三 餌袋
ひゅう、と小鳥が高く鳴く。どこかでだれかが大きく笑う。静寂の中、そらぞらしいほど響いてはすぐ消えていく。伏丸はつい眉根を寄せた。いまこの娘、なんと言ったか。言ったというより、命じたようだ。あまりに急で追いつけないが、娘のほうはあたりまえだと言わんばかりに待っている。そのすさまじい突飛さに、感傷ぜんぶが吹っ飛んだ。かかわるべきではないと思った。突拍子もない、からだけでなく、それを糸雨のように感じたからだ。伏丸は即興の笑みを張りつけ、話を斜め下あたりに飛ばす。
「ええ、ここは戦のあとでなかなかあぶないところですから、はやく離れるのがいいと思います。近くの村とかまで行きますか、そこまでだったら一緒に」
「いいえ」
あまりにきっぱり首を振るので、伏丸は口をつぐんでしまった。娘は、決然とことばを継いだ。
「近くまでではありません。これからのわたくしの旅に、ついてきなさいと申しています」
「なんで」
考える前に問うて、悔やんだ。わけなどを聞く必要はない。理由がなんであったとしても、「これからのわたくしの旅」になど、ついていくつもりは毛頭ない。それなのに、口からまろび出ていた。娘はひとつうなずき、こたえた。
「わたくしがあなたを見出しました」
底なしのような瞳でもって、わけのわからぬことをのたまう。伏丸はほとんど当惑した。いや、もしかするとこの娘は、戦に巻き込まれたのかもしれない。むごい光景を目の当たりにし、頭が混乱しているのでは。しかしなんであれ、いまの伏丸は、ひとを世話する気分ではない。世話できるとも思っていない。そうですか、などと応じつつ、では急ぎの用があるからと言い去ってしまおうと考えた。だが、身体が動こうとしない。頭の隅にこびりついている。いまも、あのときも、草原の中。見つけたときにはこと切れていた。もしも、ここに捨て置いたなら、この娘もそうなるのだろうか。小袴を握りしめていた。
「──ほら」
すぐそばで声がして、ぎゅっと、心の臓が縮んだ。見れば、離れていたはずの娘が、手を伸ばせばとどくところにいる。ぐるぐると考えているうちに、間を詰められていたらしい。伏丸はいよいよ気味わるいので、さっさと御前を辞することにした。涅の目から目をそらせないのは、きっと円満に別れるためだ。そんなことを考えながら、知らずごくりと生唾を飲む。間近の娘は野辺の花でも、夏草でもなく葛であって、たおやかに、絡みついてくるよう。どこかいとおしいおそれを抱かせ、獣物さえも封じてしまう。
「ほかをあたったほうがいいですよ……」
困ったふうにつぶやいてみる。睫毛をまたたかせている娘に、なんにも持ってないですし、とからっぽの手を振ってみせる。
「見ず知らずのに向かって急に、見出したとか言ったって……」
「蝿がたかっています」
「はい?」
血のにおいがまた鼻をつく。空気がゆれうごいている。娘が袖を振っているのだ。なにがはじまったのかと思えば、耳もとに低い羽音を聞いた。蝿が二三匹、顔のまわりをぶんぶん飛び回っていた。屍と決めてかかっているのか、あながちまちがいでもないだろう。頭を振ってみたものの、蝿たちが屈することはなかった。娘も袖をゆらすのをやめ、伏丸をまっすぐ見あげて告げた。
「蝿ばかりでなく、禍もまた」
細波の寄せるようだった。伏丸は思わず目をみひらいた。娘は落ち着いたようすで続ける。
「さきほどまで、多くたかっていました。さぞ重かったことでしょう。禍を集めやすいのですね。そのようなひとは、まれにいるのです────そう、禍を、知っていますか」
娘はほのかに笑みを浮かべて、知っているようですねと言った。一歩うしろへ身を引くと、ぐちゃ、と現の音がした。
「禍を集めやすいひとが、そのわだかまるところへ来たのです。とても苦しかったでしょう」
その瞳には同情も、軽蔑も浮かびあがらなかった。気づけば、衿もとを押さえつけていた。重かったのは、禍のため。軽くなったのはこのひとのせい。幼いころに聞いた話は、つくりごとだと思いたかった。
「わたくしはこの世の禍を、すすぎほうむるつとめのために旅を続けているものです。さまざまなところへ赴いています」
「そうですか……」
「ええ、そうなのです。禍というのは、いまこのときも絶え間なく生まれ続けています。すべてをすすぐことはできません。けれど、せっかくつとめるのですから、なるべく成果をあげたいのです。あなたもなにかおつとめをするとき、そのように考えませんか」
「それは、考えると思いますけど……」
伏丸は口の中でぼそぼそこたえた。娘のことばを鵜呑みにするなら、言いたいことはおおかたわかった。そして信じてしまうよりほか、ないという気にもなってくる。つくりごとではなかったのだ。混乱に陥っているのでもないのだ。陥っていたのはこちらだった。どろどろとりつく狂乱の中、うまく溺れることもできずに。そこから、すくいあげられたのだ。
「あなたも歩いているだけで、たくさんの禍がついてきます。そのようになったきっかけが、きっと、なにかあるのでしょうけれどそれは知らずともよいことです。あなたをそばに置くならば、多くの禍がすすげましょう、それがもっともだいじです」
餌袋のようなことですね、と。娘はそうあっさりと断じる。伏丸は、口を開けては閉めた。物申したい気もするのだが、なんと言おうか決められない。口に入ろうとする蝿たちを払う。そのうちに娘は話を進める。




