□月星暦一五三五年〜六年 恋心
□ネブラ
「俺は、なにも話せない」
悔しそうにそう口にする、アトラスの顔が忘れられなかった。
そこに、『タビス』と呼ばれるが故に、言えない彼の苦悩が垣間見えた。
『女神の刻印』を持つ『タビス』は『女神の代弁者』である。
『タビス』であるアトラスは、望むことも、拒否することもできなかった。
言葉どころか、行為すらも『女神の神託』として受け取られてしまう為だ。
言えない彼は、だから、どんな好意にも気付かないふりをする。
精一杯の無関心。
それは優しさだとネブラは思った。
※
件の露台はそっと抜け出して息をするだけの場所だった。
何か約束がある訳ではない。
夜会の最中、露台に向かうと居る。あるいは来る。
ただ、それだけの逢瀬。
息抜きに、他愛のない言葉を交わす。
手を繋いだことも、一緒に踊ったこともなかった。
皆が思うような、恋愛的な要素は一切無かった。
何かが進展することは無かった。
それでも、ネブラにはその時間が宝物になっていった。
アトラスが二人きりのときにのみ見せる、ごく普通の、歳相応の少年の顔。
疲労。痛み。苦悩。
垣間見せる人間臭さ。
皆が思うような輝かしい武功を上げる隊長では無く、タビスという孤高な存在でもなく、ただ等身大の、どこか孤独な王子。
そんな彼との僅かな時間のためだけに、いつしかネブラは、夜会が楽しみになっていた。
※
月星という国は、月星歴一四六〇年から、内戦状態にあった。
没した王の二人の息子がそれぞれ王を主張した。
互いに譲らず、国は東西に二分されて争うことになった。
王たちの対立は、決着がつかず孫の代にまで持ち越されていたが、七十五年後の月星歴一五三五年二月、とうとう終止符は打たれた。
『タビス』であるアトラスが、戦場では稀な一騎打ちで相手側の王に討ち勝ったのである。
祝賀会が開かれたのは報せが来てから、十日程経ってからだった。
勝利をおさめた。
それなのに、どこか緊迫した空気が漂っていた。
アトラスの顔色が悪かった。
アウルムも難しい顔をしていた。
アセルス王の機嫌も良いようには見えなかった。
敵方の扱いに、意見が割れているのかも知れないが、政治への介入を嫌がられるため、女性たちには口を挟めない。
七十五年に渡る悲願が達成された祝賀会であるはずだったが、その微妙な空気の中、さすがに女性陣もわきまえる。
いつものようにおいそれと、男性陣に近寄ることはできなかった。
遠巻きに見ていることしかできない、緊張感。
この日、ネブラはアトラスと言葉を交わすことはできなかった。
数日後。
アセルス王が没した。
視察に行った、敵方が首都を主張していた街での落馬による事故だったという。
□月星暦一五三五年十月。
王の喪中ということで、夜会は自粛されていたが『月の大祭』はその限りでない。
地上の水は月の女神の管理下にあり、穀物も女神の計らいで大地に潤いを与えてくれるから得られる恩恵だという考え方が、月星にある。
この祭りは、空気の澄んだ秋の満月の日に、収穫を女神に感謝し、翌年の豊穣を願うものである。
月星で特に重要視されている儀式の一つだった。
第一部は王立セレス神殿で行われる神事である。
古式ゆかしい白い衣装に紫の帯を締めた『タビス』が女神に剣舞と祝詞を奏上するものである。
今年は、アトラスの舞が精彩を欠いているように、ネブラには感じられた。
第二部は王城に場所を移して、宴となる。
久々の夜会にはりきる女性たち。
王が変わり、城の中の勢力図も塗り替えられる。
次期王アウルムの時世を見据えて、狙うは王妃の座という野心が露骨だった。
ネウルスへのアプローチが減り、アウルムの覚えの良い弟へと乗り換える者も多数出てきていた。
ましてや終戦の英雄である。アトラスの人気は以前にも増して高くなっていた。
露台にアトラスが現れたのは、いつもよりも遅い時間だった。
見るからに、顔色がすぐれない。
「お疲れですね」
確保していた白葡萄酒を差し出すと、アトラスは無言で煽った。
「ネブラは、きっと間違えないのだろう、な」
「はい?」
意味深に聞こえた。
問い返すが、なんでもないと、アトラスは街に目を落とした。
「アトラス様?」
その横顔が、やけに儚く見えた。
「ネブラみたいな人に、兄上を支えて欲しいな……」
「どういう、意味ですか?」
「目が曇っていない君は、聡明だなと思っただけだ」
ぎこちなく微笑する目の下に、隈が浮かんでいた。
忙しいだろうことは、想像に難くなかった。
内戦終了により別れていた月星は統一されることになった。
そんな折、王の急死。
領土が一気に倍になり、人手不足だという話は、ネブラも父スールから聞いていた。
敵方の王の根回しがよく、幸い、元敵領による大きな反発や暴動等はほぼ無かったという。
それでも、やることは山積み。
スールはもちろんのこと、久しぶりに顔を見たほかの五大公は当然ながら、アウルムも、アトラスも、疲労を重ねた顔をしていた。
「無理をなさらないで、たまにはちゃんとお休みくださいましね」
「やっぱり、君の前では息が出来るな」
そう言って手摺に身を預け、アトラスは少しばかり肩の力を抜く。
満月に照らされた、まだ十五歳の少年の横顔を見ながら、この距離を許されていることにネブラの胸は温かくなる。
(お支えしたいのは、貴方です)
ネブラはもう、自分の中にある感情を自覚していた。
だが、口にしたら、この時間が終わってしまいそうで、ネブラは喉まで出かかっていた言葉を無理やり押し込めた。
□月星暦一五三六年六月
アセルス王の喪が明けたのを機に、アウルム様が王に就くことになった。
ネブラは、アウルムの王位就任を機に、アトラスに自分の気持ちを伝えようと思っていた。
伝えた所で、アトラスが『返事』をすることは無いだろう。
だが、ヒトとしての彼を想っている人間もいるのだということを、あの孤独な少年にネブラは伝えたかった。
勿論、打算が無いわけではない。
ネブラが『そう』言っていたということは、アウルムに伝わろう。
婉曲にでも、いつかの為の候補の一人として名前は連ねられる可能性はある。
アセルス王の治世でないのなら、アトラスも少しは羽を伸ばせるような気がネブラはしていた。
王位に全く興味の無いアトラスと、アウルムとの兄弟仲は良い。
長年に渡って、血で血を洗う戦場を共に駆け抜けた人たちである。
せっかく統一した月星を乱すようなことは望まない。
アトラスが、アウルムを敬愛し、彼のためにありたいと思っていたことをネブラは知っている。
しかし、ネブラが心の内を告げることは終にできなかった。
アウルム様の戴冠式に『タビス』として王冠を授けたアトラスは、祝の宴にでることなく出奔したからである。




