□月星暦一五五一年十月 歯車
□レイナ
アリアンナの行動は早い。
レイナの要請に、その日の内に紫紺宮を訪れてくれた。
しっかり人払いをした居間で、お茶の用意されたテーブルを挟んで二人向かい合う。
「アリアンナ。不躾なことを聞くのだけど……」
自分で呼び出しておきながら、アリアンナに尋ねることをレイナは躊躇した。
それでも、意を決して口を開いた。
踏み込まねば話が進まない。
「ネブラ王妃様は、ご懐妊されているわね?」
アリアンナの仕草が一瞬ズレた。
「……レイナ、それはどこで聞いたお話?」
アリアンナの顔に警戒の色が滲ぶ。
当然だ。
いくら友人であろうと、義理の姉妹という関係になろうと、まだ公表されていない事柄を、他国の王が口にしていい話では無い。
「マイヤよ」
「そんな、年端もいかない子どもの言った冗談を、真に受けるの?」
アリアンナは笑ってお茶を口に運ぶ。
彼女にしては、下手な動揺の隠し方だった。
「マイヤは『巫覡』なのよ。アリアンナ。竜護星の巫覡のことは、聞いたこと、あるでしょう?」
根気強くレイナは続けた。
「アリアンナ。私の母も巫覡だったの」
アトラスよりも明るい空色の瞳をじっと見詰めながら、レイナは言葉を紡ぐ。
「『終戦の鍵はタビス』っていう予言を残しているのだけど、当然知っているわよね?」
その予言があったから、前王アセルスは執拗に『タビス』を求め、アトラスを酷使した。
そして、『タビス』であるアトラスは文字通り終戦を終わらせた立役者となった。
アトラスの過酷な少年時代の一端は、母の予言に依るものだと思うと、レイナとしては心苦しくもある。
その話を後で知って、皮肉なめぐり合わせにレイナは涙したのだ。
諦めたらしいアリアンナは、肩を竦めた。
「まだ、ここだけの話にしてね。宴で発表する予定だから、公言できないのよ」
竜護星出身のハイネを伴侶としているのだ。巫覡のことも、多少は聞かされているのだろう。
「でも、レイナ。貴女、単純に祝福するという顔をしていないわね?」
「そうね……」
レイナは肯定した。
意を決して、その言葉を口にした。
「おそらく、王妃様は出産時に命を落とされる」
「……っ!?」
ひゅっ、とアリアンナが息を呑んだ。
落ち着かせるよう、呼吸を繰り返したアリアンナは、いつもの表情でレイナを見やった。
「レイナ、いくらなんでもたちが悪いわ」
「判ってるわ。冗談で口にしていい話じゃ無い」
冗談だとしても言っていいことと悪いことがある。
勿論、レイナが口にしたことは後者だ。
「……聞きましょう」
アリアンナは居住まいを正した。
ずいっと見詰められて、レイナは目を反らしたくなる。
ひどく乾く口の中を、お茶を含んで湿らせた。
「御子は?」
「子どもの泣き声がすると言っていたわ。おそらくは無事」
「……そう」
アリアンナは大きく息を吐き出した。
「レイナ、今の話は忘れて」
「アリアンナ。でも! 今すぐに処置をすれば、王妃様の生命は救えるかも知れない」
「かも知れない。でもそれは、王の御子の生命を奪うことでもある」
冷静に言われて、レイナは自分の顔から血が引くのがわかった。
王妃の死に囚われていた。
当然だ。
王妃の夫は、王に決まっている。
「ごめんなさい。動揺していたみたい」
レイナはソファに沈み込んだ。
「いいえ。話す相手に、私を選んでくれてありがとう」
アリアンナの顔色も悪かった。
「詳しく話してくれる?」
「ええ。マイヤの話をつなぎ合わせただけだから、想像の範疇だけど。おそらくは失血がひどくて」
「そう……」
しばらく、二人無言で茶を口にした。
「どうにも、ならない、のかな?」
やがてポツリと落としたレイナの言葉に、アリアンナが顔を上げる。
「……レイナ。嫌な話をするわ」
自分の想像だと断って、アリアンナは口を開いた。
「アウルム兄様がネブラ様を妃に望んで、五年経つわ。その間、一度たりとも、ご懐妊の兆しがなかったのは、そのつもりが無かったのからだと思うの」
「どういうこと?」
流石に、荒唐無稽な話に聞こえた。
王がしていいことでは無い。
「おそらく、アウルム兄様は貴女の息子を養子に貰おうと、最初から思っていたのかと」
「え……?」
レイナは一瞬、何を言われたのか分からなかった。
呆けたレイナの顔を見て、アリアンナも困ったような顔をする。
「うん。そうよね。でも、そのウェスペルが亡くなってしまったから、やむを得ず、だったのだと思うの」
そんな、とレイナは首を振った。
「だって、それを言ったらルネだって……」
「いいえ。それは、最終手段よ」
アリアンナには三歳になる息子が居る。
指摘すると、それは難しいのだと、首を振った。
「ねえ、レイナ。アトラスお兄様と私の違いって、何だか分かる?」
この質問に、アトラスが『タビス』であることは、関係ないだろう。
「えっと、……男と女?」
「いいえ。私は降嫁してハイネと結婚したから、もう、王籍に無いの。だけど、アトラスお兄様は違う」
「あ……」
『タビス』が他国に行くことへの反発を抑える為に、レイナという国主と結婚したにもかかわらず、アトラスの国籍は月星にあり、王籍が残る為に身分は王子である。
大国月星の王子と辺境の小国の国主との婚姻の、それが妥協点だった。
「その意味が分かる?」
アリアンナは重ねて問う。
「妹《私》の息子のルネを養子として、王の義理の息子にすることは、アウルム兄様——王が許可すれば不可能ではないでしょう。でも、その事例を作ってしまったら、クザン家に婿入りした前王の弟である叔父様や、その息子のネウルスだって、王位継承権を主張する可能性が出てくるの。月星の継承ルールは複雑化し、いずれは混乱をきたすことになる。……だから、できるだけ、それは避けなければならないの」
腹違いの二人の王子が始めた内戦に、七十五年も煩わされてきた月星では、最大の禁忌と言っていいだろう。
アウルムやアリアンナが慎重になる意味を、レイナは理解する。
「ネブラ王妃のお腹の御子を諦めるということは、そういうことよ」
アリアンナの空色の瞳が、射抜くようにレイナを見詰めた。
「それとも、レイナ。貴女が産んでくれる? 確率としては、貴女の方が高いでしょう」
「え、ええっ?」
赤面してぶんぶんと顔を振るレイナ。
何を考えたのか悟ったアリアンナは、呆れた顔を義姉に向ける
「莫迦ね、アトラスお兄様の、に決まっているでしょう」
「あ、そうね。そうよね」
勘違いを誤魔化すように、レイナはお茶を口にした。
王籍にある王の弟のアトラスの子どもなら、養子にしても構わないのだ。
だから、ウェスペルは候補だった。
年齢だけ見れば、三十路《三十三歳》のネブラより、まだ二十歳台《二十七歳》のレイナの方が可能性はあるだろう。
竜護星内でも、ウェスペルの死後、更なる王子か王女を望む声は上がっていた。
でも、とアリアンナは首を横に振る。
「それは、アトラスお兄様が断るわね」
アリアンナがレイナを伺うような顔をした。
「レイナ。貴女、産後の肥立ちが悪くて、なかなか政務に戻れなかったんだったわよね?」
アリアンナが言わんとしていることを察して、レイナは嘆息した。
「だから、お兄様は双子の弟妹を望まなかった。違う?」
「……そう、ね」
レイナは頷いた。
全く持ってその通りだったから、口を噤むしか無い。
月星の王が非道い王だったならば、例え竜護星の後継者であろうが、マイヤを寄越せと言うだろう。
それが辺境の小国の立場というものである。
養子にとらずとも、アウルムのまだ御子が居らず、王子である以上アトラスの王位継承順位は一位。その娘にも当然権利は発生しているのだ。
子どもなら、また産めばいいだろうと、そうい考える人間は多い。
詰まるところ、アウルムもアトラスも優しいのである。
女は子どもを産むためだけの道具では無い。そう考えるから、慮る。
だがそれは、まだまだこの世界では少数派の意見だった。
「ネブラお義姉様は、もう、命がけの賭けをしているの」
それは、予知があってもなくても変わらない。
婚礼を挙げた時点で二十八歳のネブラに、アウルムは子を求めなかった。
高齢出産の危険性を考慮して、養子を取ることを念頭に入れていたが、ウェスペルを亡くして歯車が狂った、ということなのだろう。
そう、レイナは理解した。
こちらに相談もなく、息子を養子にと算段していたアウルムに、腹が立たなかったといえば嘘になる。
だが、仮にもレイナも王として国を預かる者。心情を超えて理解できてしまった。
後継者を考えなければならないという立場は、解るのだ。
それが王妃を想っての配慮なら、アウルムらしいと納得も出来てしまう。
しかし、その手段は絶たれ、危惧した危険をマイヤは予知として視てしまった。
巫覡の予知に余計なことはない。
何も行動を起こさなければ、その光景はいずれ現実になる未来ということだ。
「……話してはみます」
アリアンナは頷いた。
「これからの過ごし方次第で、回避できる可能性は、あるかも知れないもの」
「お願い」
託しつつも、レイナの心はすぐれなかった。
大きくなるお腹を見ながら、育ちきった時が自分の最期かも知れないと過ごす絶望を思うと、心が痛んだ。
最良の未来があることを願わずにはいられなかった。




