群星の始まり
王立総合学園の入学式まで、あと二日。
シオン・クレイヴェルは、学生寮の部屋で一枚の紙と格闘していた。
「……どれを選べばいいんだ?」
机に広げているのは、履修科目の一覧表だった。
魔導工学基礎。
魔力制御理論。
応用数学。
王国史。
領地経営概論。
商業契約実務。
ほかにも、興味を引かれる科目がいくつも並んでいる。
王立総合学園では、共通科目に加え、各自の専門に応じた授業を選択できる。
シオンは魔導技術を中心に学ぶつもりだったが、経済や領地経営にも関心があった。
問題は、授業時間が重なっていることだ。
「魔導回路設計と商業契約実務が同じ時間……」
シオンは頭を抱えた。
そこへ、扉が叩かれた。
「シオン、いるか?」
聞き慣れた声だった。
「カイル? 開いてるよ」
扉が開き、短い紺色の髪をした少年が顔を出した。
カイル・レインフォード。
シオンより二歳年上で、王都での研修時代からの友人だ。
「何してるんだ?」
「履修科目を決めてる」
「ああ、それか」
カイルは机を覗き込んだ。
「まだ決まってないのか?」
「カイルは?」
「俺はもう出したぞ」
「早いな」
「剣術、魔法戦闘、魔力制御、地理、野外活動」
「……分かりやすい」
「何だよ、その反応」
「カイルらしいと思っただけ」
カイルは笑った。
「お前は相変わらず、あれもこれも勉強したがるんだな」
「だって、面白そうなんだよ」
「全部取ったら寝る時間なくなるぞ」
シオンは一覧表を見た。
確かに、そのとおりだった。
奨学生として、一定以上の成績を維持する必要もある。
興味だけで授業を詰め込むわけにはいかない。
「……魔導回路設計を優先する」
「決まったか?」
「うん。商業契約実務は、次の学期に受けるよ」
「最初からそうすればいいだろ」
「それが難しいんだって」
二人が笑っていると、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
続いて、何かが倒れる大きな音。
「うわっ!」
少年の声だった。
シオンとカイルは顔を見合わせた。
◇
廊下に出ると、木箱が三つ倒れていた。
床には本や衣服、工具が散らばっている。
その真ん中で、一人の少年が呆然と立っていた。
小柄な体格。
茶色い巻き毛。
丸い眼鏡。
手には、壊れた荷物用の台車の取っ手を握っている。
「……最悪だ」
少年は呟いた。
カイルが近づいた。
「大丈夫か?」
「あ、はい。怪我はしてません」
シオンは、台車の車輪を見た。
軸を固定する金具が外れている。
「これ、壊れたのか?」
「そうなんです。寮の入り口で借りたんですけど、途中で急に……」
少年は困ったように笑った。
「入学早々、弁償することになるかもしれません」
「まず、荷物を片づけよう」
シオンは床に散らばった本を拾った。
カイルも木箱を起こす。
「工具が多いな」
カイルが言う。
「僕、細工物が好きなので」
少年は眼鏡を直した。
「エリオット・ベルンといいます。商家の出身です」
「俺はシオン・クレイヴェル」
「カイル・レインフォードだ」
「よろしくお願いします」
エリオットは頭を下げた。
シオンは台車の金具を確認した。
破断しているわけではない。
固定用の留め具が緩んで抜け落ちたようだった。
「工具、借りてもいいか?」
「えっ?」
「直せるかもしれない」
エリオットは目を輝かせた。
「本当ですか?」
「やってみないと分からないけど」
シオンは工具を受け取り、外れた金具を戻した。
しかし、固定しようとしたところで手が止まった。
「……留め具がないな」
「あ、それなら」
エリオットは木箱の中から小さな部品を取り出した。
「似たものがあります」
シオンは受け取って寸法を確かめた。
「これなら使えそうだ」
数分後。
台車の車輪は、再び動くようになった。
「……すごい!」
エリオットが歓声を上げた。
「いや、部品があったからだよ」
シオンは立ち上がった。
「でも、重い荷物を載せる前に寮の管理人に確認してもらった方がいい。応急処置だから」
「分かりました!」
エリオットは嬉しそうに頷いた。
カイルが笑う。
「お前、どこでも修理してるな」
「壊れてたら気になるだろ」
「普通はそこまで気にしないって」
エリオットは二人を交互に見た。
「……あの、もしかしてシオンさんって、魔導回路の警告装置を作った方ですか?」
シオンは驚いた。
「知ってるのか?」
「父の商会で話題になっていました!」
エリオットは勢いよく言った。
「地方でも修理できるようにするっていう、あの装置ですよね?」
「うん。まだ契約の調整中だけど」
「やっぱり!」
エリオットは興奮した様子で続けた。
「僕、ああいう仕組みに興味があるんです。良いものを作っても、修理できなければ売れませんから」
シオンは思わず笑った。
「……俺も、そう思う」
◇
入学式当日。
王立総合学園の大講堂は、新入生で埋め尽くされていた。
高い天井。
色鮮やかなステンドグラス。
壁に掲げられた、歴代の学園長の肖像画。
シオンは、指定された席に座っていた。
隣にはエリオット。
少し離れた列に、カイルの姿も見える。
やがて、壇上に一人の男性が現れた。
白髪交じりの髪。
落ち着いた表情。
王立総合学園の学園長、オルフェン・リースだった。
「新入生諸君。入学おめでとう」
低く、よく通る声が講堂に響いた。
「君たちは今日から、この学園で学ぶことになる」
学園長は、ゆっくりと会場を見渡した。
「ここには、貴族も平民もいる。王国の者も、他国から来た者もいるだろう」
シオンは周囲を見た。
制服は同じでも、髪の色や肌の色、身につけた装飾品はさまざまだ。
「生まれも、得意なことも、目指す未来も違う。それで構わない」
学園長は続けた。
「むしろ、違っているからこそ、学ぶ意味がある」
シオンは、その言葉に耳を傾けた。
「自分にできないことを、他人ができるかもしれない。自分が正しいと思っていたことを、誰かが違う角度から見ているかもしれない」
学園長は、少しだけ微笑んだ。
「どうか、自分と異なる者を恐れずに学んでほしい」
講堂に拍手が広がった。
シオンも手を叩いた。
隣のエリオットは、真剣な顔で壇上を見つめていた。
◇
式典が終わると、新入生たちは所属する学科ごとに分かれた。
シオンは魔導技術系の説明会へ向かった。
エリオットも同じ方向へ歩いている。
「エリオットも魔導技術?」
「はい。でも、僕は製造と商業の両方を学びたくて」
「そうなんだ」
「シオンさんは?」
「俺は回路設計が中心かな。あと、経済も」
「じゃあ、授業が重なるかもしれませんね!」
エリオットは嬉しそうに笑った。
そのとき、前方で小さな騒ぎが起きた。
「だから、私は案内に従って来たと言っているでしょう」
凛とした少女の声。
シオンが視線を向けると、二人の新入生が向かい合っていた。
一人は、豪華な装飾のついた制服を着た貴族らしい少年。
もう一人は、深い緑色の髪を肩まで伸ばした少女だった。
少女の耳は、人間より少し長い。
エルフだ。
「ここは魔導技術系の説明会場だぞ」
少年が言った。
「分かっています」
「君は森林連邦からの留学生だろう? 魔法研究の方ではないのか?」
「留学生が全員、魔法研究を選ぶとでも?」
少女は眉を上げた。
「私は魔導技術を学びに来たのです」
少年は、返す言葉を失った。
近くにいた教員が、二人の間に入った。
「そこまで。所属は名簿で確認します」
教員は書類を見た。
「リシア・エルフォード。魔導技術系で間違いありません」
少女は、当然だと言わんばかりに頷いた。
少年は気まずそうに目を逸らした。
「……失礼した」
「次からは、確認してから話してください」
リシアは、それだけ言って歩き出した。
シオンは、思わずその姿を目で追った。
「……はっきりした人だな」
エリオットが小声で言った。
「うん」
シオンは頷いた。
学園には、本当にいろいろな人がいるらしい。
◇
一方、剣術系の説明会場。
カイルは、掲示された実習予定表を見ていた。
基礎剣術。
集団戦術。
魔法戦闘。
野外行動。
護衛実習。
「……面白そうだな」
思わず笑みがこぼれる。
すると、隣から声がした。
「護衛実習に興味があるのか?」
振り向くと、背の高い少年が立っていた。
短い赤褐色の髪。
日に焼けた肌。
背筋がまっすぐ伸びている。
「まあな」
カイルが答える。
「君は?」
「俺は護衛騎士を目指している」
少年は言った。
「ディーン・アシュベルクだ」
「カイル・レインフォード」
二人は握手した。
「君は騎士志望か?」
「いや、冒険者になるつもりだ」
「冒険者?」
ディーンは少し驚いた。
「学園で学んでから?」
「ああ」
「珍しいな」
「そうか?」
「ここに来る剣術系の学生は、騎士団を目指す者が多いからな」
カイルは肩をすくめた。
「俺は、いろんな国を旅してみたいんだ」
「なるほど」
ディーンは頷いた。
「なら、護衛実習では競争相手になりそうだ」
カイルは笑った。
「負けないぞ」
「こちらこそ」
二人の間に、早くも競争心が芽生えていた。
◇
そのころ、学園の別棟。
ヴィオレッタ・ローゼンベルクは、行政制度の講義案内を確認していた。
周囲には、貴族の子弟が多い。
彼女の姿に気づき、何人かが挨拶に近づいてきた。
「ローゼンベルク公爵令嬢、ご入学おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ヴィオレッタは、優雅に微笑んだ。
「今後とも、よろしくお願いいたします」
その応対は、幼いころから身につけてきたものだった。
だが、彼女の関心は別のところにあった。
講義案内の中に、地方行政実習という科目があったのだ。
実際の領地を訪れ、行政制度や予算の使い方を調査する。
ヴィオレッタは、その説明を読み込んでいた。
「……これなら」
以前、父と訪れた村の光景が浮かぶ。
魔導設備の修理を待つ住民。
限られた予算。
現場と領主の間にある距離。
知識だけでは、何も変わらない。
だが、知識がなければ、変えられないこともある。
「ヴィオレッタ様」
声をかけられ、彼女は顔を上げた。
そこには、上品な服装の少女が立っていた。
淡い栗色の髪を丁寧に結い、穏やかな笑みを浮かべている。
「初めまして。セシリア・アルヴェインと申します」
「ローゼンベルク家のヴィオレッタです。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
セシリアは微笑んだ。
「地方行政実習に興味がおありなのですか?」
「ええ」
「実は、私もです」
ヴィオレッタは少し驚いた。
「そうなのですね」
「父の領地で、灌漑設備の更新が問題になっていまして」
セシリアは困ったように笑った。
「私は何も分からず、ただ話を聞いているだけでした。ですから、学びたいと思ったのです」
ヴィオレッタは、思わず微笑んだ。
「……私も、似たような経験があります」
二人は、講義案内を挟んで話し始めた。
貴族としての立場ではなく、同じことを学びたい学生として。
◇
夕方。
学園の中庭。
シオン、カイル、ヴィオレッタの三人は、久しぶりに顔を揃えていた。
「どうだった?」
シオンが尋ねる。
「俺は面白い奴に会ったぞ」
カイルが笑った。
「護衛騎士を目指してるディーンって奴だ」
「へえ」
「そのうち、剣を交えることになりそうだ」
「もう勝負の話かよ」
シオンは苦笑した。
「シオンは?」
ヴィオレッタが尋ねる。
「エリオットっていう、商家出身の学生と仲良くなった。それから、森林連邦から来たエルフの留学生にも会ったよ」
「エルフ?」
カイルが興味深そうに顔を上げた。
「リシア・エルフォードさん。魔導技術を学びに来たらしい」
「そうなのね」
ヴィオレッタは頷いた。
「私はセシリア・アルヴェインさんとお話ししたわ。地方行政に関心がある方なの」
「みんな、もう友達ができたんだな」
カイルが言った。
シオンは笑った。
「カイルは、もうライバルを作ってるけどね」
「それも友達だろ」
「まあ、そうか」
三人は笑った。
そのとき、学園の鐘が鳴った。
夕暮れの空に、澄んだ音が響く。
シオンは、学園の建物を見上げた。
ここには、たくさんの人がいる。
それぞれに、違う夢がある。
違う事情がある。
そして、違う未来が待っている。
シオンは、ふと故郷のことを思い出した。
父エドガー。
母マリア。
兄姉たち。
ミリア。
グレン。
村で暮らす人々。
彼らもまた、今この瞬間を生きている。
自分がここにいる間も、故郷の時間は止まらない。
「……シオン?」
ヴィオレッタが声をかけた。
「どうしたの?」
「いや」
シオンは微笑んだ。
「ここに来られて、よかったと思って」
カイルが笑った。
「まだ始まったばかりだぞ」
「分かってる」
シオンは頷いた。
「だから、楽しみなんだ」
◇
その夜。
王都から遠く離れた、リューデン王国。
山々に囲まれた小さな王城では、一人の少女が窓の外を見つめていた。
銀色の月が、雪を残した峰を照らしている。
少女の名は、エレノア。
リューデン王国の王女だった。
「……ヴァルター」
背後に立つ男へ、彼女は声をかけた。
「はい、殿下」
ヴァルターと呼ばれた男は、静かに答えた。
腰には、一振りの剣。
飾り気のない服装。
だが、その立ち姿には隙がなかった。
「帝国の使者は、何と言っていたの?」
「国境地帯の鉱山について、共同管理を求めているそうです」
「……共同管理」
エレノアは、苦い表情を浮かべた。
ヴァルディス帝国。
大陸でも有数の軍事力を持つ大国。
その帝国が、小国リューデンの資源に関心を示している。
「断れば?」
「圧力を強めるでしょう」
「受け入れれば?」
「鉱山の権利を、少しずつ奪われる可能性があります」
エレノアは、拳を握った。
「……どうすればいいのかしら」
ヴァルターは、すぐには答えなかった。
やがて、静かに口を開いた。
「殿下。剣で守れるものには、限りがあります」
エレノアは振り向いた。
「……あなたが、それを言うの?」
「はい」
ヴァルターは、まっすぐに王女を見た。
「だからこそ、剣以外の力も必要です」
エレノアは、窓の外へ視線を戻した。
遠くの山々。
その向こうには、まだ見ぬ国々が広がっている。
「……同盟、ということね」
「それも、一つの方法です」
エレノアは、しばらく考えた。
そして、決意を込めて言った。
「お父様に進言するわ。私たちだけで抱え込むべき問題ではないもの」
ヴァルターは、深く頭を下げた。
「承知しました」
◇
同じ夜。
王立総合学園の学生寮。
シオンは、机に向かっていた。
目の前には、新しいノート。
最初のページには、こう書かれている。
『王立総合学園 一年目』
シオンは、ペンを手に取った。
学びたいこと。
調べたいこと。
作ってみたいもの。
そして、まだ知らない世界のこと。
書きたいことは、いくらでもあった。
だが、最初に記したのは、短い一文だった。
『俺は、この世界をもっと知りたい』
シオンは、ペンを置いた。
窓の外には、無数の星が輝いている。
その光は、王都だけでなく、故郷の村にも、遠く離れた国々にも降り注いでいるのだろう。
同じ空の下で、数え切れないほどの人々が、それぞれの人生を歩んでいる。
その誰もが、何かを願い、何かを守ろうとしている。
シオンは、窓を開けた。
春の夜風が、部屋へ流れ込む。
「……明日から、忙しくなりそうだな」
小さく笑って、窓を閉める。
まだ、この少年は知らない。
学園で出会う人々が、やがて国境を越え、世界の運命に関わっていくことを。
そして、自分一人では決して届かない場所へ、仲間たちと進むことになるのを。
けれど、今はそれでいい。
すべてを知る必要はない。
未来は、まだ誰のものでもないのだから。
こうして、シオン・クレイヴェルの幼少期は幕を閉じた。
そして、無数の人生が交わる新たな物語が、ここから始まる。
――第一部『目覚めの灯火』完。




