南区の異変
王都南区に、警鐘が鳴り響いた。
夕暮れの商店街を行き交っていた人々が、一斉に足を止める。
鐘の音は三度。
火災でも、魔物の襲撃でもない。
王都の公共魔導設備に重大な異常が発生したことを知らせる警報だった。
「道を空けろ! 魔導騎士団だ!」
通りの向こうから、鎧をまとった騎士たちが駆けてくる。
その先頭に立つのは、巨大な体躯を持つ男だった。
ガルド・ヴァレンシュタイン。
アルセリア王国魔導騎士団の団長である。
鍛え上げられた身体を包む鎧は、一般の騎士より一回り大きい。
腰には幅広の大剣。
その顔には、歴戦の戦士らしい厳しさが刻まれていた。
「状況は!」
ガルドが声を張り上げる。
「南区第三魔力分配所で異常発生! 供給遮断後も装置が停止せず、周辺の魔力灯が不規則に点滅しています!」
報告した騎士の声には、緊張が混じっていた。
「負傷者は?」
「作業員二名が軽傷。住民の避難を開始しています!」
「よし。まずは人命優先だ!」
ガルドは迷わず命じた。
「周辺を封鎖しろ! 一般市民を近づけるな!」
「はっ!」
騎士たちが散っていく。
その隣に、一人の美しい青年が立っていた。
雪のように白い長髪。
紫水晶を思わせる瞳。
整った顔立ちには、冷静な表情が浮かんでいる。
魔導騎士団副団長、ユリウス・フォン・エーデル。
「団長」
「何だ、ユリウス」
「現場の確認は私が行います。団長は周辺の指揮を」
「俺も行く」
「予想どおりのお返事です」
ユリウスは小さくため息をついた。
「ですが、団長が最前線に出られると、指揮系統が乱れます」
「なら、お前が指揮を執れ」
「……それも予想どおりです」
ガルドは豪快に笑った。
「俺たちは騎士だ。危険な場所に行くのが仕事だろう!」
「まったく……」
ユリウスは呆れたように言いながらも、その瞳にはわずかな柔らかさがあった。
「そういうところも、あなたらしい」
「何か言ったか?」
「いいえ。何も」
副団長は涼しい顔で答えた。
◇
同じ頃。
王立総合学園の研究棟では、シオンたちが担当教員へ実験結果を報告していた。
「……つまり、魔力供給を遮断したあとに、再び反応が出たということだね」
「はい」
シオン・クレイヴェルが頷く。
「別の測定器でも、隔離箱の中でも確認できました」
担当教員は記録用紙を見つめた。
「興味深い現象だ。ただし、これだけで危険なものとは断定できない」
「分かっています」
リシア・エルフォードが答えた。
「結晶内部の微細な構造や、加工状態の違いによる可能性もあります」
「そのとおり」
教員は頷いた。
だが、シオンは落ち着かなかった。
窓の外。
王都南区の方角には、薄い煙が立ち上っている。
事故があったらしい。
その情報は、すでに学園内にも広がっていた。
「先生」
シオンが口を開く。
「今回の事故と、俺たちの実験結果が関係している可能性はありませんか?」
教員は顔を上げた。
「……どうしてそう思う?」
「事故が起きたのは、魔導設備ですよね」
「そう聞いている」
「俺たちが調べた結晶も、魔力を止めたあとに反応しました」
シオンは一度、言葉を切った。
「もし、同じ現象が大型の設備で起きたら……」
教員の表情が少し変わった。
「なるほど」
リシアが静かに口を挟む。
「ただし、同じ現象とは限りません」
「分かってる」
シオンは頷いた。
「だから、確認してほしいんだ」
担当教員はしばらく考え込んだ。
そして、机の上に置かれた記録用紙を手に取った。
「……君たちの記録は、学園の設備管理部門にも共有しておこう」
「ありがとうございます」
「ただし、君たちは現場へ行ってはいけない」
教員は、はっきりと言った。
「事故現場は危険だ。調査は専門家に任せなさい」
シオンは頷いた。
「……はい」
だが、胸の奥には、落ち着かないものが残っていた。
自分たちが見つけた現象。
王都で起きた事故。
偶然かもしれない。
しかし、もし関係があるなら。
(……何かできることはないのか)
シオンは窓の外を見つめた。
◇
王都南区第三魔力分配所。
現場は、すでに騎士団によって封鎖されていた。
周囲の住民は避難を進め、通りには騎士と設備管理の作業員だけが残っている。
分配装置の内部では、淡青色の光が不規則に明滅していた。
金属製の外装には亀裂が走り、ところどころから白い蒸気が漏れている。
「……妙だな」
ガルドが低く呟いた。
「供給は止めたんだろう?」
「はい!」
責任者の作業員が答える。
「主回路も補助回路も遮断しています! それなのに、内部の星晶石が反応を続けているんです!」
ユリウスが装置へ近づいた。
「残留魔力では?」
「最初はそう考えました。しかし、時間が経っても反応が弱まりません」
「……なるほど」
ユリウスは目を細めた。
装置の内部から、低い振動音が聞こえる。
一定の間隔。
まるで、何かが内部で脈打っているようだった。
「団長」
「分かってる」
ガルドは大剣の柄に手をかけた。
「危険な状態だな」
「ええ。ただし、力任せに破壊すれば、蓄積された魔力が一気に放出される可能性があります」
「……厄介だ」
ガルドは舌打ちした。
そのとき。
装置の内部で、鋭い音が響いた。
きぃん!
「……っ!」
ユリウスが顔を上げる。
外装の亀裂から、青白い光が漏れ出した。
「全員、下がってください!」
ユリウスの声が響く。
次の瞬間。
装置の側面が弾け飛んだ。
轟音。
青白い魔力の奔流が、路地へ噴き出した。
「伏せろ!」
ガルドが叫ぶ。
大剣を抜き放ち、前へ踏み込んだ。
その身体を、濃密な戦気が包む。
振り下ろされた大剣が、魔力の奔流を正面から受け止めた。
衝撃が地面を震わせる。
「ぐおおおっ!」
ガルドは力任せに踏みとどまった。
その背後で、ユリウスが素早く詠唱する。
「《多重防護結界》!」
幾重もの光の壁が展開された。
魔力の奔流が結界に衝突する。
激しい光が散った。
だが、結界は破られなかった。
数秒後。
轟音が収まる。
路地には、焼け焦げた石畳と、破損した装置が残されていた。
「……ふう」
ガルドが大剣を肩に担いだ。
「何とかなったな!」
ユリウスは深く息を吐いた。
「団長」
「何だ?」
「もう少し、ご自身の安全を考えてください」
「俺が前に出なきゃ、後ろの連中が危なかっただろう」
「それは理解しています」
ユリウスは静かに答えた。
「ですが、あなたが倒れたら、私が困ります」
ガルドは首を傾げた。
「副団長なんだから、お前が代わりに指揮すりゃいいだろ」
「……そういう意味ではありません」
「ん?」
「いえ。何でもありません」
ユリウスは顔を背けた。
近くにいた若い騎士が、思わず苦笑する。
だが、その空気はすぐに変わった。
「副団長!」
設備管理の作業員が駆け寄ってきた。
「装置内部の星晶石が……!」
「どうした?」
「まだ、反応しています!」
ユリウスの表情が引き締まった。
破損した装置の内部。
そこには、淡青色の結晶が残されていた。
外装の大部分が吹き飛んだにもかかわらず、結晶そのものには目立った傷がない。
そして。
かすかな光が、一定の間隔で明滅していた。
「……供給を完全に止めても?」
ユリウスが尋ねる。
「はい!」
ガルドが眉をひそめた。
「……こいつは、ただの故障じゃなさそうだな」
◇
夕方。
王立総合学園の訓練場では、カイル・レインフォードとディーン・アシュベルクが木剣を交えていた。
だが、二人の集中は、いつもより少し乱れていた。
「……なあ、ディーン」
「何だ」
「南区の事故、結構大きいらしいな」
「ああ」
ディーンは木剣を下ろした。
「負傷者も出ているそうだ」
「……そうか」
カイルは黙り込んだ。
昨日、ヴァルターから教わったことが頭をよぎる。
剣を握る理由。
自分が何のために強くなりたいのか。
冒険者になりたい。
広い世界を見たい。
未知の場所へ行きたい。
それは、今も変わらない。
だが。
もし目の前で誰かが危険にさらされていたら。
自分は、何ができるだろうか。
「……俺たち、まだまだだな」
カイルが呟いた。
ディーンが頷く。
「そうだな」
「でも、いつかは……」
カイルは木剣を握り直した。
「誰かを助けられるくらい、強くなりたい」
ディーンは静かに微笑んだ。
「俺もだ」
二人は再び構えた。
夕陽の中で、木剣がぶつかる音が響いた。
◇
その頃。
王都南区の事故現場には、魔導技術の専門家たちが集められていた。
破損した装置の調査が始まっている。
ユリウスは、設備管理の責任者から報告を受けていた。
「……星晶石の交換履歴?」
「はい」
責任者が帳簿を差し出した。
「この装置は、昨日、内部の結晶を交換したばかりです」
ユリウスの目が細くなる。
「昨日?」
「はい。定期整備の一環です」
「交換前に異常は?」
「ありませんでした」
ユリウスは帳簿を確認した。
納入日。
交換日。
部品番号。
製造元。
どれも、通常の手続きに従って記録されている。
だが。
「……交換した直後に異常が起きた」
ユリウスが呟いた。
「偶然かもしれません」
責任者が答える。
「ええ。ですが、確認は必要でしょう」
ユリウスは帳簿を閉じた。
「同じ時期に交換された結晶の一覧を提出してください」
「承知しました」
そのとき、騎士の一人が駆け寄ってきた。
「副団長!」
「何ですか」
「学園の設備管理部門から、調査資料が届いています」
「学園から?」
「はい。学生の研究で、星晶石に関する興味深い現象が確認されたそうです」
ユリウスは書類を受け取った。
そこには、三人の学生の名前が記されていた。
シオン・クレイヴェル。
エリオット・ベルン。
リシア・エルフォード。
そして、実験結果。
魔力供給を遮断したあとに発生する、規則的な反応。
ユリウスは、ゆっくりと目を細めた。
「……なるほど」
彼は書類をもう一度読み返した。
事故現場の結晶。
学園の実験。
どちらも、魔力を止めたあとに反応が続いている。
もちろん、同じ現象とは限らない。
だが。
「……偶然にしては、興味深いですね」
ユリウスは書類を閉じた。
「団長に報告します」
◇
夜。
王立総合学園の学生寮。
シオンは机に向かい、今日の実験記録を見直していた。
規則的な反応。
遮断後の魔力の再上昇。
隔離箱の中でも確認された現象。
どれも、説明がつかない。
(……何なんだ、これ)
シオンはペンを置いた。
ふと、昨日の感覚を思い出す。
結晶の内部に意識を向けたとき。
何かが、こちらを向いたような感覚。
あれは何だったのか。
自分の錯覚だったのか。
それとも、結晶の中に何かがあったのか。
答えは出ない。
ただ、今日の事故のことを考えると、胸が落ち着かなかった。
もし、自分たちが見つけた現象が、王都の設備でも起きているのなら。
同じような事故が、ほかの場所でも起こるかもしれない。
(……明日、もう一度先生に相談しよう)
そう考えたとき。
寮の廊下から、足音が聞こえた。
やがて、扉が叩かれる。
「シオン・クレイヴェル君はいますか?」
聞き慣れない声だった。
「……はい」
シオンは立ち上がり、扉を開けた。
そこには、学園の職員が立っていた。
「夜分に申し訳ありません」
「何かありましたか?」
「明日の朝、学園の会議室へ来ていただきたいのです」
「……会議室?」
「はい」
職員は、一通の書類を差し出した。
そこには、王国の紋章が押されていた。
「魔導騎士団から、あなた方の研究について確認したいとの連絡がありました」
シオンは息を呑んだ。
「……魔導騎士団が?」
「ええ。エリオット君とリシアさんにも、同じ連絡をしています」
職員は静かに続けた。
「南区の事故に関係する可能性があるそうです」
シオンは書類を受け取った。
胸の奥で、何かが重く沈んだ。
自分たちが調べていた、小さな結晶。
その実験が、王都で起きた事故とつながり始めている。
まだ、何も分からない。
だが、少なくとも。
これは、もう研究室の中だけの問題ではなかった。
◇
同じ夜。
王都の公共設備管理所では、南区の事故を受けて緊急点検が行われていた。
「……交換済みの部品を確認しろ!」
「はい!」
作業員たちが帳簿を広げる。
星晶石の交換記録。
納入先。
使用予定の設備。
その一覧には、南区第三魔力分配所だけでなく、複数の施設が記されていた。
「……同じ製造元の部品が、まだあるのか?」
責任者が尋ねる。
「はい。ただし、すべてに異常があるとは限りません」
「分かっている。だから確認するんだ」
責任者は深く息を吐いた。
そのとき。
別の作業員が、帳簿を指さした。
「……あれ?」
「どうした?」
「この部品、今日の夕方に交換予定だったはずなんですが……」
「それが?」
「まだ交換完了の報告がありません」
責任者の表情が変わった。
「どこの設備だ?」
作業員は帳簿を確認した。
そして、顔を上げた。
「……王都西区です」
短い沈黙。
責任者は即座に命じた。
「現場へ連絡しろ! 交換作業を止めさせるんだ!」
作業員が通信装置へ駆け寄る。
だが。
何度呼びかけても、返答はなかった。
王都の夜。
西区の街路では、魔力灯が静かに輝いていた。
その一つが。
ふっと、明滅した。




