回想:セシリア王女の婚約破棄5
ランゼル達の周囲の者だけではなく会場中に響き渡った王太子を侮る言葉に、和やかに奏でられていた音楽さえ聞こえなくなった。
「安心してください。この私が、セシリア様を幸せにしてさしあげます。」
胸に手をあてランゼルに向けた笑みは、セシリアにいつも向けていたあの目であった。
なんて不気味な男だ。
こんな目でセシリアを見ていたとは、どうしてくれよう。
異変に気付いた側近や騎士、少し離れた場所にいた第二王子と第三王子。
それぞれが無礼な男に対してその身を動かそうとした時、場を制するようにランゼルは微笑む。
「ほおそれは頼もしい。私も王太子である前にセシリアの兄であるのでね。心配していたのだ。」
張り詰める空気には似合わない王太子の軽やかな声に聴衆はこう思う。
さすがわはランゼル王太子殿下。
相手の非礼さにも王族として理性的にかつ大事にせぬようにという配慮、それに対して婚約者とくれば。
しかしランゼルの真意は別にあった。
これからもっと醜態を晒してくれればこちらに理があると。
「でしょう。セシリア様は大変愛らしい方ですから。心配といえばですが、王女付きの騎士マグルド君をセシリア様から外してくれないでしょうか。」
にこやかに聞いていたランゼルもそれには口は笑っていても目は笑っていない。
「ヴァルク子息。君は王家の人事に問題があると言っているのか。」
さすがのルイフェルでも感じた圧を含んだ声色に一瞬たじろいたが、咄嗟に口にした訂正になっていない言葉は墓穴を掘る。
「ち、違います。私とセシリア様は愛し合っている婚約者同士。私が彼女に触れようとすると牽制してくるのです。」
「婚約者は婚約者だ。婚姻前のセシリアに過度な接触を求める方が見当違いだ。それに則ってセシリアを護衛しているカルティエに何ら問題はない。」
顔を下げたルイフェルからはチッという舌打ちがした。
声よりも小さいはずの音は聴衆にも届く。
「そうです!セシリア様を連れて来てください。直接聞けば分かりますよ。私を愛しているからマグルドはいらないとね。」
足早に出入口へ向かって去っていく騎士をランゼルは視界の端で確認した。
さっきの王女付きか。
カルティエに知らせに行ったな。
彼のことだ。セシリアを連れては来ないだろうが。
なにせ分が悪い。
父が来るまでは時間もある。
まあ、私としては願ったり叶ったりだ。
このように次から次へと恥を晒してくれようとは。
セシリア様と喚くルイフェルにランゼルは笑いかける。
「セシリアは体調が優れないのだ。それでも来いと言うのならば仕方ない。今しがた呼びに行かせた。」
「では、これで―――。」
「これで。セシリアが来なければそれまでだ。」
体調の悪い王女を呼び寄せた。
これだけでもいかに非礼極まりないことかと聴衆は目を細め、囁き合う。
(セシリア殿下は体調がよろしくないのだろう。それなのに連れて来いとは。)
(だが婚約者の失態を見て見ぬ振りとはそれもどうかと思うぞ。)
セシリアを擁護する声の中には婚約者として、王女としてルイフェルの暴走を止めに来ないのはいかがなものかと懐疑的なものもあった。
皆が来るか来ないかと静かにざわめき出す。
そんな折音とともに開いた扉には、黒色の制服に一際光る白き腕章。
王女付きの騎士ただ一人。
(ほらやはり。)
(来なかったか。)
さざめき合う聴衆の中を白き腕章を身に付け、その菫色の瞳は脇目を振らず、動じることもせず歩いていくと王太子の前で跪く。
「失礼いたします。ランゼル王太子殿下。王女殿下は体調が芳しくないため、私の独断にて休んでいただいております。」
「独断」、つまりセシリア王女にこの事態を伝えなかったということ。
この言葉にセシリアへ向いていた懐疑的な声が彼に矛先を変える。
跪く男の腕章を見つめてランゼルは「よくやった。」と心の中で誉めた。
セシリアがこの事態を知らなければ誰もその責を追及することは出来ない。
ルイフェルには十分恥を晒してもらった。
彼のことは後で父に報告することにしよう。
これでセシリアの名誉も傷付かずに事が進む。
「そうか、ならばこの話はここで終わりだ。皆様お騒がせしてしまい申し訳ない。今宵はまだ長い故楽しんでくだされ。」
王太子がそう言ってしまえば聴衆も舞踏会の参加者へと戻らなければならない。
ヴァイオリンがその音を鳴らすと同時にルイフェルは声を荒げた。
「終わっていない!」
王女付き騎士に歩み寄りその姿を見上げるとルイフェルは言う。
「私とセシリア様を引き離そうなどとは騎士風情が。そのように抗ったところで愛し合う私達を裂くことは出来ないんだよ。」
王女付きの騎士たる彼は何も言わない。
それを良いことにルイフェルは周りを歩きながら身振り手振りをつけて役者のように語りだす。
「君が王女付きになってからセシリア様が冷たくなったのだ。彼女を脅しているのか?セシリア様は私が守ってあげなければならない。あの穢れを知らない王女には私が、、。」
聴衆がざわつきルイフェルから意識が外れる。
姿を現したイリージア国王は手で静し、ルイフェルを見下ろしている。
ルイフェルは自身に対する反応だと勘違いし、黙ったままの騎士を畳み掛けるように下から覗き込んで嗤いかけた。
「君はセシリア様には無用だ。何とか言ったらどうだ。図星過ぎて言葉が出ないか?」
なぜ彼が黙っているのかルイフェルに分かるはずがない。
王女付きの騎士が主君のいない公の場所で発言すれば、セシリア王女の責につながるからだ。
真顔でただ自分を見下ろしてくる男にルイフェルはつまらんと感じた。
激昂して私に手を上げでもすればよいのだ。
そうすればセシリア様は私のために彼を外すだろう。
そして膝をついて私に許しを請えばいい。
この男の崩れた表情が見てみたい。
「そうか。」
うって代わり声を下げて冷えた声は、静かに言葉を区切った。
ルイフェルはほくそ笑む。
「マグルド、君はセシリア様と深い仲なのだろう?」
ランゼルが怒りの表情を露にしたのも無理はない。
セシリアの名誉を守りつつルイフェルに恥を晒してもらうという目的が崩されたからだ。
だが、当事者のマグルドと呼ばれた騎士の表情は変わらない。
ただその指が微かに動いた。




