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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第二部 交錯する星々

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星晶石に潜む違和感

 王立総合学園の朝は、いつも賑やかだ。


 石畳の通路を行き交う学生たち。教室へ急ぐ足音。中庭から聞こえる笑い声。


 その日も、王都には穏やかな秋の陽光が降り注いでいた。


 だが、魔導技術研究棟の一室では、朝から少しばかり騒がしい声が響いていた。


「シオン! 聞いた?」


 教室へ入るなり、エリオット・ベルンが駆け寄ってきた。


 丸眼鏡の奥で、瞳が興奮に輝いている。


「おはよう、エリオット。何を?」


「昨日の共同研究の話だよ! リューデン王国との技術交流について、学園側が正式に検討を始めたらしいんだ!」


「……もう?」


 シオン・クレイヴェルは思わず足を止めた。


 昨日、エレノア王女が提案した共同研究。


 リューデン王国が持つ星晶石の加工技術と、アルセリア王国が蓄積してきた魔導回路の設計技術。


 双方を組み合わせることで、新しい魔導装置の開発につながるかもしれない。


 そんな可能性が語られたばかりだった。


「まだ決まったわけじゃないでしょ」


 窓際から声がした。


 リシア・エルフォードが、机に資料を広げたまま二人を見ていた。


 肩まで伸びた深緑色の髪が揺れ、その間から尖った耳が覗いている。


「検討と決定は別。そこを混同すると、あとで困るわよ」


「分かってるよ!」


「本当に?」


「……たぶん」


「たぶんじゃ駄目」


 リシアは容赦がなかった。


 シオンは苦笑しながら席に着いた。


「でも、研究の可能性が広がるのは確かだよな」


「それはそうね」


 リシアは資料を一枚持ち上げた。


「特に星晶石の結晶配列に関する情報が得られれば、今まで説明できなかった伝達損失の原因が分かるかもしれない」


「昨日の実験で、純度がほとんど同じ試料なのに結果が違ったやつ?」


「そう。それ」


 シオンは昨日の記録を思い出した。


 星晶石を通した魔力の伝達効率を測る実験。


 結晶の純度、形状、回路との接続条件を揃えても、結果には小さな差が生じていた。


 誤差と言ってしまえば、それまでだ。


 だが、シオンにはどうしても気になることがあった。


「……今日、もう一度試してみようか」


 リシアが即座に頷く。


「もちろん。そのつもりで準備してる」


「早いな」


「研究は思いついたときに進めるものよ」


 エリオットが笑った。


「リシアって、たまに先生より先生らしいよね」


「褒め言葉として受け取っておくわ」


 その返答には、少しも迷いがなかった。


     ◇


 午前の授業を終えた頃、シオンたちは研究室へ集まっていた。


 机の上には、小さな星晶石が三つ並んでいる。


 透明に近い淡青色の結晶。


 いずれも学園が教材として保管しているもので、特別に希少な品ではない。


 ただし、今回の実験では、そのわずかな違いが重要だった。


「まず、昨日と同じ条件で測定するわ」


 リシアが装置の目盛りを確認する。


 エリオットは記録用紙を構えた。


「準備できたよ」


「シオン、魔力を流して」


「分かった」


 シオンは結晶へ手を近づけた。


 ごく少量の魔力を送り込む。


 結晶が淡く輝いた。


 装置の針が動く。


「……安定してる」


 エリオットが数値を書き込んだ。


「次」


 二つ目の結晶。


 こちらも問題なく測定が進む。


 だが、三つ目に移ったときだった。


「……ん?」


 シオンは眉をひそめた。


 魔力が結晶を通る感覚が、わずかに違う。


 普段なら、細い水路を水が流れるような感覚だ。


 ところが今は、その途中に小さな渦がある。


「シオン?」


 リシアが声をかける。


「どうしたの?」


「……少し待って」


 シオンは意識を集中させた。


 以前から、ときおり感じる奇妙な感覚がある。


 魔力の流れに触れたとき、普通なら分からないはずの細かな違いが、なぜか伝わってくるのだ。


 それが何なのか、シオン自身にも分からない。


 ただ、深く意識を向けすぎると頭が重くなることだけは、経験から知っていた。


(……ここだ)


 結晶の内部。


 魔力の流れが、ごく一瞬だけ乱れている。


 ただし、乱れはすぐに消えた。


「……もう一度、測ってもいい?」


 シオンが言った。


 リシアは頷いた。


「いいけど、何かあった?」


「魔力の流れが、少し変だった」


「具体的には?」


「途中で引っかかる感じがした。ほんの一瞬だけ」


 エリオットが首を傾げる。


「でも、測定値は正常範囲だよ」


「そうなんだよな……」


 シオンは結晶を見つめた。


 目に見える異常はない。


 装置も正常に動いている。


 ただ、自分の感覚だけが引っかかっていた。


 リシアはしばらく考え込んだあと、結晶を台座から外した。


「分かった。今日はこれを別に保管しましょう」


「いいの?」


「原因が分からないものを、そのまま使い続ける方が問題よ」


 彼女は結晶に識別札を付けた。


「同じ条件で再現するか、後日調べる。まずは記録」


「……助かる」


「お礼を言うのは、原因が分かってからにして」


 リシアはそう言って、記録用紙へ目を戻した。


 シオンは小さく笑った。


 だが、胸の奥に残った違和感は消えなかった。


     ◇


 昼休み。


 学園の食堂では、カイル・レインフォードがいつにも増して騒がしかった。


「聞いてくれ、シオン!」


「昨日の話なら、もう聞いたぞ」


「まだ何も言ってないだろ!」


「ヴァルターさんとの稽古の話だろ?」


「……なんで分かるんだ?」


 シオンはため息をついた。


「朝から三回聞いた」


 向かいに座るディーン・アシュベルクが、静かに頷く。


「俺も四回聞いた」


「数えるなよ!」


 カイルが抗議する。


 隣では、ヴィオレッタ・ローゼンベルクが上品に笑っていた。


 長い金髪を青いリボンでまとめた彼女は、手元の紅茶へ視線を落とす。


「それだけ印象深かったのでしょうね」


「そうなんだよ!」


 カイルは勢いよく頷いた。


「俺たち、二人がかりで挑んだのに、一本も取れなかったんだぞ!」


「それは昨日、直接見た」


「でもさ、あの人、本当にすごかったんだ!」


「それも聞いた」


「……シオン、もう少し感動してくれてもよくないか?」


「十分感動したよ。昨日な」


 ヴィオレッタが口元を押さえて笑う。


 ディーンも、わずかに肩を震わせていた。


 カイルは不満そうに頬を膨らませたが、すぐに表情を改めた。


「でも、やっぱり考え方が変わったんだよな」


「考え方?」


 シオンが尋ねる。


「ああ。今までは、速く振ることとか、強く打つことばっかり考えてた」


 カイルは自分の手を見つめた。


「でも、それだけじゃ届かない相手がいるって分かった」


 ディーンが頷く。


「俺も同じだ。相手の動きを読むことと、自分の動きを読ませないこと。どちらも意識しなければならない」


「……なるほど」


 シオンは頷いた。


 昨日のヴァルターの言葉を思い出す。


 強い力があっても、使い方を誤れば意味がない。


 それは、魔導技術にも通じる考え方だった。


「シオンはどうなんだ?」


 カイルが尋ねた。


「何が?」


「研究の方。王女様と何か話してただろ?」


「ああ、共同研究の話?」


「そう、それ!」


 シオンは簡単に説明した。


 リューデン王国の星晶石加工技術。


 アルセリア王国の魔導回路研究。


 双方の技術を組み合わせる可能性。


 カイルは途中から少し難しそうな顔になった。


「……つまり?」


「リューデンの技術を学べるかもしれないってこと」


「なるほど!」


 理解したらしい。


 ヴィオレッタは、そんな二人のやり取りを見守っていた。


「ただ、実現するまでには時間がかかるでしょうね」


 彼女が言った。


「国家間の技術交流には、研究内容だけでなく、利益の配分や情報の管理も関わってきますから」


「……そうだよな」


 シオンは頷いた。


 自分たちにとっては研究の機会でも、国にとっては外交上の判断になる。


 技術が優れているだけでは、話は進まない。


「エレノア殿下は、そのあたりも理解していらっしゃると思います」


 ヴィオレッタは続けた。


「十四歳であれほど落ち着いて交渉に臨まれるのは、簡単なことではありません」


 カイルが感心したように声を上げた。


「そういえば、俺たちより年下なんだよな」


「そうね」


「……すげえな」


 カイルはしみじみと言った。


「俺が十四歳の頃なんて、剣を振り回してばっかりだったぞ」


 ディーンが静かに答える。


「今もだろう」


「おい!」


 食堂に笑い声が広がった。


     ◇


 同じ頃。


 王都の迎賓施設では、リューデン王国の使節団が次の協議に向けた準備を進めていた。


 エレノアは机に広げられた資料を見つめていた。


 アルセリア王国との交易条件。


 星晶石の輸送経路。


 冬季の山道を通る商隊の安全確保。


 そして、昨日提案した共同研究。


 どれも重要な案件だった。


「……思った以上に、話が広がりましたね」


 エレノアが呟く。


 隣に立つヴァルターが頷いた。


「よいことです」


「ええ。ただ……」


 エレノアは資料を一枚持ち上げた。


「技術交流が進めば、帝国が警戒する可能性もあります」


「そうでしょうな」


「それでも、進めるべきでしょうか」


 ヴァルターは、すぐには答えなかった。


 窓の外へ視線を向ける。


 王都の街並みが、陽光を受けて輝いていた。


「殿下」


「はい」


「リューデンが自国の利益を守ろうとすることは、間違いではありません」


 エレノアは静かに頷いた。


「ですが、相手も同じように考えるでしょう」


「……帝国も、ですか」


「ええ」


 ヴァルターは続けた。


「だからこそ、相手が何を求めているのかを見極める必要があります」


 エレノアは少し考え込んだ。


「……剣術と同じですね」


 ヴァルターの眉が、わずかに動いた。


「昨日もそのようなお話をしましたな」


「ふふ。覚えています」


 エレノアは微笑んだ。


「相手の動きを見て、考えて、必要なときに踏み込む」


「その通りです」


「では、私はもう少し踏み込んでみます」


 ヴァルターは静かに頷いた。


「殿下らしいご判断です」


 そのとき、扉が叩かれた。


「殿下。アルセリア王国側より、午後の協議についてご連絡がございます」


 外交官の声だった。


「どうぞ」


 扉が開き、外交官が一通の書簡を差し出した。


「共同研究に関する予備的な意見交換を、正式な協議項目に加えたいとのことです」


 エレノアの表情が明るくなる。


「……本当ですか?」


「はい。ただし、具体的な合意には至っておりません」


「もちろんです」


 エレノアは書簡を受け取った。


 昨日の小さな提案が、今日の議題になった。


 それだけでも、大きな前進だった。


「……ありがとうございます」


 彼女は静かに微笑んだ。


 だが、ヴァルターは書簡へ目を落としたまま、少しだけ考え込んでいた。


 進展が早い。


 それ自体は悪いことではない。


 しかし、国家間の交渉において、話が急に動くときには、必ず理由がある。


(……さて)


 ヴァルターは心の中で呟いた。


(誰が、どのような意図で動かしているのか)


 それを見極める必要があった。


     ◇


 午後。


 王立総合学園の研究棟では、シオンたちが午前の実験結果を整理していた。


「……やっぱり、変ね」


 リシアが言った。


「何が?」


 シオンが顔を上げる。


「三つ目の星晶石。測定値そのものは正常範囲なのに、細かい変動が他の二つと違うの」


 エリオットが記録用紙を覗き込んだ。


「本当だ。小さいけど、一定の間隔で揺れてる」


「……一定の間隔?」


 シオンは思わず身を乗り出した。


「見せて」


 リシアが用紙を差し出す。


 記録された数値には、わずかな変動があった。


 それ自体は珍しくない。


 魔力の伝達には、環境や装置の状態による小さな揺らぎが生じる。


 だが、今回の変動は少し違っていた。


「……規則的だ」


 シオンが呟く。


「そうなの」


 リシアは頷いた。


「偶然かもしれないけど、気になるわ」


 エリオットが首を傾げた。


「装置の問題じゃない?」


「その可能性もある」


 シオンは答えた。


「だから、別の装置で測る必要があると思う」


「賛成」


 リシアが即答した。


「それと、同じ条件で別の結晶も測定する。原因を切り分けないと」


 エリオットは記録用紙に新しい項目を書き加えた。


「じゃあ、明日は比較実験だね」


「ああ」


 シオンは頷いた。


 だが、そのとき。


 机の端に置かれた星晶石が、ほんの一瞬だけ淡く光った。


「……え?」


 シオンは目を瞬かせた。


 装置には接続されていない。


 魔力も流していない。


 それなのに。


「今、光らなかった?」


 シオンが尋ねる。


 エリオットは首を振った。


「え? 何が?」


「星晶石」


 リシアが結晶を見た。


「……私は見てなかったわ」


 シオンは、もう一度結晶へ目を向けた。


 淡青色の石は、何事もなかったかのように静かだった。


 光は消えている。


 魔力の流れも感じられない。


(……見間違いか?)


 そう考えかけて、シオンは首を横に振った。


 確かに見えた。


 ほんの一瞬。


 結晶の奥で、何かが反応した。


「……リシア」


「何?」


「この結晶、保管場所を変えた方がいいかもしれない」


 リシアは、シオンの表情を見て頷いた。


「分かった。先生にも報告しましょう」


 シオンは小さく息を吐いた。


 まだ、何も分からない。


 異常なのか。


 単なる偶然なのか。


 それすら判断できない。


 ただ。


 胸の奥に、小さな不安が残っていた。


     ◇


 夕刻。


 王都の商業地区では、星晶石を扱う商人たちが一日の取引を終えようとしていた。


 倉庫の前には荷馬車が並び、木箱を運ぶ作業員たちの声が響いている。


「……また値上がりか」


 一人の商人が、帳簿を見ながら呟いた。


 向かいに座る男が肩をすくめる。


「リューデンとの交渉が続いてるんだ。しばらくは落ち着かないだろうさ」


「帝国の動きもあるしな」


「余計なことを言うなよ。商売人は商売のことだけ考えてりゃいい」


 男たちは苦笑した。


 だが、その表情には不安が残っていた。


 星晶石は、王都の生活を支える重要な資源だ。


 魔力灯。


 暖房設備。


 工房の魔導機器。


 その供給が不安定になれば、影響は商人だけにとどまらない。


「……まったく、国同士の話ってのは厄介だ」


 商人は帳簿を閉じた。


 そのとき、倉庫の奥から声がした。


「おい、この箱、どこに運べばいい?」


「何の箱だ?」


「星晶石の部品だよ。交換用のやつ」


 商人は顔を上げた。


「送り先は?」


「王都の公共設備管理所だ」


「……ああ、それなら明日の朝に回してくれ」


「分かった」


 作業員は木箱を倉庫の奥へ運んでいった。


 特別な荷物ではない。


 王都では毎日のように、魔導設備の部品が交換されている。


 その一つひとつを気に留める者など、ほとんどいなかった。


     ◇


 夜。


 王立総合学園の研究棟。


 シオンたちが帰ったあと、研究室には静寂が戻っていた。


 机の上には、実験記録が整然と並べられている。


 問題の星晶石は、識別札を付けられ、保管箱の中に収められていた。


 窓の外では、王都の魔力灯が穏やかに輝いている。


 その光は、いつもと変わらなかった。


 やがて、研究室の扉が開いた。


 見回りを終えた教員が、室内を確認する。


 机の上。


 実験装置。


 保管棚。


 特に異常はない。


「……よし」


 教員は小さく頷き、扉を閉めた。


 足音が遠ざかっていく。


 再び静寂が戻った。


 そして。


 保管箱の中で、一つの星晶石が淡く輝いた。


 ほんの一瞬。


 誰にも気づかれないほど、弱い光だった。


 やがて、その光は消えた。


 研究室は、再び静寂に包まれる。


 王都の夜は、何事もなかったかのように更けていった。

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