□月星暦一五四五年〜六年 求婚
□ネブラ
月星暦一五四五年。
ネブラは二十七歳になっていた。
結婚適齢期は、とうに過ぎていると言っていい。
父のスールが王族との婚姻に拘ったせいで、めぼしいネブラへ求婚話は残っていない。
かつて、夜会の的だった三人のうち、国王アウルム、腹心のネウルスは未だ未婚ではある。
国王ではアウルムは後継者を残さねばならない立場故に、いずれは何が何でも妻を娶らねばならないだろう。
堅物のネウルスには、ネブラを充てがおうとスールが画策したこともあるが、見事に断られていた。
家格を落とさずに釣り合う縁談は、後妻くらいしか無いだろうと、兄は頭を抱えている。
月星では、たとえ王でさえも一夫一婦制である。
ネブラの友人達も、次々と身を固めていた。
アリアンナは降嫁し、竜護星から月星に派遣されたレイナの幼馴染だという男性——ハイネ・ブライトを夫とした。
アウラも婚約者だったヴァルムを夫とし、子育てが忙しいのか最近は海風星をでて来ない。
ネウルスの妹クオーレは、未だ独身のネウルスの代わりに婿入りした夫ノースとクザン家を継ぐのだと息巻いている。
そして、アトラスとレイナの間には、前年に女子と男子の双子が生まれていた。
友人たちの話を聞いて、寂しくなかったとは言わない。
だが、ネブラはもう結婚に憧れは無かった。
道具のように使われている、というアトラスの言葉がずっと心にあった。
その言葉に、共感してしまったのだろう。
いつまで経っても、スールの娘としか見られない。
結婚しても、誰かの奥方でしかない。
そこに、ネブラは無い。
幸い、『タビスの台所』は、アトラスが帰郷の度に原稿を残していくため、継続されている。
何冊も冊子にできるほどに、頁も溜まっているので、改めて一冊の本としても出版にしようという案もある。
仕事をしていられるなら、ネブラは独身のままでも構わないと思っていた。
だが、何をするにも、体面というものが邪魔をする。
兄が言うには、良家の女性がいつまでも仕事をしていることは、好ましく思われないのだそうだ。
ならば、神殿に入って、神官として女神に仕えても良いとすら、ネブラは考えていた。
神官であれば、『タビス』であるアトラスとの縁も切れない。
そんなことすら考えてしまうほどに、まだ、アトラスへの想いは残っている。
その想いを、恋とはもう、呼ばないだろう。
異性として、アトラスが欲しいとは思わない。
だが、ある種の愛のようなものはあると、ネブラは自覚していた。
ただ、アトラスには最善の形で幸せであって欲しいのだ。
レイナと歩くことを決めたアトラスは、公務は忙しくとも、実際幸せそうだった。
ネブラはそうであることに、満足していた。
だから、突然湧いた婚姻話に、ネブラは面食らった。
こともあろうに、月星王アウルムが王妃にと、ネブラを望んだのである。
一向に妃を選ぼうとしなかったアウルムは、女性に興味が無いのではないかという、噂すら立っていた。
アウルムの口からネブラの名前が出てきた時、年齢が行き過ぎているという理由で、賛否は半々程度だったと聞く。
当然である。
王は、後継者を残すこともまた、責務である。
王妃には妊娠の可能性が高い人材を求めるのは、まっとうな意見だった。
しかし、ネブラの父スールは五大公の一人。当然喰い付き、ゴリ押しした。
アウルムに直接城に呼ばれたネブラは、二人きりでの面談の機会を得た。
「どういう、おつもりですか?」
ネブラは開口一番に問いかけた。
王への言葉としては無礼千万だっただろう。
「貴女の気持ちが、まだ、アトラスにあるからだよ」
アウルムの口から告げられた言葉に、ネブラは息を呑んだ。
「貴女なら、私に愛を求めない」
女性に対して、残酷とも言える言葉である。
「私は貴女に、私への愛を求めていない。私も、この先、貴女を愛せるとは限らない」
アウルムの碧い瞳がじっとネブラを見詰めた。
試されていると感じた。
「つまり、『王妃』の役をしてくれる『共犯者』をお望みですか?」
ネブラがはっきり尋ねると、アウルムは笑った。
「やはり貴女は聡いな」
アウルムの、困ったような笑い方がアトラスにそっくりで、胸が疼いた。
「ネブラ殿、貴女も家の方針と身の振り方に悩んでいたのだろう?」
言い当てられて、ネブラはぐうの根も出ない。
アリアンナ辺りからの情報だろうか。
「私は、いや、私もまた、自分の娘を物の様に差し出してくる家臣達に我慢ならなかった」
だから選べなかったと、アウルムは苦い顔をした。
「物の様に扱われた上に、重圧のある立場を強いられるのが、解っていない者たちが多すぎる」
そう吐き出すアウルムの、その口調に込められていたのは憐れみだろうか。
アウルムが王になって約十年。
一つの月星をかかげ、様々な改革に手を付け、因習の排除を試みている王である。
アウルムは、これもまた、因習と感じているのだろう。
「そうであれと、教えられてきたから、気付けない。それが全てと信じて努力してきた彼女たちの頑張りは、否定しないであげてくださいね」
ネブラがそう口にすると、アウルムは目を瞠った。
「そうだね。私も、失礼なことを言っている自覚はあるよ」
必要なのは、意識改革なのだと、アウルムはため息を吐いた。
改革とは、今までの概念を変えることでもある。
この十年も理解はされ難く、なかなかに茨の道だったことが想像できた。
「王の妃とは、孤独な立場でありながら完璧を求められる、過酷な地位である。女性陣の妬みや嫉妬から、貴女を贔屓することも、護ることも出来ない」
顔を改めて、アウルムはネブラを見詰めた。
「そして、貴女を妻にしたからと言って、貴女の家が優遇されることは無い」
「テルグム家は、古い体制にしがみついて、今でも十分優遇されていると思いますけど?」
五大公は、前の王アセルス時代の遺物と言い換えられる。
自分の家のことながら、さぞ扱いにくいだろうとネブラは思っていた。
「そういうことが言えてしまうから、貴女は聡いと言っているんだ」
ネブラの言葉を受けて、さぞ面白そうにアウルムは笑った。
「だから、問おう。貴女は、それでも王妃になることを望むかい?」
面食らわなかったとは言わない。
だが、アウルムの、はっきり言う態度を、清々しく感じた。
あのアトラスの兄だけはある、と思った。
「はい」
ネブラは頷いた。
全てを飲み込んだ上で了承した。
「わたくしを、王妃にしてくださいませ。アウルム様」
翌年——月星歴一五四六年、王立セレス神殿で国王の婚礼が行われた。
アウルム三十歳。ネブラ二十八歳。
王家との縁戚になりたかった父スールの悲願は、思いもかけない形で叶ってしまった形ではある。
だが、実情は周りや親の思惑を欺いての結婚である。
政略婚というよりは、ネブラ個人との契約と言い換えられよう。
アウルムへの恋愛感情は無かった。
だが、敬愛はあった。
この人の力になりたいと、ネブラは純粋に思った。
婚礼式には、『タビス』としてアトラスが二人を祝福し、ネブラは王妃の冠を授かった。
臣下として、礼をするアトラスのつむじが目に入ったネブラは、一抹の寂しさを感じた。
二度と超えられない溝を見たようだった。




