」
シオンは思わず苦笑した。
「ご本人は、無茶をしないんですか?」
ユリウスの笑みが止まった。
「…………」
短い沈黙。
そして。
「……鋭い質問ですね」
ユリウスは、深いため息をついた。
「残念ながら、団長はご自身のこととなると、まったく別です」
「大変ですね」
「ええ。本当に」
その返事には、妙な実感がこもっていた。
シオンは笑いをこらえた。
◇
一方、その頃。
王都の迎賓館では、リューデン王国の使節団が会議を行っていた。
エレノア・リューデンは、机の上に広げられた交易路の地図を見つめていた。
銀色の髪が肩に流れ、まだ十四歳の少女とは思えない真剣な表情を浮かべている。
「……南区と西区で、魔導設備の事故が続いたそうね」
「はい」
ヴァルターが答えた。
「現時点では原因不明とのことです」
「星晶石が関係しているという話もあるわ」
「そのようです。ただし、リューデン産のものかどうかは確認されていません」
エレノアは頷いた。
「分かっているわ。だからこそ、慎重に扱う必要があるのよ」
リューデン王国は、良質な星晶石の産地として知られている。
もし王都で起きた事故が星晶石そのものの危険性によるものだと受け取られれば、交易交渉にも影響が出るかもしれない。
たとえ、実際には別の原因だったとしても。
「……噂だけで商談が止まることもある」
エレノアが呟く。
「はい」
「でも、危険があるなら隠すわけにはいかない」
少女は地図から顔を上げた。
「私たちが売りたいのは、ただの石じゃないわ。信頼も含めた取引よ」
ヴァルターは静かに頷いた。
「そのお考えでよろしいかと」
エレノアは小さく息を吐いた。
「それにしても……」
「何でしょう」
「学園の学生が、事故の調査に協力しているそうね」
「そのようです」
「確か、先日研究室で会った子たちだったかしら」
エレノアの脳裏に、黒髪の少年と、その友人たちの姿が浮かぶ。
星晶石の性質について、目を輝かせながら話していた少年。
シオン・クレイヴェル。
「……面白い子だったわね」
「そうですね」
ヴァルターは頷いた。
「ただ、今回の件は危険を伴う可能性があります」
「分かっているわ」
エレノアは窓の外を見つめた。
「だから、私たちも軽率には動けない」
王女としての立場。
国の利益。
そして、目の前で起きている事故。
そのすべてを考えなければならない。
エレノアは、まだ十四歳だった。
だが、彼女の背負っているものは、決して小さくなかった。
◇
夕方。
王立総合学園の研究室では、シオンたちが新しい測定方法について話し合っていた。
「まず、前提を整理するわ」
リシアが黒板の前に立つ。
「今回の目的は、星晶石の異常を再現することではない」
「うん」
エリオットが頷く。
「すでにある記録から、異常が起きる前の特徴を見つけることだね」
「そう」
リシアは黒板に三つの項目を書いた。
一つ目。
反応が発生する前の測定値。
二つ目。
測定値の変化する間隔。
三つ目。
通常の星晶石との違い。
「まずは、この三つを比較する」
シオンが頷いた。
「それなら、危険な結晶を動かさなくてもできる」
「ええ」
エリオットは机の上に紙を広げた。
「でも、手作業で記録を比較するのは大変だよね」
「そうだな」
「だったら、測定値を一定の間隔で記録する補助回路を作ろうよ」
シオンは少し考えた。
「既存の記録装置に追加する形なら、できるかもしれない」
「でしょ!」
エリオットが嬉しそうに笑う。
リシアは腕を組んだ。
「ただし、記録装置自体が魔力の変化に影響されないようにしないと」
「……そうか」
シオンは頷いた。
「測定対象が異常な動きをするなら、測定器も影響を受ける可能性がある」
「そういうこと」
三人はしばらく考え込んだ。
やがて、シオンが口を開く。
「……だったら、測定回路と記録回路を分けよう」
エリオットが顔を上げた。
「どういうこと?」
「測定回路は変化を拾うだけ。記録回路は、そこから送られてくる情報を保存する」
「なるほど!」
エリオットの目が輝いた。
「直接つながっている部分を減らせば、影響を抑えられるかもしれない!」
「完全に防げるとは限らないけどな」
「十分だよ! 試す価値はある!」
リシアも頷いた。
「ただし、通常の結晶で動作確認してからね」
「もちろん!」
エリオットが即答する。
シオンは黒板を見つめた。
小さな異常。
その前兆。
そして、事故を防ぐための仕組み。
まだ、何も完成していない。
だが。
(……少しずつ、前に進んでる)
そんな実感があった。
◇
同じ頃。
王都の公共設備管理所では、検査証明書の照合作業が続いていた。
机の上には、大量の帳簿が積まれている。
「……これで最後か?」
年配の職員が尋ねる。
「いえ、あと二冊あります」
若い職員が答えた。
「まだあるのか……」
「南区と西区で使われた結晶と、同じ検査番号が記載されたものを探しているんですよね?」
「ああ」
年配の職員は目をこすった。
「廃棄されたはずの検査装置の番号が、どうして使われているのか。それを確かめる必要がある」
若い職員は頷き、帳簿をめくった。
数分後。
「……あれ?」
「どうした?」
「ありました」
若い職員が、一枚の記録を差し出した。
そこには、南区と西区の結晶に記されていたものと同じ検査番号があった。
「……またか」
年配の職員が眉をひそめる。
「納入先は?」
「王都北区の工房です」
「公共設備じゃないのか?」
「はい。民間の工房ですね」
「……そうか」
年配の職員は記録を確認した。
納入日。
加工番号。
検査印。
そして、購入者。
「……ん?」
彼の手が止まった。
「どうしました?」
「この購入者……」
年配の職員は、もう一度名前を確認した。
「個人名じゃないな」
「はい。法人名義のようです」
「だが、登録番号が見当たらない」
若い職員も帳簿を覗き込んだ。
「……本当ですね」
年配の職員は、しばらく考え込んだ。
検査番号の不一致。
廃棄された装置。
そして、登録情報の不完全な購入者。
偶然が重なっただけかもしれない。
だが、調査するには十分な理由があった。
「……この記録も、騎士団に送ろう」
「はい」
若い職員は書類をまとめ始めた。
そのとき。
年配の職員が、もう一度帳簿を見直した。
「……待て」
「はい?」
「この工房、どこにある?」
若い職員は住所欄を確認した。
「王都北区の外れですね」
「……北区の外れ?」
年配の職員の表情が変わった。
そこは、数年前に閉鎖された古い工業区画だった。
現在は、一部の建物が倉庫として利用されているだけの場所。
大規模な加工設備が稼働しているという話は、聞いたことがない。
「……妙だな」
年配の職員は呟いた。
そして、静かに帳簿を閉じた。
南区。
西区。
そして、北区。
王都の各地に残された記録が、少しずつ一つの線で結ばれようとしていた。
その線の先に何があるのか。
まだ、誰にも分からなかった。




