白銀の騎士
北の林で二人の警備隊員が命を落とした翌朝、クレイヴェル家の食堂に笑い声はなかった。
エドガーは夜明け前に出かけ、亡くなった二人の家族を訪ねていた。
マリアは避難所へ。エリシアも彼女に同行している。
アルベルトは左腕を固定され、医師から絶対安静を言い渡された。
「アルベルト兄さん、今日は寝てなきゃ駄目だよ」
フィリップが言うと、アルベルトは不満そうに顔をしかめた。
「分かっている」
「昨日もそう言って外へ出たじゃないか」
「……昨日は事情が違う」
「今日も事情が違うって言うつもりだろ?」
アルベルトは返事をしなかった。
シオンは二人のやり取りを聞きながら、冷めかけたスープを口に運んだ。
窓の外では、村人たちが倒壊した家屋の片づけを始めている。
昨夜まで、誰かが暮らしていた家だ。
その事実が、胸に重く残っていた。
◇
午前十時。
王都から、二台目の馬車が到着した。
馬車の扉には、王国魔導騎士団の紋章が描かれている。
出迎えたフィリップは、馬車から降りてきた人物を見て、思わず息を呑んだ。
美しい女性だった。
肩にかかる白い髪は、陽光を受けて柔らかく輝いている。長い睫毛に縁取られた紫水晶の瞳、すっと通った鼻筋、白磁のような肌。
その顔立ちは、まるで精巧な人形のように整っていた。
背は高く、白銀の軽鎧をまとっている。細い腰に、優雅な身のこなし。
騎士というより、物語に登場する姫君のようだった。
「クレイヴェル男爵は、こちらにおられますか?」
澄んだ声で尋ねられ、フィリップは慌てて姿勢を正した。
「父はただいま外出しております。王都からお越しの方でしょうか?」
「はい。王国魔導騎士団から参りました」
「そうでしたか。遠いところをありがとうございます。女性の騎士様がいらっしゃるとは思わず……」
その瞬間、相手がわずかに目を瞬かせた。
「……ああ」
何かを察したように、小さく微笑む。
「申し訳ありません。一つ、訂正させてください」
「はい?」
「私は男です」
「…………え?」
フィリップの思考が止まった。
目の前の美しい人物を、もう一度見つめる。
白い髪。
長い睫毛。
細い腰。
整いすぎた顔立ち。
どう見ても、美しい女性にしか見えない。
「……男性、ですか?」
「ええ。生まれたときから」
青年は涼しい顔で答えた。
その後ろにいた騎士が、慣れた様子で視線を逸らす。
「も、申し訳ありません!」
フィリップは慌てて頭を下げた。
「いえ、お気になさらず。よくあることですから」
青年は穏やかに微笑んだ。
だが、その笑顔があまりにも美しく、フィリップはますます混乱した。
「改めまして。アルセリア王国魔導騎士団副団長、ユリウス・フォン・エーデルと申します」
ユリウスは胸に手を当て、優雅に一礼した。
「北の谷で発生した異常について、王都から派遣されました」
「ク、クレイヴェル男爵家の次男、フィリップです。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ」
フィリップは案内のために歩き出した。
その背後で、同行の騎士がユリウスに小声で囁く。
「副団長。また間違われましたね」
「数えていませんよ」
「今回で何人目でしょう?」
「……仕事をしてください」
ユリウスの声は穏やかだったが、少しだけ冷たかった。
騎士は慌てて口を閉じた。
◇
馬車から、もう一人の人物が降りてきた。
黒い外套をまとった、小柄な少女だった。
淡い金髪を肩のあたりで切り揃え、澄んだ紫色の瞳をしている。
年齢は十代後半ほど。
大きな鞄を抱え、その中には魔導器具がぎっしりと詰め込まれていた。
「フィオナ・リュミエールです。王立魔導技術院から同行しました」
少女は軽く頭を下げた。
「門の魔力構造を調べるために来ました」
フィリップは、今度こそ落ち着いて挨拶を返した。
「よろしくお願いします」
フィオナは頷いた。
そして、屋敷の方を見つめる。
「……ここにも、古い魔力の流れが残っていますね」
フィリップは驚いた。
「分かるんですか?」
「測定器が反応しています」
フィオナは鞄から小さな器具を取り出した。
透明な球体の中で、淡い光が揺れている。
「……興味深いです」
その言葉に、フィリップは苦笑した。
どうやら、王都から来た研究者たちは、皆少し変わっているらしい。
◇
レティシアは、二人の到着を聞くと、すぐに執務室へ向かった。
「ユリウス!」
「レティシア殿。ご無事で何よりです」
「無事じゃないわよ。採石場で死にかけたんだから」
レティシアは包帯を巻いた腕を見せた。
ユリウスは眉を寄せた。
「報告より、状況は深刻なようですね」
「ええ。門は完全に開いた。しかも、向こう側から魔物が出てきている」
フィオナが顔を上げた。
「魔物の残留物はありますか?」
「採取してあるわ」
「見せてください」
フィオナは即座に答えた。
その目には、研究者特有の強い好奇心が宿っていた。
レティシアは苦笑した。
「……あなた、相変わらずね」
「未知の現象を調べるのが仕事ですから」
フィオナは真顔で答えた。
◇
昼過ぎ。
屋敷の会議室に、主要な関係者が集まった。
エドガー、アルベルト、ダリオ、レティシア、ユリウス、フィオナ。
そして、シオンとフィリップも同席していた。
レティシアが地図を広げる。
「まず、現状を整理します」
彼女は北の谷を指差した。
「転送門は開いたまま。向こう側から魔物が侵入しています」
ユリウスが続けた。
「王国軍の増援は、早くても三日後です。それまでに被害が拡大する可能性があります」
エドガーは眉を寄せた。
「三日も待てない」
「承知しています」
ユリウスは頷いた。
「ですから、我々で門を封鎖します」
部屋が静まり返った。
ダリオが尋ねる。
「方法はあるのですか?」
「完全な封鎖方法は、まだ分かっていません」
ユリウスは率直に答えた。
「ですが、魔力供給を正常化できれば、門の開口を縮小できる可能性があります」
フィオナが資料を広げた。
「問題は、門の制御回路が破損していることです」
彼女は複雑な図を示した。
「通常の魔導技術では、回路を読み取れません」
レティシアがシオンを見た。
「……そこで、シオン君の力を借りたい」
エドガーの表情が変わった。
「九歳の子どもを、危険な場所へ連れていくつもりか?」
「いいえ」
レティシアは首を振った。
「現地へ行かせるつもりはありません。魔力の流れを、ここで説明してもらうだけです」
エドガーは、少し考えてから頷いた。
「……それなら、構わない」
◇
フィオナは、シオンの前に小さな魔導器具を置いた。
透明な球体の中に、細い光の線が浮かんでいる。
「これ、見える?」
フィオナが尋ねた。
「うん」
「線は何本?」
「……五本」
フィオナは目を見開いた。
「本当に?」
「うん。青いのが三本、金色が一本、それから……黒っぽいのが一本」
フィオナは、すぐに記録を取り始めた。
「……すごい」
レティシアが笑った。
「でしょう?」
フィオナはシオンを見つめた。
「あなた、魔力の位相が見えているのかもしれない」
「位相?」
「魔力の流れ方の違い。普通は、測定器がないと分からないの」
シオンは首を傾げた。
「でも、僕には見えるよ」
「だから、すごいの」
フィオナは少し笑った。
その笑顔は、研究の話をしているときのレティシアに、どこか似ていた。
◇
その日の夕方。
ユリウスは、村の北側に臨時の防衛線を築いた。
王都から同行した騎士たちは、手際よく柵を設置していく。
アルベルトも現場へ向かおうとしたが、ユリウスに止められた。
「負傷者は休んでください」
「しかし……」
「あなたが倒れれば、領地の指揮に支障が出ます」
ユリウスは穏やかに言った。
「今は、我々に任せてください」
アルベルトは、しばらく黙っていた。
そして、頷いた。
「……頼みます」
◇
翌朝。
北の谷へ向かったのは、ユリウス、レティシア、フィオナ、ダリオ、騎士四名。
シオンは屋敷で待機していた。
フィオナは、出発前にシオンから聞き取った魔力の流れを図にまとめている。
「……この黒い線が、門の外側から流れ込んでいる魔力だとすると」
彼女は呟いた。
「門は、ただ開いているだけじゃない」
レティシアが尋ねた。
「どういうこと?」
「向こう側の魔力が、こちらの回路に干渉している可能性があります」
ユリウスは剣の柄に手を置いた。
「つまり、放置すれば?」
「門がさらに広がるかもしれません」
その言葉に、全員が表情を引き締めた。
◇
北の谷。
巨大な門は、昨日よりもさらに大きく開いていた。
黒い空間の向こうには、見知らぬ景色が広がっている。
荒れ果てた大地。
赤黒い空。
そして、遠くに見える巨大な塔。
「……あれが、向こう側の世界?」
フィオナが呟いた。
レティシアは首を振った。
「分からない。別の場所かもしれないし、別の世界かもしれない」
ユリウスは周囲を警戒していた。
「……何か来ます」
門の奥で、影が動いた。
灰色の魔物が三体、ゆっくりと現れる。
ユリウスは剣を抜いた。
「全員、下がってください」
魔物が飛びかかる。
だが、ユリウスは一歩も退かなかった。
銀色の剣が閃く。
一体目の魔物が、真っ二つに裂けた。
二体目が腕を伸ばす。
ユリウスは身体をひねり、その腕をかわした。
続けて、剣を突き出す。
魔力をまとった刃が、魔物の胸を貫いた。
三体目は、騎士たちの連携で倒された。
戦闘は、わずか数十秒で終わった。
ダリオは呆然としていた。
「……これが、王国の魔導騎士」
ユリウスは剣を納めた。
「まだ終わっていません」
その視線は、門の奥へ向けられていた。
◇
フィオナは、門の制御盤を調べ始めた。
レティシアとダリオが補助する。
古い回路は複雑だったが、シオンが描いた魔力の流れと照合すると、少しずつ構造が見えてきた。
「……見つけた」
フィオナが呟いた。
「何を?」
レティシアが尋ねる。
「閉鎖回路です」
フィオナは指を差した。
「ここを修復すれば、門を閉じられるかもしれません」
ダリオが顔を上げた。
「修復に必要なものは?」
「高純度の星晶石と、魔力を安定させる触媒です」
レティシアは考え込んだ。
「高純度の星晶石なら、王都から持ってきている」
「触媒は?」
「……それが問題ね」
フィオナは、しばらく黙っていた。
そして、門の奥を見つめた。
「……もしかすると」
レティシアが尋ねる。
「何?」
「向こう側の魔力を、逆に利用できるかもしれません」
ユリウスが振り向いた。
「危険では?」
「危険です。でも、理論上は可能です」
フィオナは真剣な表情で続けた。
「門を開いている力を、門を閉じるために使うんです」
◇
その夜。
屋敷では、門の封鎖作戦が決定された。
翌朝、王都から持ち込まれた星晶石を使用し、閉鎖回路を修復する。
成功すれば、門は閉じる。
失敗すれば、さらに大きな異常が起きる可能性がある。
エドガーは、全員の顔を見渡した。
「……頼む」
ユリウスは頷いた。
「必ず、できる限りのことをします」
フィオナも、静かに頷いた。
「準備は整っています」
レティシアは腕を組んだ。
「明日で、終わらせましょう」
シオンは、その言葉を聞きながら、窓の外を見つめていた。
北の空には、まだ青白い光が浮かんでいる。
だが、今は一人ではない。
父も、兄たちも、ダリオも。
王都から来た人たちも。
それぞれが、自分にできることをしている。
シオンは、小さく息を吐いた。
明日。
すべてが、終わるかもしれない。
そして。
そこから、何かが始まるのかもしれなかった。




