八 姫君
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伏丸は小川で身体を流し、着ていた小袖と袴も洗った。おなじような衣を盗ってきたので、それに着替えるとぴったりだった。
洗濯を済ませるあいだ、宮は大きめの石に腰かけ、背中を向けて待っていた。伏丸からはまる見えなので、なにやらそわそわさせられたものの、宮は微塵も興味なさそうにまわりの景色とたわむれていた。伏丸は、己の足もとの水が赤黒く染まりゆくさまを見た。
「よい身体つきをしていましたね」
宮が、こともなげに言った。絞った衣を行李に括り、申し訳程度に乾かしながら、里へ向かって歩きはじめてしばらく経ってのことだった。伏丸は驚愕し、一瞬返事ができなかった。なにかを口に含んでいたら、おそらくぜんぶ噴いていた。
宮は、また禍が集まっていると、滌の儀式をしたばかり。少し重くなっていた身体が、ふたたび楽になっている。あれほど清らかに歌った声に、俗っぽい言は似合わない。
「はあ、ありがとう、ございます……」
やっとのことでこたえると、少し前を行く宮は振り向く。なぜぎこちなくなっているのかと、問いたそうな目をしながら続ける。
「あれだけのひとを倒しましたし、衣を着ていてもわかることですが。傷はもう痛まないのですか」
つけ加えられた問いにはっとする。身体にはそれなりに傷がある。野山を転げて遊んでいたし、戦に駆り出されていたのだし、つい最近まで野盗をしていた。死ななければほぼ怪我ではないと、言い合いながら暮らしてきた。
「新しい傷はなさそうでしたが、怪我をしてはいないのですか」
「していません」
宮の力のおかげで、ひと買いたちを相手にしても、どこにも傷を負わずに済んだ。きっぱりと首を振ってみせると、宮は前に向き直る。
「そうですか。けれどあなたがよければ、今宵の宿で確かめましょう。知らぬ間に傷ができているやも」
「いえ……」
「今宵の宿ですけれど、この先の泊まれそうな里に置いていただくことにしましょう。このあたりは戦のあとで、物騒ですから長居できません。落ち着いたら、これからのことについて、詳しくあなたにお話ししますね」
「はい」
伏丸は短く応じた。それよりほかは言えなかったのだ。置きどころのない心地になって、ふらりと背後に目をやってみる。通ってきたみずみずしい山道が、横たわるばかりでなにもない。
「ひと買いたちは来ませんよ」
宮の声が静かに響き、伏丸は前を見た。まるくまとまった宮の黒髪は、風くらいにはゆれないらしい。
「あのひとたちは、生きてはいますがかなり痛い目に遭わせました。すぐには動けないでしょう。仮に動けたとしても、われらを追うことはありません。えたいの知れぬものをわざわざ、とらえたがるようには見えませんでした。聡い単なる賊ですよ」
背筋を伸ばして歩いていく。一歩一歩が優婉であり、そのくせどこか逞しかった。伏丸はそのあとについて進んだ。ふと気にかかり、ひとつだけ問う。
「もの好きに出くわしたら、どうするのですか」
宮は前を向いたままこたえた。
「あなたはよい護衛にもなります」
「そのよい護衛がだめになったら?」
「そのときは、いたしかたありません。すべてすすいで殺します」
あくまで、おだやかな声色だった。せせらぎに沿っておりてゆく。
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山の中を歩きつつ、宮に歌のことをたずねた。どうしても気になってしまったのだ。滌のときのあの歌のこと。滌詞というのだと、宮は伏丸にさらりと教えた。あらゆるところにある禍に、どうか、すすがれほうむられよと頼み込んでいる詞であるらしい。
話をしながら歩いていると、ときおり、武装したひとと行き合った。近隣のひとびとらしかった。戦のあとは物騒なので、武器を持っていたのだろう。戦場の片づけをしたり、いろいろ拾ったりもしなければならない。そんなひとたちとすれ違い、なきがらの横を通り過ぎ、とある村にたどり着いた。日も傾いたころだった。入日はほのかに濁った緋を山の端にそっと、滲ませていた。雲はとけそうな藍色だった。
村の出入口の門は、物見台を備えていた。宮は迷わずそちらへ向かい、下にいた門番の村びとに、ひと晩泊めてほしいと頼んだ。朝にちらりと言っていた、御璽なるものは出さなかった。使わず済むときは使わないのだという。
門番は渋い顔をしていたが、外の草堂ならかまわないと言い、宮を追い払うようにした。伏丸は門番を睨みかけたが、この村にはこの村の勝手がある。黙りこくって宮に伴われ、許された草堂のほうへ向かった。
それは村の外側に、茂みに隠れるようにしてある。茂みは元気いっぱいというより、繁茂に倦んだというふうで、陰気な感じが漂っていた。宮はすたすた歩いていくと、言われたところへ分け入った。慌ててあとを追っていけば、草のさなかに小屋が見えた。
藁ぶき屋根に土壁で、昼間の小屋よりしっかりしている。まわりの茂みは伸びほうだいだが、小屋は手入れされているらしかった。宮がやってきたせいなのか、その場の空気はさきほどよりも、さわやかになったように思える。
「それでは、ありがたく泊まらせていただきましょう。そちらに井戸もあるのですね」
かろやかに言う宮の視線を追うと、確かに石の井筒があった。横に釣瓶も置いてあり、水を使うこともできそうだ。伏丸が釣瓶を確かめていると、宮が小屋の戸を開けようとした。伏丸は慌ててそれをとどめた。
「なんです」
きょとりと目をまるめ、宮はふしぎそうにしている。伏丸も妙な気分だった。宮よりも先に中へ入って、あやういものがないのかどうか検分すべきと思ったのだ。いちおうはじめての場所なのだし、宮はおそらく考えているよりずっと高貴なひとなのだ。けなげに気を遣っている己が、滑稽になるがしかたない。その旨を説明しようとすると、宮はちいさくうなずいた。
「言わんとすることはわかりました。殊勝な心がけですね。伏丸、それでは頼みます」
そこまで言われてしまっては、もはや無言で従うしかない。伏丸は宮の前に出て、そっと小屋の戸を開けた。しんと、静かで落ち着けそうだ。入り口の土間から一段あがるとそこは板の間になっており、囲炉裏が備えつけられている。その手前には巻かれた筵と大小の桶が置かれているが、ものといったらそれくらい。危険はないと判断する。
「平気そうですか」
うしろから問われ、伏丸はうなずいてみせた。
「はい、宮さま。お入りください」
「あなたは、粗っぽく見えるけれども、わりあいきちんとしているのですね」
宮はそんなことを言いつつ、小屋の中に入ってきた。ちょこんと板の間に腰かけて、草鞋の緒をほどきはじめる。伏丸は大きい桶を取りあげ、水を汲んでくることにした。足が洗えるとよいだろう。
「ほんとうに殊勝なのですね……」
背後に宮の声がした。伏丸はまあまあですとか応じた。しばらくぶりで忘れていたが、姫君みたいなひとを世話するのは少し得意なほうなのだった。伏丸がなにをしようとするか、気がつく宮も宮なのだが。




