第4話 おばあさまと葡萄酒
「領主なんて呪われるのも仕事のうちよ。それで死ぬなら所詮その程度」
豪奢な天蓋付き寝台の中で葡萄酒を優雅にくゆらせ、赤ずきんの祖母は涼しげに言い放った。
「でもねぇ、おばあさま。毎日あんなに呪われるのは異常だよ。なにか原因や事情があるんじゃない?」
寝台脇の椅子に腰かけ、オオカミはおばあさまが空けたグラスに葡萄酒を注いだ。
迷子の呪いを連れ出す仕事が休みなので、オオカミは葡萄酒の大瓶を抱えて、伯爵家の森の狩猟小屋――別邸や別荘と呼びたくなるほど壮麗だ――を訪れていた。
「心当たりがありすぎてどれか分からないわ」
「わぁ、貴族って大変だねぇ」
「大変なのはお前もでしょう、オオカミや。獣にこき使われて、赤ずきんの世話までして」
おばあさまは愉快そうにオオカミに微笑みかけた。
否定できず、反論の言葉が見当たらず、オオカミは葡萄酒をすすった。
おばあさまは、赤ずきんとオオカミの食べて食べられる関係を知っている。
赤ずきんの呪いを食べるようになってすぐ、この狩猟小屋の寝台で二人がまどろんでいたら、おばあさまとうっかり鉢合わせた。
孫と獣の臣下が一糸まとわぬ姿で寝台にいるのを目にした瞬間、おばあさまはみずから椅子を引いて真横にぴったり居座り、事の次第を根掘り葉掘り問いただした。貴婦人の圧と恋物語に盛り上がる少女のごとき勢いにオオカミは圧倒され、おばあさまに聞かれるがまま答えてしまった。
それ以来、オオカミは毎週おばあさまを見舞う酒飲み仲間だ。
「赤ずきんに死なれたら困るんだ。領民に慕われているみたいだし」
美味しい呪いをたべさせてくれるし、とオオカミは喉の奥でつぶやいた。
「昨日と今日、隣の領主様にこの森を見せているのも、この森を守るためだよ。だから、世話というか、救命活動というか……」
言い訳がましいなぁ、とオオカミは我ながら情けなくなった。
恋や愛が恐ろしいか、どれほど呪いを生み出すか、オオカミはよく知っている。
呪いの森に迷い込んだ呪いたちを通して、たくさん目の当たりにしてきた。
無邪気に飛び込むには、あまりに深く危険な底なし沼だ。
「オオカミや、お前と出会ってから赤ずきんは笑うことが増えたわ」
絹の頭巾のフリルの下から、おばあさまの温かな眼差しがオオカミをさすった。
「少年の頃から騎士として戦場を駆け、領主として難しい顔ばかりしていたあの子が、お前にだけとろけるようなとびきりの笑顔を見せるのよ。いい顔をするようになったわ。あれは恋する目ね。わたくしには分かるの」
おばあさまは葡萄酒をぐいっと一気に飲み干した。
赤ずきんと同じ色の瞳が、情熱的にきらりと輝く。
「なぜならわたくしも今、恋をしているから!」
「は?」
オオカミはあっけにとられて間抜けな声を漏らした。
「マダム、我が愛しい人」
「あら! わたくしの最愛の人、来てくださったのね!」
開け放たれた二階の窓の下から、演劇俳優のように渋い美声が届いた。
おばあさまは寝台から飛び降り、窓辺に駆け寄ると乙女のように声をあげた。
オオカミが死角から地上をのぞくと、猟銃を携えた伊達な狩人が熱烈な眼差しをおばあさまに捧げていた。
「マダム、二人で森の冒険はいかがかな?」
「愛する狩人さん、お待ちあそばせ! すぐに参りますわ!」
おばあさまは絹の頭巾をオオカミにかぶせた。毛皮の灰色狼もおおいに戸惑っているだろう。
「オオカミや、わたくしは狩人さんと恋の冒険に出かけるから、お前はこれをかぶってしばらくわたくしのふりをしておくれ」
「えぇ? なんで?」
おばあさまはいつの間にかマントを羽織り、窓の枠に足をかけた。
「じきに赤ずきんが来るわ」
「え!?」
「ばれないように適当にお小言を聞いてやってちょうだい」
「むちゃ言わないでよぉ!」
おばあさまは二階の窓からひらりと飛び降り、お姫様のように狩人に抱えられて森の中に消えた。元気がよすぎる。
甘く美味しそうな匂いがオオカミの鼻先に漂ってきた。
部屋の扉が叩かれた。
オオカミは残りの葡萄酒をあわてて飲み干し、とっさに寝台に飛び乗った。絹の頭巾を押さえながら、上掛けを引っぱり上げて頭からかぶった。
寝台のまわりのカーテンを引けばよかったとオオカミが気づいたちょうどそのとき、静かに扉が開いた。
「おばあさま、お昼寝なさっているのですか?」
赤ずきんは声を潜めてたずねた。
オオカミは上掛けの下で、狩猟ブーツの硬い足音がゆっくりと寝台に近づいてくるのを聞いた。枕元で立ち止まると、赤ずきんは溜め息をついた。
「また昼間から葡萄酒を召し上がったのですね。夜まではハーブ湯にしてくださいと申し上げたのに」
生真面目な声。たしかにこれはお小言だ。
葡萄酒がグラスに注がれた。喉の骨が上下する音がやけに大きく響く。大きな寝台にちぢこまるオオカミの肩のすぐそばが、ぎしりと沈んだ。赤ずきんが寝台に腰かけた。
「おばあさま、あなたの灰色のお耳はどうして大きいの?」
「お前の言うことが、よく聞こえるようにね」
オオカミの真上から低く囁く声が落ちてきた。
「おばあさま、あなたの瞳はなぜ美しい琥珀色になったの?」
「お前がよく見えるようにね」
欲望にきらめく真っ青な瞳に見下ろされ、オオカミは笑みをかみころした。
「おばあさま、あなたの手はどうして温かいの?」
「お前をよく撫でられるようにね」
指が絡み合い、今にも鼻先が触れ合いそうだ。
「おばあさま、あなたのお口はどうして三日月のように笑っているの?」
「お前をたくさん食べられるように」
「私もたくさん食べたいな、オオカミさん」
まったくお互い趣味が悪いなぁ、とオオカミは赤ずきんにつられて笑った。
「あなたに会えて嬉しいです、オオカミさん。明日まで会えないと思っていたから」
赤ずきんに押しつぶされベッドに深く沈み、甘く美味しい呪いを味わいながら、オオカミは葡萄酒を飲みすぎて酔っ払っていたのか余計なことを口走った――ような気がする。
「私も…… 会いたかったよ、赤ずきん」
爽やかな初夏の微風が窓から忍び込み、若葉や野花の薫りを運んでくる。森からは小鳥の澄んださえずりが響く。やわらかな陽射しが射し込み、かき混ぜた水面より乱れたシーツの波間をたどり、絡まる裸足のつま先に届いた。
「ところでオオカミさん、おばあさまはどこへ?」
赤ずきんはオオカミを抱えながら優しくたずねた。
「え? あぁ、えぇと……」
「まさか食べてしまったのですか?」
オオカミが口ごもると、赤ずきんは彼女の唇をぺろりと舐めてからかった。
「食べないよ! あなたでお腹いっぱい」
オオカミが笑い声をあげ、正直に答えた。
「恋人と愛の冒険に行っちゃった」
「え? 逢い引きですか?」
「うん。伊達な狩人とね」
赤ずきんは呆れ返った様子で苦笑いを浮かべた。
「やれやれ。おばあさまは恋多き貴婦人で、病気療養の名目でこの森で若いツバメと密会を楽しんでいるんですよ」
「わぁ、おばあさま、やるねぇ」
「きっと隣の領主に同行してきた狩人の一人でしょう。夏の森は基本的に禁猟期間です。私の許可なしに狩人は森へ入れません」
オオカミは呪いの森の住人なので、現実をよく知っていた。
領主が禁じようが、狩人――正確を期するなら、密猟者――は好き勝手に森を出入りする。
その日、森の遠くから銃声が聞こえた。
ワタリガラスは枝に止まらず、空中で黒い翼をばさばさとはためかせながらオオカミに告げた。
『おい、オオカミ。狩人が来ているぞ』




