水面に映るは初恋の――
人混みの隙間から見えたのは中心で落ち着きなく動き回るアヴァンだった。
普段は大人しく温厚な彼がこうなった原因は私にある。
アヴァンのことを危惧はしていたのにイアロだけに任せてしまったのだから。
「失礼、通してくださいますか。」
騎士達に聞こえるように声を張ると一斉に視線が集まった。
「あの、ご令嬢には危険です。」
騎士の一人がそう言ったが微笑み返してアヴァンに近づく。
「アヴァン、私よ。」
未だに落ち着かない彼に声をかけ続ける。
「寂しかったでしょう。ごめんなさい。一緒にお散歩したいのです。どう?してくれますか?」
私の声に気付いたのか耳をパタパタとすると動きが止まった。
「アヴァン。」
ゆっくりと近づいて額を撫でると顔を寄せてきた。
「お嬢様。お手を煩わせて申し訳ありません。」
「イアロのせいではないわ。私の配慮が足りなかったの。」
優しく微笑みながらアヴァンを撫でる。
手は添えたまま騎士達の方に振り向く。
「私はフォンゼル公爵家のシャリア・フォンゼルと申します。この子は私の馬のアヴァンです。ご迷惑をお掛けし申し訳ございません。」
騎士達を見渡して軽く頭を下げた。
しかしすぐに反応は返ってこない。
「これは私達の不手際です。」
間を埋めたのは責任者であろう騎士の言葉であった。
すると騎士達は揃って頭を下げる。
「頭を上げて下さい。本来の業務とは違うのですから責任を感じないでください。」
尚も否定しそうな雰囲気を感じたので、笑みを見せてアヴァンの手綱を握る。
「少しこの子を宥めてきます。」
「では私も。」
イアロに対して首を横に振る。
「シャリア殿が一人になるのは私共も見過ごせません。」
様子を見ていた先程の騎士がそう言う。
「なら、馬が走り出してしまったとして見逃して下さい。」
勢いのままアヴァンの背に跨がると手綱で走り出す合図をする。
ぐんと力が加わり風を切ると、声を上げる騎士の声も遠ざかってゆく。
「ごめんなさい。アヴァンのせいにしてしまいました。」
たてがみをなびかせる彼に謝りつつ目的の場所へと向かう。
「早速粗相をしてしまったようね。」
木々の隙間に現れたのは透明な泉。
王家の所有する森ということもあって綺麗に手入れされている。
父から教えてもらっていたこの場所。
狩猟場とは反対の場所なので間違って撃たれることはない。
ふと視界に入った白いガゼボ。
蔓が巻いた出で立ちは趣があって景色に馴染んでいる。
背から降りてアヴァンをガゼボに繋ぎ、椅子に腰掛ける。
風が木々の隙間を抜ける音が心地よい。
さざめく水面は反射した風景を揺らめかせている。
ピチャンと耳元で水音が聞こえた。
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「はぐれてしまったの。どうしましょう。」
水面に映っているのは白い髪に深い青の瞳の少女。
そう、幼い頃のセシリア。
毎年避暑地として過ごす領地の森で私はお兄様達と離れてしまった。
ちょっとそこまで散策しようと思っていたのに気付いたら迷ってしまい、辿り着いたのがこの泉。
「きっとカルティエが怒られてしまっているわ。」
映る少女は悲し気に眉を下げている。
私の護衛としていつも傍にいてくれる彼は優しく見守ってくれている。
その目を盗んで離れた私が悪いのに。
バサバサと鳥の群れが木々から飛び立つ音に身体は反応する。
怖い。
もしこのまま見つけてもらえなかったら。
嫌なことを想像し、振り払うように頭を横に振る。
「大丈夫よセシリア。私は強いのだから。」
抱え込んでいた膝から手を離して水面に映る自分をそっと撫でる。
「、、、ひめ、、さま。」
自分以外の声がしたことで咄嗟に振り向いた。
黒髪に菫色の瞳の少年が後ろに立っていた。
服は騎士見習いのものである。
この顔立ちどこかで。
「も、申し訳ございません。王女殿下。」
俊敏に跪いて頭を下げる彼。
どうして謝っているのかは分からない。
「あの、こちらを。」
そっと差し出されたのは小粒な白い花を咲かせた野花だった。
時間が経ったせいか少し萎れ気味である。
どうして、とまた考える。
彼を見ると髪も乱れていたし息も少し上がっている。
服も土汚れがついていた。
その意味を理解した途端、彼の握っている野花が愛しく感じる。
「、、、ありがとう。とても綺麗ね。」
大事に包み込んで受け取り、顔の近くへと持ってくる。
優しい甘い蜜の香りがした。
彼と目が合えば菫色の瞳が柔らかく私へと向けられていた。
「ご無事でよかったです。王女殿下。」
この溢れ出る感情を何と呼ぶのかは分からない。
「先程の呼び方はしてくださらないの。」
気付けばそう口にしていた。
彼は数度瞬きをした後、急に首を横に振る。
「先程はそういう訳ではなく――。」
「ではどういう意味でしたの?」
問いに困ったような表情をした。
それが悲しく感じて彼に背を向けて泉を見る。
「そう、気に入ったのに。」
私の呟きの後で彼が動いたのを感じた。
振り向くと彼は胸に手を当てて頭を下げている。
「申し遅れました。私はカルティエ子爵家が嫡男、マグルド・カルティエと申します。現在騎士見習いとして修業中の身であります。殿下がお許しいただけるのであれば、私が晴れて騎士になった暁には、その呼び名で呼ばせていただいてもよろしいでしょうか。」
私を見上げる彼の黒髪が木漏れ日で明るく照らされている。
前髪から覗く彼の瞳に私は捉われていた。
それに胸を締め付けられる。
「マグルド・カルティエ子息。私が許します。」
「ありがとうございます。」
「ですから早く立派な騎士になって下さいませ。」
私が微笑むと彼は息を呑み込んだ。
「私は王女殿下に仕えることを目指しております。殿下に仕えさせていただいた折には、一生涯お守りすることを誓います。」
まるで騎士の叙任式のよう。
頼もしい未来の私の騎士に言葉を送る。
「でしたら私は――。」
・
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風に煽られた髪が背中で揺れているのを感じる。
あの後私は何と続けたのでしたっけ。
ただ、なびく黒髪と私を真っ直ぐに捉える菫色の瞳は鮮明に覚えている。
今なら痛いほど分かる。
あの時に溢れた感情を何と呼ぶのか。
「姫様」という特別な呼び方を彼に乞うたのか。
「その代わり一度もセシリア殿下と名前は呼んで下さらなかったけれど。」
彼の呼ぶ「姫様。」という声が耳をかすめた気がする。
“セシリアの白い髪と白い花。”
この意味に期待した私はあまりにも愚かでした。
あの花は栞にして大事に持っていたけれど。
意味などなかったのですよね。
私を一生涯守ると叙任式でも彼はそう誓った。
それなのに。
「、、、私を裏切った残酷な人。」
そして
―――心の底から愛してしまった人。
立ち上がった身体は水面に引き寄せられていた。
透き通った泉に一人の女が反射している。
銀髪に空色の瞳。
「「あなたはセシリアではなく、シャリアよ。」」
彼女がそう言っている。
痛い程分かっています。ですから――。
彼女へと手を伸ばす。
指先が微かに濡れると波紋が広がった。
「何をしている!」
突然加えられた力、回された腕、私を後ろから覆う男性の身体。
恐怖のあまり身体は硬直した。




