守れなかった灯り
村の魔力灯が一斉に消えたとき、最初に聞こえたのは歓声だった。
「止まったぞ!」
「もう破裂しないんじゃないか?」
北通りでは、住民たちが暗くなった灯りを見上げていた。
だが、その安堵は長く続かなかった。
広場の共同井戸が停止し、製粉場の魔力補助装置も動かなくなった。診療を行う薬師の家では、薬品を保存する保冷箱の温度が上がり始めている。
そして、村の南側。
古い石橋の上で、一台の荷車が立ち往生していた。
「動かないぞ!」
御者が叫ぶ。
荷車には、小麦の袋が山積みになっていた。
車輪の一つが、橋の継ぎ目に深くはまり込んでいる。
荷車を押そうと、二人の男が後ろへ回った。
「せーの!」
車体が大きく揺れる。
その瞬間。
橋の下から、鈍い音が響いた。
ゴキン。
石橋の縁に、細い亀裂が走った。
「……おい」
男の一人が顔を上げる。
次の瞬間、橋の一部が崩れ落ちた。
「逃げろ!」
叫び声とともに、荷車が傾く。
御者は手綱を放して飛び退いた。
だが、荷車を押していた若い男が、逃げ遅れた。
「うわああっ!」
崩れた石とともに、男の身体が橋の下へ落ちていった。
◇
「南の橋が崩れた!?」
屋敷の執務室で、エドガーは立ち上がった。
報告に来た使者は、顔を青くしていた。
「はい! 荷車が落下し、作業していた男が一人、川へ転落しました!」
「救助は?」
「村の者たちが向かっています!」
エドガーはすぐに命じた。
「アルベルトに知らせろ! 橋の両側を封鎖するんだ!」
「承知しました!」
「マリア、薬師を呼んでくれ。負傷者が出るかもしれない」
「分かりました」
マリアはすぐに動いた。
エリシアも、必要な布や水を準備し始める。
フィリップは地図を広げた。
「父上、南の橋が使えないと、東街道からの荷車が通れないよ」
「……そうだな」
「食料の追加も、今日届く予定だったんだ」
エドガーは眉を寄せた。
魔力灯の異常。
井戸の停止。
そして、橋の崩落。
問題は、一つでは終わらない。
シオンは、部屋の隅でそのやり取りを聞いていた。
橋。
以前、父の帳簿で見た場所だった。
魔力灯の交換費用と、橋の補修費用。
どちらを優先するか、父が悩んでいた。
その橋が、今、崩れた。
胸の奥が冷たくなった。
◇
南の橋では、必死の救助活動が行われていた。
「いたぞ!」
川岸から声が上がる。
落下した若い男は、崩れた石の間に挟まれていた。
意識はある。
だが、足が動かない。
「痛い……! 足が……!」
「大丈夫だ! 今、助ける!」
アルベルトは川へ入り、男のそばへ向かった。
水は冷たく、流れも速い。
だが、幸い水深は浅かった。
「名前は?」
「……トーマです」
「トーマ、聞こえるな。今から石を動かす。少し我慢してくれ」
アルベルトは周囲の男たちに指示した。
「この石を支えてくれ! 急に動かすな!」
数人が力を合わせ、崩れた石を少しずつ持ち上げる。
トーマが苦痛に顔を歪めた。
「もう少しだ!」
アルベルトは男の身体を支えた。
そして、ようやく石の下から引き出した。
「運べ!」
担架が用意され、トーマは川岸へ運ばれた。
薬師がすぐに診察を始める。
「足の骨が折れている可能性があります。すぐに固定しましょう」
アルベルトは息を吐いた。
命は助かった。
だが、橋は大きく損傷している。
そして、荷車に積まれていた小麦の多くは、川へ流されてしまった。
◇
夕方。
屋敷では、被害の報告が続いていた。
「南の橋は、当面通行不能です」
アルベルトが告げる。
「トーマの容体は?」
エドガーが尋ねた。
「足を骨折していますが、命に別状はないそうです」
「そうか……」
エドガーは深く息を吐いた。
フィリップが続ける。
「東街道からの物資は、北の迂回路を使えば運べるかもしれない。でも、道が悪いから時間がかかる」
「どれくらいだ?」
「二日以上は余分にかかると思う」
「……分かった。商人たちに連絡してくれ」
エドガーは頷いた。
そのとき、ダリオが部屋に入ってきた。
「エドガー様、採石場の件でご報告があります」
「どうだった?」
「調整弁を動かしたことで、村へ流れる魔力は大きく減りました」
「では、設備の暴走は収まったのか?」
「今のところは。ただし、採石場の装置に負荷が集中しています」
ダリオは図面を広げた。
「このままでは、採石場か北の谷で大きな異常が起きる可能性があります」
「止める方法は?」
「王都から専門家が来るまで、無理に操作しない方がいいでしょう」
エドガーは頷いた。
「……分かった」
だが、その表情は険しかった。
村の設備を守るために流量を下げた。
その結果、別の場所に負荷が集中した。
問題は、形を変えて続いている。
◇
夜。
シオンは、屋敷の廊下でフィリップと話していた。
「兄さん、南の橋って、前から傷んでたんだよね」
「うん。父上も補修したがってた。でも、予算が足りなかったんだ」
「……そうなんだ」
シオンは俯いた。
魔力灯の交換。
橋の補修。
井戸の整備。
どれも必要だった。
けれど、全部はできなかった。
「シオン」
フィリップが声をかけた。
「何?」
「父上が悪いわけじゃないよ」
シオンは顔を上げた。
「……分かってる」
「領地のお金には限りがある。全部直せたらいいけど、そうはいかないんだ」
フィリップは少し笑った。
「だから、僕は商人になって、もっとお金を稼げるようになりたいんだ」
「兄さんが?」
「そう。領地に人や物が集まれば、税収も増えるだろ? そうすれば、橋も灯りも直せる」
シオンは思わず笑った。
「兄さんらしいね」
「だろ?」
二人は小さく笑い合った。
けれど、シオンの胸の奥には、まだ重たいものが残っていた。
前世の自分は、数字の向こうにいる人間を、どれほど意識していただろう。
予算。
費用。
優先順位。
それらは、ただの数字ではない。
誰かの暮らしと、直接つながっている。
今日、橋から落ちたトーマのように。
◇
翌朝。
シオンは、屋敷の庭でアルベルトに声をかけられた。
「シオン、少しいいか?」
「何?」
「昨日の橋の事故について、気になっていることがある」
アルベルトは真剣な表情だった。
「橋が崩れたのは、荷車の重さだけが原因ではないかもしれない」
「どういうこと?」
「崩れた石の一部に、古い魔力導管が埋め込まれていたんだ」
シオンは目を見開いた。
「……導管?」
「ああ。今は使われていないと思われていたものだ」
アルベルトは続けた。
「昨日、村の魔力が一斉に止まった。その直後に、橋が崩れた」
シオンは息を呑んだ。
「……関係があるの?」
「分からない。だが、偶然と決めつけることもできない」
アルベルトは静かに言った。
「ダリオに調べてもらうつもりだ」
シオンは頷いた。
古い導管。
採石場。
北の谷。
そして、南の橋。
異常は、思っていた以上に広い範囲へ及んでいるのかもしれない。
◇
同じ頃。
北の谷では、誰もいない広場に青白い光が浮かんでいた。
金属の輪の中央に、薄い膜が広がっている。
その向こうには、暗い空間が見えた。
だが、今度は少し違っていた。
膜の奥で、何かが動いた。
影のようなもの。
人の形にも、獣の形にも見える。
それは、ゆっくりと膜へ近づいてきた。
そして。
コツン。
小さな音が響いた。
まるで、向こう側から何かが触れたように。
光の膜が揺れた。
一度。
少し間を置いて、もう一度。
やがて、影は消えた。
広場には、再び静寂が戻った。
だが、金属の輪の表面には、新しい亀裂が走っていた。




