王都から来た魔導士
王都からの馬車がクレイヴェル領に到着したのは、南の橋が崩落してから四日後のことだった。
先頭の馬車には王国の紋章が描かれ、その後ろには機材を積んだ荷車が二台続いている。
「ずいぶん早かったな」
屋敷の玄関で、エドガーが呟いた。
馬車の扉が開き、一人の女性が降りてくる。
濃紺の外套。腰には革製の道具袋。肩まで伸びた赤褐色の髪を無造作に束ねている。
年齢は二十代後半ほどだろうか。
「クレイヴェル男爵ですね?」
女性は書類を差し出した。
「王立魔導技術院、調査官のレティシア・ヴァインです。古代魔導設備の調査を担当しています」
エドガーは書類を確認した。
「遠路ご苦労だった。状況は聞いているか?」
「報告書は読みました。ただ、正直に言えば、半分も信じていません」
「……どういう意味だ?」
「二十八年前に廃止された導管が動き、村の設備へ魔力を送り続けている。さらに、採石場には用途不明の巨大装置がある」
レティシアは肩をすくめた。
「普通なら、報告書の間違いを疑います」
エドガーは苦笑した。
「残念ながら、すべて事実だ」
「なら、面白い仕事になりそうですね」
その言葉に、アルベルトが眉をひそめた。
「領民が負傷しています。面白いという表現は控えていただきたい」
レティシアは一瞬、目を見開いた。
そして、すぐに頭を下げた。
「失礼しました。研究者としての悪い癖です」
顔を上げた彼女の表情は、先ほどまでとは違っていた。
「まずは人命を優先します」
◇
レティシアの調査は、驚くほど速かった。
到着したその日のうちに、彼女は水車小屋、北通り、南の橋を確認した。
同行したダリオは、彼女の手際に感心していた。
「こんな測定器があるんですね」
「王都でも数台しかありません。古い魔導回路の残留反応を調べるためのものです」
レティシアは銀色の器具を操作した。
透明な板の上に、複数の線が浮かび上がる。
「……やっぱり」
「何か分かったんですか?」
「これらの設備は、同じ種類の魔力を受けています」
ダリオの表情が変わった。
「採石場から?」
「おそらく。ただし、正確には採石場の装置を経由しているだけです」
「どういうことです?」
「供給源は、もっと奥にある」
レティシアは北の山を見上げた。
「谷の装置を確認しましょう」
◇
翌朝。
北の谷へ向かったのは、レティシア、ダリオ、アルベルト、護衛二名。
シオンは屋敷で待機する予定だった。
しかし、出発直前、レティシアが声をかけた。
「あなたがシオン君?」
「……はい」
「魔力の流れが糸のように見えると報告した子ね」
シオンは驚いた。
「知ってるんですか?」
「報告書に書いてあったから」
レティシアはしゃがみ、目線を合わせた。
「少し質問してもいい?」
「うん」
「魔力灯の中で見えた糸は、何色だった?」
「……青白いのが多かった。でも、一本だけ、少し暗い色だった気がする」
「その糸は、どんな動きをしていた?」
「二回、震えた」
レティシアの目が細くなった。
「……なるほど」
「何か分かったの?」
「まだ。でも、あなたの話は興味深い」
彼女は立ち上がった。
「ただし、無理に見ようとしないこと。頭痛が出るなら、体に負担がかかっている可能性がある」
「分かりました」
レティシアは頷いた。
「今日は連れていけないけど、帰ったら調査結果を話してあげる」
シオンは少し残念だったが、素直に頷いた。
◇
北の谷。
巨大な金属の輪は、昨日よりも大きく露出していた。
地面には亀裂が広がり、周囲の石壁は崩れかけている。
レティシアは装置を一目見るなり、足を止めた。
「……冗談でしょう」
ダリオが尋ねる。
「何か分かるんですか?」
「これは、古代の転送門です」
アルベルトが息を呑んだ。
「転送門?」
「空間をつなぐための装置です。ただし、現在の技術では再現できません」
レティシアは慎重に測定器を近づけた。
透明な板に、複雑な模様が浮かび上がる。
「……しかも、封鎖状態を維持するための魔力が不足しています」
「不足?」
ダリオが眉を寄せた。
「採石場では、魔力が増えているはずですが」
「量の問題ではありません。流れ方が乱れているんです」
レティシアは装置を指差した。
「本来、この門は一定の周期で魔力を循環させる仕組みだったのでしょう。ところが、後から接続された村の設備が、その流れを乱している」
「……では、村の設備を止めれば?」
「逆です。急に止めたことで、さらに不安定になった可能性があります」
アルベルトは顔をしかめた。
「元に戻せますか?」
「完全には難しいでしょう。でも、応急的に安定させる方法はあります」
レティシアは道具袋から、小さな星晶石を取り出した。
「補助回路を設置して、魔力の流れを調整します」
ダリオが驚いた。
「そんなことが可能なんですか?」
「理論上は。ただし、成功する保証はありません」
レティシアは静かに続けた。
「それでも、何もしなければ門が開く可能性があります」
アルベルトは即座に判断した。
「父上に連絡します。周辺の立ち入りを完全に禁止し、必要な人員を集めましょう」
◇
その日の午後。
レティシアは採石場の装置に補助回路を設置した。
作業には、ダリオと王都から来た技術者二名が参加した。
アルベルトは安全確保を担当し、作業員たちを離れた場所に待機させている。
「準備は?」
「完了です」
レティシアは頷いた。
「では、始めます」
補助回路が淡く光った。
採石場の巨大な星晶石から、細い光の筋が伸びる。
測定器の数値が変化した。
「……流れが整い始めています」
ダリオが声を上げた。
レティシアは慎重に操作を続けた。
数分後。
採石場を満たしていた低い振動音が、少しずつ弱まっていく。
「……成功ですか?」
技術者が尋ねた。
「まだ。谷の装置を確認しないと」
レティシアは測定器を見つめた。
そのとき。
透明な板に、一本の黒い線が浮かんだ。
「……何?」
レティシアの表情が変わった。
黒い線は、他の魔力の流れとは逆方向へ伸びていた。
まるで、何かが外から入り込もうとしているように。
「……まずい」
レティシアが呟いた。
「全員、離れて!」
次の瞬間。
採石場の奥で、巨大な音が響いた。
ドォン!
地面が揺れ、天井から石が落ちてくる。
「退避!」
アルベルトが叫んだ。
作業員たちは、急いで出口へ向かった。
レティシアは補助回路を切ろうとした。
だが、装置が反応しない。
「……制御できない!」
巨大な星晶石が、青白く発光する。
光は採石場の天井へ伸び、岩盤を照らした。
そして、その奥から。
何かが、低く唸るような音が聞こえた。
◇
同じ頃。
屋敷の庭にいたシオンは、突然、強い頭痛に襲われた。
「……っ!」
膝をつき、額を押さえる。
目の前の景色が、わずかに歪んだ。
そして、見えた。
空中に浮かぶ、無数の細い糸。
それらは、北の山へ向かって伸びている。
青白い糸。
淡い金色の糸。
そして、その中に一本だけ混じる、暗い色の糸。
「……あれは」
シオンは息を呑んだ。
暗い糸は、他の糸とは逆方向へ動いていた。
北の山から、村へ。
ゆっくりと。
しかし、確実に。
「……来る」
シオンは呟いた。
何が来るのかは分からない。
けれど、何かが近づいている。
そのとき、背後から声がした。
「シオン兄さま?」
ミリアだった。
「どうしたの?」
シオンは振り向いた。
妹は、不安そうにこちらを見つめている。
シオンは立ち上がろうとした。
だが、足に力が入らない。
「……ミリア」
「兄さま?」
「母上を呼んできて」
ミリアは目を見開いた。
「どうして?」
「……北の山から、何かが来る」
ミリアは一瞬、動かなかった。
そして、すぐに屋敷へ駆け出した。
「母上ー!」
シオンは、再び北の山を見つめた。
空に浮かぶ暗い糸は、少しずつ太くなっていた。
そして。
遠くの山の向こうで、青白い光が弾けた。
その瞬間、シオンは確信した。
何かが、変わった。
もう、元には戻れないほどに。




