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滌葬草子  作者: 相宮祐紀
〈一〉 滌宮
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四   首輪

「わたくしはあなたをすくうことも、おとすこともしませんし、できません。(わざわい)を集めやすいことは、わたくしにはどうにもできぬことです。つとめはすすぎほうむることのみ、ですからあなたに頼むのも、わたくしのそばにあることのみです」

「そんなに餌袋(えぶくろ)がほしいのですか」

「そんなにほしいと思っています」

「でも、お連れのひととかが」

「案ずることはありません。わたくしはひとりですから、異を唱える者はおりません」

 ひどくこともなげな言いかたをした。伏丸はつい、嘘とつぶやいた。だれのお下知やら不明だが、窮屈そうなつとめを負った若い娘が旅をするのに、護衛もなしは不用心すぎる。なにしろこのご時世だ。いつどこでなにに襲われて、昇天させられるかも知れない。ひとり旅など考えられない。

 だが、(いくさ)の跡を行くなら、従者かなにかが気合いを入れて仕事しなければならないだろう。それがいま近くにいないとなると、ほんとうにひとりなのかもしれない。

「褒美は、すきなだけ取らせます。わたくしからではありませんが。おつとめのあと都へ行けば、御上(おかみ)がたんとくだされます」

「御上」

皇命(すめらみこと)です。いまの(みかど)のことですよ」

 娘はあたりまえみたく言い、伏丸の横をすり抜ける。音は軽いが風を動かす。否応なく血を思い出させる。娘はその場にかがみ込み、背の高い草を摘み取りはじめた。ふつり、ふつりと丁重に。

「御上より御言(みこと)をいただいて、このおつとめをしているのです」

 帝というのは、たいへん偉い。殿さまだの公方(くぼう)さまだのと、偉いのがごろごろいるその中でも、いちばん偉いと聞いたことがある。戦ばかりの世の中で、力を持てるわけではないが、それでも偉いものは偉いらしい。

御璽(ぎょじ)も賜っているのです。見せればもてなされてしまうものです。みやげも持たされてしまいますから、それが旅の糧にもなります」

 この娘は何者だろうと、伏丸はしゃがんだ背中を眺めた。どうやら帝に命じられ、禍を清める旅をしている。ひとりきり、戦の跡を訪れ、餌袋などをほしがっている。

「死なないのですか」

 気がつくと、そんなことを問うていた。娘は草を摘みながら、振り返らずにうなずいた。

「はい。死なぬようですね。見てのとおり、とてもすこやかです」

「そんなこと、できますか。ひとりで────」

 口走ったとき、息が詰まった。鷲掴みされたように思って、喉をとっさに押さえ込む。単に息苦しくなったというより、これは、ただごとでないらしい。なにかに締めあげられている、それがはっきりわかるのだ。しかし、押さえつけた喉には、己の手よりほかはふれない。なににも、ふれられていないのに、ぎりぎりと息を奪われていく。蝿が慌てたように飛び去る。娘が現れる前に似ている。伏丸は足を踏ん張った。なにが起こったかわからなくとも、もう情けなくくずれたくない。

「苦しいでしょう」

 娘が言った。変わらず草をちぎり続けて、静謐な声もくずれていない。絞める力がさらに強まり、喉ばかりでなく胸や腹まで、手足まできつく縛られていく。そのときふと、伏丸は悟った。これは、この娘の仕業。獣物(けだもの)に首輪をつけてから、身体のすべてを(いまし)めている。内から、引きずり出そうとしている。

「禍はすすぎきれないのです」

 むしった草をそっと束ねて、娘はゆらぎもなく語る。

「生まれても身体から出ていかないで、溜まってしまうことも多い。だれもが、少なからず溜めているようです。それがあたりを漂っている、ほかの禍を呼ぶのです。あまり多くにとりつかれると、ひとは死んでしまうのですが」

 だからといって、溜まったものをすべてすすいでしまうのならば、そのときも死んでしまうのですよ。歌うように説く娘はふたたび、草をむしり取りはじめている。伏丸は喉から手を離す。娘の小袖の若草色が、徐々にかすんでうすらいでいく。

「すすぎきることは、かないます」

 娘の声は鋭利に清く、いま、やろうとしていると告げた。ひとりで歩いてこられたのも、これができるからなのだろう。禍をすべてすすぎ、死なせる。きっとたやすく捻り殺せる。死なずに旅ができているわけだ。けれども、身体をとらえる力が強まることはもうないらしい。それに気づいた伏丸は、ぼやける視界を暗く閉ざした。笑みが滲んでくるのを感じた。安堵しながら興ざめだった。やりきるつもりは、はじめからない。そんな娘は、ふいにささやく。

「なれど、どちらも望まぬはずです」

 聞いて、どくりと脈が乱れた。同時に力がすべてゆるんだ。こらえきれずに膝からくずれ、(ひたい)をぬるいなにかが叩く。伏丸はすぐに顔をあげたが、娘のほうは背を向けたまま、ふたつめの束をつくっていた。なにかを言おうと吸い込むたびに、涼しい空気は血の味がした。

「わたくしについてきなさい」

 もういちど、おなじことを言う。やはり、かかわるべきではない。突拍子もない、からだけでなく、締めあげられるからでもなく。それを慈雨のように感じるからだ。伏丸はぐちゃぐちゃとその場に立った。裸に剥かれて倒れたひとの、髪が整えられていた。日を浴びる肌に草の束がふたつ、しめやかにかぶせられている。目をそむけ、喉の奥でこたえた。

「では、お断りいたします」

 そして伏丸はそこから去った。呼びとめられることはなかった。強まる日射しの中振り向くと、草に隠れたなきがらばかりがそこにぽつりとのこされていた。

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