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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第一部 目覚めの灯火

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十一歳の決断

 秋の収穫が終わり、クレイヴェル領に冬の気配が近づいていた。


「シオン兄さま! 早くしてください!」


「待って、ミリア! そんなに走ると転ぶよ!」


「転びません!」


 そう言った直後、ミリアの足が小石に引っかかった。


「きゃっ!」


「ほら!」


 シオンは慌てて手を伸ばした。


 幸い、妹は転ぶ前に兄の腕につかまった。


「……転ばなかったでしょう?」


「僕が支えたからね」


「同じことです!」


「全然違うよ」


 シオンは苦笑した。


 王都から戻って、半年近くが過ぎようとしていた。


 十一歳になったシオンの毎日は、以前より忙しい。


 午前は家庭教師との勉強。


 午後は剣術や魔法の訓練。


 時間があれば、村の魔導設備を見て回る。


 そして、ミリアの遊び相手。


 最後の仕事が、案外いちばん大変だった。


「今日はどこへ行くの?」


 シオンが尋ねる。


「市場です!」


「何か買うの?」


「見るだけです!」


「……見るだけ?」


「はい!」


 ミリアは胸を張った。


「お金がないときは、見るだけにするんです!」


 シオンは、少し言葉に詰まった。


 貧乏男爵家。


 それが、クレイヴェル家の現実だった。


 けれど、妹はそれを悲しそうには言わない。


 むしろ、何かを楽しみにしている顔だった。


「……じゃあ、今日は僕も見るだけにしようかな」


「兄さまもですか?」


「うん」


 ミリアは嬉しそうに笑った。


「では、一緒ですね!」


     ◇


 市場は、収穫を終えた農民たちで賑わっていた。


 干した果物。


 冬支度のための毛織物。


 保存用の塩漬け肉。


 その間を、ミリアが楽しそうに歩いていく。


 シオンは妹の手を握りながら、露店を眺めた。


 以前と比べ、店の数が増えている。


 王都から派遣された技術者たちが村の設備を修復して以来、近隣の集落との往来も増えたらしい。


「……少しずつ、豊かになってるんだ」


 シオンが呟く。


「何か言いました?」


「ううん。何でもない」


 そのときだった。


「おい! そっちの荷車を止めろ!」


 市場の奥から、男の怒鳴り声が響いた。


 人々が振り向く。


 大きな荷車が、緩やかな坂を下ってきていた。


 荷車には、穀物の袋が山積みになっている。


 引いていた馬はすでに外されており、車輪だけで坂を転がっていた。


「危ない!」


 誰かが叫んだ。


 荷車の進む先には、小さな子供が立っていた。


 状況を理解できず、動けなくなっている。


 シオンは、息を呑んだ。


「ミリア、ここにいて!」


 妹を近くの店主に預け、走り出す。


 荷車は、思った以上に速い。


 子供まで、あと十数歩。


 魔法で止める。


 そう考えた瞬間、シオンは荷車の車輪に刻まれた小さな魔導回路に気づいた。


 荷車の制動補助装置だ。


 だが、回路の一部が途切れている。


 魔力が流れていない。


「……これなら!」


 シオンは、腰に下げた小さな星晶石を握った。


 王都での研修を終える際、レティシアから渡された訓練用のものだ。


 魔力を流す。


 途切れた回路の位置を確かめる。


 しかし、すぐに問題に気づいた。


 距離が遠すぎる。


 自分の魔法では、荷車の回路を直接修復できない。


「……くっ!」


 シオンは歯を食いしばった。


 ならば、別の方法。


 荷車の進路。


 坂の傾斜。


 周囲の障害物。


 視線を走らせる。


 そして、道端に積まれた木箱が目に入った。


「そこの人! 箱を押してください!」


 シオンが叫ぶ。


 近くの商人が驚いた。


「な、何だって?」


「荷車の前へ! 右側に!」


 商人は一瞬迷ったが、シオンの指示に従った。


 木箱が、荷車の進路へ押し出される。


 シオンは地面に手をついた。


「……動け!」


 土属性の初歩魔法。


 地面をわずかに盛り上げるだけの術だ。


 大きな荷車を止めるほどの力はない。


 だが、木箱の下を持ち上げることなら。


 ゴトン!


 木箱が傾き、荷車の右車輪にぶつかった。


 荷車が大きく揺れる。


 その瞬間、車輪が道端の溝に落ちた。


 ガタンッ!


 荷車は横向きになり、数歩ほど滑って停止した。


 穀物の袋がいくつか地面に落ちる。


 だが、子供には届かなかった。


「……止まった」


 シオンは、膝に手をついた。


 息が荒い。


 魔力を一気に使ったせいで、少し頭が痛かった。


     ◇


「……シオン兄さま!」


 ミリアが駆け寄ってきた。


「危ないことしちゃだめです!」


「……ごめん」


 シオンは、妹の頭を撫でた。


「でも、あの子が……」


「兄さまも怪我したら、嫌です!」


 ミリアの目には、涙が浮かんでいた。


 シオンは、何も言えなくなった。


 確かに、無茶をした。


 もし木箱が間に合わなかったら。


 もし荷車が予想と違う方向へ進んでいたら。


 自分も、誰かも、怪我をしていたかもしれない。


「……うん」


 シオンは、静かに頷いた。


「次は、もっと考える」


 ミリアは、少しだけ安心したように笑った。


     ◇


 その日の夕方。


 シオンは、父エドガーの書斎に呼ばれていた。


 机の上には、破損した荷車の車輪の図面が置かれている。


「……市場でのことは聞いた」


 エドガーが言った。


「はい」


 シオンは、少し身構えた。


 叱られる。


 そう思っていた。


 だが、父はすぐには何も言わなかった。


 しばらくして、静かに口を開く。


「子供を助けたことは、立派だった」


「……はい」


「だが、お前自身も危険だった」


「……はい」


 エドガーは、図面を指差した。


「この荷車には、制動用の魔導装置が付いていたそうだな」


「はい。でも、回路が壊れていました」


「原因は?」


「……まだ分かりません」


 エドガーは頷いた。


「ならば、調べる必要がある」


 シオンは顔を上げた。


「……調べる?」


「ああ。今回の事故は、運がよかっただけかもしれん」


 父の声は、穏やかだった。


「だが、同じ事故が二度と起きないようにすることはできる」


 シオンは、机の図面を見つめた。


 確かに、そうだ。


 自分は目の前の荷車を止めた。


 だが、それだけでは終わらない。


 なぜ壊れたのか。


 どうすれば防げるのか。


 それを考えることも、大切なのだ。


「……僕に、調べさせてもらえませんか?」


 シオンが尋ねる。


 エドガーは、少し驚いた顔をした。


「お前が?」


「はい。王都で学んだことを、使ってみたいんです」


 エドガーは、しばらく考えた。


 そして、ゆっくりと頷いた。


「分かった。ただし、一人ではやるな」


「……はい」


「村の鍛冶職人と、荷車の持ち主にも協力してもらえ」


 シオンは、力強く頷いた。


「ありがとうございます!」


     ◇


 翌日。


 シオンは、村の鍛冶場を訪れていた。


 鍛冶職人のグレンは、四十代の大柄な男だった。


 腕は太く、顔には古い火傷の跡がある。


「……坊ちゃんが調べるって?」


「はい」


 シオンは頷いた。


「壊れた回路を見せてもらえませんか?」


 グレンは、少し笑った。


「いいぞ。ただし、分からんことがあったら聞けよ」


「はい!」


 二人は、破損した車輪を作業台へ置いた。


 シオンは、魔力の流れを確かめる。


 回路の一部が、黒く変色していた。


「……ここだ」


 シオンが指差す。


 グレンが覗き込んだ。


「……なるほどな」


「ここで、魔力が途切れています」


「それなら、線をつなぎ直せばいいんじゃないか?」


「……たぶん、それだけじゃだめです」


 シオンは、回路の周囲を見た。


 細かな傷。


 金属の摩耗。


 そして、長年使われてきた痕跡。


「……少しずつ、壊れていったんだと思います」


 グレンは、腕を組んだ。


「……つまり、使いすぎか」


「はい。でも、使いすぎること自体は、普通だと思うんです」


 シオンは、少し考えた。


「だから、壊れる前に分かる仕組みがあれば……」


 グレンの目が、少し輝いた。


「……なるほどな」


     ◇


 それから、二週間。


 シオンは、グレンと一緒に小さな装置を作っていた。


 魔導回路の劣化を知らせる警告装置。


 仕組みは単純だった。


 回路の魔力が一定以下になると、小さな星晶石が赤く光る。


 ただし、実際に作るのは簡単ではなかった。


「……また光らない」


 シオンがため息をつく。


 グレンが笑った。


「もう五回目だな」


「……はい」


「でも、最初よりはよくなってるぞ」


 シオンは、装置を見つめた。


 王都で学んだ知識。


 グレンの金属加工技術。


 その二つを組み合わせても、思うようにはいかない。


 だが、少しずつ形になっている。


「……もう一回、やってみます」


 シオンは、工具を握り直した。


     ◇


 完成したのは、さらに三日後だった。


 小さな金属製の箱。


 中央には、赤い星晶石。


 魔導回路が正常なら、光らない。


 だが、劣化が進むと赤く点灯する。


「……できた!」


 シオンが声を上げた。


 グレンも満足そうに頷いた。


「よし。これなら使えるかもしれんな」


 ただし、まだ試作品だった。


 実際に長期間使用できるかどうかは、これから確かめなければならない。


「……村の荷車に、少しずつ取り付けてみましょう」


 シオンが言う。


 グレンは笑った。


「そうだな。まずは俺の荷車で試してみるか」


     ◇


 数日後。


 シオンは、父エドガーへ報告していた。


 机の上には、完成した警告装置が置かれている。


「……これを作ったのか」


 エドガーが驚いた。


「はい。でも、グレンさんにたくさん助けてもらいました」


 シオンは、正直に答えた。


 エドガーは、装置を手に取った。


「……小さいな」


「はい。荷車に取り付けても邪魔にならないようにしました」


「費用は?」


「……まだ、少し高いです」


 シオンは、申し訳なさそうに答えた。


「星晶石が必要なので……」


 エドガーは、しばらく考えた。


「ならば、費用を下げる方法も考えなければな」


「……はい」


 シオンは頷いた。


 技術だけでは、十分ではない。


 使う人がいて。


 お金が必要で。


 維持する人も必要になる。


 王都では、装置を作ることばかり考えていた。


 だが、領地では、それだけでは済まない。


「……父上」


「何だ?」


「僕、もっと勉強したいです」


 エドガーは、静かにシオンを見た。


「魔法だけじゃなくて、技術も、経済も、領地のことも」


 シオンは、少し緊張しながら続けた。


「十五歳になったら、王立総合学園へ行きたいです」


 エドガーは、しばらく黙っていた。


 そして、ゆっくりと微笑んだ。


「……そうか」


 シオンは頷いた。


「はい」


「ならば、そのための準備を始めよう」


 エドガーは、机の上の推薦状を見た。


「ただし、学園へ行くことが目的になってはいけない」


「……はい」


「そこで何を学び、何をしたいのか。それを忘れるな」


 シオンは、力強く頷いた。


「分かりました!」


     ◇


 その夜。


 シオンは、机に向かって手紙を書いていた。


 宛先は、レティシアとフィオナ。


 王都でお世話になった二人だった。


『レティシアさん、フィオナさんへ。


 お元気ですか。


 僕は、故郷で元気に過ごしています。


 最近、村の鍛冶職人さんと一緒に、魔導回路の劣化を知らせる装置を作りました。


 まだ試作品ですが、いつか多くの人に使ってもらえるようにしたいです。


 それから、決めたことがあります。


 十五歳になったら、王立総合学園へ進学したいです。


 そのために、これからも勉強を続けます。』


 シオンは、ペンを置いた。


 窓の外には、冬の星空が広がっている。


 王都で出会った人たち。


 故郷で支えてくれる人たち。


 その一人一人の顔が、浮かんできた。


 自分一人では、何もできない。


 けれど、誰かと協力すれば、少しずつ何かを変えられる。


 シオンは、静かに微笑んだ。


「……頑張ろう」


 小さな決意だった。


 だが、その決意は、確かに未来へつながっていた。

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