□月星暦一五三八年 情報
□ネブラ
月星暦一五三八年。
アトラスが出奔してから二年。
目撃情報があったことを、ネブラは友人のアウラからもたらされた。
その話を聞くため、ではあったが、表向きは以前から伺いたいと思っていたアウラの故郷への訪問という形でネブラは足を運んだ。
アウラの故郷は、長い間月星に従属する一地域として月星に組み込まれていたが、終戦を機に月星から独立を果たし、現在は海風星と呼ばれる島国である。
金髪碧眼の男性神を太陽の化身と崇め、独自の文化を持つ。
アウルム達の母——王太后アリアの出身地でもある。
船が港に着くと、アウラと婚約者のヴァルムが自ら迎えに来てくれていた。
「ネブラさま、遠い所お疲れ様です」
潮の香りを風が運んでくる。
碧い海、青い空。海鳥が舞う先には白い雲。
全てのコントラストが鮮やかだった。
月星に来ているときとは違う、国の衣装を纏い、栗色の髪を下ろしたアウラはのびのびとしているように見えた。
締め付けないワンピースの袖丈は七分丈。鎖骨がみえるほどに襟ぐりは深い。
その上に華やかな飾り石が付いたペンダントを重ねている。
海風は爽やかだったが、日差しは強い。
月星とは暑さの種類が違う。
高襟の旅装をネブラは後悔していた。
風はあっても、襟を崩したくなるほどに、湿気が高い。
「あとで、我が国のお召し物を用意させますね」
アウラが気を利かせてくれる。
ネブラの感覚では、衣装というものは、一人ひとりサイズに合わせてで作るのが当たり前なのだが、正装でもゆったりとした形の為、多少サイズが違っていても問題はないのだそうだ。
様々な果物や魚が売られている市場が、歩行者優先道路に開かれている。
民の顔は明るく、飛び交う声は大きく、賑わいを見せていた。
気軽に馬車に手を振る姿が見える。
「ヴァルムさま。いい魚、入ってますよ!」
「今年は潮の流れがいいみたいですよ」
「アウラさま、また果物お届けに参りますね」
長い間、月星の管理下に置かれ、立場を『臣下』に貶められていたとはいえ、アキマン家は、この国——海風星を長年治めてきた王家である。
「また寄らせてもらうよ」
民に気さくに声をかけるヴァルムを見て、ネブラは驚いていた。
市井と王家の距離が近いようだった。
街を抜け、馬車は坂を登り、王城へとたどり着いた。
案内された城は、島の中でも標高の高い場所にあった。
城壁に囲まれてはいたが、敷地内に高低差があり、建物自体が城門より更に高い位置にある。
建物自体も床が高く、風通しが良い。
居心地は良いが、無防備なほどに開放的に、ネブラの目には映った。
防衛は、海から入られないことが前提なのだという。
上陸されてしまったら、壊滅は免れないという割り切った発想のようだ。
言われてみれば、海岸に張めぐされた防壁は堅牢だった気がした。
月星では五大公に連なる者として、他の貴族達と遜色無い振る舞いで過ごしているアウラやヴァルムの、そうであろうとしている努力を、ネブラ垣間見た気がした。
ヴァルムの父カームやアリアの兄である現国王に挨拶を済ませると、離宮の一室に案内され、アウラに用意してもらった衣装に袖を通して、ネブラは人心地がついた。
ここの城同様に、無防備なほどに軽装で心許なくもあったが、気候の特徴を鑑みた、風通しの良さを優先しており、理に適った衣装に思えた。
お茶に誘われ、出向いたのは中庭に作られた東屋だった。
蘭の一種だろうか。色鮮やかな大ぶりの花が咲き乱れている。
アウラとヴァルムはとにかく仲が良い。
お茶の席にも、二人で揃って出迎えてくれる。
アウラはネブラより二歳歳下。ヴァルムは更に一歳下のはずだが、どちらもしっかりしているという印象を持っている。
用意されたお茶には、カットした果物がふんだんに入っており、果物の酸味と甘味が茶に溶け込んでいた。
ネブラが土産に持ってきた、薔薇の練り込まれた月星伝統菓子をお茶請けにいただく。
ひとしきり、世間話などありきたりな話を楽しんだあと、さり気なく、実は一番気になっていたことを、ネブラは口にしてみた。
「そういえば、先日アトラス様にお会いしたとか?」
一瞬、間があった。
ヴァルムが、アウラを見やり、肩を竦めた。
「ネブラさんなら、まあ、そうか」
「ネブラさまですから、ですよ」
妙なやり取りに首を傾げると、アウラが微笑んだ。
「失礼しました。ネブラさまにお伝えしたこと、ヴァルムさんには話していなかったので」
「アウルム様から、余り口外するなと言われていたんだよ」
当然だろう。
アトラスの捜索をしたネウルスの意向で、見つけ次第連れ戻せという布令が出されていた。
つまり、見逃した咎を受けていない二人は、アウルムに黙認されているということだ。
「ネブラさんが気になって当然だと想う。そして、貴女になら話しても構わないのだろう」
含む言い方に、ネブラは更に疑問をもった。
「わたくしが、とは、どういう意味ですの?」
ヴァルムが苦笑する。
「失礼。貴女はちゃんと『アトラス』を見てくれていた人だから」
どくん、と心臓が鳴った。
「……アトラス様が、何か仰っていたのですか?」
ネブラは感情が顔に出ないように気をつけて、ただ、事実確認という体で尋ねた。
「アトラスは自分を肩書でしか見ない人達に辟易していたんだ。『特に女性達は俺を肩書で見ながら、道具として自身をも売り込みにくるのだと。だけど、その中でも俺を俺と見てくれる人がいて、その人の前では息ができるのだ』と、言っていたことがある」
ヴァルムの碧い目がじっと、ネブラを見詰めた。
「貴女のことだったのだと、思う」
息を飲むネブラに、アウラの口許が緩んだ。
「奥の端の露台のことは、皆、知っていました」
「え……?」
二人だけの秘密の場所だと思っていた。
しかし、冷静に考えてみれば当然である。
そんなわけがなかった。
立入禁止の札があるわけでも無い。
誰でも、足を踏み入れることができた場所だった。
だが、誰かの邪魔が入ることは一度も無かった。
「わたくしは、護られていたのですね?」
ヴァルムが頷いた。
「『タビス』がついてくるなと言っているのに、ついて行ける心臓を持った者はいなかっただろうね」
その場所に、ネブラがあとから向かったとしても、『タビス』が許しているなら黙認するしかない。
「わたくしは、さぞ妬まれていたことでしょうね」
いくら妬みと羨望を持っていても、不満を口にはできた人間は居ないだろう。
それだけの地位が、父にはあった。
王の覚えの良い五大公の一人、スールに立て付ける立場の者はあまりいない。
「それが、そうでもないのですよ」
アウラが意外なことを口にする。
「アリアンナ様がとりなしたのです」
アトラス達の妹である王女、アリアンナは、 『タビス』が許しさえすれば、誰にでも可能性があることを示唆した。
偶々、今はネブラなのだと、思わせた。
そうすることで、溜飲を下げ、女性たちの注意を反らした。
そのアリアンナに、ネブラは随分懇意にされていた。
王女に友人として扱われていた意味をネブラは今更ながらに知る。
本意は月星の女の園の平定。
そして、兄の安寧の為、だったかもしれない。
アリアンナのちょっとした気遣いで、ネブラは助けられていたと言い換えられる。
ネブラとしては、良い友人に恵まれたとしか言えない。
「そして、言いにくいのですが、アトラス様が出奔した現在は、その予兆すら告げられなかった人物として、ネブラさまには同情的な意見が多い状態です」
ネブラは赤面した。
言ったアウラも、申し訳ありませんと苦笑する。
「いえ、教えてくださり感謝します」
直接影響を及ぼさない相手の方が、話せるということはある。
『女の戦い』とは無縁のアウラだからこそ、得られる情報というものはあるのだろう。
当事者より、一歩引いて月星という国を見られる二人の方が、よく状況を把握しているのかも知れない。
「つかぬことをお伺いしますが、ネブラさまはアトラス様とは?」
露台で何をしていたのか。
気にならない筈もないだろう。
「わたくしは、あの方の避難所でした」
ただそれだけ。
口にして、本当にそれだけだったのだと、鈍い痛みが胸を差す。
「わたくしは、一方的にお慕いしていました。でも、口にしたこともありません」
アトラスが居なくなってからの空虚さが苦しかった。
言えなかった言葉が、鈍い痛みとなって胸の中にずっと渦巻いていた。
何もかも、今となっては、である。
「わたくしは、何も告げられませんでした。皆さまの言う通りです」
それが全て。
「因みに、私の初恋もアトラス様ですのよ」
暗くなる口調を気遣ってか、アウラが爆弾発言を落とした。
「はい?」
「ええっ?」
唖然とするネブラの向かい側で、ヴァルムの顔が固まった。
「あら、知らなかったのですか?」
揶揄う顔で婚約者を見やり、口元を隠してアウラは笑う。
「でも、月星の夜会に出入りしている女性の、八割はアトラス様かアウルム様が初恋のお相手ですよ」
「それは、そうかもしれないけど」
釈然としない顔のヴァルム。
自分の婚約者までが従兄を初恋相手だと言われた事実に、悔しそうである。
「それでも、ネブラさまは初恋を拗らせた他の方々に比べて、一歩だけだったのかも知れませんがアトラス様に近づけたのです」
アウラが話を戻して、ネブラを見据えた。
「だから、お伝えしようと思いました。おそらく、あの方をちゃんと案じていらっしゃる方の一人だと思いますので」
「そうだね」
気を取り直して、ヴァルムが相槌を打つ。
「アトラスは先月、確かに僕らが匿った。連れが熱を出したからと、助けを求めてきたんだ」
「連れ? お一人では無かったのですか?」
驚くネブラに、アウラは頷いた。
「記憶喪失の少女を連れていらして、その娘の故郷を探しているのだそうです」
「はい?」
訳が分からないよね、とヴァルムも笑った。
空を飛ぶ竜を操る、不思議な娘なのだという。
「竜って御伽話の生き物じゃないんですか?」
「本当に居るんだよ。空を飛ぶんだ、すごいよね」
子どものように、目をキラキラさせて興奮するヴァルムにアウラが微笑ましい笑みを向けていた。
海岸線の警備をどう抜けて、二人に匿われたのかが疑問だったが、空から直接降りたたれたのなら可能かも知れないと思い立つ。
「……引き留めようとは、思わなかったのですか?」
ネブラの問いに、アウラとヴァルムは一瞬顔を見合わせた。
「ねえ、ネブラさん、アトラスが城を出たのは何故だと思う?」
口を開いたのは、ヴァルムの方だった。
アウルムとアトラスは実に仲の良い兄弟だった。周囲が思う以上に理想的な関係だった。
アウルムは、自分ではなく弟がタビスである事を認められる器を持っていた。
アトラスは、王位になど全く興味は無く、アウルムを慕っていた。兄の治世を手伝えればそれでいいと考えていた。
「僕の想像だけど、アトラスは自分がアウルム様の世の弊害になると考えたのだと思う」
「どうして?」
「『タビス』だからさ。『タビス』の言葉は使い方によっては、王の言葉すら覆す。アトラスは望まない。だけど、アウルム様の覚えが悪い者が考えるのは、『タビス』であり、王位継承権をも持つアトラスを担ぐことだ」
自身が火種に成りうると悟ったアトラスは月星を離れる決心をしたのだろうと、ヴァルムは語る。
「それに、あんなに楽しそうなアトラスを見てしまったら、僕達は引き止められなかったよ」
耳を疑った。
「楽しそう?」
「ええ。連れのお嬢さんと、楽しそうに喧嘩していましたね」
アウラも思い出したのか、笑いながら同意する。
アトラスに楽しそうという形容詞が結びつかなかった。
アトラスと喧嘩ができる人間がいることも、ネブラの感覚では理解できない。
「アトラス様が、楽しそうに、喧嘩……」
呆然と言葉を紡ぐネブラに、そうなりますよねと、アウラはころころと笑った。
アウルムの言葉が蘇る。
「アトラスが幸せなら、その場所が自分の隣でなくても私は構わないのだ」
アトラスはその場所を見つけたのだろうか。
胸の奥がチクリと痛むのを、ネブラは感じた。




