崩れる戦線
旧王立天文台の地下拠点を制圧してから、三時間が経過していた。
夜は明け、山の稜線から差し込む朝日が、天文台の崩れかけた外壁を照らしている。
俺たちは地下研究室で押収した資料を整理していた。
机の上には、古代文字が刻まれた金属板、研究記録、取引台帳が並んでいる。
どれも重要な証拠だ。
特に、グランツ商会とベルハルト伯爵家の関係を示す書類は、今後の捜査に大きく影響するだろう。
「……思っていた以上に、資料が多いな」
俺がつぶやくと、エリオットがうなずいた。
「うん。全部を調べるには、かなり時間がかかりそうだ」
彼は一枚の金属板を持ち上げた。
「それに、これも気になる」
「何だ?」
「古代文明の記録装置から取り外された部品みたいなんだけど……」
エリオットは表面に刻まれた文字を指さした。
そこには、見覚えのある単語が並んでいた。
――OBSERVATION。
――RECORD。
そして、数字の「06」。
「……またか」
俺は小さく息を吐いた。
北部遺跡でも、似た表示を見た。
だが、今はその意味を考えるより、証拠を安全に運び出すことが先だ。
「シオン君」
レティシアが声をかけてきた。
「そろそろ搬出を始めるみたいだよ」
「分かりました」
俺たちは資料を箱へ収め始めた。
◇
午前九時。
押収品を積んだ荷馬車が、旧王立天文台を出発した。
護衛には王国警備隊の精鋭が二十名。
先頭にはヴァルターさんが立ち、周囲を警戒している。
俺たち調査団も同行していた。
資料の中には、古代魔導具がいくつも含まれている。
万が一、輸送中に異常が発生した場合、研究者が近くにいた方が対応しやすいという判断だった。
「……ようやく帰れるな」
カイルが伸びをした。
「まだ王都まで距離があるぞ」
ディーンが答える。
「分かってるって」
カイルは苦笑した。
「でも、ひとまず拠点は制圧したんだろ?」
「ああ」
俺はうなずいた。
地下施設にいた二十三人は、全員拘束された。
研究資料も確保した。
大きな成果だ。
ただ、気になることが一つあった。
「……なあ、エリオット」
「何?」
「昨日の研究室にいた男、最後まで妙に落ち着いてなかったか?」
エリオットは少し考えた。
「確かに。魔導人形を破壊された後は動揺していたけど……」
「拠点を失ったことへの焦りが、あまり感じられなかった」
「……そうだね」
俺は荷馬車の後方を見た。
押収した資料は、すべてそこに積まれている。
もし俺たちが秘密組織の立場だったら。
この資料を、簡単に王都まで運ばせるだろうか。
「……嫌な予感がする」
俺はつぶやいた。
そのときだった。
「全員、止まれ!」
前方からヴァルターさんの声が響いた。
荷馬車が停止する。
警備隊員たちが一斉に周囲へ視線を向けた。
俺も顔を上げる。
山道の先。
道を塞ぐように、大きな倒木が横たわっていた。
「……倒木?」
カイルがつぶやく。
ヴァルターさんは答えなかった。
代わりに、静かに剣を抜いた。
「……配置につけ」
その声には、先ほどまでとは違う緊張があった。
◇
次の瞬間。
鋭い音が、空気を切り裂いた。
「伏せろ!」
ヴァルターさんの叫びと同時に、俺たちは身を低くした。
頭上を何かが通り過ぎる。
直後、荷馬車の側面に金属製の矢が突き刺さった。
一本ではない。
二本、三本、四本。
次々と矢が飛んでくる。
「敵襲!」
警備隊員が叫んだ。
俺は咄嗟に地面へ手を向けた。
「《岩壁》!」
土と岩が盛り上がり、荷馬車の側面を覆う。
金属矢が岩壁に突き刺さった。
だが、その瞬間。
矢の先端に刻まれた魔導回路が赤く光った。
「……まずい!」
爆発。
岩壁の一部が砕け散った。
「くっ!」
俺は腕で顔をかばう。
破片が頬をかすめた。
「シオン!」
ヴィオレッタが駆け寄ってくる。
「大丈夫!」
俺は答えた。
だが、状況はよくない。
敵は最初から、防御魔法を破壊するための装備を用意していた。
「……ただの盗賊じゃないな」
ディーンが剣を抜く。
「ああ」
俺はうなずいた。
山道の両側。
木々の間から、黒い外套をまとった男たちが現れた。
人数は十二人ほど。
全員が同じ紋章を胸につけている。
円と、三本の線。
秘密組織の印だ。
だが、これまで戦ってきた者たちとは雰囲気が違った。
無駄な声を出さない。
勝手に前へ出る者もいない。
それぞれが一定の距離を保ち、こちらを包囲している。
「……精鋭部隊か」
ヴァルターさんが低くつぶやいた。
◇
「護衛隊、第一防御陣形!」
警備隊の指揮官が叫んだ。
盾を持った隊員たちが前へ出る。
その後ろに、魔法を使える隊員が並んだ。
俺たちも配置につく。
「シオン、右側を頼む!」
ヴァルターさんが指示を出した。
「はい!」
俺は右側の森へ視線を向けた。
黒服の男が三人。
そのうち一人が、短い杖を構えている。
魔導回路が光った。
「来るぞ!」
俺は地面を蹴った。
直後、足元を鋭い風の刃が走る。
地面が切り裂かれた。
「《土槍》!」
俺は反撃した。
地面から岩の槍が突き出す。
だが、敵は素早く左右へ散った。
一人が防御魔法を展開し、残る二人が同時に攻撃してくる。
火球と風刃。
異なる方向からの連続攻撃だ。
「……っ!」
俺は身体をひねって回避する。
だが、風刃が左腕をかすめた。
布が裂け、血がにじむ。
「シオン!」
ヴィオレッタが声を上げた。
「大丈夫!」
俺は叫び返した。
しかし、敵は攻撃を止めない。
一人が防御。
二人が攻撃。
そして、こちらが反撃すると即座に位置を入れ替える。
……厄介だ。
単純な魔法の威力だけなら、俺たちの方が上かもしれない。
だが、連携が非常に洗練されている。
「ヴィオレッタ、左の術者を抑えられるか!」
「任せて!」
ヴィオレッタが杖を掲げた。
「《氷鎖》!」
氷の鎖が地面を這い、敵の足元へ伸びる。
だが、敵はすぐに魔導具を投げた。
小さな金属球が地面に落ちる。
青白い光。
次の瞬間、氷の鎖が砕け散った。
「……魔法を解除した?」
ヴィオレッタが目を見開く。
俺も驚いた。
あれは単なる防御ではない。
魔法の構造そのものに干渉している。
「……対魔法装備まであるのか」
敵は、俺たちの能力をある程度把握しているのかもしれない。
◇
一方、ヴァルターさんの前には、三人の男が立っていた。
その中央にいる男だけが、黒い外套を着ていなかった。
灰色の長衣。
腰には細身の剣。
年齢は三十代後半ほど。
短く整えた黒髪と、鋭い目つきが印象的だった。
「……ヴァルター・グレイヴ」
男が静かに言った。
「リューデン王国最強の剣士」
ヴァルターさんは剣を構えた。
「俺を知っているのか」
「当然だ」
男は薄く笑った。
「お前を相手にするために、準備してきた」
「……そうか」
ヴァルターさんの表情は変わらない。
「なら、試してみろ」
男は剣を抜いた。
次の瞬間。
姿が消えた。
――いや、違う。
速い。
あまりにも速い踏み込みだった。
金属音が響く。
ヴァルターさんの剣と、男の剣がぶつかり合った。
火花が散る。
「……ほう」
ヴァルターさんが小さくつぶやく。
男は間髪入れずに二撃目を放った。
上段からの斬撃。
続けて、足元を狙う低い一撃。
ヴァルターさんはそれらを受け流した。
だが、反撃しようとした瞬間。
左右にいた二人の黒服が動いた。
片方が魔導銃を構える。
もう片方が地面へ魔導具を投げた。
ヴァルターさんの足元に、複雑な魔導陣が広がる。
「……拘束術式か」
ヴァルターさんは即座に後退した。
だが、その動きを読んでいたように、灰色の男が追撃してくる。
鋭い突き。
ヴァルターさんは剣を横にして受け止めた。
しかし、完全には防げなかった。
肩口の布が裂け、赤い血がにじむ。
「……っ!」
俺は思わず息をのんだ。
ヴァルターさんが傷を負った。
それも、戦闘開始からわずかな時間で。
「……なるほどな」
ヴァルターさんは静かに言った。
「お前たち、よく考えている」
灰色の男が笑った。
「褒め言葉として受け取っておこう」
ヴァルターさんは剣を構え直した。
「だが、まだ足りない」
次の瞬間、彼の姿がぶれた。
鋭い斬撃。
灰色の男が咄嗟に剣を合わせる。
激しい金属音が響いた。
男の身体が数歩後退する。
だが、倒れない。
……強い。
間違いなく、これまでの敵とは格が違う。
◇
戦闘は、次第に激しさを増していた。
敵は荷馬車そのものを狙っている。
俺たちを倒すことより、押収資料を奪うことが目的なのだろう。
「……くそっ!」
カイルが剣を振るう。
黒服の男がその一撃を受け止めた。
さらに、別の男が背後から迫る。
「カイル!」
ディーンが叫んだ。
剣が交差する。
ディーンは敵の攻撃を受け止め、カイルをかばった。
「助かった!」
「油断するな!」
ディーンは叫び返した。
二人は背中合わせになる。
だが、敵の連携は巧妙だった。
一人が正面から攻撃し、もう一人が側面へ回る。
さらに、遠距離から魔導弾が飛んでくる。
「……面倒な連中だな!」
カイルが歯を食いしばる。
「同感だ!」
ディーンも剣を構え直した。
そのとき、敵の一人が小さな笛を吹いた。
高い音が山道に響く。
直後。
森の奥から、新たな黒服の男たちが現れた。
「……増援!?」
カイルが叫ぶ。
数は八人。
しかも、そのうち四人は重い盾を持っている。
盾の表面には、複雑な魔導回路が刻まれていた。
「……まずい」
俺はつぶやいた。
敵は、最初から二段構えの作戦を用意していたのだ。
◇
「全員、荷馬車を守れ!」
警備隊の指揮官が叫んだ。
だが、敵の増援によって防御陣形が崩れ始めていた。
盾を持った敵が前進する。
その後ろから、魔導弾が次々と放たれる。
俺は岩壁を展開した。
だが、今度は敵が正面から破壊するのではなく、左右へ回り込んできた。
「……っ!」
俺は防御の位置を変える。
その瞬間。
背後で爆発音が響いた。
「何だ!?」
振り返ると、荷馬車の一台が炎に包まれていた。
車輪が破壊され、横転している。
警備隊員たちが慌てて消火を始めた。
「……資料が!」
エリオットが叫ぶ。
俺は駆け寄ろうとした。
だが、その前に黒服の男が立ちはだかる。
「……行かせるか」
男は短剣を構えた。
俺は歯を食いしばった。
敵は、こちらの行動を読んでいる。
しかも、ただ強いだけではない。
俺たちが何を守ろうとしているのかを理解し、その弱点を突いてくる。
「……ヴィオレッタ!」
「分かってる!」
彼女は炎上する荷馬車へ向かった。
氷魔法で炎を抑えようとする。
だが、敵の魔導弾が飛んできた。
ヴィオレッタは咄嗟に防御魔法を展開する。
その隙に、別の敵が荷馬車へ近づいた。
「……まずい!」
俺は男へ向けて魔法を放とうとした。
だが、その瞬間。
足元に魔導陣が浮かび上がった。
「……っ!?」
身体が重くなる。
魔力の流れが乱れた。
「……封魔陣!?」
エリオットが叫んだ。
俺は咄嗟に魔力を集中させた。
だが、いつものように術式が組み上がらない。
完全に魔法を封じられたわけではない。
しかし、発動までの時間が大幅に延びている。
「……こんなものまで用意していたのか!」
敵は、俺たちの魔法を無力化するために準備を重ねていた。
◇
その頃、ヴァルターさんと灰色の男の戦いは、さらに激しさを増していた。
剣がぶつかり合う。
一撃ごとに、周囲の空気が震えるようだった。
「……強いな」
灰色の男がつぶやいた。
「さすが、王国最強と呼ばれるだけはある」
「お前もな」
ヴァルターさんは短く答えた。
男は笑った。
「だが、俺の役目はお前を倒すことじゃない」
ヴァルターさんの目が細くなる。
「……何?」
「お前を、ここに足止めすることだ」
その瞬間。
遠くで、低い爆発音が響いた。
ヴァルターさんが振り返る。
山道の後方。
王都へ続く道の一部が崩れ落ちていた。
土煙が立ち上る。
「……道を!」
警備隊員が叫んだ。
灰色の男は静かに笑った。
「これで、増援はすぐには来られない」
ヴァルターさんは男を見据えた。
「……最初から、これが狙いか」
「そうだ」
男は剣を構え直した。
「お前たちは、ここで孤立する」
◇
俺たちの状況も悪化していた。
敵の増援によって、警備隊の陣形は完全に分断されていた。
俺とヴィオレッタ、エリオット、リシアは荷馬車の近くで防御を続けている。
一方、カイルとディーンは敵を追い払おうと、山道の側面へ移動していた。
「……カイル!」
俺は叫んだ。
「戻れ!」
だが、敵の攻撃音にかき消された。
カイルとディーンは、すでに森の奥へ追い込まれつつあった。
その前に立ちはだかるのは、黒服の男が四人。
さらに、その後方には、長い槍を持った男がいた。
他の敵とは、明らかに雰囲気が違う。
男はゆっくりと槍を構えた。
「……二人か」
低い声が響く。
「ちょうどいい」
カイルが剣を握り直す。
「……何がちょうどいいんだよ」
男は答えなかった。
ただ、静かに槍を向ける。
その瞬間。
男の姿が消えた。
「……っ!」
カイルは咄嗟に剣を上げた。
金属音。
強烈な衝撃が腕を伝わる。
「ぐっ!」
カイルの身体が後方へ弾かれた。
「カイル!」
ディーンが叫ぶ。
だが、槍の男はすでに次の動作に入っていた。
槍の穂先が、ディーンの胸元へ迫る。
「……っ!」
ディーンは身体をひねって回避した。
だが、完全には避けきれない。
槍が肩をかすめ、血が飛び散った。
「ディーン!」
カイルが叫んだ。
男はゆっくりと槍を引いた。
「……悪くない」
その声には、余裕があった。
「だが、まだ足りない」
カイルは歯を食いしばった。
……強い。
これまで戦ってきた相手とは、明らかに違う。
しかも、周囲には四人の黒服がいる。
逃げ道も塞がれていた。
「……ディーン」
カイルが小さく言った。
「何だ?」
「……何とかして、ここを抜けるぞ」
「ああ」
ディーンは傷ついた肩を押さえながら、剣を構えた。
「当然だ」
二人は並んで立った。
だが、槍の男は静かに笑った。
「……なら、試してみろ」
そして、再び踏み込んだ。
◇
俺は、遠くで響いた金属音に振り返った。
森の奥。
カイルとディーンの姿が見えない。
「……まずい」
俺はつぶやいた。
敵の狙いは、押収資料だけではないのかもしれない。
俺たちを分断し、各個撃破する。
そのために、ここまで周到な準備をしていたのだ。
「シオン!」
ヴィオレッタが叫んだ。
「前!」
俺は咄嗟に振り返った。
黒服の男が、短剣を振り下ろしてくる。
「……っ!」
俺は身体をひねり、ぎりぎりでかわした。
だが、封魔陣の影響で魔法が思うように使えない。
敵はそれを理解している。
……このままでは、まずい。
俺は歯を食いしばった。
仲間たちが、それぞれの場所で戦っている。
だが、敵の作戦によって、俺たちの連携は崩されつつあった。
そして。
森の奥から、短い叫び声が響いた。
「……ディーン!」
カイルの声だった。
俺は顔を上げた。
胸の奥に、冷たいものが走る。
――何かが起きた。
だが、俺にはまだ、そこへ向かうことができなかった。
目の前には敵がいる。
背後には、守るべき仲間と資料がある。
そして、遠くではヴァルターさんが強敵と戦い続けている。
俺たちの戦線は、完全に崩れ始めていた。
この戦いは、これまでのようにはいかない。
そう思い知らされた瞬間だった。




