五 品物
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乾くことのないぬめりにまみれ、伏丸は木陰を進んでいた。野原から茂みに踏み入ると、山中に入り込んだのだ。道と言えるような道もないので、乾いた落ち葉で滑る斜面を這うようにしてのぼっていく。
青い木の葉を透かす光が、上から降ってはちらちら踊る。ほつれた髪をゆらした風に、首筋がすうと冷やされる。立ちどまりかけて膝が笑った。ふらふらと歩き続けてきたので、どうやら疲れているらしい。伏丸は足裏を地面にこすり、固まってきた泥を落とした。ぱらり、と背後へ転がっていく。そちらを振り向くことはなく、いまは、確かに進んでいた。目指すところが確かにあった。けれども、どうして目指しているのか、言い訳もうまく見つけられない。
足もとには点々と、赤黒い泥が落ちている。これをたどれば着ける、かもしれない。引きずるほど重かったこの身を、軽くしてしまった娘のところ。
禍をおびき寄せるため、旅についてこいと命じられた。断るとだけ言って離れた。うしろを見るともういなかった。あのあと、茂みがゆれていたのだ。かどわかされたのではと思った。戦のあとはどさくさに紛れ、ものも、ひとも盗まれ売られる。
あの娘がどうなろうとも、まったくかかわりないはずだ。かかわるべきではないと思って、餌袋になれとの命を断りさっさと逃げることにしたのだ。そもそも、攫われたのではなくて、あの場を離れただけかもしれない。仮に攫われていたとしても、泥の跡をなぞったところで追いつけるとはかぎらない。たとえ、追いつけたとしても、たすけだすことはたやすくはない。こちらはひとりだが、ひと買いならば仲間が数人いるだろう。そしてよしんば、たすけだせたとして。そのあとはどうすればよいのか。ついていきますと言うのだろうか。
気のはやいことを思い浮かべて、そして伏丸はとまれなかった。うなじに流れた汗を拭った。あの娘は攫われたとしても、相手を絞めて逃げられるだろう。殺すことさえできると言った。禍をすべてすすぎ尽くすと。血が冷たくなるあの感覚を、沫雪のように思い返して、そのとき木の根に躓いた。なんとか踏みとどまり進む。
ひとりで、旅ができる娘だ。だから、たすけにいく必要はなく、そこにいるかもわからないのに。でもあのひとのそばを歩けば、すくわれながらおとされる。ずっと、苦しくて心地よい。そうなのだろうとあこがれながら、伏丸はふと顔をあげ、視界を横切る影を見る。びゅっと鋭く空気を鳴らし、落ち葉を散らして斜面に刺さる。
びりびり、ふるえているそれは、斑模様の羽のついた矢。みとめた直後、二の矢三の矢、伏丸はあえて動かなかった。すべて足もとに突き立った。仰げば木の上、影がひとつ。ひらりと、隠れようとするので地から抜いた矢を投げつける。矢は太い枝にいちど刺さって、すぐにぽろりと落ちてきた。
伏丸は目を眇め見あげた。おそらく、賊の類いだろう。この先にだいじなものがあるので、見張りを立てていたというところか。だいたい予想がつくものの、伏丸はあえてかろやかに問うた。
「だれだ?」
投げてわるかった、と転がった矢を示し詫びるが、木の上の影はこたえない。すがたを現すそぶりも見せず、衣の端すらのぞかせず。やはりあの娘、攫われたのか。涅の瞳がいっときよぎり、そのとき、背後になにかが迫る。冷えるが粗野な刃の気配。振りかぶられて遠ざかる。その瞬間は隙になるので振り向きざまに踏み込んだ。
拳に硬く、重い手ごたえ。ひしゃげるような悲鳴があがり、相手は斜面に仰向けになる。髭面の若い男だった。ひどく擦り切れた筒袖に袴、草鞋は足がはみ出している。男は伸びたあとまるまって、腹を抱えて呻きはじめた。
しばらくは動けないだろう。その手から離れ転がったのは、三日月形の大きな太刀だ。稲刈りが早く済みそうである。伏丸はそれを足で拾うと、手中におさめて振り返る。枝の陰からはみ出している。衣。声は出さないのだが、少なからずうろたえたらしい。転がした男は仲間なのだろう。
「わるい、いきなり襲われたから」
伏丸は木の上に向かって言った。
「お仲間か? まあ気は確かだよ。ところで──」
「おまえこそ何者だ」
低く這うような声がした。上からではなく、うしろから。またもや背後になにか来たのだ。伏丸はそちらへ目をやった。体格のよい男が四人、斜面を横切り近づいてくる。だいたいが髭で、目つきがわるい。それぞれ腰に大きな太刀を、得意げにいくつも佩いている。ひとりは荒縄を襷にしており、ひとりは片目を布で覆って、もうひとりは袖が両方破れ、腕の入れ墨があきらかだった。わかりやすい荒くれ者どもだ。
「みずから品物になりに来たのか」
うらやましいほど低くしゃべるのは、いちばんあとからのんびりと来る蓬髪長身の男であった。なにやら少し上品である。伏丸は眉を寄せ、ひょいと小首をかしげてみせた。
「品物? なに言ってんだ」
「とぼけずともよい、つけてきただろう。品物になりたいのかと聞いている」
どうやら、気取られていたらしい。みずからがひと買いであることを、隠すつもりもないようだ。似た格好のものに対して、隠す理由もないのだろうが。そしてひと買いの男らは、じりじりと間を詰めてくる。うしろには弓矢が控えている。徐々に囲い込まれながらも、伏丸は高鳴りを感じていた。
この状況が、うれしいのではない。こわいのでもない。どうしてなのか。はっきりしないが、おそろしい。ひたすら引きずられるように進んで、確かなことなどなにもなかった。それでも、ほんとうにあの娘のところへ、いまたどり着いてしまった気がして。奇妙なおそれが湧いてくるのだ。やはり、どこかしら心地よい。
「おい。なにを黙っている」
気づくと、蓬髪が目の前にいた。伏丸はすっかり囲まれていた。四人と、樹上のひとりではあるが、それぞれが巨躯を持っているのですり抜けるのも容易ではない。正面に立つ蓬髪は、猛禽めいた目を持っていた。伏丸をじっと睨み据えて言う。
「品物になりに来たのでなければ、どこぞの手の者か。その囮か。品物を横取りする算段か。よくも、このような目に遭わせおったな」
蓬髪は伏丸から目を離さずに、転がっている男を示す。静かになったと思っていたら、気絶してしまっているらしかった。伏丸は肩をすくめてみせた。
「襲ってきたのそっちだろ」
倒れた男から奪い取った、図体のでかい太刀を手放す。
「まあなんにせよ、かないそうにないから、おれはここらで手引くよ」
「聡いな」
蓬髪は薄く笑った。伏丸はこくりとうなずいた。
「ああ、聡いからもうどいてくれ」
「どかぬ」
蓬髪は言下に否む。袖なしと眼帯と荒縄襷も、目を尖らせて睨めつけてくる。伏丸は目をしばたいた。
「なんで」
「なんで。なんでと、問うか」
蓬髪は、いっそう低くつぶやく。
「わしらには、わしらのやりかたがあるのだ」
「はあ、そりゃあるだろうけど。はやく介抱してやれよそいつ」
「黙れ」
蓬髪が唸ったとたん、ほか三人が太刀に手をかける。三方向から串刺しになる、御免だ。やることがあるのだ。伏丸はふっと身をかがめ、懐に手を突っ込んだ。引き出したものを目の前にある、蓬髪の腿に突き刺した。




