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滌葬草子  作者: 相宮祐紀
〈四〉 葬宮
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三十七 旅路





  **  **





 閉ざした視界を白く感じて、伏丸(ふせまる)はまぶたを押しあげた。小屋の中はほんのりと明るく、やはり朝が来ているとわかった。ゆるりと視線を動かせば、(むしろ)のささくれ、板の間の傷、土間の窪みがぼやけて見える。板戸のわずかな隙間から、光の糸が射し込んでいた。細い風に舞う(ちり)がきらめき、雨のなごりのように思える。

 伏丸は幾度か目をしばたくと、引き剥がすように身体を起こして囲炉裏のほうをかえりみた。積もった白っぽい灰の中、ちいさな炎がのこっている。ちろちろ、小蛇の舌めいてゆれ、消えそうなのにまだ燃えていた。その向こう側に目をやって、ようやく目覚めたように思った。そこにいるはずのひとがいない。

「宮さま」

 なにも考えず呼ぶ。しわがれた声は板敷の上に転がり、灰に飛び込み沈む。伏丸はしばし茫然とした。筵は敷かれたままだった。伏丸がゆうべ渡した小袖も、その上にふんわりかぶさっていた。少しだけ外へ出るために、軽く整えたというふうだ。だが、宮が起きて戸を開けたのに、気づかないことがあるだろうか。それほど寝こけていたのだろうか。伏丸はこめかみを押さえた。奥のほうが鈍く痛んでいる。酒か。じつのところあまり強くない。

 伏丸は立ちあがり、宮に貸していた宍色(ししいろ)の小袖をなんとなく引き寄せて羽織った。眩暈をこらえて板戸を開けると、すずやかな風が青い香りをはらんですうっと吹き寄せてきた。外はまた一段とまぶしく、目を眇めながら朝の中へ出る。あたりを見回してみるものの、宮のすがたはどこにもない。

 あまり遠くへは行かないように。夜半、そんなことを言っていた。背後に聞いた声がよみがえる。抑えつけたような落ち着きと、深く静かな潤いがあり、胸を掴まれるここちがしたのだ。小石を投げ込まれたようでもあった。身体の内に波紋を広げ、抉りながらも沈みゆく。奥底にふれてのこり続ける。

 互いにおかしかった昨夜を、思い返すのはそらおそろしい。互いに戯れお遊びをして、からかいあったということにして、何事もなかったということにして。そうするよりほかないのだし、そうするべきだとすら思う。ぜんぶが嘘で気のせいだった。それでも、ひとつだけ守った。ひどく切実にのこったせいだ。あまり遠くへは行かないように。

 くり返し、響いてくるようだった。そのくせ、じぶんは黙ったままで、遠くへ行ってしまうのだ。そうだと、ふいに悟ってしまった。いってしまった。あのひとはひとり。

 あのひとはひとり、いってしまった。まちがいないと、腑に落ちた。

 一歩、よろめくように踏み出し、そのとき、ちょうど目の前に見る。まぶしくきらめく朝の中、夜を引きずる色をまとった、だれか。伏丸はとっさに身構え、未知の相手と対峙した。

 暗闇の色の筒袖に袴、頭には布を巻いており、それが口もとまで覆っている。いまはかえって目立つそのすがたは、忍びの者のようだった。伏丸はなにがなんだかわからず、しかしおどろきを悟られぬようなに食わぬ顔で(しのび)を眺めた。布のあいだからのぞく目は、ぐるぐると大きく力があった。無言のままに圧をもち、伏丸をじっと見据えている。これはなにかのまちがいではなく、狙われている、と言ってよさそうだ。だがなぜ。そしてさすがに目立つ。もっとわかりにくい格好をして、背後から来て仕留めればよい。

「だれだ」

 伏丸はまず軽く問うた。いますぐに宮を追いかけたいが、眼前の忍をすり抜けることは至難以上だとよくわかる。鋭くひりつく、殺気とも呼べる空気を放っているのである。こちらが動かないなら動かないが、横など通り過ぎようとすれば木っ端みじんにされるのだろう。だから相手をせざるを得ない。しかし忍はなにも言わない。問いにこたえようともしない。伏丸はひそかに舌を打つ。聞こえていてもよいと思った。

「返事ないんならどいてくれ」

 声が思うより低くなり、汗が首筋を冷たく伝う。忍はなおも、こたえない。伏丸はその細い身体にざっと視線を走らせた。これなら一気に組み伏せられるか。考えるよりも前に飛び出し、直後したたかに背を打った。腰から背骨を伝い頭が、びりびりとふるえゆれている。胸から空気が押し出されたきり、吸うのか吐くのかこんがらがって、手足に力が入らない。伏丸はなにもできないままに、華麗に投げ飛ばされていた。そのままころりとうつ伏せにされ、押さえつけられ動けなくなる。ようやく息を吸った伏丸は、己でも意味の不明な音を幾度も吐いて吐き捨てた。

「音を出すな。耳障りだ」

 上から声が降ってくる。男とも女ともつかない、低く飾りのない声だった。なにものせずに、単にたずねた。

「貴様。どこへ行くつもりだ」

 どこへ。決まっている。宮のところだ。宮はひとりで(やしろ)へ行った。ここにひとりで置いていかれた、だから追いかけなければならない。そう喚こうとしてはっとする。宮の、だいじなつとめなのだ。宮はひとりで歩んできた。そばにだれがいなくとも、まっすぐつとめを果たしてきたのだ。いのちをかけた旅路のおわり。追いかけていって、妨げるのか。

「どうした。みずから気がついたのか。遅いが気づかぬよりはましだな」

 忍は伏丸の腕をひねると、冷たさもない声で続ける。

「あのかたを追いかけることは、あのかたを踏み躙ることだ」

「あのかた────」

 しゃべると、咳き込んだ。背を押さえられ、肺臓が痛む。伏丸は必死に息を吸い込み、滲む視界で上を睨んだ。

「あのかた、って、なんだ、おまえは────」

「わかるだろう。滌宮(すすぎのみや)さまだ」

 忍が宮の話をしている。なぜ、と頭をよぎるそのとき、忍の手が背に食い込んだ。ぐ、と潰れた声が洩れ出る。忍はどこまでも無のままに言う。

「わたしは宮の御佩(みはかし)だ。宮の旅路を見張る忍で腰に佩かれて抜かれぬ太刀(たち)だ。この二年の旅のあいだも、宮のおそばにずっといた」

 忍の最後のひとことに、わずかに色があった気がした。目の前がちかちかしてわからない。それより、宮は見張られていたのか。このことを知っているのだろうか。だが、ほんとうにひとり旅では、確かに不用心すぎる。

「手助けは勧められないが、わたしは宮を長らく見てきた」

 ざらついて少しあたたかい、砂地に押しつけられながら聞く。苛立ちながらも、なぜか安堵し、同時に疑問も湧きあがる。この忍はなにがしたいのか。宮のところへ行かせぬように、とめたいのなら、それだけならば。長々としゃべる必要はない。

「わたしは宮を長らく見てきた。わたしのつとめは、宮の旅の果てを見とどけ、御上(おかみ)にお伝えすること。わたしは宮を、長らく見てきた」

 なにを言っているのかわからない。感情ものせずくり返される、おなじことばは不気味なようでなぜだか、ひどく痛切だった。伏丸は砂を握りしめた。爪の間に入り込み、痛む。派手さはなくも、確かだ。

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