精神安定剤としての海外旅行
タトゥー。
洒落たカタカナ語で呼んでいるが、要するに入れ墨、ヤクザ者の象徴。
身体を傷つけて描かれた下品な模様をイカシテルと感じる品性、知性のなさ。それを見せびらかし、悦に入っている連中を嫌悪、軽蔑してきた。しかし今夏の欧州3週間滞在でそうした自分の見方が変わってきた。
彼の地はタトゥーだらけ。お年寄りから幼女まで、老若男女を問わず彫り物を入れている。太い腕にタトゥーという警官もいた。体感的には街中で見かける人の3割がタトゥー入り。そうしたタトゥー文化を目にして、見方、考え方が変わってきた。要するにタトゥー慣れしたのである。
先日の帰宅時、電車内で全身タトゥーまみれの若者を見かけた。両腕、両足、肩に至るまで彫ってある。以前なら強い嫌悪感とともに目を背けていた。しかしタトゥー慣れした現在、そういった負の感情はそれほど湧かなかった。意外と平静でいられた。
人は自己の価値観と異なるモノに出会うと、戸惑い、困惑し、時に嫌悪感を抱く。偏狭な見方、考え方を持つ人は許容範囲が狭い分、そうした負の感情に陥る機会が多くなるだろう。つまりそうした人々ほど、不特定多数が行きかう社会生活においては緊張する場面が多くなる。精神安定剤を手放せない人たちに案外そんな人たちが混ざっていないだろうかか。
海外で異質な人、異質な文化と出会う。それにより視野が広がれば社会生活における緊張度が減ってくる。だから海外旅行には精神を安定効果があると思う。
近年、日本人が海外旅行に行かなくなったと言われている。実際、自分もそれを実感している。1989年にベルリンに行ったときはそこかしこに日本人観光客がいて、彼らと目が合うのが何となく気恥ずかしかった。しかし37年ぶりに同地を訪れたが気恥ずかしく感じる場面がなかった。日本人がいないのである。中国人はたくさんいた。韓国人もいた。なのに日本人はほとんど見かけなかった。
海外に行かなくなった日本人。近年、偏狭な見方、考え方が国内に広がっているがその一因はこんなところにあるのかもしれない。




