□月星暦一五五一年十月 決意
□アリアンナ
「ネブラお義姉さま、お疲れではありませんか?」
アリアンナは、王妃として『月の大祭』への訪問客への対応をしているネブラを労った。
少しはお休みくださいと、アリアンナはネブラを半ば強引に休息に連れ出した。
アリアンナが知るかぎり、訪問客は粗方来たはずである。
残りはアウルムだけでもこなせるだろう。
「ご無理は禁物ですよ」
「もちろん、今は、自分の身体を一番に労ります」
そう、ネブラは柔らかく微笑んだ。
※
この義姉のことを、アリアンナは幼い頃から知っている。
五大公のスールが、初めてネブラを城に連れて来た時、兄弟妹三人の前で紹介されたのが初対面だった。
その時から、アリアンナの目には綺麗なお姉さまだった。
初めて、夜会への参加を許された時、遠巻きに見ているアリアンナに、一番最初に声をかけてくれたのもネブラだったのだと記憶している。
アリアンナはアセルス王の唯一の姫である。
夜会という場では、後の求婚を目当てに言い寄る殿方は多かった。
当初はあしらい方も判らずに戸惑うばかりだったが、ネブラは上手に庇ってくれていた。
普段は気にもとめていないくせに、むしろそうであることに辟易していう節すらあるのに、そういう時だけは、ネブラは上手に『スールの娘』であることを匂わした。
『肩書』も使いようなのだと、アリアンナはネブラに教わったと言っていいだろう。ネブラとは良い友人になった。
女性陣の兄たちに向ける眼差しは、男性陣のそれとは比較にならないほどに、露骨だった。
長兄のアウルムは上手に躱していたが、否定も口にしにくい次兄のアトラスは、ただ気付かないふりをするのが精一杯に見えた。
アリアンナは積極的に、兄達に伸びる魔の手を妨害をして回った。
女性陣が言い寄る前に兄達と踊り、牽制を込めて話し相手になる。
『王女殿下』も、彼女たちは怒らせたくはないのだ。
そうでなくとも、訓練や戦闘に赴く兄たちを、くだらない見栄や欲の皮が透けて見える女性たちの言い分で、煩わせたくはなかった。
父王アセルスは、使えるものは使う人間だった。
アセルスにとって、『タビス』であるアトラスは、使い勝手が良かったのだろう。
『タビス』が結果を出せば、それは『女神の意思』と捉えられ、士気が上がる。
アトラスが著しい戦果をあげるに比例して、疲労を蓄積していくのが目に見えて分かる時期があった。
全ては王の御心次第。
こればかりは、誰にもどうにもならない。
疲弊していたアトラスが息を吹き返したのは、ネブラと話をするようになってからだった。
アリアンナは、アトラスとネブラの時間を護ることに奮闘した。
いずれ、二人は夫婦になるのだと、ネブラのことは義姉と呼ぶことになるのだと、当時はぼんやり思っていたのだ。
だから、アトラスが何ひとつ言わずに出奔した時は驚き、少女を連れて旅をしていたという話は耳を疑った。
少女の為にクーデターを成功させて、国の立て直しまで尽力していると聞いた時は呆れもした。
今思えば、竜護星を訪ねたのも、ちょっとした意趣返しをしてやろうという気持ちだったのかも知れない。
兄を独占し、散々心配を重ねたこちらの気持ちもさることながら、友人であるネブラに悲しそうな顔をさせたことにもアリアンナは怒っていた。
アトラスは誑かされているのだろうと、疑っていた。
計算外だったのは、少女——レイナがとても愛らしい娘だということだった。
アリアンナ自身が、彼女のことをとても好きになってしまったのである。
そして、アトラスがレイナを思って微笑む顔が、あまりにも優しかった。
月星では見たことのない穏やかな表情は、妹であることも忘れて、アリアンナがドキリとしたほどだった。
これは、引き離しては駄目だと思った。
アリアンナは、心の中でネブラに謝りつつも、二人を応援するほうに方向転換した。
アトラスが出奔したのは、 敵対していた両陣営が統合され、難しい時期だったはずの終戦直後だった。
アウルムはアトラスが留守だったその六年間。それはそれは。様々なことに尽力していた。
アトラスが帰って来た時に、恥ずかしくない国にするのだと、嘯いていた。
レイナを連れてアトラスが帰還した時、ネブラが流石だったのは、アトラスを幸せにするのは彼女だと、レイナすらも受け入れたことだろう。
とはいえ、アトラスのことを完全に吹っ切れたわけではないのは、薄々感じていた。
ただネブラは、アリアンナが妹として兄の幸せを望むように、アトラスがそうであることを喜ぶ女性だった。
だからこそ、アウルムの妻に相応しいとアリアンナは思った。
慣習に引っ張られ、自分の心を閉ざし、家の為と、それが自分の為だと勘違いしていえる女性とは違う心の在りようは、アウルムが求めるものに通じると思ったのだ。
二人の間、どんなやり取りがあったのかは、アリアンナは知らない。
アウルムとネブラは夫婦となり、その関係は理想的なものだったように、アリアンナは感じていた。
レイナにも言ったが、二人の間に子が居なかったことも、一種の愛の形だったのだと考えていた。
故に、ネブラから妊娠の報せを聞いた時は、驚いた。
明日の真夜中に始まる、『月の大祭』の、城での宴で、このことは公表される予定である。
※
「ネブラお義姉さま、もし、もしですよ。欲しいものが自分の生命と引き換えだったら、お義姉さまはどういたしますか?」
口にして、我ながら酷い問いだと、アリアンナは羞恥した。
ネブラの目が一瞬見開かれたが、動揺を伺わせない完璧な笑みで、すぐさま上書きされた。
「心配しなくても、大丈夫ですよ。もちろん、わたくしは御子のお生命を優先しますから」
「そういう、ことではないの」
アリアンナは首を振った。
諦めて、ここは、率直に話すことにする。
「このまま、何もしなければ、御子は無事にお生まれになります。でも、おそらくお義姉さまは生命を落とすことになりましょう」
生命に代えても護ると、生命と引き換えに護るは似ているようで、微妙に違う。
「でも、今ならば間に合います。御子を諦めれば、お義姉さまのお生命は助かります」
「……やけに、断定で語りますのね」
気分を害する話題の筈だった。
物を投げつけられても、罵倒されても仕方がないことを言っているのに、ネブラは怒らなかった。
ただ、静かに、アリアンナの瞳を見て問いかけた。
「アリアンナさま、何か、誰かに言われたのですか?」
アリアンナは首肯した。
この聡明な義姉には、何を言っても見透かされてしまう気がした。
「お義姉さまは『巫覡』という存在をご存知ですか?」
「ええ。たしか、巫覡とは聞き伝える者。風の歌を感じ、山の声を聞き、大地の色を読み、変化の前兆を捉えて対応する者、そんな意味では無かったかしら」
すらすらと、淀み無く答えが出てくることに、アリアンナは舌を巻いた。
ネブラは、知識も教養も分別も兼ね備えている女性だった。
だから、彼女のこともまた、アリアンナは大好きだった。
だから、彼女に『死』という言葉を背負わせたくなかった。
「たしか、巫覡を血筋に持つ家系もあったはず」
「そうです。お義姉さま」
ここで言葉を切り、アリアンナは息を吐いた。
「その『巫覡』が視たのです」
「……!?」
一瞬、ネブラの呼吸が乱れた。
「……そうですか」
穏やかな表情をすぐに取り戻し、ネブラはアリアンナを見詰めて微笑した。
「分かっていたことです。初産が三十歳を超えているのですもの、仕方がございませんわ(※)」
「違うのです、ネブラお義姉さま。それは一般論です。でも、『巫覡』の予言は、上手に活用すれば、回避は可能です」
「いいえ、同じことですよ」
ネブラはふるふると首を振った。
「むしろ、御子が無事にお産まれになると知って、わたくしは安心致しました」
教えて頂いてありがとうと、礼まで言われて、アリアンナは動揺した。
なぜ、そんなに達観しているのですか、と、問いかけたかった。
自分の『死』を告げられて、こんなに平静で居られる人を、アリアンナは見たことがなかった。
「因みに、『巫覡』とは、どなたのことですか?」
「……マイヤ殿下です」
「そう。アトラス様のお嬢様ですか……」
そっと目を閉じ、嬉しそうな表情すら、ネブラは浮かべた。
「ならば、長じた折には、御子の良い助けになってくれますわね」
確定で話すネブラに、アリアンナは目頭が熱くなる。
ネブラの、産むという決意は揺るがない。
もう、とっくにこの女性の覚悟は決まっていたのだと、アリアンナは思い知った。
「巫覡が視たということは、変えられるかも知れない未来、ということです」
アリアンナは繰り返した。
「これからの、過ごし方次第では、どちらも生き残る可能性は、あるということですわ」
少し、強い口調で言い添える。
「諦めるつもりはありません。出来ることは出来るだけやって、より良い道筋を探しましょう」
「ふふ。頼もしいですね」
アリアンナの宣言に、ネブラは笑った。
「もちろん。最初から諦めるつもりなど、ございません」
断言しつつも、でも、とネブラは瞳を揺らした。
「でも、この話は、アウルム様には言わないでくださいましね」
そっと吐き出された嘆願に、アリアンナは頷くことしか出来なかった。
※)この世界では、です。




