帰郷、そして新しい一歩
王都を出発して五日目の午後。
シオン・クレイヴェルを乗せた馬車が、懐かしい丘を越えた。
「見えてきたぞ、シオン」
父エドガーの声に、シオンは窓から身を乗り出した。
なだらかな畑。川沿いの水車。遠くに見える、古い石造りの屋敷。
半年ぶりの故郷だった。
「……あれ?」
シオンは目を瞬いた。
村の入り口に、新しい建物が増えている。
川には以前より頑丈そうな橋が架かり、水車小屋の屋根も新しくなっていた。
「随分変わったでしょう?」
向かいに座るフィリップ兄さんが笑った。
フィリップは父と一緒に迎えに来てくれたのだ。
「北の谷の事件のあと、王都から復旧の補助金が出たんだ。村の人たちも頑張ったからね」
「……そうなんだ」
シオンは、少し胸が熱くなった。
一年前。
村は、古い魔導設備の暴走によって大きな被害を受けた。
亡くなった人もいた。
壊れた家もあった。
あのとき、自分には何もできなかった。
けれど、村は確かに前へ進んでいる。
「シオンが王都で勉強している間、こっちも遊んでいたわけじゃないからな」
エドガーが穏やかに言った。
「……うん」
シオンは、もう一度村を見つめた。
帰ってきた。
その実感が、少しずつ胸に広がっていった。
◇
「シオン兄さま!」
屋敷の玄関へ到着するなり、小さな影が飛び出してきた。
「ミリア!」
シオンは慌てて馬車を降りた。
次の瞬間、妹のミリアが勢いよく抱きついてくる。
「おかえりなさい!」
「ただいま!」
「遅いです!」
「えっ?」
「ずっと待ってたんです!」
ミリアは頬を膨らませた。
シオンは思わず笑った。
「ごめんね」
「もう王都に行っちゃだめです!」
「それは……ちょっと難しいかも」
「どうしてですか!」
ミリアの抗議に、玄関から笑い声が響いた。
「おかえり、シオン」
母マリアだった。
その後ろには、エリシア姉さんとアルベルト兄さんも立っている。
「母上!」
シオンは、ミリアを抱えたまま駆け寄った。
マリアは、シオンの顔をじっと見つめた。
「……少し大人っぽくなったわね」
「そうかな?」
「ええ。目つきが変わったわ」
エリシア姉さんが、横から微笑んだ。
「でも、背はあんまり変わってないわね」
「……姉さん」
「冗談よ」
アルベルト兄さんが、シオンの肩を軽く叩いた。
「よく帰ったな」
「アルベルト兄さん!」
シオンは、兄の左腕を見た。
一年前の事件で、骨折した腕。
今は、もう包帯もない。
「……腕、大丈夫?」
「ああ。もう問題ない」
アルベルトは笑った。
「ただ、昔みたいに無茶をすると、母上に怒られる」
「当たり前でしょう」
マリアが即座に答えた。
家族の笑い声が、玄関に広がった。
◇
その夜。
クレイヴェル家の食卓は、久しぶりに賑やかだった。
「それで、王都には本当にあんな大きな建物があるの?」
ミリアが目を輝かせて尋ねる。
「あるよ。王立魔導技術院なんて、村の広場よりずっと大きいんだ」
「すごい!」
「それから、王城も見たよ」
「お城!」
ミリアは椅子の上で跳ねそうになった。
「ミリア、落ち着きなさい」
マリアが苦笑する。
フィリップ兄さんが、シオンを見た。
「それで、友達はできた?」
「うん。二人」
「へえ」
「カイルっていう男の子と、ヴィオレッタっていう女の子」
エリシア姉さんが、ぴくりと反応した。
「……ヴィオレッタ?」
「うん」
「もしかして、ローゼンベルク公爵家の?」
「そうだけど……」
エリシアは、思わず口元を押さえた。
「シオン、あなた……公爵令嬢とお友達になったの?」
「……うん?」
シオンは首を傾げた。
「普通に話してただけだよ」
「普通に……」
エリシアは、少し呆れたように笑った。
「あなた、本当に変なところで物怖じしないわね」
エドガーも苦笑した。
「まあ、身分の違いはある。礼儀だけは忘れないようにな」
「はい、父上」
シオンは頷いた。
だが、心の中では少し不思議だった。
ヴィオレッタは確かに公爵令嬢だ。
けれど、シオンにとっては、一緒に勉強して、一緒に笑った友達だった。
それ以上でも、それ以下でもない。
◇
帰郷して三日後。
シオンは、久しぶりに村を歩いていた。
目的地は、川沿いの水車小屋。
かつて魔力の異常が発生した場所だった。
水車は、以前より滑らかに回っている。
新しい魔導装置も取り付けられていた。
「……ずいぶん変わったな」
シオンは、装置を見つめた。
魔力の流れは安定している。
王都で学んだ知識があれば、その仕組みもある程度理解できた。
「……シオン坊ちゃん?」
背後から声がした。
振り向くと、水車小屋の管理人が立っていた。
「おお! 帰ってきてたのか!」
「はい。三日前に」
「そうか、そうか!」
管理人は嬉しそうに笑った。
「王都で勉強してたんだってな!」
「はい」
「そりゃすごい!」
シオンは少し照れた。
管理人は、水車を見上げた。
「この装置も、王都の技術者さんが直してくれたんだ」
「……そうなんですね」
「ああ。前みたいなことは、もう起きないようにって」
シオンは、静かに頷いた。
あの事件を忘れたわけではない。
だが、村の人たちは前へ進もうとしている。
自分も、そうありたいと思った。
◇
その日の午後。
シオンは、屋敷の書斎で父エドガーと向かい合っていた。
机の上には、一通の書類が置かれている。
王立総合学園への推薦状だった。
「……これが、レティシアさんから?」
エドガーが尋ねる。
「はい」
シオンは頷いた。
「十五歳になったら、入学試験を受けられるそうです」
エドガーは、しばらく書類を見つめていた。
「……王立総合学園か」
静かな声だった。
シオンは、少し緊張した。
クレイヴェル家は、裕福ではない。
王都での半年間の研修も、特別な支援があったからこそ実現できた。
学園へ通うとなれば、もっとお金が必要になる。
「……難しいですか?」
シオンが尋ねる。
エドガーは、少し考えた。
「正直に言えば、簡単ではない」
「……はい」
「だが、不可能でもない」
シオンは顔を上げた。
エドガーは、穏やかに微笑んだ。
「学費の支援制度もあると聞いている。まずは調べてみよう」
「……父上」
「それに」
エドガーは、少し笑った。
「お前が本当に学びたいのなら、父親として応援したい」
シオンは、胸の奥が温かくなるのを感じた。
「……ありがとうございます」
◇
それから、三か月が過ぎた。
シオンは、毎日少しずつ勉強を続けていた。
王都から持ち帰った教本。
レティシアが渡してくれた魔導回路の資料。
フィオナがまとめてくれた基礎理論。
そして、ヴィオレッタからもらったリューデン王国の歴史書。
どれも、シオンにとって大切なものだった。
剣術の練習も続けていた。
相手は、主にフィリップ兄さんだった。
「……甘い!」
フィリップの木剣が、シオンの肩を軽く叩いた。
「……また負けた」
「でも、前よりずっとよくなってるよ」
フィリップは笑った。
「王都で、いい先生に出会ったんだね」
「……うん」
シオンは、カイルの顔を思い浮かべた。
深い紺色の髪。
鋭い灰色の瞳。
そして、負けず嫌いな笑顔。
次に会うときは、少しでも強くなっていたい。
シオンは、もう一度木剣を構えた。
「……もう一本、お願いします!」
フィリップは嬉しそうに笑った。
「いいよ!」
◇
その夜。
シオンは、机に向かって手紙を書いていた。
宛先は、カイルとヴィオレッタ。
王都での友人たちだ。
『カイルへ。
僕は元気にしています。
帰ってからも、剣術の練習を続けています。
まだフィリップ兄さんには勝てないけど、少しずつ上達していると思います。
次に会うときは、一本くらい取れるようになりたいです。』
シオンは、少し笑った。
カイルなら、きっとこう返すだろう。
『一本じゃなくて、勝つつもりで来い』
そんな声が聞こえてきそうだった。
続いて、ヴィオレッタへの手紙を書く。
『ヴィオレッタへ。
もらった本、少しずつ読んでいます。
リューデン王国の歴史は、とても面白いです。
特に、山岳地帯の小さな国が、周囲の大国と渡り合ってきた話が印象に残りました。
また会えたら、色々話したいです。』
シオンは、ペンを置いた。
窓の外には、満天の星が広がっている。
王都で見た星空とは、少し違う。
街の灯りが少ない分、星がよく見えた。
「……また会えるかな」
シオンは、小さく呟いた。
そして、すぐに首を振った。
「……ううん。会いに行こう」
自分で決めた未来。
自分で歩く道。
まだ遠いけれど、確かにそこへ向かっている。
◇
そのころ。
王都の一角では、カイル・レインフォードが一人、剣を振っていた。
夜の訓練場。
周囲には、誰もいない。
カイルは、何度も木剣を振り下ろす。
そして、ふと手を止めた。
「……シオンのやつ、元気にしてるかな」
小さく笑った。
「次に会うときは、もっと強くなってないとな」
カイルは、再び剣を構えた。
その瞳には、強い意志が宿っていた。
◇
一方。
ローゼンベルク公爵家の屋敷では、ヴィオレッタが一冊のノートを開いていた。
前世の記憶。
物語の中で、自分が辿るはずだった運命。
そこには、いくつもの出来事が記されている。
王立総合学園への入学。
王族との出会い。
そして、破滅へと続く未来。
だが、ヴィオレッタは、以前ほどその文字を恐れていなかった。
なぜなら。
物語には登場しなかった友人たちが、今の自分にはいるからだ。
「……シオン、カイル」
ヴィオレッタは、静かに微笑んだ。
「また、会いましょうね」
彼女は、ノートを閉じた。
そして、窓の外に広がる星空を見上げた。
それぞれの場所で。
それぞれの未来を思い描きながら。
三人の物語は、少しずつ前へ進んでいた。




