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【連載完結】私が必要なのは貴方の方でしょ? でも私は帰る気はありませんから。さようなら。  作者: 逆立ちハムスター


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 セドリック皇子が用意した馬車は、王国のものとは根本から思想が異なっていた。

 装飾は最小限だが、車体には最新の魔動衝撃吸収陣が刻まれ、石畳の上を滑るように進む。

 私は向かい合わせに座るセドリックを、扇の隙間から観察した。


「……随分と熱心な視線だな。私の顔に、何か付いているか?」


「いえ。ただ、帝国の皇子ともあろうお方が、これほどまでに『実利』を重んじる方だとは思わなかっただけですわ。私を拾ったのは、単なる慈悲ではないのでしょう?」


 私の問いに、セドリックは組んだ足の膝を指先で叩き、低く笑った。


「慈悲? そんなものは戦場に置いてきた。私が貴女を求めたのは、帝国の北部に広がる『不毛の魔山』を浄化するためだ。あそこが落ちれば、帝都への物流が三倍速くなる」


「……なるほど。祈りによる奇跡ではなく、経済戦略のための魔力供給。分かりやすくて好きですわ、そういうお話」


 私は手元の書類――彼が「報酬の提示」として差し出してきた、帝国の魔力分布図に目を落とした。

 王国では、聖女の力は「神からの授かりもの」として神秘のベールに包まれていた。だが、この男はそれを「エネルギー資源」として計算している。


「ですが、セドリック様。この図面、三箇所ほど計算が狂っていますわよ。特にこの第三防衛線の結界、魔素の還流が滞っている。このままでは三日後に、内側から弾けますわ」


 セドリックの眉が、ピクリと跳ねた。

「……ほう。見てわかるのか?」


「八年間、欠陥だらけの王国の結界を一人で補修し続けてきたのです。綻びを見つけるのは、呼吸をするより簡単ですわ」


 私はライルから借りたペンで、図面にさらさらと修正の陣を書き加えた。

 それは、王国の魔導師たちが一生かけても到達できない、高効率の「魔力バイパス」の理論。


「これが、私の挨拶代わりです。……さて、私がこれだけお見せしたのですから、セドリック様も約束を守ってくださるかしら?」


「ああ。貴女の安全と、過去との決別。そして――」


 セドリックが窓の外を指差した。

 そこには、帝国の伝令兵が走らせる魔導通信の鏡が明滅していた。


「――王国の『断末魔』を特等席で眺める権利だ」



────



 一方その頃、ラ・ヴァリエール王国。

 王宮の会議室は、阿鼻叫喚の図と化していた。


「報告します! 北部国境の第一結界が消失! 魔物の群れが農村部へ流入しています!」

「南部の魔力貯蔵庫が爆発! 原因不明の魔力逆流が起きています!」


 次々と飛び込む悲報に、エリオット殿下は机を叩いた。

「落ち着け! リリアがいるだろう! 聖女のリリアに祈らせれば、こんなものすぐに収まるはずだ!」


 視線の先で、リリアは真っ青な顔で震えていた。

 彼女は今日、一睡もしていない。いや、できなかったのだ。

 アニエスがいなくなった瞬間、王宮を包んでいた「安眠の加護」が消え、夜通し正体不明の羽虫や湿気に悩まされた。


「あ……あの、エリオット様……。お祈りはしているのですが、その、光が……出ないのです……」


「何だと!? 貴様、兆しがあると言ったではないか!」


「それは……っ、お姉様がいつも私に魔力を分けてくれていたからで……っ」


 リリアが口を滑らせた瞬間、会議室に凍りつくような沈黙が流れた。

 エリオットの顔が、怒りと、そして初めて「理解」が追いついた驚愕で引き攣る。


「……分けていた? アニエスが、貴様に?」


「は、はい……。お姉様が『リリアも聖女の役目を分担していることにしましょう、その方が貴女の立場も良くなるから』って……。だから私は、ただ手を合わせていただけなんですの……!」


 エリオットの脳裏に、アニエスが去り際に残した言葉が蘇る。

『ペンダントを外せば、私が個人的に維持していたすべての加護が消失しますが……よろしいですね?』


 あの時は、負け惜しみだと思って鼻で笑った。

 だが今、目の前で崩壊していく王国そのものが、彼女の言葉の「正しさ」を証明していた。

 彼女がいなければ、この国は、自分は、ただの「無能な集団」でしかなかったのだ。


「……アニエスを探せ。今すぐだ! 衛兵! 騎士団! 総員をもって彼女を連れ戻せ!」


「殿下! しかし、彼女は国外追放を命じられたはずでは……」


「うるさい! 追放は取り消しだ! 戻ってきて祈れと、これは王命だと伝えろ!」


 エリオットは叫んだ。

 だが、彼らが国境に到達したときには、既にアニエスの乗った馬車は帝国の堅固な要塞の中へと消えていた。



────



 帝国の夜会。

 アニエスは、セドリックから贈られた、深紅のドレスを纏っていた。

 王国の地味な聖女服ではない。自らの意志で選び、自らの美しさを誇示するための装束。


「……アニエス。王国の使いが、国境で喚いているらしいぞ。『聖女を返せ』とな」


 セドリックが、極上のワインが入ったグラスを差し出しながら囁いた。

 私はそれを優雅に受け取り、遠く南の空――赤く染まり始めた故国の方向を眺める。


「あら、困りましたわね。私、あんなに『後悔しても遅い』と言って差し上げたのに。……セドリック様、追い返してくださる?」


「当然だ。今の貴女は、帝国の国賓。……いや」


 セドリックが私の手を取り、その甲に熱い唇を落とした。


「私の、専属の勝利の女神だ。指一本、触れさせはしない」


 私は微笑んだ。

 かつて私を「出がらし」と呼んだ男に、教えてあげたい。

 本当の地獄は、まだ始まったばかり。

 私が注いできた八年分の「献身」の価値、その利子を含めてたっぷりと、その身で支払っていただくわ。

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