王都への招待状
十歳になったシオン・クレイヴェルには、最近、一つの悩みがあった。
「……届かない」
庭の木に吊るされた、小さな木製の輪。
シオンは木剣を振り上げたが、剣先は輪の下を空振りした。
「足が止まっているぞ」
アルベルトの声が飛ぶ。
「腕だけで振ろうとするな。踏み込みと一緒に動かすんだ」
「分かってるよ、アルベルト兄さん!」
「分かっているなら、もう一度」
シオンは口を尖らせた。
一年前、北の谷の事件が起きたとき、アルベルトは左腕を骨折していた。
今ではすっかり回復し、以前と変わらず剣を振るっている。
ただし、弟への指導は少し厳しくなった気がする。
「……兄さん、昔より怖くなってない?」
「気のせいだ」
「絶対、気のせいじゃない」
アルベルトは答えず、木剣を構えた。
「次は私が相手をする」
「えっ」
「どうした?」
「……やっぱり怖くなってる」
その日の稽古は、シオンが三度地面に転がされたところで終わった。
◇
朝食の席で、エドガーが一通の封書を取り出した。
「シオン。王都から手紙が届いている」
「僕に?」
「ああ。王立魔導技術院からだ」
シオンは驚いて顔を上げた。
封筒には、見覚えのある紋章が押されている。
一年前、クレイヴェル領の危機を救うために来た技術者たち。
レティシアやフィオナが所属する機関だった。
エドガーは封を切り、手紙を読み上げた。
「シオン・クレイヴェル殿。貴殿の魔力感知能力について、正式な適性検査を実施したく、王都への来訪を要請する……」
シオンは目を瞬かせた。
「……王都?」
「そうだ」
フィリップが身を乗り出した。
「いいじゃないか! 王都には大きな市場もあるし、魔導技術院の設備も見られるかもしれない!」
「フィリップ兄さん、行く気なの?」
「もちろん!」
エリシアが笑った。
「あなたは市場が目当てでしょう?」
「市場だって立派な勉強だよ、エリシア姉さん」
ミリアはシオンの袖を引っ張った。
「シオン兄さま、遠くへ行っちゃうの?」
「まだ決まってないよ」
「……お土産、買ってきてね」
「心配するところ、そこなんだ」
食卓に、小さな笑い声が広がった。
エドガーは手紙を置いた。
「ただし、これは遊びではない。検査の結果によっては、今後の進路にも関わる」
シオンは頷いた。
「……うん」
◇
出発が決まったのは、それから三日後だった。
同行するのは、エドガーとフィリップ。
アルベルトは領地の管理を手伝い、マリアとエリシアは屋敷に残る。
ミリアは最後まで一緒に行きたがったが、母に説得されて諦めた。
出発の日。
屋敷の前には、小さな馬車が用意されていた。
「気をつけて行ってらっしゃい」
マリアがシオンの襟を直す。
「はい、母上」
「無理をしないこと。頭が痛くなったら、必ず休むのよ」
「分かってる」
エリシアは、小さな布袋を差し出した。
「道中のお菓子よ。ミリアと一緒に作ったの」
「ありがとう、エリシア姉さん」
ミリアは胸を張った。
「ミリアもいっぱい作ったの!」
「じゃあ、大切に食べるね」
シオンが頭を撫でると、ミリアは嬉しそうに笑った。
アルベルトは、シオンの肩に手を置いた。
「王都では、色々なものを見るといい」
「うん」
「ただし、無茶はするな」
「……兄さんも、同じこと言うんだね」
「大事なことだからな」
シオンは笑った。
そして、馬車へ乗り込んだ。
◇
王都までの道のりは、五日かかった。
途中、いくつもの町や村を通り過ぎた。
クレイヴェル領より大きな町。
石畳が整備された街道。
荷馬車が行き交う市場。
シオンにとって、どれも新鮮だった。
フィリップは、立ち寄る町ごとに商人たちと話していた。
「……兄さん、また商談してる」
「情報収集だよ」
「さっきも同じこと言ってた」
「商人にとって、情報は財産なんだ」
フィリップは得意げに笑った。
エドガーは、そんな二人を見て苦笑していた。
◇
五日目の午後。
馬車は、アルセリア王国の王都へ到着した。
シオンは、窓の外を見て息を呑んだ。
「……すごい」
巨大な城壁。
高くそびえる塔。
石造りの建物が、どこまでも続いている。
通りには、様々な服装の人々が行き交っていた。
商人。
騎士。
冒険者。
そして、見慣れない耳を持つ人々。
「……あの人たち」
シオンが呟く。
フィリップが窓の外を見た。
「ああ、エルフ族だね」
「エルフ……」
「森林連邦から来た商人だと思うよ」
シオンは、思わず身を乗り出した。
長く尖った耳。
淡い金色の髪。
どこか人間とは違う雰囲気。
前世で読んだ物語に出てくる存在が、目の前を歩いている。
その光景に、胸が高鳴った。
だが、エルフの商人たちは、普通に荷物を運び、値段の交渉をしていた。
特別な存在ではなく、この世界で暮らす人々なのだ。
シオンは、少し不思議な気持ちになった。
◇
王立魔導技術院は、王都の東側にあった。
巨大な石造りの建物で、中央には高い塔がそびえている。
入口には、王国の紋章と、複雑な魔法陣が刻まれていた。
「……ここが」
シオンが呟く。
「王立魔導技術院だ」
エドガーが答えた。
建物の中へ入ると、白い制服を着た研究員たちが忙しそうに行き交っていた。
廊下の壁には、様々な魔導器具が展示されている。
シオンは、思わず足を止めた。
「……これ、何?」
透明な球体の中で、小さな光が回っている。
「魔力循環装置の模型だよ」
背後から声がした。
振り向くと、そこにはフィオナが立っていた。
「フィオナさん!」
「久しぶり、シオン君」
フィオナは微笑んだ。
一年前より少し背が伸び、以前よりも落ち着いた雰囲気になっている。
だが、大きな鞄を抱えているところは変わらなかった。
「遠いところ、お疲れさま」
「ありがとうございます」
「今日は検査の説明をするから、こっちへ来て」
◇
案内された部屋には、レティシアが待っていた。
机の上には、複数の魔導器具が並んでいる。
「シオン君、久しぶり!」
レティシアは、相変わらず元気だった。
「少し大きくなった?」
「……十歳になりました」
「そう! じゃあ、今日はしっかり検査しましょう!」
エドガーが尋ねた。
「危険はないのか?」
「もちろん。無理な魔力操作はさせません」
レティシアは頷いた。
「まずは、魔力の感知能力を測定します」
フィオナが透明な球体を取り出した。
「この中に、複数の魔力の流れを作ります。見えたものを教えてください」
シオンは頷いた。
球体の中に、細い光の線が浮かび上がる。
青。
金。
赤。
そして、ほとんど見えないほど薄い灰色。
「……四本」
シオンが答えた。
フィオナは記録を確認した。
「正解」
レティシアが笑った。
「やっぱりね」
次の検査では、魔力の流れが複雑に交差した。
シオンは目を細めた。
「……七本」
「正解」
さらに、流れの速さが変化する。
「……九本」
フィオナは、驚いたように顔を上げた。
「……すごい」
レティシアは満足そうに頷いた。
「ここまで見えるなら、かなり珍しい能力ね」
だが、シオンは額を押さえた。
「……ちょっと、頭が痛い」
フィオナはすぐに器具を止めた。
「今日はここまでにしましょう」
レティシアも頷いた。
「無理は禁物よ」
◇
検査の結果は、翌日に伝えられた。
エドガーとシオンは、技術院の会議室に呼ばれた。
レティシアが資料を広げる。
「結論から言うと、シオン君の魔力感知能力は、非常に珍しいものです」
エドガーは静かに頷いた。
「具体的には?」
「魔力の量だけでなく、流れの性質や位相まで識別できる可能性があります」
フィオナが続けた。
「ただし、長時間使うと強い負担がかかります。現時点では、訓練が必要です」
エドガーは眉を寄せた。
「訓練?」
「はい。適切な方法を学べば、負担を減らせる可能性があります」
レティシアは、一通の書類を差し出した。
「そこで、提案があります」
エドガーが書類を受け取る。
「……これは?」
「王立魔導技術院の特別研修制度です」
シオンは目を見開いた。
「特別研修?」
「正式な学生になるわけではありません。一定期間、王都で基礎的な魔導技術を学ぶ制度です」
レティシアは微笑んだ。
「シオン君なら、十分に参加資格があります」
エドガーは、しばらく考え込んだ。
「……期間は?」
「まずは半年。必要に応じて延長も可能です」
シオンは、思わず父を見上げた。
半年。
家族と離れて、王都で暮らす。
それは、今まで考えたこともなかった選択だった。
◇
その夜。
宿の部屋で、シオンは父と向き合っていた。
「……どうしたい?」
エドガーが尋ねた。
シオンは、しばらく黙っていた。
王都で学ぶ。
新しい知識を得る。
自分の力を、少しでも使えるようになる。
魅力的だった。
だが、家族と離れるのは寂しい。
「……行ってみたい」
シオンは、ようやく答えた。
エドガーは頷いた。
「そうか」
「でも……」
「何だ?」
「家のことが、心配」
エドガーは少し笑った。
「それは、私たちの仕事だ」
「……うん」
「お前は、お前の道を考えればいい」
シオンは、父の言葉を噛みしめた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……行きたい。王都で、勉強したい」
エドガーは微笑んだ。
「分かった」
◇
翌朝。
シオンは、レティシアに返事を伝えた。
「特別研修に参加したいです」
レティシアは、嬉しそうに笑った。
「歓迎するわ!」
フィオナも頷いた。
「一緒に勉強しましょう」
シオンは、少し緊張しながら頭を下げた。
「よろしくお願いします」
こうして。
シオン・クレイヴェルの王都での生活が、始まることになった。
まだ十歳。
知らないことばかりだった。
だが、これから出会う人々や出来事が、彼の世界を大きく広げていく。
その第一歩を、シオンは踏み出した。




