故郷に残すもの
十四歳の夏。
クレイヴェル領に、王都から一台の馬車がやってきた。
荷台には、王立魔導技術院の紋章が刻まれている。
その馬車を見つけたシオンは、屋敷の前で足を止めた。
「……レティシアさんが来たのかな?」
馬車の扉が開き、一人の女性が降りてきた。
三十歳前後だろうか。茶色い髪をきっちりと結い、灰色の上着を着ている。
手には革製の書類鞄。
シオンの知っている人物ではなかった。
「失礼します。王立魔導技術院、技術普及課のエマ・グランツと申します」
「あ、はい。シオン・クレイヴェルです」
「本日は、魔導回路の劣化警告装置について、ご相談に参りました」
女性は丁寧に頭を下げた。
「……装置のことですか?」
「ええ。実用化に向けて、正式なお話があります」
◇
屋敷の応接室には、父エドガー、シオン、グレン、そしてエマが集まっていた。
エマは鞄から数枚の書類を取り出した。
「まず、技術院で実施した耐久試験の結果をご報告します」
机に置かれた報告書には、細かな数字が並んでいた。
振動試験。
温度変化試験。
長時間稼働試験。
回路劣化時の警告精度。
「当初の試作品に比べ、現在の改良型は大幅に安定しています。特に、グレン様が考案された金属板による振動吸収構造は高く評価されています」
「……俺の作った部分が?」
グレンが驚いた。
「はい。特殊な部品を必要とせず、地方の鍛冶場でも交換できる点が優れています」
グレンは照れくさそうに頭をかいた。
「そりゃ、どうも」
エマは微笑み、次の書類を広げた。
「そこで技術院としては、この装置を王国内の運送業者向けに普及させたいと考えています」
シオンの胸が高鳴った。
「……本当ですか?」
「ただし、問題があります」
エマは表情を引き締めた。
「製造費用です」
その言葉に、シオンは頷いた。
予想していた問題だった。
「現在の構造では、一台あたりの費用が高く、地方の小規模な運送業者には負担が大きいのです」
エマは別の書類を差し出した。
「そこで、王都の魔導具製造商会から提案が届いています」
シオンは書類を受け取った。
そこには、装置の製造権を買い取りたいという申し出が記されていた。
「……製造権?」
「はい。商会が大量生産を行えば、価格を下げられる可能性があります」
エドガーが口を開いた。
「条件は?」
「製造方法の独占使用権を商会へ譲渡することです」
応接室が静かになった。
シオンは書類を読み返した。
製造権の譲渡。
それは、装置を広めるための近道に見えた。
だが、何かが引っかかった。
「……独占ということは」
シオンは顔を上げた。
「グレンさんの鍛冶場でも、勝手に作れなくなるんですか?」
「契約内容によっては、そうなります」
「修理は?」
「指定された工房で行う形になるでしょう」
グレンが腕を組んだ。
「……そりゃ困るな」
エマは頷いた。
「技術院としても、そこが懸念点です」
シオンは書類を見つめた。
大量生産できれば、多くの人に届けられる。
しかし、修理するたびに王都へ送らなければならないのなら、地方では使いにくい。
装置の価格が下がっても、維持費が高くなるかもしれない。
「……父上」
シオンが尋ねた。
「僕たちは、どうすればいいんでしょうか?」
エドガーは、すぐには答えなかった。
「まず、お前自身がどうしたいかを考えなさい」
シオンは目を伏せた。
自分は、何のためにこの装置を作ったのだろう。
王都で評価されるためか。
お金を稼ぐためか。
違う。
事故を減らすためだ。
誰かが、突然大切なものを失わないように。
「……僕は」
シオンは顔を上げた。
「地方の人たちが、自分たちで修理できる装置にしたいです」
グレンが、隣で小さく頷いた。
「俺も同じだ」
エマは二人を見つめた。
そして、微笑んだ。
「分かりました。そのご意向を、技術院へ伝えます」
◇
その日の夕方。
エマは村の鍛冶場を訪れていた。
グレンが、装置の内部構造を説明している。
「この板が振動を受ける。傷んだら交換するだけだ」
「なるほど。部品を共通化できれば、地方でも修理できますね」
「そういうことだ」
エマは熱心にメモを取っていた。
シオンは、その様子を見ながら考えていた。
技術院。
商会。
職人。
運送業者。
それぞれが、違う立場から装置を見ている。
どれか一つが正しいわけではない。
だが、目的を見失えば、せっかくの発明も意味を失ってしまう。
「……シオン君」
エマが声をかけた。
「一つ、提案があります」
「何でしょう?」
「製造権を完全に譲渡するのではなく、条件付きで商会に製造を認める方法です」
「……条件付き?」
「例えば、地方の認定工房には修理や交換部品の製造を認める。販売価格や保守体制についても、契約で取り決めるのです」
シオンは目を見開いた。
「そんな方法があるんですか?」
「あります。ただし、交渉は難しくなります」
エマは苦笑した。
「商会は利益を求めますし、技術院も安全性を確認する必要がありますから」
グレンが笑った。
「だったら、交渉するしかないな」
シオンも頷いた。
「……はい!」
◇
秋。
クレイヴェル領に、正式な契約案が届いた。
王都の魔導具製造商会が装置の量産を担当する。
ただし、地方の認定工房による修理を認める。
交換部品の規格を公開する。
製造方法の改良については、開発者と技術院の協議を必要とする。
そして、売上の一部が、開発者側へ支払われる。
エドガーは、契約書を慎重に確認した。
「……悪くない条件だ」
シオンは少し安心した。
「じゃあ、契約できますか?」
「まだだ」
「……えっ?」
「こういう契約は、急いで決めるものではない」
エドガーは書類を閉じた。
「グレンの権利もある。将来、装置に欠陥が見つかった場合の責任も確認しなければならん」
シオンは、少し恥ずかしくなった。
「……そうですね」
「だが、お前の考えは間違っていない」
エドガーは微笑んだ。
「技術を広めるには、技術以外の知識も必要だ。今回の経験は、学園でも役立つだろう」
シオンは、机の上に置かれた王立総合学園の試験案内を見た。
入学試験まで、残り数か月。
自分はまだ、知らないことばかりだ。
◇
そのころ、王都。
カイル・レインフォードは、冒険者ギルドの掲示板を見つめていた。
依頼書が何枚も貼られている。
魔物の討伐。
護衛。
遺跡の調査。
物資の運搬。
どれも、カイルの心をくすぐるものだった。
「……おい、坊主」
背後から、低く落ち着いた声がした。
振り向くと、五十代ほどの男が立っていた。
白髪交じりの長い髪を後ろで束ね、右目には黒い眼帯をしている。
背は高いが、体格は細身だった。
使い込まれた革鎧を身につけ、腰には細身の剣を下げている。
「依頼を受けたいのか?」
「将来はな」
カイルが答える。
男は、わずかに口元を緩めた。
「なら、まずは生き残る方法を覚えろ」
「剣なら、それなりに使える」
「剣が使えるだけじゃ足りん」
男は掲示板を指差した。
「護衛依頼で一番大事なのは何だと思う?」
「敵を倒すこと」
「違う」
即答だった。
「荷物と依頼人を、目的地まで無事に運ぶことだ」
カイルは黙った。
「敵を全部倒しても、依頼人が死んだら失敗だ。逆に、戦わずに済ませても、無事に送り届ければ成功だ」
男は肩をすくめた。
「強い奴ほど、そこを忘れる」
カイルは、しばらく掲示板を見つめていた。
「……あんた、名前は?」
「ロイド・ハーウェルだ」
「俺はカイル」
「覚えておこう、坊主」
「坊主じゃない」
「なら、早く一人前になれ」
ロイドは、それだけ言うと背を向けた。
カイルは、掲示板をもう一度見た。
そこに並ぶ依頼書は、先ほどとは少し違って見えた。
◇
ローゼンベルク公爵領。
ヴィオレッタは、地方視察の報告書をまとめていた。
今回の視察で、彼女は多くのものを見た。
豊かな農地。
整備された街道。
立派な魔導設備。
そして、王都から遠く離れた村の現実。
ある村では、魔導灯の修理費用を捻出できず、夜間の通行を制限していた。
別の村では、水を汲み上げる装置が古くなり、住民が交代で手作業を続けていた。
王都では当たり前の便利さが、どこにでもあるわけではない。
「……お父様」
ヴィオレッタは、父の書斎を訪れた。
「視察の報告書ができました」
「見せてごらん」
父は書類を受け取り、目を通した。
しばらくして、顔を上げる。
「……よく調べたな」
「ありがとうございます」
「しかし、改善案は少し理想的すぎる」
ヴィオレッタは姿勢を正した。
「……どのあたりでしょうか?」
「予算だ。すべての村へ新しい設備を導入するだけの資金はない」
「……はい」
「ならば、何を優先する?」
ヴィオレッタは考えた。
すべてを一度に変えることはできない。
ならば、最も困っている場所から。
「……まず、生活に直接影響する設備から改善するべきだと思います」
「例えば?」
「飲み水を確保する設備です。次に、主要な街道の安全設備。それから、修理できる職人を育てることも必要だと思います」
父は頷いた。
「悪くない」
ヴィオレッタは、少し安心した。
だが、父は続けた。
「ただし、領主の判断だけで決めるな。現地の者の意見も聞くことだ」
「……はい」
「お前が見たものが、すべてではないからな」
その言葉は、ヴィオレッタの胸に残った。
◇
冬が近づいたころ。
クレイヴェル領に、王都から二通の手紙が届いた。
一通は、レティシアから。
もう一通は、王立総合学園からだった。
シオンは、まずレティシアの手紙を開いた。
『シオン君へ。
警告装置の契約について、技術院側の確認が終わったわ。
細かな条件はまだ調整中だけど、地方の工房でも修理できる仕組みを残せそうよ。
それから、学園の入学試験が近いわね。
推薦状は出したけれど、合格するかどうかはあなた次第。
技術だけじゃなく、数学と歴史も勉強しておくこと!
追伸。フィオナが「無理をしすぎないように」と言っていたわ。私も同意見よ』
シオンは苦笑した。
「……二人とも、心配性だな」
そして、もう一通の封筒を開いた。
王立総合学園。
入学試験の正式な案内だった。
試験日。
試験科目。
必要書類。
受験資格。
すべてが、そこに記されていた。
シオンは、ゆっくりと息を吐いた。
「……いよいよだ」
◇
その夜。
クレイヴェル家の食卓では、学園の話題で持ちきりだった。
「シオン兄さま、王都に行っちゃうの?」
ミリアが不安そうに尋ねた。
「まだ、合格したわけじゃないよ」
「でも、合格したら?」
「……しばらく、王都で暮らすことになると思う」
ミリアは、少し俯いた。
エリシアが優しく肩を抱く。
「寂しくなるわね」
「……うん」
シオンは、何と言えばいいのか分からなかった。
すると、アルベルト兄さんが笑った。
「何だ、もう別れの話か?」
「アルベルト兄さん……」
「まずは試験に受かってからだろ」
フィリップ兄さんも頷いた。
「そうそう。落ちたら、俺が一生からかってやる」
「……それは嫌だな」
家族が笑った。
ミリアも、少しだけ笑顔になった。
母マリアは、シオンの皿に料理を取り分けた。
「勉強も大事だけど、ちゃんと食べなさい」
「はい、母上」
父エドガーは、家族の様子を見ながら言った。
「シオン」
「はい」
「学園へ行くことは、家を捨てることではない」
シオンは顔を上げた。
「学んだことを、いつかどこかで役立てればいい。必ずしも、この領地へ戻ってこなければならないわけでもない」
「……父上」
「お前自身の人生だ。自分で選びなさい」
シオンは、しばらく黙っていた。
そして、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
◇
数日後。
シオンは、村の鍛冶場を訪れた。
グレンは、いつものように金属を叩いていた。
「……学園の試験、受けるんだってな」
「はい」
「そうか」
グレンは槌を置いた。
「じゃあ、これを持っていけ」
差し出されたのは、小さな金属製の道具だった。
折り畳み式の簡易測定器。
魔導回路の接点を確認するためのものだった。
「……これ、グレンさんが?」
「ああ。王都の道具ほど立派じゃないが、使えるはずだ」
シオンは、そっと受け取った。
「……ありがとうございます」
「礼はいい」
グレンは笑った。
「向こうで何か面白いものを見つけたら、教えてくれ」
「……はい!」
シオンは力強く頷いた。
◇
冬の終わり。
クレイヴェル領の朝は、まだ冷たかった。
シオンは、屋敷の窓から村を見下ろしていた。
水車が回っている。
荷車が街道を進んでいる。
魔導灯が、朝の光の中で消えていく。
この村で、たくさんのことを学んだ。
家族の温かさ。
失敗の悔しさ。
誰かを守ることの難しさ。
そして、一人では何も完成させられないということ。
机の上には、王立総合学園の試験案内が置かれている。
十五歳になる春。
シオンは、王都へ向かう。
今度は、誰かに招かれたからではない。
自分で選んだ道を進むために。
その旅立ちの日は、もう目前に迫っていた。




