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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第一部 目覚めの灯火

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三人の進む道

 王立総合学園の合格発表から三日後。


 シオン・クレイヴェルは、王都の宿屋で一通の書類を見つめていた。


 そこには、確かに合格を知らせる言葉が記されている。


 だが、その下に並んだ数字が問題だった。


「……思っていたより高いな」


 入学金。


 授業料。


 学生寮の費用。


 教材費。


 そして、実習に必要な道具の購入費。


 すべてを合計すると、クレイヴェル男爵家にとって決して小さくない金額になる。


 父エドガーは、向かいの椅子で書類を確認していた。


「学園の費用は、以前から準備していた」


「でも、領地の設備更新もありますよね」


「ああ」


「それに、去年の街道整備だって、まだ支払いが残っているはずです」


 エドガーは少し驚いた顔をした。


「よく覚えているな」


「父上が、フィリップ兄さんと話していたので」


 シオンは書類を置いた。


「俺の学費で、領地の予算を圧迫したくありません」


 エドガーは息子を見つめた。


「では、どうする?」


「奨学金を申請します」


 シオンは別の書類を差し出した。


 王立総合学園には、成績優秀者や研究実績のある学生を対象とした奨学制度がある。


 ただし、対象者は限られていた。


「技術院での研究実績も、審査対象になるそうです」


「警告装置のことか」


「はい。レティシアさんに相談してみようと思います」


 エドガーは、しばらく考え込んだ。


「よかろう。ただし、奨学金が認められなくても、入学を諦める必要はない」


「父上……」


「お前を学園へ送り出すと決めたのは、私だ。そこは心配するな」


 シオンは、父の顔を見た。


 その言葉に甘えたい気持ちはあった。


 けれど、自分にできることがあるなら、やってみたかった。


「……ありがとうございます。でも、まずは俺にやらせてください」


 エドガーは小さく笑った。


「分かった」


     ◇


 翌日。


 王立魔導技術院。


「奨学金?」


 レティシア・ヴァインは、机に広げていた図面から顔を上げた。


「はい。研究実績の証明書が必要で」


「それなら出せるわよ」


「本当ですか?」


「もちろん。ただし、推薦書と証明書は別物だからね」


 レティシアは椅子の背にもたれた。


「あなたが何をしたかは証明できる。でも、奨学金を出すかどうかは学園が決めることよ」


「分かっています」


「それならいいわ」


 彼女は書類を引き寄せた。


「警告装置の開発経緯、実地試験の記録、あなたが担当した回路解析……このあたりをまとめましょう」


 隣の机で資料を読んでいたフィオナ・リュミエールが顔を上げた。


「シオン君」


「はい」


「もう一つ、確認しておきたいことがあります」


「何でしょう?」


「装置の権利関係です」


 シオンは姿勢を正した。


 フィオナは書類を一枚差し出した。


「技術院と製造商会、それからクレイヴェル家とグレンさんの間で、契約条件の調整が続いていますね」


「はい」


「奨学金の申請書には、研究成果の帰属を記載する欄があります」


 シオンは、そこに目を落とした。


 研究成果の帰属。


 自分の名前だけを書けば済む話ではない。


「……グレンさんと一緒に作ったものです」


「ええ」


「技術院にも協力してもらいました」


「そのとおりです」


 フィオナは頷いた。


「だからこそ、正確に書く必要があります」


 レティシアが笑った。


「研究っていうのは、発明するところまでじゃ終わらないのよ」


 シオンは苦笑した。


「最近、それを何度も思い知らされています」


「いい経験じゃない」


 レティシアは立ち上がった。


「さあ、書類を作るわよ。こういう仕事も、立派な技術者の仕事だからね」


     ◇


 同じころ。


 王都の冒険者ギルドでは、カイル・レインフォードが一枚の依頼書を見つめていた。


『王都北方街道・商隊護衛補助』


 期間は二日。


 危険度は低め。


 ただし、正式な冒険者登録と、経験者の同行が必要だった。


「……これなら」


「やめておけ」


 背後から声がした。


 カイルが振り向くと、白髪交じりの髪を後ろで束ねた男が立っていた。


 右目の眼帯。


 使い込まれた革鎧。


 ロイド・ハーウェルだった。


「なんでだよ」


「お前、学園に受かったんだろ」


「それとこれとは別だ」


「入学前に怪我でもしたら、笑い話にもならん」


 カイルは不満そうに眉を寄せた。


「俺は、そんな簡単に怪我しない」


「そう思ってる奴ほど危ない」


 ロイドは依頼書を取り上げた。


「それに、護衛補助をやるなら、荷車の扱いくらい覚えろ」


「荷車?」


「車輪が外れたらどうする。馬が暴れたらどうする。依頼人が熱を出したら?」


 カイルは言葉に詰まった。


「……それは」


「剣を振る以外にも、仕事はいくらでもある」


 ロイドは依頼書を戻した。


「学園に入るなら、そこで学べ。急いで冒険者にならなくても、道は逃げん」


 カイルは、しばらく黙っていた。


 やがて、口を開く。


「……あんたは、どうして冒険者になったんだ?」


 ロイドは意外そうな顔をした。


「そんなことを聞くのか」


「悪いか?」


「いや」


 男は少し考えた。


「最初は、金が必要だったからだ」


「金?」


「ああ。家族を食わせるためにな」


 カイルは、ロイドを見つめた。


「冒険が好きだったわけじゃないのか?」


「好きになったのは、後からだ」


 ロイドは肩をすくめた。


「仕事ってのは、そんなものさ」


 その答えは、カイルにとって少し意外だった。


 冒険者。


 自由に旅をして、魔物を倒し、未知の場所を探索する者たち。


 そんな印象が強かった。


 だが、ロイドにとっては生活のための仕事だったのだ。


「……俺は、世界を見たいんだ」


 カイルは言った。


「王都だけじゃない。もっと遠くへ行ってみたい」


「なら、行けばいい」


 ロイドはあっさり答えた。


「ただし、帰ってこられるようにな」


 カイルは笑った。


「……分かったよ」


     ◇


 ローゼンベルク公爵家の王都屋敷。


 ヴィオレッタは、父から渡された一通の招待状を読んでいた。


 王立総合学園の入学を祝う、貴族家の集まり。


 差出人は、王都でも影響力のある侯爵家だった。


「出席するつもりか?」


 父が尋ねた。


「はい」


 ヴィオレッタは答えた。


「学園へ入る前に、同級生になる方々とお話ししておきたいので」


「そうか」


 父は頷いた。


「ただし、気をつけなさい」


「何にでしょうか?」


「学園には、さまざまな立場の者が集まる。お前の言葉は、ローゼンベルク家の言葉として受け取られることもある」


「……承知しています」


 ヴィオレッタは招待状を閉じた。


 貴族社会。


 そこには、礼儀や友情だけではないものがある。


 家同士の利害。


 政治的な思惑。


 そして、誰が誰と親しくするかということさえ、意味を持つ世界。


 前世の記憶に残る物語でも、学園での人間関係は彼女の運命を大きく変えていた。


 だが、今は違う。


 彼女は、ただ破滅を避けるためだけに動くつもりはなかった。


「お父様」


「何だ?」


「一つ、お願いがあります」


「言ってみなさい」


「学園で、領地経営と行政制度を重点的に学びたいと思っています」


 父は少し驚いた。


「社交や外交ではなく?」


「それらも必要だと思います。でも、私は領地のことをもっと知りたいのです」


 ヴィオレッタは、以前訪れた村を思い出した。


 古くなった魔導設備。


 修理費用を工面できない住民。


 予算の都合で、改善を待たなければならない暮らし。


「私ができることを、増やしたいのです」


 父は、しばらく娘を見つめていた。


 やがて、穏やかに頷いた。


「よかろう」


 ヴィオレッタは微笑んだ。


「ありがとうございます」


     ◇


 数日後。


 シオンは、学園の奨学金審査室にいた。


 目の前には、三人の審査官が座っている。


 中央の年配の男性が、書類をめくった。


「シオン・クレイヴェル君」


「はい」


「君は、魔導回路の劣化警告装置の開発に携わったそうだね」


「はい。村の鍛冶職人と共同で開発しました」


「技術院の報告書によれば、実用化に向けた試験も進んでいる」


「はい」


 審査官は頷いた。


「では、一つ質問しよう」


「……はい」


「君は、その装置を学園でも研究したいと考えているのかね?」


 シオンは少し考えた。


「もちろん、改良は続けたいです」


「それだけか?」


「……いいえ」


 シオンは顔を上げた。


「俺は、魔導技術をもっと広く学びたいと思っています」


「具体的には?」


「安全性だけじゃなく、費用や修理のしやすさも含めて、技術を考えられるようになりたいです」


 審査官は、興味深そうに目を細めた。


「なるほど」


「それから……」


 シオンは言葉を続けた。


「俺は、知らないことが多すぎます」


 三人の審査官が顔を上げた。


「王都の技術院で学んで、故郷に戻って、装置を作りました。でも、それを広める段階になって、俺には分からないことばかりでした」


 契約。


 費用。


 生産。


 修理。


 責任。


 技術だけでは、解決できない問題。


「だから、学園で学びたいんです」


 シオンは、まっすぐに審査官を見た。


「誰かの役に立つものを作って、それを本当に使ってもらえるようになるために」


 審査室に、短い沈黙が流れた。


 やがて、中央の審査官が頷いた。


「……分かった。審査結果は、後日通知する」


「ありがとうございました」


 シオンは、深く頭を下げた。


     ◇


 その日の夕方。


 シオンは学園の中庭で、カイルとヴィオレッタに会った。


「どうだった?」


 カイルが尋ねる。


「奨学金の面接?」


「ああ」


「……分からない」


 シオンは苦笑した。


「言いたいことは言えたと思うけど」


「なら、いいんじゃないか?」


「そんな簡単に言うなよ」


 カイルは笑った。


「お前がちゃんと考えて話したなら、それでいいだろ」


 ヴィオレッタも頷いた。


「結果は待つしかないものね」


「……うん」


 三人は、学園の中庭を歩いた。


 春の花が咲き始めている。


 学生たちの声が、遠くから聞こえていた。


「そういえば」


 ヴィオレッタが口を開いた。


「入学後の専攻は、もう考えている?」


「俺は魔導技術を中心にするつもり」


 シオンが答える。


「ただ、経済や領地経営も学びたい」


「私は行政制度と領地経営ね」


「カイルは?」


 シオンが尋ねると、カイルは少し考えた。


「剣術と魔法だな」


「やっぱり」


「でも、それだけじゃない」


 カイルは笑った。


「冒険者になるために、地理や魔物の生態も学びたい」


「へえ」


「あと、護衛の仕事に必要なこともな」


 シオンは少し驚いた。


「護衛?」


「ああ。最近、冒険者ギルドで知り合った人に教わってるんだ」


 カイルは、ロイドの話をした。


 護衛は、敵を倒すだけの仕事ではない。


 依頼人を守り、目的地まで送り届けること。


 シオンは、興味深そうに聞いていた。


「……なるほど」


 ヴィオレッタが微笑む。


「三人とも、学びたいことが違うのね」


「そうだな」


 カイルが頷いた。


「でも、同じ学園にいるんだろ?」


「ええ」


「だったら、面白いことになりそうじゃないか」


 シオンは笑った。


「……そうだな」


     ◇


 一週間後。


 クレイヴェル家が滞在する宿に、一通の封書が届いた。


 王立総合学園からだった。


 シオンは、封を切った。


 中には、奨学金審査の結果が記されている。


『審査の結果、貴殿を技術研究奨学生として採用することを決定いたしました』


「……!」


 シオンは、思わず息を止めた。


 授業料の一部免除。


 研究設備の利用支援。


 そして、一定額の生活補助。


 ただし、継続には学業成績と研究活動の報告が必要だった。


「……父上!」


 シオンは、隣の部屋へ駆け込んだ。


 エドガーが顔を上げる。


「どうした?」


「奨学金、認められました!」


 シオンは書類を差し出した。


 エドガーは内容を確認し、笑顔になった。


「そうか。よく頑張ったな」


「……ありがとうございます!」


 フィリップ兄さんが、横から書類を覗き込んだ。


「おお、本当だ」


 そして、にやりと笑う。


「これで、ますます落第できなくなったな」


「……兄さん!」


「冗談だよ」


 フィリップは笑った。


「でも、よかったな」


 シオンは頷いた。


「……うん!」


     ◇


 数日後。


 クレイヴェル家の馬車は、王都の南門へ向かっていた。


 ただし、今回、シオンは乗っていない。


 エドガーとフィリップが、領地へ戻るのだ。


 シオンは、二人を見送るために門まで来ていた。


「シオン」


 エドガーが声をかけた。


「はい、父上」


「困ったことがあれば、必ず連絡しなさい」


「はい」


「金銭のことも、遠慮する必要はない」


「……分かりました」


 エドガーは、息子の肩に手を置いた。


「お前がここで何を学び、どんな道を選ぶのか。私は楽しみにしている」


 シオンは、父を見上げた。


「……俺も、楽しみです」


 フィリップ兄さんが笑った。


「まあ、まずは友達を増やせよ」


「もう二人いるよ」


「二人だけじゃ足りないだろ」


「……それはそうかも」


 シオンも笑った。


 やがて、馬車が動き始めた。


 父と兄が、窓から手を振る。


 シオンも、大きく手を振り返した。


 馬車は街道へ進み、少しずつ小さくなっていった。


     ◇


 その夜。


 シオンは、学園近くの学生寮にいた。


 入学式までは、あと数日。


 部屋には、必要最低限の家具が置かれている。


 机。


 椅子。


 寝台。


 小さな本棚。


 そして、窓から見える王都の街並み。


 シオンは、荷物の中から一つの道具を取り出した。


 グレンがくれた、折り畳み式の簡易測定器だった。


 机の上に置く。


 続いて、ミリアが作ってくれたお守りを取り出した。


 青い布に、黄色い星の模様。


 それを、机の引き出しへ大切にしまった。


「……よし」


 シオンは、窓を開けた。


 夜風が、部屋へ入り込む。


 遠くには、王立総合学園の建物が見えた。


 ここから、新しい生活が始まる。


 故郷を離れた寂しさはある。


 だが、それ以上に、胸の奥には期待があった。


 学びたいことがある。


 会いたい人がいる。


 そして、まだ知らない世界がある。


 シオンは、夜空を見上げた。


「……俺は、ここから始めるんだ」


 十五歳の春。


 シオン・クレイヴェルは、王立総合学園の学生として、新たな一歩を踏み出そうとしていた。

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