伯爵領の真実
証拠を見つけることと、証拠を守ることは違う。
その当たり前の事実を、俺たちは少し甘く見ていたのかもしれない。
ベルハルト伯爵領に到着して三日目。
俺たちは、ようやく地下施設へ続く手がかりをつかんだ。
だが、相手もこちらの動きを把握している。
もし秘密組織が証拠を消そうとしているなら、残された時間は少ない。
……問題は、どうやって動くかだ。
◇
朝。
伯爵邸の調査室では、レティシアさんたちが夜明け前から資料を広げていた。
「……シオン君、ちょうどよかったわ」
俺が部屋へ入ると、レティシアさんが手招きした。
「何か分かったんですか?」
「ええ。ようやく、つながったの」
机の上には、三枚の図面が並んでいた。
一枚目は、伯爵領北部の古代施設。
二枚目は、伯爵邸北棟の地下倉庫。
三枚目は、閉鎖された鉱山の古い坑道図だ。
エリオットが、透明な紙をその上に重ねた。
「昨日、北棟の魔導陣を詳しく調べただろ?」
「ああ」
「あれ、侵入者を検知するだけじゃなかったんだ」
エリオットは、回路の一部を指さした。
「検知した魔力の特徴を、別の場所へ送ってる」
「……どこへ?」
「公開施設を経由して、鉱山の地下だよ」
俺は、思わず図面を見つめた。
「……やっぱり、全部つながっていたのか」
フィオナさんがうなずいた。
「魔力の流れを比較したところ、三つの設備には共通する周期的な変動がありました」
「同じ装置につながっている?」
「その可能性が高いです。ただし、地下に何があるかまでは分かりません」
レティシアさんが、古い坑道図の端を指さした。
「それと、もう一つ。ここの記載が妙なのよ」
そこには、かすれた古代文字が残っていた。
「……何て書いてあるんですか?」
「『第六観測区画への搬入路』。そう読めるわ」
俺は、息をのんだ。
第六観測記録。
秘密組織が奪った補助鍵。
そして、閉鎖された鉱山。
ようやく、一つの線でつながった。
「……でも、この地図はどこから?」
俺が尋ねると、エリオットが苦笑した。
「伯爵家が昨日提出してくれた資料の中にあったんだ」
「……え?」
「新しい図面には載ってないけど、古い図面には残ってた」
俺は、思わず頭を抱えた。
……隠すなら、もっと徹底的に隠してくれ。
いや、違う。
大量の資料を渡すことで、こちらが見落とすと考えたのかもしれない。
あるいは、古代文字を読める人間がいるとは思わなかったのか。
「……ハロルド卿に報告しましょう」
俺が言うと、レティシアさんはうなずいた。
「ええ。ただ、少し急いだ方がいいわ」
「……どうしてですか?」
「この搬入路、最近の地図では埋められたことになっているの」
彼女は、別の図面を重ねた。
「でも、地下へ流れる魔力は止まっていない。もし通路が今も使われているなら、誰かが記録を偽っていることになるわ」
俺は、静かにうなずいた。
……ようやく、調査を進める根拠ができた。
◇
午前九時。
ハロルド卿は、ベルハルト伯爵と向かい合っていた。
机の上には、古い坑道図と保全費用の支出記録が置かれている。
「……伯爵閣下」
ハロルド卿が、静かに口を開いた。
「閉鎖鉱山の第六観測区画について、ご説明いただきたい」
伯爵は、わずかに眉を上げた。
「……第六観測区画?」
「はい」
ハロルド卿は、図面を差し出した。
「古代遺跡保全費用の対象施設に関連する区画として、過去の図面に記載されています」
伯爵は、しばらく資料を見つめていた。
そして、静かに答えた。
「……そのような区画があったとは、存じませんでした」
……また、知らない。
俺は、内心でため息をついた。
だが、今回は少し違った。
「では、こちらについてはいかがでしょう」
ハロルド卿は、別の書類を差し出した。
「閉鎖後も、坑道の換気設備と排水設備に保全費用が支出されています」
伯爵の視線が、書類へ落ちた。
「……それは、崩落や浸水を防ぐためでしょう」
「通常なら、その説明で問題ありません」
ハロルド卿は、落ち着いた声で続けた。
「ですが、現地の点検記録には、設備の稼働状況が記載されていません」
伯爵は、黙っていた。
「さらに、昨年度の支出には『観測区画周辺の保護回路更新』という項目があります」
ハロルド卿は、伯爵を見た。
「これは、閉鎖された坑道の安全対策として、どのような必要性があったのでしょうか」
沈黙。
伯爵は、しばらく考え込んだ。
やがて、静かに口を開いた。
「……管理責任者に確認させましょう」
……やっぱり、そう来たか。
だが。
「その必要はありません」
ハロルド卿が答えた。
伯爵の表情が、わずかに変わった。
「……と、申しますと?」
「管理責任者には、すでに確認しています」
ハロルド卿は、一枚の調書を置いた。
「昨夜、担当者から事情を聴きました。本人は、その工事を発注していないと証言しています」
……なるほど。
昨日のうちに、裏を取っていたのか。
俺は、少しだけ感心した。
ハロルド卿は続けた。
「さらに、支出の承認欄には、王宮施設管理部のオルフェン子爵の名があります」
伯爵の目が、わずかに細くなった。
「……オルフェン子爵」
「はい」
ハロルド卿は、静かにうなずいた。
「現在、逃亡中の人物です」
部屋の空気が、重くなった。
伯爵は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
その声からは、先ほどまでの穏やかさが少し失われていた。
「……つまり、私がその人物と共謀したと?」
「そこまでは申し上げておりません」
ハロルド卿は答えた。
「ですが、調査対象となっている施設への立ち入りが必要です」
伯爵は、静かに目を閉じた。
数秒後。
「……分かりました」
彼は、ゆっくりとうなずいた。
「閉鎖鉱山への立ち入りを認めましょう」
……え?
俺は、思わず顔を上げた。
あまりにも、あっさりしている。
伯爵は、俺たちを見渡した。
「ただし、崩落の危険があります。安全確認は十分に行ってください」
そして、静かに続けた。
「……私は、何も隠しておりませんから」
……その言葉が、本当ならいいんだけどな。
◇
昼前。
俺たちは、閉鎖鉱山の入口に到着した。
山の斜面に、大きな坑道が口を開けている。
周囲には古い採掘設備が残り、錆びた鉄柵が風に揺れていた。
だが、俺が気になったのは、別のことだった。
「……ヴァルターさん」
「何だ?」
「ここ、最近も使われていますよね」
「ああ」
ヴァルターさんは、短くうなずいた。
地面には、比較的新しい車輪の跡が残っていた。
さらに、坑道の入口付近には、最近交換されたと思われる木材が使われている。
「……閉鎖された鉱山にしては、手入れが良すぎる」
ヴァルターさんが言った。
リシアが、周囲を見回した。
「……人の気配もあるわね」
「……どこに?」
俺が尋ねる。
「奥の方。風の流れが少し変なの」
エルフの感覚は、こういう場所で頼りになる。
アイリスさんが、剣の柄に手を置いた。
「……警戒を強めましょう」
ハロルド卿がうなずいた。
「調査隊は二班に分ける。記録係と非戦闘員は入口付近で待機。内部調査は必要最小限の人数で行う」
……合理的だ。
俺たちは、慎重に坑道へ入った。
◇
坑道の内部は、想像していたよりも広かった。
古い支柱。
湿った石壁。
そして、奥へ続く暗い通路。
魔導灯の光が、ゆっくりと壁を照らしていく。
「……この先ね」
レティシアさんが、古い地図を確認した。
「第六観測区画へ続く搬入路は、右側の坑道にあるはずよ」
俺たちは、慎重に進んだ。
やがて、通路の奥に大きな石壁が現れた。
……行き止まり?
「……埋められていますね」
俺が言うと、エリオットが壁へ近づいた。
「……いや」
彼は、表面を慎重に観察した。
「これ、普通の岩じゃない」
「……どういうことだ?」
「表面に、古代魔導回路がある」
レティシアさんが、すぐに確認した。
「……本当ね」
彼女は、壁に刻まれた文字を指さした。
「これは、封鎖用の回路じゃないわ」
「……じゃあ?」
「……扉よ」
俺は、思わず息をのんだ。
……扉。
閉鎖された坑道の奥に、古代文明の扉がある。
フィオナさんが、解析用の魔導具を取り出した。
「……内部から魔力反応があります」
「……開けられますか?」
俺が尋ねる。
「可能性はあります。ただし、無理に操作すると危険です」
エリオットが、回路を確認した。
「……これ、外部からの操作を受け付けない構造になってる」
俺は、眉をひそめた。
「……じゃあ、どうする?」
「……内部から開けてもらうしかない」
その瞬間。
――ゴウン。
低い音が響いた。
石壁の表面に、青白い光が走る。
「……っ!」
俺たちは、一斉に身構えた。
石壁が、ゆっくりと左右へ動き始める。
そして。
その奥から、冷たい空気が流れ出した。
……開いた?
俺は、思わず剣の柄に手を置いた。
ヴァルターさんが、低い声で言った。
「……全員、下がれ」
俺たちは、すぐに距離を取った。
扉の向こう。
暗い通路の奥に、人影が見えた。
◇
「……ようこそ」
低い声が響いた。
黒い外套を着た男が、ゆっくりと姿を現した。
その背後には、武装した男たちが並んでいる。
……やっぱり、待ち構えていたか。
ヴァルターさんが、一歩前へ出た。
「……お前たちは何者だ」
黒い外套の男は、静かに笑った。
「……ただの研究者の協力者ですよ」
「……研究者?」
「ええ」
男は、背後の通路を示した。
「古代文明の遺産を調べているだけです」
ハロルド卿が、前へ出た。
「王国監察官、ハロルド・セインだ」
彼は、王命書を示した。
「この施設は、王国の保全費用の対象となっている可能性がある。管理責任者を呼んでほしい」
黒い外套の男は、しばらく書類を見つめていた。
そして、静かに答えた。
「……申し訳ありませんが、それはできません」
……やっぱり。
俺は、剣の柄を握った。
「……理由は?」
ハロルド卿が尋ねる。
「……ここから先は、関係者以外立ち入り禁止です」
男は、穏やかに答えた。
ハロルド卿は、静かに言った。
「王命に基づく調査だ」
「……存じております」
男は、わずかに笑った。
「ですが、王命が届かない場所もあるのですよ」
……何だと?
俺は、思わず眉をひそめた。
その瞬間。
黒い外套の男が、右手を上げた。
「……始めろ」
背後の武装者たちが、一斉に動いた。
◇
「……下がれ!」
ヴァルターさんの声が響いた。
次の瞬間。
武装者たちが、こちらへ突進してきた。
剣。
短槍。
そして、魔導具。
……来た!
俺は、剣を抜いた。
最初の男が、正面から斬りかかってくる。
俺は、剣を受け流し、相手の腕を打った。
「……ぐっ!」
男が、剣を落とす。
すぐに、別の男が横から迫ってきた。
だが。
「……遅い!」
リシアの声。
風の魔法が、男の足元を払った。
「……うわっ!」
男が、地面へ倒れる。
俺は、すぐに距離を取った。
「……助かった!」
「……ちゃんと周りを見なさいよ!」
……ごもっとも。
そのとき。
前方で、金属音が響いた。
ヴァルターさんが、三人の武装者を相手にしていた。
……いや。
相手にしている、という表現は正しくないかもしれない。
彼は、ほとんど動いていなかった。
最小限の足運び。
正確な剣筋。
そして、相手の攻撃を完全に見切った動き。
――キィン!
一人の剣が弾き飛ばされる。
――ガッ!
二人目が、柄で打たれて倒れる。
そして。
――ドン!
三人目が、壁へ叩きつけられた。
……相変わらず、強すぎる。
俺は、思わず苦笑しそうになった。
だが。
「……シオン!」
ヴィオレッタの声。
俺は、すぐに振り返った。
背後の通路から、別の武装者が現れていた。
……挟み撃ち!?
「……っ!」
俺は、剣を構え直した。
その瞬間。
ヴィオレッタの魔法が、通路の床を凍らせた。
「……足元!」
武装者たちが、次々と体勢を崩す。
俺は、その隙に前へ出た。
剣の峰で、一人の肩を打つ。
続けて、もう一人の武器を弾いた。
……よし!
だが、まだ終わらない。
奥から、魔導具を構えた男が現れた。
赤い光が、こちらへ向けられる。
「……危ない!」
アイリスさんが、俺たちの前へ飛び込んだ。
――バァン!
魔力弾が、壁へ激突する。
石片が飛び散った。
アイリスさんは、すぐに踏み込んだ。
「……そこ!」
鋭い一撃。
男の魔導具が、床へ落ちる。
……助かった。
俺は、息を整えた。
だが、敵の数はまだ多い。
しかも、通路が狭い。
このままでは、後方の研究者たちを守りきれない。
「……ヴァルターさん!」
俺が声を上げると、彼はすぐに状況を理解した。
「……アイリス、後方を守れ!」
「はい!」
「シオン、リシア、右側を押さえろ!」
「分かりました!」
俺たちは、すぐに動いた。
……ここで、突破する!
◇
戦闘は、長く続かなかった。
ヴァルターさんが、敵の指揮役へ迫ったからだ。
黒い外套の男は、剣を抜いて迎え撃とうとした。
だが。
――キィン!
一撃。
それだけで、男の剣が弾き飛ばされた。
「……っ!」
男が、後ろへ下がる。
ヴァルターさんは、容赦なく踏み込んだ。
そして、剣の柄で男の腹を打った。
「……ぐはっ!」
男が、膝をつく。
ヴァルターさんは、静かに剣を突きつけた。
「……終わりだ」
男は、荒い息を吐いた。
そして、わずかに笑った。
「……本当に、そう思うか?」
……嫌な予感がした。
その瞬間。
地下の奥から、低い音が響いた。
――ゴウン。
続いて、床が小さく揺れた。
「……何だ!?」
俺が叫ぶ。
フィオナさんが、魔導具を確認した。
「……魔力反応が急激に上昇しています!」
レティシアさんが、顔を上げた。
「……まずいわ!」
「……何が?」
俺が尋ねる。
「……装置が、停止処理に入っている!」
……停止?
俺は、思わず奥の通路を見た。
「……証拠を消すつもりか!」
レティシアさんが、うなずいた。
「その可能性が高いわ!」
ヴァルターさんは、黒い外套の男を衛兵へ引き渡した。
「……シオン!」
「……はい!」
「俺たちは奥へ行く!」
俺は、すぐにうなずいた。
「分かりました!」
……時間がない。
◇
地下施設の奥には、巨大な空間が広がっていた。
天井は高く、壁には古代文字が刻まれている。
中央には、巨大な装置。
青白い光が、激しく明滅していた。
そして。
装置の前には、白衣の男が立っていた。
「……来ましたか」
男は、静かに振り返った。
その表情には、焦りがなかった。
「……あなたが、ここの研究責任者ですか?」
俺が尋ねる。
「……そう呼ばれています」
男は、わずかに笑った。
「ですが、今さら名前を知っても意味はありません」
……何だと?
俺は、剣を構えた。
そのとき。
レティシアさんが、装置を見て息をのんだ。
「……第六観測記録!」
中央の表示板に、文字が浮かんでいた。
――OBSERVATION / RECORD / 06
――STATUS : INCOMPLETE
――DATA PURGE : INITIATED
……データ消去。
俺は、思わず叫んだ。
「……止められますか!?」
エリオットが、すぐに装置へ近づいた。
「……やってみる!」
フィオナさんも、解析用の魔導具を操作した。
「……魔力の流れを確認します!」
白衣の男は、静かに笑った。
「……無駄ですよ」
俺は、男を睨んだ。
「……どういう意味だ?」
「この装置は、すでに消去処理に入っています」
男は、ゆっくりと続けた。
「途中で止めれば、記録媒体そのものが破損する」
……厄介な仕組みだ。
レティシアさんが、表示板を見つめた。
「……エリオット君!」
「……分かってる!」
エリオットは、回路を確認していた。
「……でも、全部止めるのは無理だ!」
フィオナさんが、静かに言った。
「……なら、記録部分だけ切り離せませんか?」
エリオットが、顔を上げた。
「……切り離す?」
「はい。装置全体を停止するのではなく、記録媒体への魔力供給だけを遮断するんです」
レティシアさんが、すぐにうなずいた。
「……それなら、可能性があるわ!」
俺は、装置を見た。
……問題は、時間だ。
表示板の光が、どんどん強くなっている。
「……俺にできることは?」
俺が尋ねると、エリオットが叫んだ。
「……右側の制御盤!」
「……分かった!」
俺は、すぐに走った。
制御盤には、複雑な回路が刻まれている。
……何をすればいい?
「……シオン!」
エリオットが、遠くから指示した。
「青い回路の横にある、三つの接続部!」
「……見つけた!」
「……そこに魔力を流して!」
俺は、手をかざした。
慎重に、魔力を流し込む。
――パチッ!
小さな火花が散った。
「……っ!」
俺は、歯を食いしばった。
……制御が難しい。
だが、ここで失敗するわけにはいかない。
「……シオン!」
ヴィオレッタの声。
彼女が、俺の隣へ来た。
「……一緒にやるわ」
「……頼む!」
俺たちは、魔力の流れを合わせた。
俺が主回路を安定させる。
ヴィオレッタが、周囲の魔力を調整する。
……よし。
少しずつ、反応が落ち着いてきた。
そのとき。
「……今だ!」
エリオットが叫んだ。
フィオナさんが、魔導具を操作する。
レティシアさんが、古代文字の指示を読み上げる。
――ゴウン!
巨大な音が響いた。
装置の光が、一瞬だけ強くなった。
そして。
――……。
静寂。
俺は、荒い息を吐いた。
「……止まった?」
エリオットが、表示板を確認した。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「……記録媒体は、残った」
……よかった。
俺は、思わず膝に手をついた。
だが。
「……全部じゃない」
エリオットが、静かに続けた。
俺は、顔を上げた。
「……どういうことだ?」
「……一部の情報は、消されてる」
レティシアさんが、表示板を見つめた。
「……それでも、残ったものがあるわ」
そこには、文字が浮かんでいた。
――OBSERVATION / RECORD / 06
――STATUS : PARTIAL
――SUBJECT : UNKNOWN
――ORIGIN : EXTERNAL
そして。
最後に、一行。
――MEMORY CONTINUITY : CONFIRMED
……記憶の継続。
俺は、息をのんだ。
……やっぱり。
古代文明は、異世界から来た存在が、以前の記憶を持っていることまで観測していた。
俺は、思わず拳を握った。
だが。
その事実を、誰にも話すことはできなかった。
◇
その後。
白衣の男は、ヴァルターさんによって拘束された。
地下施設の武装者たちも、次々と武器を捨てた。
ただし、すべての敵を捕らえられたわけではない。
施設の奥には、別の通路が存在していた。
そこから、何人かが逃亡した可能性がある。
ハロルド卿は、すぐに証拠の保全を指示した。
古代装置。
支出記録。
秘密組織の研究資料。
そして、奪われていた補助鍵。
それらは、すべて王国の管理下に置かれた。
……ようやく、一つの決着がついた。
だが、まだ終わっていない。
ベルハルト伯爵本人の関与。
オルフェン子爵の行方。
そして、秘密組織の全体像。
分からないことは、まだ多かった。
◇
夕方。
伯爵邸の応接室。
ベルハルト伯爵は、ハロルド卿から報告を受けていた。
「……閉鎖鉱山の地下に、無許可の研究施設が存在していました」
ハロルド卿が言った。
「さらに、王国の保全費用が、その施設の維持に使われていた可能性があります」
伯爵は、静かに目を閉じた。
「……そうですか」
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「……残念です」
……残念?
俺は、思わず眉をひそめた。
伯爵は、ハロルド卿を見た。
「……私の管理が行き届かなかったようです」
ハロルド卿は、静かに答えた。
「その点についても、今後確認させていただきます」
「……承知しました」
伯爵は、穏やかにうなずいた。
……本当に、知らなかったのか。
それとも。
最後まで、知らないふりをするつもりなのか。
俺には、まだ判断できなかった。
そのとき。
ヴァルターさんが、静かに口を開いた。
「……伯爵」
「……何でしょう?」
「一つ、聞きたいことがある」
伯爵は、彼を見た。
「……何でしょうか」
「……オルフェン子爵を知っているな?」
伯爵は、少しだけ目を細めた。
「……王宮施設管理部の責任者として、存じております」
「……最近、会ったか?」
「……いいえ」
ヴァルターさんは、しばらく伯爵を見つめた。
そして、静かに言った。
「……そうか」
それ以上、追及しなかった。
だが。
俺には、分かった。
ヴァルターさんは、まだ何かを疑っている。
◇
夜。
伯爵邸の客室。
俺は、窓の外を見つめていた。
遠くには、閉鎖鉱山のある山々が見える。
……第六観測記録。
古代文明が残した、異世界から来た存在の記録。
その一部が、ようやく明らかになった。
だが、俺が知りたかったことは、まだ分からない。
なぜ、俺はこの世界に生まれたのか。
なぜ、前世の記憶を持っているのか。
そして。
同じような存在が、ほかにもいるのか。
「……シオン」
背後から、ヴィオレッタが声をかけた。
「……何?」
「……また、考え事?」
「……ああ」
俺は、苦笑した。
彼女は、俺の隣へ来た。
「……今日、無事でよかったわ」
俺は、少しだけ驚いた。
「……急にどうした?」
「……別に」
ヴィオレッタは、少しだけ視線をそらした。
「……ただ、そう思っただけよ」
俺は、彼女の手を取った。
「……俺もだ」
ヴィオレッタは、少しだけ頬を赤くした。
そして、静かに微笑んだ。
……守りたい。
俺は、改めてそう思った。
この世界で出会った人たち。
大切な仲間。
そして、ヴィオレッタ。
前世の記憶があろうとなかろうと。
今の俺が生きているのは、この世界だ。
……それだけは、忘れないようにしよう。
◇
同じ頃。
ベルハルト伯爵邸。
誰もいない書斎で、コンラート・フォン・ベルハルトは、一通の手紙を燃やしていた。
炎が、ゆっくりと紙を飲み込んでいく。
そこには、短い文章が書かれていた。
――第六観測記録の保全は失敗。
――補助鍵は王国側に回収された。
――研究施設は放棄する。
伯爵は、静かに炎を見つめた。
「……まったく」
小さく、つぶやく。
「……余計なことをしてくれたものだ」
その表情には、怒りも焦りもなかった。
ただ、深い疲労だけが浮かんでいた。
やがて。
伯爵は、机の引き出しから別の書類を取り出した。
そこには、王宮施設管理部の印章が押されていた。
そして。
署名欄には、オルフェン子爵の名があった。
伯爵は、しばらくそれを見つめていた。
そして、静かに言った。
「……これで、終わりにしてもらいたいものだ」
書類を引き出しへ戻す。
窓の外では、夜の風が吹いていた。
――伯爵領の真実。
その一部は、ようやく明らかになった。
だが。
すべてが明らかになったわけではない。
秘密組織の影は、まだ消えていなかった。




