第六観測記録
古代文明は、異なる世界から現れた者たちを観測していた。
昨日、レティシアさんたちが導き出した結論は、俺の頭から離れなかった。
異世界。
その言葉は、俺にとって単なる学術的な概念ではない。
俺自身が、別の世界の記憶を持っているからだ。
だが、古代文明が異世界から来た存在を観測していたとしても、それだけで俺の転生の理由が分かるわけじゃない。
そもそも、俺がこの世界に生まれたのは十五年前だ。
古代文明が滅びたのは、はるか昔。
時代が違いすぎる。
それでも、胸の奥には小さな期待があった。
もしかしたら。
この世界には、俺の知らない何かがあるのかもしれない。
そして、その何かを知る手がかりが、今、目の前にある。
◇
朝の王宮は、普段よりも騒がしかった。
廊下を行き交う衛兵たち。
書類を抱えて走る文官。
そして、あちこちで交わされる小声の会話。
オルフェン子爵の逃亡は、王宮内部に大きな衝撃を与えていた。
王宮施設管理部の責任者が、正式な調査を受ける直前に姿を消した。
しかも、地下通路で武装した男たちがヴァルターさんを襲撃した。
これほどの事件が起きれば、当然だろう。
俺は、ヴィオレッタと並んで廊下を歩いていた。
「……エレノア殿下、大丈夫かな」
俺がつぶやくと、ヴィオレッタが顔を向けた。
「心配なの?」
「ああ。今回の事件、王宮の中にも関係者がいるかもしれないだろ」
「そうね」
彼女は静かにうなずいた。
「でも、殿下は一人じゃないわ」
「……ヴァルターさんもいるしな」
「ええ。それに、私たちだっているでしょう?」
俺は、思わず笑った。
「……そうだな」
ヴィオレッタは満足そうに微笑んだ。
金色の髪に飾られた銀の髪飾りが、朝の光を受けて輝いている。
俺が贈ったものだ。
こうして彼女が毎日身につけてくれているのを見ると、少し照れくさい。
「……何?」
視線に気づいたヴィオレッタが尋ねた。
「いや。髪飾り、似合ってるなと思って」
彼女は一瞬、目を丸くした。
そして、頬を赤くする。
「……もう。朝から急に何を言うのよ」
「思ったことを言っただけだけど」
「そういうところよ」
「……どういうところ?」
「自分で考えて」
そう言いながら、彼女は俺の手を取った。
……まあ、怒ってはいないらしい。
◇
臨時研究室の扉を開けると、すでに三人の研究者が集まっていた。
レティシアさん。
フィオナさん。
そして、エリオット。
机の上には、昨日よりも多くの資料が積まれている。
「おはようございます」
俺が声をかけると、レティシアさんが振り返った。
「あら、シオン君。ちょうどいいところに来たわね」
「何か分かったんですか?」
「少しね。面白いものが見つかったの」
……レティシアさんが「面白い」と言うときは、大抵、普通ではないものが見つかっている。
俺は、机の上をのぞき込んだ。
そこには、昨日の金属板を写し取った図面が広げられていた。
――OBSERVATION / RECORD / 06
――ACCESS : RESTRICTED
――STATUS : INCOMPLETE
見慣れた文字の下に、新しい項目が書き加えられている。
――DETECTION : EXTERNAL
――TRANSFER : UNCONFIRMED
――CONTINUITY : PARTIAL
「……これは?」
俺が尋ねると、フィオナさんが答えた。
「昨日の解析で、保護されていない領域に残っていた情報です」
「……読めるようになったんですか?」
「ええ。ただし、完全ではありません」
彼女は、慎重に説明を続けた。
「最初の項目は、外部からの反応を検知したという意味だと思われます」
「……外部から?」
「はい」
エリオットが、横から口を挟んだ。
「でも、二つ目が問題なんだ」
「……TRANSFER?」
「うん。移動とか転送とか、そういう意味に近い言葉なんだけど」
彼は、図面を指さした。
「その後ろに、UNCONFIRMEDって書いてある」
「……未確認?」
「そう」
エリオットはうなずいた。
「つまり、何らかの移動があったかどうかは確認できていないんだ」
俺は、しばらく考え込んだ。
……外部からの反応。
移動は未確認。
そして、継続性は部分的。
何を意味しているのだろう。
「……レティシアさん」
「何?」
「これって、古代文明が異世界から人を呼び出した記録じゃないんですよね?」
レティシアさんは、静かにうなずいた。
「少なくとも、そういう操作を示す記録はないわ」
彼女は、図面の一部を指さした。
「この記録に残っているのは、対象を検知した後の観測情報だけなの」
「……なるほど」
「だから、古代文明が異世界から誰かを呼び寄せたと考える根拠にはならないわね」
俺は、ゆっくりとうなずいた。
……そうか。
やはり、古代文明は観測者だった。
異世界から現れた者たちを記録していた。
だが、その現象を引き起こしたわけではない。
少なくとも、今ある証拠ではそう考えるべきだ。
◇
「……それで、三つ目の項目なんだけど」
フィオナさんが、別の資料を広げた。
――CONTINUITY : PARTIAL
「これは、情報の継続性を示している可能性があります」
「……情報の継続性?」
俺が尋ねる。
「はい。古代魔導技術では、魔力の性質や記録された情報が、どの程度維持されているかを表す場合があります」
レティシアさんがうなずいた。
「ただ、今回は少し違うのよ」
「……違う?」
「対象が持っている情報そのものを観測しているようなの」
俺は、眉をひそめた。
「……記憶、ですか?」
「その可能性はあるわね」
レティシアさんは答えた。
「でも、まだ断定はできないわ」
フィオナさんが続けた。
「古代文明が、対象の魔力構造だけでなく、精神や記憶に関する情報まで記録していた可能性があります」
俺は、思わず息をのんだ。
……記憶。
もし、それが本当なら。
異世界から来た人間が、以前の世界の記憶を持っていたことまで観測されていたのかもしれない。
俺は、無意識に拳を握っていた。
「……シオン?」
ヴィオレッタが、隣から声をかけた。
「……大丈夫?」
「ああ」
俺は、慌てて笑った。
「ちょっと、考え事をしてただけ」
彼女は、俺の顔をじっと見つめた。
……また、心配させてしまったか。
俺は、少しだけ肩の力を抜いた。
「……それにしても、すごい技術ですね」
俺は、話題を変えるように言った。
「人の記憶まで観測できるなんて」
レティシアさんは、少しだけ笑った。
「まだ、そこまでできたと決まったわけじゃないわよ」
「……そうでした」
「でも、もし本当なら、とんでもない技術ね」
彼女の目には、研究者らしい好奇心が浮かんでいた。
……やっぱり、レティシアさんはこういう話が好きなんだな。
◇
同じ頃。
王宮の別棟。
エレノアは、国王の側近たちと向かい合っていた。
長い机を挟み、複数の貴族が座っている。
その表情は、決して友好的ではなかった。
「……ベルハルト伯爵領への調査について、改めてご説明します」
エレノアが口を開いた。
「王宮施設管理部の記録から、伯爵領への不自然な支出が確認されています」
年配の貴族が、ゆっくりと眉を上げた。
「……それだけで、伯爵家を疑うのですか?」
「それだけではありません」
エレノアは、静かに答えた。
「王宮施設管理部の責任者であるオルフェン子爵が、正式な調査を受ける直前に逃亡しました」
「……それは、子爵個人の問題でしょう」
「その可能性もあります」
エレノアは、落ち着いた口調で答えた。
「ですが、子爵の逃亡を助けた武装者が、王宮地下で王国の調査官と衛兵を襲撃しています」
別の貴族が口を開いた。
「……それでも、伯爵家との関係を示す直接的な証拠はないのでは?」
「現時点では、断定できません」
エレノアは答えた。
「だからこそ、調査が必要なのです」
会議室が、静まり返った。
エレノアは、机の上に資料を置いた。
「私は、伯爵家の有罪を決めつけているわけではありません」
彼女は、一人ひとりの顔を見た。
「王国の資金が適切に使われていたのか。古代遺跡の保全費用が、実際にどのような目的で支出されていたのか」
そして、静かに続けた。
「それを確認するための調査を求めています」
年配の貴族が、腕を組んだ。
「……しかし、伯爵家は王国に長年貢献してきた名門です」
「承知しています」
エレノアは答えた。
「だからこそ、正式な手続きを踏みたいのです」
彼女は、わずかに身を乗り出した。
「もし伯爵家に問題がないのであれば、調査によって疑惑を晴らすことができます」
貴族たちは、互いに視線を交わした。
その言葉に、すぐ反論する者はいなかった。
だが。
「……一つ、条件があります」
年配の貴族が口を開いた。
「調査は、伯爵家の名誉を不当に傷つけない範囲で行うこと」
エレノアは、静かにうなずいた。
「当然です」
「そして、調査対象は、まず古代遺跡の保全費用に関する記録と施設に限定すること」
エレノアは、少しだけ考えた。
……限定的な調査。
それでは、伯爵家のすべてを調べることはできない。
だが、何もできないよりはいい。
「……承知しました」
彼女は答えた。
「ただし、調査の過程で新たな犯罪の証拠が見つかった場合は、追加の権限を求めます」
年配の貴族は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「……その条件なら、検討しましょう」
エレノアは、静かに息を吐いた。
……まだ、許可が下りたわけではない。
だが、一歩前進した。
◇
午後。
俺たちは、研究室で解析を続けていた。
レティシアさんが、古代文字の一覧を確認している。
フィオナさんは、魔力反応の記録を整理していた。
エリオットは、回路の構造を図面に描き込んでいる。
俺とヴィオレッタは、過去の調査資料との照合作業を手伝っていた。
「……シオン」
エリオットが、突然声を上げた。
「……ちょっと来て」
「……どうした?」
俺は、彼の隣へ移動した。
エリオットは、二枚の図面を並べていた。
「これ、見て」
一枚は、昨日見つかった金属板の回路。
もう一枚は、以前、王立天文台跡で発見された資料の写しだった。
「……似てるな」
「そうなんだ」
エリオットはうなずいた。
「でも、完全に同じじゃない」
彼は、図面の一部を指さした。
「こっちは記録を保存するための回路。こっちは、外部から情報を受け取るための回路みたいなんだ」
俺は、眉をひそめた。
「……つまり?」
「観測装置と記録装置が、別々に存在していた可能性がある」
レティシアさんが、顔を上げた。
「……なるほどね」
彼女は、二枚の図面を見比べた。
「古代文明が、複数の施設を使って観測していた可能性があるわ」
フィオナさんが、静かに言った。
「……だとすると、ベルハルト伯爵領の装置も、その一部かもしれません」
「……そういうことか」
俺は、ゆっくりとうなずいた。
王立天文台跡。
王宮施設管理部。
そして、ベルハルト伯爵領。
それぞれの場所に、古代文明の技術が残されている。
……偶然とは思えない。
「……レティシアさん」
「何?」
「この装置が全部つながっていたら、何ができるんですか?」
レティシアさんは、しばらく考え込んだ。
「……まだ分からないわ」
彼女は答えた。
「でも、少なくとも、離れた場所の情報を集めて記録することはできたかもしれないわね」
フィオナさんが続けた。
「ただ、装置の規模によっては、もっと複雑な処理を行っていた可能性もあります」
エリオットが、少しだけ興奮したように言った。
「もしそうなら、古代文明は王国全体を使って観測していたのかもしれない!」
……王国全体。
俺は、思わず窓の外を見た。
広大な大地。
数多くの都市。
そして、まだ誰も知らない古代遺跡。
……そんな規模の観測装置が、本当に存在していたのだろうか。
◇
夕方。
王宮の執務室。
エレノア殿下は、ヴァルターさんから報告を受けていた。
「……北東へ向かった馬車について、続報が入った」
ヴァルターさんが、地図を広げた。
「王都から二つ目の宿場町で、似た馬車が確認された」
「……乗っていた人物は?」
殿下が尋ねる。
「御者と、外套を着た男が一人」
「……オルフェン子爵でしょうか?」
「まだ分からない」
ヴァルターさんは答えた。
「ただ、宿場町の記録では、馬車はベルハルト伯爵領へ向かう街道を通ったらしい」
殿下は、静かにうなずいた。
「……やはり、北東へ」
「ああ」
ヴァルターさんは続けた。
「だが、少し気になることがある」
「……何でしょう?」
「馬車の御者が、途中で交代している」
殿下が眉をひそめた。
「……交代?」
「宿場町で別の男が乗り込み、最初の御者はその場に残ったらしい」
「……身元は?」
「調査中だ」
ヴァルターさんは答えた。
「ただ、最初の御者は、翌朝には姿を消していた」
殿下は、しばらく黙っていた。
「……証人を消した可能性がありますね」
「そう考えている」
ヴァルターさんはうなずいた。
「だから、追跡部隊には慎重に動くよう伝えた」
殿下は、静かに息を吐いた。
「……ありがとうございます」
ヴァルターさんは、彼女を見た。
「……無理するなよ」
「……え?」
「朝からずっと、会議だろ」
殿下は、少しだけ驚いたように目を見開いた。
そして、微笑んだ。
「……心配してくださるのですね」
「……当たり前だ」
ヴァルターさんは、少しだけ視線をそらした。
殿下は、嬉しそうに笑った。
「……では、もう少しだけ頑張ります」
「……もう少し、な」
二人の間に、穏やかな沈黙が流れた。
◇
夜。
王宮の臨時研究室。
レティシアさんたちは、最後の解析を進めていた。
俺とヴィオレッタも、まだ部屋に残っている。
「……そろそろ休んだ方がいいんじゃないですか?」
俺が尋ねると、レティシアさんは苦笑した。
「……そうね。でも、あと少しだけ」
「……昨日も同じことを言ってましたよ」
「研究者って、そういうものなのよ」
……便利な言葉だ。
フィオナさんが、小さく笑った。
「レティシアさん。シオン君の言うとおりですよ」
「……フィオナまで」
レティシアさんは、少しだけ肩を落とした。
そのとき。
「……待って」
エリオットが、突然声を上げた。
俺たちは、一斉に彼を見た。
「……どうした?」
俺が尋ねる。
エリオットは、魔導具を操作していた。
金属板の表面に、青白い光が浮かんでいる。
「……ここ、今まで読めなかった部分なんだけど」
彼は、画面を指さした。
「……保護されていない記録が、少しだけ残ってる」
レティシアさんが、すぐに近づいた。
「……見せて」
フィオナさんも、隣へ移動した。
三人が、慎重に解析を進める。
数分後。
空中に、新たな文字が浮かび上がった。
――OBSERVATION / RECORD / 06
――SUBJECT : UNKNOWN
――CONTINUITY : PARTIAL
――RECORD STATUS : FRAGMENTED
そして。
最後に、一行。
――NEXT OBSERVATION : PENDING
俺は、思わず息をのんだ。
「……次の観測?」
エリオットが、静かにうなずいた。
「……そう読める」
レティシアさんは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……これ、単なる過去の記録じゃないのかもしれないわね」
「……どういうことですか?」
俺が尋ねる。
「観測の継続を前提にした記録形式なのよ」
フィオナさんが、眉をひそめた。
「……つまり、古代文明は次の観測を予定していた?」
「そういう可能性があるわ」
レティシアさんは答えた。
「ただし、それがいつのことなのかは分からない」
俺は、空中に浮かぶ文字を見つめた。
……次の観測。
もし、古代文明が観測を続けようとしていたのなら。
その対象は、何だったのだろう。
そして。
その記録を、秘密組織はなぜ必要としているのか。
俺は、無意識に拳を握った。
……何かが、近づいている。
そんな予感がした。
◇
同じ頃。
ベルハルト伯爵領。
閉鎖された鉱山の地下。
巨大な古代装置の前で、白衣の男が記録を確認していた。
中央の台座には、奪われた補助鍵が設置されている。
青白い光が、ゆっくりと脈打っていた。
「……進捗は?」
背後から声がした。
白衣の男は振り返った。
黒い外套の男が立っていた。
「……第六観測記録の復元は、七割ほど進みました」
白衣の男は答えた。
「ただし、観測対象の情報は、まだ保護されています」
「……解除できるのか?」
「……時間があれば」
黒い外套の男は、少しだけ眉をひそめた。
「……時間はない」
白衣の男は、ため息をついた。
「……分かっています」
そのとき。
装置の奥で、低い音が響いた。
――ゴウン。
白衣の男が、顔を上げた。
「……何だ?」
表示板に、新たな文字が浮かび上がる。
――OBSERVATION / RECORD / 06
――STATUS : INCOMPLETE
――EXTERNAL SIGNAL : DETECTED
白衣の男は、目を見開いた。
「……外部信号?」
黒い外套の男が、低い声で尋ねた。
「……どういうことだ?」
「……分かりません」
白衣の男は、慌てて魔導具を操作した。
「ただ、装置が何かを検知しています」
「……何を?」
白衣の男は、表示板を見つめた。
そして、ゆっくりと答えた。
「……まだ、特定できません」
黒い外套の男は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに言った。
「……観測を続けろ」
「……承知しました」
白衣の男は、再び装置へ向き直った。
青白い光が、ゆっくりと強くなっていく。
――第六観測記録。
古代文明が残した、失われた記録。
その奥に眠る秘密は、まだ明らかになっていない。
だが。
その記録は今、再び動き始めようとしていた。




