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帝都「グラナダ」の夜会は、王国のそれとは空気の重みが違った。
無駄な虚飾を排し、実力と知恵こそが至高とされる帝国の貴族たち。彼らの好奇の視線にさらされながら、私はセドリック様の隣を歩く。
身に纏うのは、夜の闇を溶かし込んだような深い真紅のドレス。
背中を大きく開け、鎖骨には王家の呪縛であったペンダントではなく、セドリック様から贈られた大粒のダイヤモンドが輝いている。
「……緊張しているか? アニエス」
隣で低く囁くセドリック様の声には、隠しきれない愉悦が混じっていた。
「まさか。むしろ、せいせいしていますわ。誰かのために祈るのではなく、自分のために微笑むのがこれほど楽だなんて」
私が扇を広げて微笑むと、会場の空気が一変した。
王国の「地味で不健康な聖女」という噂は、帝国の諜報網を通じて彼らも知っていたはずだ。だが、今ここにいるのは、自信に満ち溢れ、周囲を圧倒する魔力のオーラを纏った、苛烈なまでに美しい貴婦人。
「セドリック殿下、その方は……?」
帝国の重鎮、軍務卿のバルカス侯爵が近づいてくる。彼は私の瞳を覗き込み、驚愕に目を見開いた。
「この魔力の密度……。まさか、あの『枯れ果てた聖女』という噂は、王国の情報操作だったのか?」
「いいえ、侯爵。王国が愚かだっただけだ。彼らは、磨けばダイヤモンドになる原石を、ただの石ころだと思い込んで投げ捨てた。……私はそれを拾い上げ、私の剣とした。それだけのことだ」
セドリック様が私の腰を引き寄せ、宣言するように言い放つ。
その瞬間、私は確信した。
この国なら、私の力を「奇跡」という安っぽい言葉で浪費させず、世界を動かす「力」として扱ってくれる。
その時、会場の入り口が騒がしくなった。
「通せ! 私はラ・ヴァリエール王国の特使だ! アニエス公爵令嬢に緊急の伝言がある!」
現れたのは、ボロボロに汚れた旅装束の騎士だった。
エリオット殿下の側近、カイル。かつて私を「殿下の足を引っ張る無能」と罵った男だ。
彼は私を見つけるなり、這いつくばるようにして駆け寄ってきた。
「アニエス様! お探ししました! すぐに、すぐに王国へお戻りください!」
周囲の帝国貴族たちが冷ややかな失笑を漏らす。
私はセドリック様から渡されたシャンパングラスを傾け、冷淡な視線を彼に落とした。
「……あら、どなたかしら。私は帝国の客。王国の騎士に指図される覚えはありませんわ」
「そんなことを言っている場合ではありません! 結界が消滅し、王都のすぐ側まで魔物の群れが迫っているのです! 陛下も殿下も、貴女の慈悲深い祈りを待っておいでです!」
慈悲深い祈り。
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。
「……笑わせないで。私が八年間、どれほど祈り、どれほど血を吐く思いで国を守ってきたか、貴方は一番近くで見ていたはずよ。それを『無能』と切り捨て、泥水をすすれと追い出したのは誰だったかしら?」
「それは……殿下も混乱されていたのです! 貴女さえ戻れば、すべて元通りになります! 公爵家への復帰も、王妃の座も、殿下は約束すると仰っています!」
私はゆっくりと彼に歩み寄り、その耳元で、会場中に聞こえるような澄んだ声で告げた。
「お帰りなさい。そしてエリオット殿下に伝えて。……『私が必要なのは、貴方の方でしょう?』と」
カイルの顔が絶望に染まる。
「でも、私は帰る気はありません。あんな不潔で、感謝も知らない国に捧げる祈りは、もう一滴も残っていませんから。……さようなら。次は戦場か、あるいは滅びゆく城の露の上でお会いしましょう」
「そんな……! お見捨てになるのですか! 数十万の民を!」
「民を見捨てたのは、無能な王族と、それを盲信した貴方たちよ。……セドリック様、不愉快な羽虫を追い払ってくださる?」
セドリック様が合図を送ると、帝国の近衛兵たちがカイルを取り押さえ、無慈悲に引きずり出していった。
静まり返る会場。
私は飲み干したグラスを給仕に預け、セドリック様に向き直った。
「さて、セドリック様。……王国が自滅するまでのカウントダウンを楽しみながら、明日の『不毛の魔山』の浄化計画を詰めましょうか? 私、やる気が出てきましたわ」
「ああ、もちろんだ。貴女が望むなら、あの国が完全に焦土と化すまで、特等席を用意し続けよう」
私の頬を撫でる彼の指先は熱い。
復讐はまだ始まったばかり。
王国の悲鳴が、帝都まで届くその日を夢見て、私は人生で一番輝かしい笑みを浮かべた。




