伝えたい言葉
翌朝、俺はいつもより早く目を覚ました。
窓の外はまだ薄暗い。
王城の庭園には朝靄がかかり、遠くで鳥の鳴き声が聞こえている。
昨夜は、なかなか寝つけなかった。
理由は分かっている。
ヴィオレッタのことだ。
『その未来に……私も、いていい?』
夜の庭園で彼女が口にした言葉が、何度も頭の中をよぎった。
俺は、あのとき迷わず答えた。
一緒にいてくれたら嬉しい、と。
だが、今になって考えると、あれだけでは足りなかった気がする。
彼女がどんな気持ちで尋ねてくれたのか。
俺は、その意味をきちんと受け止められていただろうか。
「……よし」
俺はベッドから起き上がった。
今日は、ちゃんと伝えよう。
自分の気持ちを。
ヴィオレッタに。
◇
朝食の席では、いつもどおりの光景が広がっていた。
カイルがパンを頬張り、ディーンが呆れた顔でそれを見ている。
エリオットは食事をしながら資料を読んでいた。
リシアは、その資料を取り上げようとしている。
「食べるときくらい、仕事をやめなさいよ」
「あと少しだけ!」
「昨日も同じこと言ってたじゃない」
「昨日は昨日、今日は今日だよ」
「意味が分からないわ」
俺は思わず笑った。
こうしていると、いつもの学園に戻ったような気分になる。
「おはよう、シオン」
声をかけられ、顔を上げた。
ヴィオレッタだった。
金色の髪には、昨日贈った銀色の髪飾りが留められている。
「……おはよう」
「どうしたの?」
「いや……その髪飾り」
俺が視線を向けると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「似合ってる?」
「ああ。すごく」
「ふふ。ありがとう」
ヴィオレッタは俺の隣に座った。
その仕草があまりにも自然で、逆に意識してしまう。
昨日までは、こんなことはなかったはずなのに。
「……シオン?」
「ん?」
「顔、少し赤くない?」
「気のせいだよ」
「そう?」
彼女は首をかしげた。
向かいに座っていたカイルが、にやりと笑う。
「おいおい、朝から何やってんだ?」
「カイル」
「何だよ」
「黙って食べろ」
「はいはい」
ディーンが小さくため息をついた。
「お前、少しは空気を読めよ」
「読んでるから言ってるんだろ」
「それが問題なんだ」
リシアが吹き出した。
ヴィオレッタは少し頬を赤らめていたが、俺の隣から離れようとはしなかった。
……まったく。
今日は朝から調子が狂う。
◇
朝食後、レティシアから連絡があった。
昨夜、王国警備隊がグランツ商会の倉庫を捜索したという。
俺たちは会議室に集められた。
そこには、ヴァルターもいた。
「シオン。昨日の夜、倉庫を押さえた」
「どうだったんですか?」
「関係者を七人拘束した。発掘品も大量に見つかった」
ヴァルターは机に書類を置いた。
「ただし、主要な資料の一部は運び出された後だった」
「……間に合わなかったのか」
「全部ではない」
ヴァルターは首を横に振った。
「倉庫の奥に、地下へ続く搬入口があった。そこから荷物を運び出していたらしい」
「追跡は?」
「警備隊が進めている」
エリオットが書類を手に取った。
「押収品の中に、北部遺跡と関係するものは?」
「あった」
ヴァルターは一枚の図面を広げた。
そこには、古代文字と複雑な魔導回路が描かれていた。
「これは……」
エリオットが身を乗り出す。
「北部遺跡の扉にあったものと似てる」
「同じ装置なのか?」
俺が尋ねる。
「いや、少し違う」
エリオットは図面を指でなぞった。
「こっちは扉を開くための回路じゃない。何かを読み取るためのものだと思う」
「読み取る?」
「うん。対象の魔力を識別して、記録する仕組みじゃないかな」
俺は図面を見つめた。
古代文明の装置。
識別。
記録。
これまで何度も見かけた言葉だった。
「……敵は何を調べようとしているんだろうな」
俺がつぶやくと、レティシアが答えた。
「まだ分からない。でも、少なくとも古代文明の技術を集めている理由の一つは、そこにありそうだね」
ヴァルターがうなずいた。
「倉庫の責任者は、すでに取り調べを受けている。何か分かれば知らせる」
「ありがとうございます」
「シオン」
「はい?」
「今日は少し休め」
俺は目を瞬いた。
「……え?」
「ここ数日、動きっぱなしだろ」
「でも、調査が……」
「必要なことがあれば呼ぶ」
ヴァルターは落ち着いた声で続けた。
「今は警備隊の仕事だ。お前たちが無理をする必要はない」
俺は少し考えた。
確かに、ここで俺たちが勝手に動いても、調査の邪魔になるかもしれない。
「……分かりました」
「それでいい」
ヴァルターは軽くうなずいた。
◇
昼過ぎ。
俺は王城の図書室にいた。
休めと言われたものの、何もせずに過ごすのは落ち着かない。
とはいえ、事件の資料を読む気にもなれなかった。
手に取ったのは、リューデン王国の歴史について書かれた本だった。
だが、内容はほとんど頭に入ってこない。
「……駄目だな」
俺は本を閉じた。
考えているのは、ヴィオレッタのことばかりだ。
どうやって伝えよう。
いつ伝えよう。
どんな言葉なら、自分の気持ちをきちんと表せるだろう。
そんなことを考えていると、扉が開いた。
「あら、シオン」
ヴィオレッタだった。
「こんなところにいたのね」
「ヴィオレッタ」
彼女は俺の向かいに座った。
「レティシアさんから、今日は休むように言われたんでしょう?」
「ああ」
「それなのに図書室?」
「……習慣みたいなものかな」
彼女はくすりと笑った。
「本当にシオンらしいわ」
「そうかな」
「ええ」
ヴィオレッタは机の上の本を見た。
「リューデン王国の歴史?」
「うん。せっかく来たんだし、少し知っておこうと思って」
「面白そうね」
彼女は隣の棚から一冊の本を取り出した。
そして、俺の隣に座り直した。
近い。
肩が触れそうな距離だった。
「……ヴィオレッタ」
「何?」
「いや、何でもない」
「変なシオン」
彼女は楽しそうに笑った。
俺は深呼吸した。
……落ち着け。
今までだって、何度も隣に座ったことはある。
それなのに、今日は妙に意識してしまう。
しばらく、二人で本を読んだ。
静かな時間が流れる。
やがて、ヴィオレッタが口を開いた。
「ねえ、シオン」
「何だ?」
「昨日のこと、覚えてる?」
俺は顔を上げた。
「もちろん」
「……そう」
彼女は少しだけ微笑んだ。
「私、昨日は本当に楽しかったわ」
「俺もだよ」
「また、ああいう時間を過ごせたらいいなって思うの」
俺は彼女を見つめた。
ヴィオレッタは、まっすぐこちらを見ていた。
「……俺も、そう思ってる」
そう答えると、彼女は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、俺は決めた。
今夜。
ちゃんと伝えよう。
◇
夕方。
俺はヴィオレッタを王城の庭園へ誘った。
昨日とは違う、王城の内側にある静かな庭園だ。
王族や招待客だけが利用できる場所で、一般の人々は入れない。
レティシアには、庭園へ行くことを伝えてある。
護衛も、庭園の入口で待機してくれることになった。
日が沈み始める頃。
俺は先に庭園へ向かった。
石畳の小道を進み、噴水の近くで立ち止まる。
……緊張する。
これまで、魔物と戦ったこともある。
命の危険を感じたことだって、一度や二度ではない。
それなのに、今はそれ以上に落ち着かない。
「……情けないな」
俺は小さく笑った。
しばらくして、足音が聞こえた。
「シオン」
振り返る。
ヴィオレッタが立っていた。
金色の髪には、昨日贈った髪飾りが留められている。
夕日に照らされ、青い石が柔らかく輝いていた。
「待たせた?」
「いや、俺も今来たところだよ」
「そう?」
彼女は微笑んだ。
「それで、話って何かしら?」
俺は一度、息を吸った。
「……少し歩かないか?」
「ええ、いいわよ」
俺たちは並んで歩き始めた。
庭園には、色とりどりの花が咲いている。
小さな噴水の音が、静かに響いていた。
しばらく、他愛のない話をした。
学園のこと。
仲間たちのこと。
リューデンでの出来事。
だが、俺の頭の中では、別の言葉が何度も浮かんでは消えていた。
やがて、ヴィオレッタが足を止めた。
「……シオン」
「ん?」
「何か、言いたいことがあるんでしょう?」
俺は驚いた。
「……分かるのか?」
「分かるわよ」
彼女は少し笑った。
「今日はずっと、何か考えているみたいだったもの」
俺は苦笑した。
「……そんなに顔に出てたか」
「ええ。少しだけね」
ヴィオレッタは俺を見つめた。
「でも、無理に話さなくてもいいのよ」
「いや」
俺は首を横に振った。
「ちゃんと伝えたいんだ」
彼女の表情が変わった。
俺は一歩、彼女の方へ向き直った。
◇
「ヴィオレッタ」
「……何?」
彼女は静かに答えた。
俺は言葉を探した。
難しい言い回しはいらない。
飾った言葉も必要ない。
ただ、自分の気持ちを伝えればいい。
「俺は、ヴィオレッタと一緒にいる時間が好きだ」
彼女は黙って聞いていた。
「学園で話しているときも、研究をしているときも、こうして二人で歩いているときも」
俺は一度、息を吸った。
「気づいたら、いつもヴィオレッタのことを考えてる」
彼女の頬が、少しずつ赤く染まっていく。
「……シオン」
「昨日、庭園で話しただろ」
俺は続けた。
「これから先の未来に、ヴィオレッタもいてほしいって」
「……ええ」
「あのときは、うまく言えなかったけど」
俺は彼女の目を見た。
「俺は、ヴィオレッタが好きだ」
言葉にした瞬間、胸の奥が熱くなった。
だが、不思議と迷いはなかった。
「友達としてだけじゃない」
俺は続けた。
「これから先も、ずっと一緒にいたいと思ってる」
ヴィオレッタは目を見開いていた。
その瞳が、わずかに揺れる。
「……だから」
俺は一歩、近づいた。
「俺と、付き合ってほしい」
しばらく、沈黙が続いた。
風が吹き、花びらが舞い上がる。
ヴィオレッタは何も言わなかった。
俺は少し不安になった。
もしかして、急ぎすぎただろうか。
そう思ったとき。
「……ずるいわ」
彼女が小さくつぶやいた。
「え?」
「シオンって、本当にずるい」
ヴィオレッタは俯いた。
その肩が、わずかに震えている。
「私、ずっと待っていたのよ」
俺は息をのんだ。
「……ヴィオレッタ?」
「いつか、シオンが気づいてくれるんじゃないかって」
彼女はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
だが、表情は笑っていた。
「私も、シオンが好き」
胸の奥が、大きく跳ねた。
「……本当に?」
「ええ」
ヴィオレッタはうなずいた。
「ずっと前から、好きだったわ」
彼女は少し照れくさそうに笑った。
「だから……こちらこそ、よろしくね」
俺は思わず息を吐いた。
緊張していた身体から、力が抜ける。
「……よかった」
そうつぶやくと、ヴィオレッタが笑った。
「そんなに心配だったの?」
「……かなり」
「ふふ。シオンでも、そんな顔をするのね」
「そりゃ、するよ」
俺たちは顔を見合わせた。
そして、自然と笑い合った。
◇
しばらくして、ヴィオレッタが小さく手を差し出した。
「……ねえ、シオン」
「何?」
「手、つないでもいい?」
俺は少し驚いた。
だが、すぐにうなずいた。
「もちろん」
俺は彼女の手を取った。
柔らかく、温かい手だった。
ヴィオレッタは少しだけ指に力を込めた。
「……こうしていると、不思議な感じね」
「そうだな」
「昨日までも、ずっと一緒にいたのに」
「ああ」
「でも、今日は少し違うわ」
彼女は微笑んだ。
「……嬉しい」
俺も同じ気持ちだった。
言葉にすることで、こんなにも変わるものなのか。
彼女の手を握りながら、俺はそう思った。
「ヴィオレッタ」
「何?」
「これからも、よろしく」
「ええ」
彼女はまっすぐに俺を見た。
「こちらこそ、シオン」
そして、少しだけ俺に近づいた。
肩が触れる。
彼女はそのまま、俺の腕にそっと寄り添った。
俺は何も言わず、その温もりを受け止めた。
◇
庭園を出る頃には、すっかり夜になっていた。
王城の廊下を歩いていると、向こうから見覚えのある二人がやってきた。
カイルとディーンだった。
「お、シオン!」
カイルが手を振った。
「どこ行ってたんだ?」
「ちょっと庭園まで」
「へえ」
カイルは俺を見た。
次に、ヴィオレッタを見た。
そして、俺たちの手元へ視線を落とした。
「…………」
沈黙。
俺は、まだヴィオレッタと手をつないでいることに気づいた。
だが、離す理由もない。
ヴィオレッタも、手を離そうとはしなかった。
カイルの口元が、ゆっくりと持ち上がる。
「……お前ら」
「何だよ」
「ついに?」
俺は少し照れくさくなった。
だが、隠すつもりはなかった。
「ああ」
俺はうなずいた。
「付き合うことになった」
カイルは目を見開いた。
そして――。
「おおおおおっ!」
廊下に響くほどの声を上げた。
「やっとかよ!」
「声が大きい!」
ディーンが慌ててカイルの肩をつかむ。
「だってよ! ようやくだぞ!」
「分かったから静かにしろ!」
俺は思わず笑った。
ヴィオレッタも、隣で笑っている。
ディーンはため息をついた。
「……まあ、おめでとう」
「ありがとう」
「ヴィオレッタも、おめでとう」
「ありがとう、ディーン」
彼女は嬉しそうに答えた。
カイルはまだ興奮していた。
「これはリシアたちにも知らせないとな!」
「おい、待て!」
俺が止めるより早く、カイルは廊下を走り出した。
「リシアー! エリオットー!」
「……あいつ」
ディーンが頭を抱える。
俺とヴィオレッタは顔を見合わせた。
そして、同時に笑った。
「……大変なことになりそうだな」
「ふふ。そうね」
ヴィオレッタは俺の手を少し強く握った。
「でも、私は嬉しいわ」
「俺もだよ」
俺たちは、並んで歩き始めた。
◇
その夜。
王城の執務室では、エレノアが新たな報告を受けていた。
「……グランツ商会の倉庫から、追加の資料が見つかったのですね」
「はい」
報告に来た警備隊員がうなずいた。
「地下搬入口の先で、複数の輸送記録を発見しました」
「内容は?」
「発掘品の移送先が記されています」
エレノアは書類を受け取った。
そこには、王都周辺の地名がいくつも並んでいた。
その中に、一つだけ不自然な記載があった。
――旧王立天文台。
「……ここは」
エレノアの表情が変わった。
旧王立天文台。
数十年前に閉鎖された、王都郊外の施設だ。
現在は使用されていないはずだった。
「この場所にも、荷物が運ばれていたのですか?」
「はい。少なくとも、過去半年で十数回の記録があります」
エレノアは書類を見つめた。
「……ヴァルターを呼んでください」
「承知しました」
警備隊員が部屋を出ていく。
エレノアは窓の外へ目を向けた。
王都の夜景が広がっている。
研究院の内通者。
グランツ商会。
そして、旧王立天文台。
少しずつ、秘密組織の活動が明らかになり始めていた。
「……必ず、突き止めます」
エレノアは静かにつぶやいた。
その声には、王女としての強い決意が込められていた。
王都の夜は、静かに更けていった。




