二つの人生
森の中に、剣と剣がぶつかる音が響いた。
「《氷鎖》!」
ヴィオレッタの声とともに、地面を這う氷の鎖が黒服の男へ迫る。
男は魔導具を取り出した。
先ほどから何度も使われている、魔法を解除するための装備だ。
だが、ヴィオレッタはその動きを見逃さなかった。
「リシア!」
「分かってる!」
風の刃が、男の手元を狙う。
「……っ!」
男は魔導具を使う前に回避を強いられた。
その隙に、氷の鎖が足元へ絡みつく。
「くそっ!」
男が剣を振り下ろす。
だが、氷を砕くより早く、俺が地面へ手を向けた。
「《岩縛》!」
土が盛り上がり、男の両腕を拘束する。
それでも男は抵抗した。
魔力を集中させ、拘束を内側から破壊しようとする。
だが、その前に警備隊員が駆けつけた。
「動くな!」
二人がかりで男を押さえ、魔導具を取り上げる。
ようやく、一人を無力化できた。
「……ふう」
俺は息を吐いた。
だが、安心するには早い。
少し離れた場所では、別の黒服が警備隊員と激しく斬り結んでいる。
敵は数を減らしても、簡単には崩れなかった。
撤退する者が味方を援護し、負傷者を見捨てず、こちらの追撃を防いでいる。
……本当に、よく訓練されている。
そのとき、背後から声がした。
「シオン!」
振り返ると、エリオットが駆け寄ってきた。
「カイルとディーンの応急処置が終わった!」
「二人は?」
「命に関わる出血は、ひとまず抑えられた。でも、ディーンはかなり深い傷を負ってる。カイルも足首と肩を痛めてるみたいだ」
「……そうか」
俺は胸をなで下ろした。
少なくとも、今すぐ命を失うような状態ではないらしい。
だが、二人とも戦闘を続けられる状態ではない。
「ヴィオレッタ!」
俺は彼女へ声をかけた。
「二人のところへ戻ってくれ! ここは俺たちで何とかする!」
ヴィオレッタは一瞬、迷うような表情を見せた。
「……シオンは?」
「大丈夫。リシアもいる」
「……分かったわ」
彼女はうなずいた。
「でも、無茶はしないで」
「ああ」
俺が答えると、ヴィオレッタは森の奥へ向かった。
その背中を見送り、俺は再び剣を構えた。
……さて。
まだ、終わっていない。
◇
山道の中央。
ヴァルターは、灰色の長衣をまとった男と対峙していた。
周囲には、折れた木々と、深くえぐれた地面。
激しい戦闘の跡が残っている。
灰色の男は、肩で息をしていた。
左腕には浅くない傷。
長衣の裾も裂けている。
だが、その目にはまだ闘志が宿っていた。
「……さすがだな」
男が言った。
「王国最強の剣士という評判は、誇張ではなかったらしい」
ヴァルターは剣を構えたまま答えた。
「お前も相当な腕だ」
「……光栄だ」
男は薄く笑った。
「だが、そろそろ時間だ」
その言葉に、ヴァルターの目が細くなる。
「……何?」
男は腰の魔導具へ手を伸ばした。
小さな金属板。
その表面には、赤い魔導回路が刻まれている。
「……撤退の合図か」
ヴァルターが言った。
「気づいていたか」
「ああ」
男は笑った。
「なら、止めてみろ」
次の瞬間。
男が魔導具を起動した。
赤い光が、空へ向かって放たれる。
だが、その瞬間。
ヴァルターが動いた。
鋭い踏み込み。
男は咄嗟に剣を構える。
金属音。
火花が散る。
男は一撃を受け止めた。
だが、ヴァルターは止まらない。
二撃目。
三撃目。
連続する斬撃。
男は必死に防御する。
しかし、徐々に後退を強いられていく。
「……くっ!」
ヴァルターの剣が、男の手元を狙った。
男は剣を引こうとした。
だが、間に合わない。
金属音。
剣が弾き飛ばされた。
「……っ!」
男は咄嗟に短剣を抜こうとした。
しかし、その前にヴァルターの剣が喉元へ突きつけられた。
「……終わりだ」
低い声。
男は、しばらく動かなかった。
そして、ゆっくりと両手を上げた。
「……見事だ」
ヴァルターは警備隊員へ声をかけた。
「拘束しろ」
隊員たちが駆け寄る。
男は抵抗しなかった。
ただ、静かに笑っていた。
「……何がおかしい」
ヴァルターが尋ねた。
男は答えた。
「……俺たちの目的は、お前たちを倒すことではない」
ヴァルターの表情が変わる。
「……何?」
「時間を稼ぐことだ」
男は、ゆっくりと視線を上げた。
その先には、押収資料を積んだ荷馬車があった。
◇
俺たちが山道へ戻ったとき、戦闘はようやく収束し始めていた。
黒服の多くは拘束され、残った者たちも撤退を始めている。
だが、俺はすぐに異変に気づいた。
「……荷馬車が!」
押収資料を積んだ荷馬車。
そのうち一台の荷台が、開けられていた。
木箱がいくつも倒れ、中身が散乱している。
俺は駆け寄った。
「……何がなくなった?」
警備隊員が慌てて確認している。
エリオットも荷台へ上がり、資料を調べ始めた。
「……待って」
彼の表情が変わった。
「……これ、変だ」
「何が?」
「ほとんどの資料は残ってる」
エリオットは箱の中身を確認した。
「取引台帳も、古代文字の記録板も、魔導具の部品も……」
「……じゃあ、何が?」
エリオットは一枚の目録を取り出した。
「……これだ」
俺は目録をのぞき込んだ。
そこには、押収品の一覧が記されている。
その中の一項目に、赤い印がつけられていた。
――第六観測記録・補助鍵。
「……補助鍵?」
俺は眉をひそめた。
「何だ、それは?」
「分からない。でも、昨日の研究室で見つかった金属製の小箱があっただろ?」
「ああ」
「あれのことだと思う」
俺は思い出した。
黒い金属で作られた、小さな箱。
表面には古代文字が刻まれていた。
研究室の中央装置から取り外されたものだ。
「……それが、なくなったのか?」
エリオットはうなずいた。
「うん」
俺は、思わず周囲を見回した。
……なるほど。
敵の目的は、最初からこれだったのか。
俺たちを分断し、強敵をぶつけ、時間を稼ぐ。
その間に、特定の押収品だけを奪う。
……だが。
「……おかしいな」
俺はつぶやいた。
「何が?」
エリオットが尋ねる。
「もし最初からこれを狙っていたなら、どうして他の資料を燃やさなかったんだ?」
エリオットは考え込んだ。
「……確かに」
取引台帳や研究記録も、秘密組織にとっては危険な証拠のはずだ。
それを残して、補助鍵だけを奪った。
……つまり。
敵にとっては、証拠の隠滅よりも重要なものだったということか。
俺は、遠くの森を見つめた。
秘密組織は、何をしようとしているのだろう。
◇
その頃。
森の奥では、カイルが木の根元に座り込んでいた。
右肩には包帯。
足首にも応急処置が施されている。
隣にはディーンがいた。
彼も肩と脇腹に包帯を巻かれ、顔色が悪い。
だが、意識ははっきりしていた。
「……なあ、カイル」
ディーンが声をかけた。
「何だ?」
「さっきの動き、何だったんだ?」
カイルは、しばらく黙っていた。
青白い魔力。
異常な踏み込み。
そして、あの槍使いとの戦い。
ディーンが疑問を持つのは当然だった。
「……俺にも、まだよく分からない」
カイルは正直に答えた。
ディーンは眉をひそめた。
「……どういうことだ?」
「……変な話なんだけどさ」
カイルは、自分の手を見つめた。
「……昔から、剣を握ると落ち着くんだ」
「知ってる」
「訓練してるときも、戦ってるときも……何かを思い出しそうになることがあった」
ディーンは黙って聞いていた。
「でも、何なのか分からなかった」
カイルは小さく息を吐いた。
「……今日、少しだけ分かった気がする」
「……何が?」
カイルは、しばらく考えた。
前世。
別の世界。
剣士として生きた人生。
それを、今ここで話すべきなのだろうか。
ディーンなら、きっと信じてくれる。
だが。
自分自身が、まだ整理できていない。
「……もう少し、時間をくれないか」
カイルが言った。
ディーンは、少しだけ目を細めた。
「……分かった」
「……いいのか?」
「ああ」
ディーンは肩をすくめようとして、傷の痛みに顔をしかめた。
「……お前が話したくなったら、聞く」
カイルは、思わず笑った。
「……ありがとな」
「礼を言われるほどのことじゃない」
ディーンは少しだけ笑った。
「ただし、次にあんな無茶をするなら、先に言え」
「……善処する」
「絶対にしないだろ、それ」
二人は小さく笑った。
だが、カイルの胸の奥には、まだ消えない疑問が残っていた。
……俺は、誰なんだろう。
カイル・レインフォード。
それは、間違いなく自分だ。
だが、別の世界で剣士として生きた自分も、確かに存在していた。
その二つは、どうつながっているのだろう。
◇
カイルは、静かに目を閉じた。
すると、前世の記憶が浮かび上がってきた。
石造りの訓練場。
赤茶色の山々。
師匠の声。
『……速さとは、力ではない』
剣を振るう少年。
何度も倒れ、何度も立ち上がる。
そして、最後の戦い。
燃え上がる砦。
倒れた仲間。
自分の胸を貫いた、冷たい刃。
……ああ。
あのとき、自分は確かに死んだ。
だが、次に目を開けたとき。
そこには、見知らぬ天井があった。
優しい声。
温かな手。
自分を抱き上げる女性。
……母さん。
カイルは、現在の母親の顔を思い浮かべた。
幼い頃から、何度も見てきた笑顔。
剣術の訓練で怪我をしたとき、心配してくれた。
初めて学園へ向かう日には、何度も忘れ物がないか確認してくれた。
……そうだ。
今の自分には、家族がいる。
友人がいる。
そして、守りたいものがある。
前世の記憶が戻ったからといって、それらが消えるわけではない。
カイルは、ゆっくりと目を開けた。
「……俺は、カイルだ」
小さくつぶやく。
その言葉に、ディーンが顔を向けた。
「……何だ、急に」
「いや」
カイルは笑った。
「ちょっと、確認しただけ」
「……変な奴だな」
「今さらだろ」
二人は、再び笑った。
だが、カイルの胸の奥には、一つの決意が生まれていた。
前世で守れなかったもの。
今の人生で、守りたいもの。
その両方を、忘れない。
そして。
前世の剣術を、今の自分の力として磨き直す。
……今度こそ。
大切な仲間を、守れるように。
◇
夕方。
俺たちは、ようやく王都へ戻った。
負傷者はすぐに治療施設へ運ばれた。
カイルとディーンも、医師の診察を受けることになった。
幸い、二人とも命に別状はないという。
ただし、しばらくは安静が必要だった。
「……まったく」
ヴィオレッタがため息をついた。
「二人とも、無茶をしすぎよ」
「……そうだな」
俺は苦笑した。
だが、二人が無事でよかった。
それだけは、本当にそう思う。
そのとき、エレノア殿下が部屋へ入ってきた。
表情は、いつになく険しい。
「……皆さん」
殿下は静かに言った。
「今回の襲撃について、重要なことが分かりました」
俺たちは顔を上げた。
「……何でしょうか?」
殿下は、一枚の書類を机へ置いた。
「捕らえた敵の指揮官が、いくつか証言しました」
「……証言?」
「ええ」
殿下はうなずいた。
「彼らが狙っていたのは、押収資料そのものではありません」
俺は息をのんだ。
「……では?」
「第六観測記録を起動するための、補助鍵です」
エリオットが顔を上げた。
「……やっぱり」
殿下は続けた。
「そして、その補助鍵は、単独では意味を持たないそうです」
「……単独では?」
「ええ」
殿下は、ゆっくりと俺たちを見回した。
「もう一つ、対応する装置が存在するとのことです」
部屋が静まり返った。
俺は、思わず問い返した。
「……どこにあるんですか?」
殿下は、少しだけ間を置いた。
そして、答えた。
「……ベルハルト伯爵家の領地です」
俺は息をのんだ。
……伯爵家。
昨日の押収資料にも、その名があった。
そして、今回の襲撃。
すべてが、つながり始めている。
殿下は、静かに言った。
「……どうやら、次に調べるべき場所が決まったようですね」
俺は、窓の外へ視線を向けた。
夕日が、王都の建物を赤く染めている。
秘密組織との戦いは、まだ終わらない。
だが。
俺たちは、確かに一歩ずつ、その核心へ近づいていた。
そして、その頃。
治療施設の一室で、カイルは静かに眠りについていた。
二つの人生の記憶を抱えながら。
新たな剣術《雷迅》を、いつか本当の意味で完成させるために。
――彼の戦いもまた、ここから始まるのだった。




