□月星暦一五三四年 避難場所
こんにちは
王妃ネブラにお越しくださいまして、ありがとうございます。
タビス本編では、回想でしか語られなかった、アウルムの王妃となるネブラの半生です。
本編の時系列に沿ったものとなっています。
タビス本編を未読でも分かるように書いています。
どうぞお付き合いいただけたら、嬉しいです。
よろしくお願いします。
□ネブラ
「ネブラも大変だな。俺を持ち上げても先はないぞ。兄上にしておけ」
皮肉交じりの声で、少年は困ったように笑った。
それが、彼——アトラス・ウル・ボレアデスと初めてまともに交わした会話だった。
※
家名を賭けた夜会という戦場で、磨いた肢体を美しく着飾って、自らを婚約者という枠に持ち上げて貰うために死力を尽くす女たち。
狙うは次期国王との呼び声の高い第一王子、アウルム・ロア・ボレアデス。
そして第二王子であり、『女神の刻印』をその身に宿した『タビス』と呼ばれる神官でもある弟のアトラス。
あるいは、兄弟の従兄弟のネウルス・ノワ・クザン。
誉れ高い月の名を冠する各隊長を務める三人は、女性たちの垂涎の的だった。
のらりくらりと、柔らかな微笑で交わす兄アウルムに対して、切れ味の良いナイフの様な鋭さを纏って、隙のない身のこなしで、取り巻く女性たちの好意に気づかないふりをするアトラス。
明らかに拒絶と判っていても、女性たちは気にした風でもなく猛攻を繰り返す。
その位の度量がないと、この月星の夜会は渡りあえない。
ネブラ・ナン・テルグムも夜会に参戦する一人だった。
月星五大公と呼ばれる重鎮の一人、南の大領主スール・リア・テルグムの娘であるネブラがここに送り込まれている理由も、当然他の女性たちと同じである。
だが、ネブラは女の戦場に疲れていた。
夜会というもの自体が億劫で仕方が無かった。
家に帰れば、父や兄に消極的な姿勢を叱られるのは分かっている。
五大公の娘ということで、求婚の申し入れはあるにもかかわらず、全てを保留にして父はネブラを王城主催の夜会に送り込む。
父が欲しいのは王家の外戚という肩書。
その為に、ネブラの夫は王子のどちらかでなければならなかった。
だが、駆け引きばかりの女性たちとの会話も、積極的な女性陣の熱量には到底及ばない、そっけない王子達の対応にも、虚しさばかりが募っていた。
その日はいつもに増して気分が乗らず、ネブラは夜会開始早々、露台に逃げ込んだ。
月のない夜。
眼下にはアンバルの街の灯りが、オレンジ色にぼんやりと闇の中に浮かび上がる。
窓一枚で、室内のざわめきから阻まれた小さな空間で一人ネブラは外を見続けていた。
どれくらい、そうしていただろうか。
不意に、背後に人の気配を感じた。
同じように、人混みから逃げて来たのだろう。
その人物はネブラを認めて、息を飲んだのが分かった。
気づいてしまった以上、ネブラは仕方がなく振り向くことにした。
相手によっては、場所を譲らなければならない。
「……!」
アトラスがそこにいた。
二歳年下の彼は曖昧に口許を歪めると、踵を返そうとした。
「……待って」
ネブラは思わず声をかけていた。
「わたくしは向こう側に寄りますから、どうぞ、こちら側をお使いください」
意外な言葉だったのだろう。
アトラスは妙な顔をしていた。
「何?」
「いえ、二人くらいなら、隠れていられるかと」
自分でも何を言っているのかわからなくなって、ネブラは赤面した。
「隠れて、ね」
アトラスは喉の奥で笑ったようだ。
「では、お言葉に甘えるとしようか」
ネブラは、宣言どおり露台の奥側に寄ろうとしたが、進行を阻むようにアトラスは手摺に寄り、ネブラの隣に立った。
「アトラス様?」
「むしろ二人で居た方が、邪魔は入らない」
目立たない場所であっても、誰でも使える露台である。
明るい会場から目にする者が居ても、背を向けていればシルエットにしか見えず、誰だかはわからないだろう。
ならば、逢引だと思わせておいたほうが、邪魔が入らない。
単に、そういう意味だったのだろうが、直ぐ側にある端正な顔に見入ってしまい、ネブラは自分の顔が熱くなるのを自覚した。
「ご、ご配慮、い、痛み入ります」
思わずどもってしまったネブラに、微笑むその笑みは、女性たちを阻む余所行きの笑みでは無かった。
「こんなところで油を売っていて、いいのかい?」
自分のことは棚に上げて、アトラスはそんな事を問う。
夜会に出ている時点で、未婚の女性の目的は分かりきっている。
「正直、夜会は息が詰まります」
「俺と同じだな」
公の場では『私』というこの人の、普段の一人称が『俺』であることを知った。
「ネブラも大変だな」
「名前、覚えてくださっていたのですか?」
意外だった。
純粋に嬉しいと思った。
だが、続いた言葉に、心は急激に冷やされた。
「親父さんに紹介された時、名乗ってくれたじゃないか。ネブラ・ナン・テルグム」
当然だ。
五大公の父と王子であるアトラスは面識どころか、しょっちゅう顔を合わせているだろう。
事あるごとに父の方からも売り込んでいるのだろう。
「攻略するなら、兄上にしておけ」
アトラスの声の温度も冷えた。
何かを諦めたような口調に、興味が湧いた。
「理由を聞いても?」
「俺は、父上の覚えが良くないから、な」
意外な言葉だった。
女神の代弁者たる『タビス』を疎む月星人がいるはずがなかった。
そうでなくても、齢十四という若さで既に隊長の任にあり、多くの戦果を上げている人物を、誉とするならともかく、何の不満をもつというのだろうか。
「だから、俺を持ち上げても先はないぞ」
皮肉交じりの声で、アトラスは困ったように笑った。
「『タビス』なんか相手にしても、厄介なだけだ」
街を見下ろす青灰色の瞳が寂し気に揺れた。
疲れた顔をしていた。
こうして夜会が開かれるということは、文字通りの戦場で、重要な作戦が功を成したということでもある。
その数も、最近はやたらと多い。
実際に剣を取り、馬で駆ける当人たちが、疲れていないわけがない。
祝賀会に便乗という形で女性たちは参加させてもらっているに過ぎない。
祝いの場ということにはなっているが、実際には様々な思惑が入り乱れる、ある種の戦場である。
気が休まるはずもないだろう。
「わたくしでよければ、逃げ場所にしてくださいませ」
思わず、そんな言葉が口をついた。
ここは口説くところだろうという、父の顔が浮かんだが、自分に嘘はつけなかった。
「ネブラ?」
アトラスが面白そうな顔をする。
「いえ。お疲れのように見受けられましたので」
歳相応の顔で、アトラスは笑った。
「そうだな。正直、俺の肩書しか見ない女性たちの、空虚な言葉の数々には辟易している」
「その感覚は、少しは分かります」
まず『スールの娘』として、男女問わず人はネブラのことを見る。
ネブラというの個人を見る人間がどれほどいるのかと考えると、胃の中に冷たいものが流し込まれたような虚しさを感じていた。
この時、二人の間には、ある種の秘密を共有する空気が生まれた。
いろいろな話をした。
ほとんどがどうでもいい話だった。
それが、心地よかった。
二人で夜風に当たりながら、月のない夜空を見続けていた。
こうして、夜会会場の一番端、人がめったに来ない露台は、ネブラたちの共有の避難場所となった。




