地下拠点への突入
夜明け前の山道は、思っていた以上に冷え込んでいた。
吐く息が白い。
木々の間には薄い霧が漂い、遠くの山肌がぼんやりと浮かんでいる。
俺たちは王国警備隊の一行とともに、旧王立天文台へ向かっていた。
先頭を進むのはヴァルターさん。
その後ろに警備隊の精鋭が続き、俺たち調査団は少し距離を取って歩いている。
目的地は、王都の北西にある山の中腹。
数十年前に閉鎖された旧王立天文台だ。
グランツ商会から押収した輸送記録によれば、そこには大量の古代魔導具が運び込まれていた。
しかも、王国が把握していない地下空間が存在する可能性まである。
秘密組織の拠点であることは、ほぼ間違いないだろう。
「……静かだな」
隣を歩くカイルがつぶやいた。
「そうだな」
俺は周囲を見回した。
鳥の声すらほとんど聞こえない。
カイルは右肩を軽く動かしている。
「肩は大丈夫なのか?」
「昨日、フィオナさんに診てもらった。軽い運動なら問題ないってさ」
「軽い運動、ね」
ディーンが横から口を挟んだ。
「剣を振り回すのが軽い運動だと思ってるなら、考え直した方がいいぞ」
「分かってるって」
カイルは苦笑した。
「今日は無理しない」
「その言葉、覚えておくからな」
ディーンが言うと、カイルは肩をすくめた。
俺も少し笑った。
いつもどおりのやり取りだ。
だが、そのおかげで緊張が少し和らいだ。
「シオン」
ヴィオレッタが声をかけてきた。
「寒くない?」
「大丈夫だよ。ヴィオレッタは?」
「私も平気」
彼女は微笑んだ。
金色の髪は動きやすいようにまとめられ、そこには俺が贈った銀色の髪飾りが留められている。
昨日、恋人同士になったばかりだ。
その事実を思い出すと、こんな状況でも少しだけ胸が温かくなる。
「……帰ったら、温かいものでも飲もうか」
俺が言うと、ヴィオレッタは嬉しそうにうなずいた。
「ええ。約束よ」
そのとき、前方からヴァルターさんの声がした。
「全員、止まれ」
俺たちは足を止めた。
ヴァルターさんが地図を広げる。
「ここから先は、天文台の監視範囲に入る」
警備隊員たちの表情が引き締まった。
「正面の街道は第一部隊が封鎖済み。山側の作業道には第二部隊を配置してある」
「坑道の方は?」
俺が尋ねる。
「第三部隊が入口を確認した。すでに監視している」
ヴァルターさんは地図の一点を指さした。
「俺たちは、ここから地下搬入口へ向かう」
そこは、昨日エリオットが見つけた石切り場の近くだった。
「敵が抵抗した場合は警備隊が対処する。シオンたちは、俺の指示があるまで前に出るな」
「分かりました」
俺たちはうなずいた。
作戦が、いよいよ始まる。
◇
旧王立天文台は、山の斜面に建っていた。
円形の石造りの建物。
屋根には、かつて観測用の望遠鏡が設置されていたと思われる大きな開口部がある。
今は木製の板で塞がれ、外壁には蔦が絡みついていた。
遠目には、長年使われていない廃墟に見える。
だが、近づくと違和感があった。
「……足跡が多いわね」
リシアが地面を見つめた。
「しかも、新しいものばかり」
俺も確認する。
湿った土の上には、複数の靴跡が残っていた。
荷車の車輪が通った跡もある。
「ここを使っていたのは間違いなさそうだな」
ディーンが言った。
「ええ」
リシアはうなずいた。
そのとき、先行していた警備隊員が戻ってきた。
「ヴァルター様。地下搬入口を確認しました」
「敵は?」
「見張りが二名。まだこちらには気づいていないようです」
「分かった」
ヴァルターさんは短く答えた。
「俺が行く」
警備隊員がうなずく。
俺たちは岩陰で待機した。
ヴァルターさんは、音を立てずに前へ進んでいく。
しばらくして、小さな物音が聞こえた。
続いて、短い声。
「なっ――」
そこで途切れた。
数秒後。
警備隊員が合図を送ってきた。
「制圧完了です」
……早い。
ヴァルターさんが強いことは知っている。
だが、実際に見るたびに、その動きの無駄のなさには驚かされる。
「シオン、来い」
呼ばれて、俺たちは搬入口へ向かった。
見張りの男二人は、すでに拘束されていた。
大きな怪我はなさそうだ。
「中に何人いるか聞いたんですか?」
俺が尋ねる。
「ああ。十数人はいるらしい」
ヴァルターさんは答えた。
「ただし、地下の奥までは知らされていないそうだ」
「下っ端ってことですか」
「そういうことだろうな」
ヴァルターさんは搬入口を見た。
重い鉄製の扉が、半分ほど開いている。
その奥には、暗い階段が続いていた。
「行くぞ」
俺たちは地下へ足を踏み入れた。
◇
地下通路は、想像していたより広かった。
石造りの壁。
天井には魔導灯が設置され、薄い青色の光を放っている。
古い施設のはずなのに、通路はきれいに整備されていた。
「……かなり手を入れてるな」
俺がつぶやくと、エリオットがうなずいた。
「うん。壁の一部は新しい石材だよ」
彼は壁に手を触れた。
「この先に、別の空間があるはずだ」
俺たちは慎重に進んだ。
やがて、通路が二つに分かれた。
正面には大きな扉。
右側には、細い通路が続いている。
「……どっちだ?」
カイルが尋ねる。
エリオットは図面を広げた。
「正面は、元の地下倉庫につながっているはず」
「右側は?」
「図面にはない」
俺たちは顔を見合わせた。
そのとき。
正面の扉の向こうから、足音が聞こえた。
「……誰か来る」
リシアが小声で言った。
ヴァルターさんが手を上げる。
全員が壁際へ身を寄せた。
扉が開く。
中から、黒い服を着た男が三人出てきた。
「急げ。上から連絡が来てる」
「分かってる。だが、資料が多すぎる」
「燃やせるものは全部燃やせ!」
男たちは慌ただしく話していた。
どうやら、すでに倉庫の捜索について知らされているらしい。
ヴァルターさんが前へ出た。
「動くな」
男たちが振り返る。
「なっ……!」
一人が剣を抜こうとした。
だが、それより早くヴァルターさんが動いた。
男の手首を打ち、剣を落とさせる。
続けて、もう一人の足を払った。
三人目が魔導具を取り出そうとした瞬間、警備隊員が取り押さえた。
あっという間だった。
「拘束しろ」
ヴァルターさんが命じる。
警備隊員たちが男たちを縛り上げた。
「……すごいな」
カイルが小さくつぶやく。
「お前も見習えよ」
ディーンが言う。
「いや、あれは簡単に真似できないだろ」
俺は苦笑した。
確かに、そのとおりだ。
◇
正面の扉を開けると、広い地下倉庫が現れた。
天井は高く、木箱が何十個も積み上げられている。
奥には作業机が並び、複数の書類が散乱していた。
そして、その一角では――。
「……燃やしてる!」
エリオットが叫んだ。
黒服の男たちが、書類を炉へ投げ込んでいた。
「証拠を処分しているのか!」
俺が言うと、ヴァルターさんが声を上げた。
「全員、動くな!」
男たちが振り返る。
一人が魔導具を掲げた。
「侵入者だ!」
次の瞬間、赤い光が走った。
火球が、こちらへ飛んでくる。
「危ない!」
ヴィオレッタが前へ出た。
「《氷壁》!」
透明な氷の壁が現れ、火球を受け止める。
爆発音が響いた。
氷の表面に亀裂が走る。
「シオン!」
「分かってる!」
俺は床に手を向けた。
「《岩縛》!」
石の帯が床から伸び、魔導具を持った男の足を拘束する。
「ぐっ!」
男が転倒した。
その隙に警備隊員が駆け寄る。
別の男が逃げようとしたが、リシアの風魔法が進路を塞いだ。
「逃がさないわよ!」
男は慌てて方向を変えた。
そこへディーンが回り込み、剣の柄で腕を打つ。
武器が床へ落ちた。
「おとなしくしろ」
ディーンが言う。
残る二人も、警備隊員によって取り押さえられた。
戦闘は短時間で終わった。
だが、炉の中ではまだ書類が燃えている。
「エリオット!」
「任せて!」
エリオットが炉へ駆け寄る。
俺は水魔法で炎を弱めた。
完全に消してしまうと、灰が散って読める部分まで失われるかもしれない。
慎重に火を抑え、警備隊員が金属製の道具で書類を引き出した。
「……間に合った」
エリオットが息を吐く。
半分ほど焦げていたが、文字の残る書類が何枚もあった。
「これなら、ある程度は読めそうだ」
俺たちは顔を見合わせた。
まずは、証拠の確保に成功した。
◇
倉庫の奥には、さらに大きな扉があった。
扉の表面には、古代文字が刻まれている。
「……これ」
エリオットが足を止めた。
「北部遺跡で見たものに似てる」
俺も近づいた。
確かに、文字の形が似ている。
だが、扉そのものは新しく作られたもののようだった。
「古代文明の装置を利用しているのか?」
「たぶんね」
エリオットは扉の端にある魔導回路を調べ始めた。
「……これは認証用の仕組みだ」
「開けられるか?」
「少し時間がかかるけど、できると思う」
そのとき、ヴァルターさんが口を開いた。
「待て」
俺たちは顔を上げた。
「中に人がいる」
俺は耳を澄ませた。
確かに、扉の向こうから微かな物音が聞こえる。
金属がぶつかるような音。
そして、人の声。
「……急げ」
「もう時間がない!」
ヴァルターさんは警備隊員へ合図した。
「周囲を固めろ」
「はい!」
警備隊員たちが配置につく。
エリオットは魔導回路の解析を続けた。
「……よし」
しばらくして、彼が顔を上げた。
「開けられる」
「頼む」
エリオットが回路に魔力を流す。
青い光が走り、扉の中央に刻まれた文字が浮かび上がった。
重い音とともに、扉が開き始める。
その向こうにあったのは――。
巨大な地下研究室だった。
◇
研究室の中央には、円形の装置が設置されていた。
複数の金属柱が周囲を囲み、床には複雑な魔導回路が刻まれている。
壁際には、古代遺跡から持ち出されたと思われる金属板や石碑が並んでいた。
そして、研究室の奥。
白衣を着た男が、数人の部下とともに立っていた。
「……来たか」
男は静かにつぶやいた。
年齢は四十代半ばほど。
細身の体格で、銀縁の眼鏡をかけている。
その目は、冷たく落ち着いていた。
「王国警備隊か」
ヴァルターさんが前へ出た。
「この施設の責任者か?」
「……そうだと言ったら?」
「王国の管理施設を不正に使用し、違法な研究を行っていた疑いがある」
ヴァルターさんは男を見据えた。
「全員、拘束する」
男は小さく笑った。
「……それは困るな」
彼は机の上にある装置へ手を伸ばした。
「止めろ!」
ヴァルターさんが叫ぶ。
だが、男の指が先に装置へ触れた。
研究室の床に刻まれた魔導回路が、一斉に光り始める。
「……何をした!」
俺が叫ぶと、男は答えた。
「研究の成果を、少し見せてやろう」
次の瞬間。
研究室の奥にある扉が開いた。
そこから現れたのは、黒い金属でできた巨大な人型の兵器だった。
高さは三メートルほど。
全身には赤い魔導回路が走り、両腕には鋭い刃が取り付けられている。
「……古代兵器?」
エリオットが息をのんだ。
「いや、違う」
俺は装置を見つめた。
構造が不自然だった。
古代文明の部品と、現代の魔導技術が無理やり組み合わされている。
「……模造品だ」
男は満足そうに笑った。
「そのとおり」
そして、ゆっくりと告げた。
「我々が作り上げた、新たな戦闘用魔導人形だ」
魔導人形が一歩、前へ出る。
重い足音が研究室に響いた。
ヴァルターさんが剣を抜いた。
「シオン」
「はい」
「装置を調べろ」
彼は魔導人形を見据えた。
「こいつは俺が引き受ける」
俺はうなずいた。
「分かりました!」
ヴィオレッタが俺の隣に立つ。
「シオン、私も行くわ」
「ああ。頼む」
エリオットも魔導回路へ視線を向けた。
「動力源を探そう!」
俺たちは研究室の側面へ走り出した。
その背後で、金属が激しくぶつかる音が響く。
ヴァルターさんと魔導人形の戦いが始まった。
◇
魔導人形の動きは、巨体に似合わず速かった。
両腕の刃が、連続して振り下ろされる。
だが、ヴァルターさんはすべてをかわしていた。
「……遅いな」
彼は静かにつぶやいた。
次の瞬間、鋭い一撃が走る。
魔導人形の右腕が、関節から切り落とされた。
金属片が床へ散らばる。
「……何?」
白衣の男が目を見開いた。
「馬鹿な……!」
魔導人形が残った左腕を振り上げる。
ヴァルターさんは一歩踏み込み、その腕も切り落とした。
さらに、足元へ剣を振るう。
金属製の脚部に亀裂が走った。
巨体が傾く。
「……これで終わりだ」
ヴァルターさんの剣が、魔導人形の胴体を貫いた。
赤い魔導回路が消える。
魔導人形はその場に崩れ落ちた。
……圧倒的だった。
俺たちが装置を調べ始めてから、ほとんど時間が経っていない。
「……すごい」
ヴィオレッタが小さくつぶやいた。
俺も同じ気持ちだった。
だが、まだ終わっていない。
「シオン!」
エリオットが叫んだ。
「この装置、まだ動いてる!」
俺は振り返った。
研究室の中央にある円形装置。
その表面には、青い文字が浮かび上がっていた。
――OBSERVATION。
――RECORD。
そして、その下に。
――06。
「……また、この数字か」
俺は眉をひそめた。
北部遺跡でも見た表示だった。
だが、同じ数字だからといって、同じ意味とは限らない。
「エリオット、何をしている装置なんだ?」
「……分からない。でも、何かを記録してるみたいだ」
エリオットは回路を調べた。
「外部から魔力を取り込んでいるわけじゃない。内部に保存された情報を読み出してるんだ」
「記録の再生?」
「たぶん」
俺は装置を見つめた。
そのとき、白衣の男が叫んだ。
「触るな!」
俺たちは振り返った。
男は警備隊員に取り押さえられていた。
「それは、まだ完成していない!」
「……何が完成していないんですか?」
俺が尋ねる。
男は口を閉ざした。
だが、視線は装置から離れない。
俺は静かに言った。
「あなたたちは、何を調べていたんですか?」
男はしばらく黙っていた。
やがて、小さく笑った。
「……お前たちは、まだ何も知らない」
ヴァルターさんが男の前へ立った。
「なら、知っていることを話してもらおう」
男は顔を上げた。
「……話すと思うか?」
「話すかどうかは、お前次第だ」
ヴァルターさんは落ち着いた声で続けた。
「だが、ここにある証拠はすべて押さえた。お前たちの研究も、今日で終わりだ」
男の表情がわずかに歪んだ。
その言葉が、何より効いたようだった。
◇
研究室の制圧後。
警備隊は施設全体の捜索を始めた。
拘束した関係者は、合わせて二十三人。
大量の古代魔導具と研究資料が押収された。
さらに、地下研究室の奥から、秘密組織の活動記録と思われる書類が発見された。
その中には、王都の貴族たちとの取引記録も含まれていた。
「……これで、かなり進んだな」
俺が言うと、エリオットがうなずいた。
「うん。少なくとも、グランツ商会だけの問題じゃないことは証明できそうだ」
ヴァルターさんも書類を確認していた。
「ベルハルト伯爵家の名前もある」
「……やっぱり」
俺はつぶやいた。
ただし、名前があるだけで犯罪への関与が確定するわけではない。
今後の調査が必要だろう。
「この資料は、王女殿下へ報告する」
ヴァルターさんが言った。
「シオンたちは、研究資料の確認を頼む」
「分かりました」
俺たちはうなずいた。
そのとき、ヴィオレッタが俺の袖を軽く引いた。
「シオン」
「何?」
「……無事でよかった」
俺は彼女を見た。
ヴィオレッタは小さく微笑んでいた。
「約束、守れたわね」
俺はうなずいた。
「ああ」
そして、彼女の手をそっと握った。
「一緒に帰ろう」
「ええ」
ヴィオレッタは嬉しそうに答えた。
地下研究室の外では、警備隊員たちが忙しく動き回っている。
事件は、まだ終わっていない。
だが、確かな成果があった。
秘密組織の拠点を一つ制圧し、重要な証拠を手に入れた。
そして、俺たちは全員、無事だった。
それだけでも、今日の作戦には大きな意味があった。
……そう思っていた。
だが、この地下施設で見つかった資料の中には、まだ俺たちが知らない重要な記録が残されていた。
それが、次の戦いへつながることになるとは。
このときの俺は、まだ気づいていなかった。




