夜明けの攻防
北の谷へ向かう馬車が屋敷を出たのは、まだ夜が明けきらない頃だった。
乗っているのはレティシア、フィオナ、ダリオ。そして護衛の騎士たち。
ユリウスは先行して周辺を警戒している。
今日の目的は一つ。
古代の転送門を閉じること。
ただし、失敗すれば、門の向こうからさらに多くの魔物が現れる可能性がある。
エドガーは出発する一行を見送った。
「……頼む」
レティシアは頷いた。
「できる限りのことをします」
フィオナは大きな鞄を抱え、少し緊張した様子で答えた。
「必要な計算は終わっています。あとは、実際の魔力の流れを確認するだけです」
ユリウスは静かに言った。
「万一の場合は、私が時間を稼ぎます」
その言葉に、エドガーは深く頷いた。
◇
北の谷。
巨大な門は、昨日よりも不安定になっていた。
黒い空間の縁が揺らぎ、周囲には青白い光が走っている。
地面には、新しい亀裂がいくつも生まれていた。
「……時間がありませんね」
フィオナが呟いた。
レティシアは頷いた。
「始めましょう」
ダリオと技術者たちが、制御盤の周囲に補助装置を設置する。
高純度の星晶石が、淡く光り始めた。
フィオナは測定器を操作した。
「魔力の流れを確認……閉鎖回路に接続します」
透明な板に、複雑な線が浮かび上がる。
「……反応あり」
レティシアが息を呑んだ。
「いける?」
「まだ分かりません。でも、回路は生きています」
フィオナは慎重に操作を続けた。
そのとき。
門の奥で、何かが動いた。
ユリウスが剣を抜く。
「来ます」
黒い空間から、灰色の魔物が飛び出した。
一体。
二体。
三体。
続けて、さらに二体。
「五体!」
騎士が叫ぶ。
「防衛線を維持してください!」
ユリウスの声が響いた。
白銀の剣が閃く。
最初の一体が、黒い霧となって消えた。
騎士たちは二人一組で魔物を迎え撃つ。
剣に付与された魔力が、灰色の身体を切り裂いた。
だが、魔物たちは次々と現れる。
「……数が増えています!」
騎士が叫んだ。
ユリウスは門を見つめた。
黒い空間の奥で、さらに多くの影が動いている。
「……急いでください!」
◇
制御盤では、フィオナが必死に計算を続けていた。
「閉鎖回路への魔力供給、三十パーセント……四十パーセント……」
レティシアが補助装置を調整する。
「流量が安定しない!」
「向こう側からの干渉が強すぎます!」
フィオナは唇を噛んだ。
このままでは、回路が破損する。
だが、止めれば門は開いたままだ。
「……もう少し」
フィオナは操作盤に手を伸ばした。
その瞬間。
門の奥から、巨大な影が現れた。
それまでの魔物とは、明らかに違っていた。
身長は三メートル近い。
灰色の身体には、黒い紋様が走っている。
長い腕の先には、鋭い爪。
顔には、赤く光る二つの目があった。
「……大型個体!」
騎士が叫んだ。
ユリウスは剣を構えた。
「全員、下がってください」
巨大な魔物が咆哮する。
空気が震えた。
そして、一気に飛びかかってきた。
◇
ユリウスは、正面から迎え撃った。
銀色の剣が、魔物の腕を切り裂く。
だが、傷は浅い。
「……硬い!」
魔物が腕を振り下ろす。
ユリウスは横へ跳び、攻撃をかわした。
地面が砕ける。
続けて、魔物の爪が横薙ぎに振るわれた。
ユリウスは剣で受け流した。
金属音が響く。
衝撃で、足が地面を滑った。
「……っ!」
魔物はさらに追撃してくる。
ユリウスは距離を取り、魔力を剣へ集中させた。
刃が、淡い青白い光を帯びる。
「……ここで止めます」
ユリウスは踏み込んだ。
一閃。
魔物の胸に、深い傷が走った。
だが、倒れない。
巨大な腕が、ユリウスへ伸びる。
その瞬間。
「ユリウス!」
レティシアの声が響いた。
炎の槍が、魔物の側面を貫く。
魔物がよろめいた。
ユリウスはその隙を逃さなかった。
剣を逆手に持ち替え、胸の傷へ突き立てる。
青白い光が弾けた。
巨大な魔物は、黒い霧となって崩れ落ちた。
ユリウスは荒い息を吐いた。
「……終わったか」
だが、門の奥には、まだ影が動いていた。
◇
同じ頃。
クレイヴェル家の屋敷では、シオンが窓の外を見つめていた。
北の空には、青白い光が浮かんでいる。
その光は、時折大きく揺れていた。
「……うまくいってるのかな」
シオンが呟く。
隣にいたフィリップが答えた。
「きっと大丈夫だよ。王都から来た人たちもいるんだから」
シオンは頷いた。
だが、胸の奥には不安が残っていた。
そのとき。
シオンの視界に、細い糸が浮かび上がった。
青白い糸。
金色の糸。
そして、黒い糸。
黒い糸は、北の山から村へ伸びている。
シオンは目を細めた。
「……あれ?」
何かが、おかしい。
黒い糸の一部が、村の地下へ入り込んでいた。
「フィリップ兄さん」
「何?」
「……地下の導管、まだつながってるんじゃないかな」
フィリップは顔を上げた。
「どういうこと?」
「採石場から村へ向かう導管は、調整弁で流れを減らしただけだよね」
「うん」
「でも、黒い糸が村の方へ伸びてる」
フィリップは、すぐに立ち上がった。
「父上に伝えよう」
◇
エドガーは報告を聞くと、即座にダリオへ連絡を送った。
だが、北の谷では作業の最中だった。
使者が到着したとき、フィオナは閉鎖回路の最終調整を行っていた。
「……七十パーセント!」
レティシアが叫ぶ。
「もう少し!」
そのとき、使者が駆け込んできた。
「エドガー様から緊急の伝言です!」
ダリオが振り向く。
「何だ!?」
「村の地下導管に、異常な魔力が流れ込んでいる可能性があると!」
ダリオの顔色が変わった。
「……まさか」
レティシアが尋ねる。
「どうしたの?」
「閉鎖回路に流している魔力が、古い導管を通じて村へ逆流しているのかもしれません!」
フィオナが測定器を確認する。
透明な板に、黒い線が浮かんでいた。
「……本当だ」
彼女は息を呑んだ。
「このまま閉鎖を進めると、村の地下に魔力が集中します!」
レティシアは叫んだ。
「中止して!」
フィオナは操作盤に手を伸ばした。
だが、回路は既に自動運転へ移行していた。
「……止まりません!」
その瞬間。
村の方角で、青白い光が弾けた。
◇
村の中央広場。
地面が大きく揺れた。
石畳の隙間から、青白い光が漏れ出す。
「何だ!?」
住民たちが叫ぶ。
地下の古い導管が、激しく振動していた。
やがて、広場の中央に大きな亀裂が走った。
ゴゴゴ……!
地面が裂ける。
避難していた住民たちが、一斉に逃げ出した。
そのとき、古い井戸の周囲が崩れ落ちた。
「危ない!」
警備隊員が叫ぶ。
だが、逃げ遅れた老人が、亀裂の近くに取り残されていた。
シオンは、屋敷の窓からその光景を見ていた。
「……っ!」
思わず駆け出そうとする。
だが、フィリップが腕を掴んだ。
「シオン!」
「でも、あそこに人が!」
「分かってる!」
フィリップは叫んだ。
「僕たちが行っても、助けられない!」
その言葉に、シオンは足を止めた。
悔しかった。
目の前で人が危険にさらされている。
なのに、自分には何もできない。
そのとき。
広場へ、一人の騎士が駆け込んだ。
王都から同行していた騎士だった。
彼は老人のもとへ走り、身体を抱え上げた。
直後。
井戸の周囲が、大きく崩れ落ちた。
騎士は老人を抱えたまま、地面へ転がった。
間一髪だった。
シオンは、ようやく息を吐いた。
◇
北の谷。
フィオナは、震える手で制御盤を操作していた。
「……逆流を止めないと」
レティシアが叫ぶ。
「どうするの!?」
「閉鎖回路を、村の導管から切り離します!」
「そんなことをしたら、門が……!」
「分かっています!」
フィオナは叫び返した。
「でも、村を壊すわけにはいきません!」
彼女は最後の操作を行った。
星晶石が、激しく光った。
そして。
閉鎖回路が、強制的に切り離された。
巨大な門が震える。
黒い空間が、大きく歪んだ。
次の瞬間。
門の中央に、青白い光が走った。
轟音。
地面が揺れ、空気が震える。
ユリウスは剣を構え、仲間たちの前に立った。
「全員、伏せて!」
光が、谷全体を包み込んだ。
◇
数分後。
北の谷には、静寂が戻っていた。
巨大な門は、まだそこにあった。
だが、黒い空間は消えている。
輪の中央には、薄い光の膜が残っていた。
フィオナは測定器を確認した。
「……開口率、十二パーセント」
レティシアが顔を上げる。
「閉じたの?」
「完全ではありません。でも、魔物が通れる大きさではなくなっています」
ユリウスは、ゆっくりと剣を納めた。
「……ひとまず、成功ですね」
フィオナは頷いた。
「はい。ただし、装置は不安定なままです」
レティシアは、巨大な門を見上げた。
「……完全な修復には、もっと時間が必要ね」
◇
その夜。
クレイヴェル領では、被害の確認が続いていた。
中央広場の一部が崩落。
井戸は使用不能。
民家数棟に損傷。
幸い、今回の事故で新たな死者は出なかった。
エドガーは報告を聞き、深く息を吐いた。
「……そうか」
アルベルトが尋ねる。
「門は?」
「一時的に縮小したそうだ。魔物の侵入も止まっている」
「では……」
「ああ。少なくとも、今夜は眠れる」
エドガーは疲れたように笑った。
◇
数日後。
王都から正式な増援部隊が到着した。
北の谷には常駐の監視隊が置かれ、古代の転送門は王国の管理下に入ることになった。
クレイヴェル領の危機は、ようやく一段落した。
だが、失われたものは戻らない。
亡くなった警備隊員たち。
壊れた家。
使えなくなった橋。
そして、人々の暮らし。
シオンは、屋敷の庭で北の山を見つめていた。
その隣に、ユリウスが立っていた。
「……怖かったですか?」
ユリウスが尋ねる。
「うん」
シオンは頷いた。
「でも、ユリウスさんたちが来てくれて、よかった」
ユリウスは微笑んだ。
「私たちだけでは、何もできませんでしたよ」
「え?」
「あなたのお父上が避難を進め、ダリオ殿が設備を調べ、フィオナが回路を解析した。あなたも、異常に気づいて知らせてくれた」
ユリウスは北の山を見つめた。
「誰か一人の力で、すべてを守れるわけではありません」
シオンは、その言葉を胸に刻んだ。
◇
それから、一年が過ぎた。
クレイヴェル領では、復興が進んでいた。
南の橋は仮設橋に置き換えられ、中央広場には新しい井戸が掘られた。
魔力灯も、王都の技術者たちによって安全な設備へ交換されている。
北の谷の門は、今も厳重に管理されていた。
そして。
シオン・クレイヴェルは、十歳になっていた。
以前より少し背が伸び、顔つきも少年らしくなっている。
彼は、屋敷の庭で木剣を握っていた。
「……もう一度!」
アルベルトの声が響く。
シオンは、汗を拭いながら構え直した。
あの日から、彼は決めていた。
次に何かが起きたとき。
ただ見ているだけではなく、自分にできることを増やしたい。
そのために、少しずつ学び、鍛えていこうと。
そして、その日。
王都から、一通の手紙が届いた。
差出人は、王立魔導技術院。
宛名には、こう書かれていた。
『シオン・クレイヴェル殿』
手紙の内容は、魔力適性の正式な検査への招待だった。
ユリウス、レティシア、フィオナのイメージ添付しました。




