三十一 波間
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港は嘘のようだった。ひとと船と荷が波となり、寄せては返して渦巻いていた。
大きく威勢のよい掛け声が、あたりにしきりに響き渡っては潮騒と混じりあっている。ときおり生臭くも感じられる磯の香を運ぶ浜風は、とりどりの色やかたちの旗をひらめかせはためかせており、そのもと、大小さまざまの箱が積みおろしされ運ばれている。それを、馬が引いていったり、ひとが押していったりするし、そのまわりには、簾や網を引っ掛けた小屋がいくつも並ぶ。中では魚やひとを売ったり買ったりしゃべったりなどしており、そばに小早船が引きあげられて、大勢に修理されていた。
伏丸は、ひとや馬の合間を縫って、宮とともに乗る船を目指した。宮は港を臨む高台で、いちど滌をしたばかりだった。
目あての小船の船頭に、書きつけを見せて通される。伏丸は先に船へ飛び乗り、宮に手を伸べて介添えをした。書きつけは、船を扱う元締めに御璽を押してある紙切れを見せ、乗船を許された証である。伏丸は宮を舳先に座らせ、その向かい側に腰かけた。ひとの波から離れると、風はさわやかに冷えていた。
やがて船頭が櫂を動かし、小船は海の上を滑りだす。潮にのり喧騒を離れて、日迎へ向かい漕ぎ出した。
宮の若草色の袂と、黒髪がさらりなびいて踊る。その涅の瞳がいったい、なにを映すのか懐しく思う。追っても、伏丸にはわからない。おそれによく似た焦燥か、憧憬が胸の芯を灼く。とくにことばは交わさなかった。ふたりの旅になってしまった。
あの夜、サクは去ってしまって、ほんとうにもどってこなかった。さがすことなどできはしなかった。明くる朝、宮はなにも聞かずにただ、行きましょうとだけ。いなくなってしまったサクを、さがそうとすることはなかった。サクは、最初に言っていた。好きなところまでついていく。
古着屋の店主にもそう説明した。店主はへんな顔をしつつも、踏み込もうとはしなかった。サクが捨てていった匕首は、行李の奥底に入れてある。
白い海鳥が飛んでいる。降りくる光にきらきらゆらぐ波間に飛び込みそうに近づき、身を翻して上へ羽ばたく。なにをしているのでしょうねと、宮がだれにともなく問うた。飯でもさがしてるんでしょうよと、船頭が嗄れた声で応じた。
陸から離れていくにつれ、身の浮くような気分になって、なにやら心もふわふわとして。寄る辺ないまま、このままどこか、遠くへ流れ着いたら、などとゆめまぼろしにあこがれて。けれども陸から離れるほどに、陸に近づいていると気づくと、そんな考えも霧散していた。だんだん近くに見えてくる。
宮がそちらへ顔を向け、もう着きますねとつぶやいた。何心もなく言うようなので、喉を掴まれる心地になった。たどり着いたら、もうすぐなのに。どうすればよいかわからないのに。潮と腕ききの船頭は、まちがいもなしに浜辺のほうへ、宮を運んでいくのであった。
やはり漂流などできぬまま、たどり着き船頭と別れた。宮の裾が濡れないように、船を浜へあげた船頭は、ではまたと乾いたことばをのこし、船を押し出して行ってしまった。
伏丸は宮の手を取って、足の沈み込む浜を歩いた。さくりさくりと音がかさなり、躓きかけてしまった宮の、細い手にわずか力がこもり。意図もないそのうつろいを、伏丸は握りしめていた。抱えたほうがはやいかもしれない、ふと思いついて打ち消した。やがて砂浜は平らになって、途切れる。これから、社を目指し、往くのだ。
「伏丸」
はっとして、握った宮の手を離す。てのひらに風がふれていく。宮は静謐なまなざしを、伏丸の目に注ぎ込む。
「禍が溜まっています。海には案外多いのですよ──」
「かまいません」
伏丸は即座に言った。さきほどすすがれたばかりなのだ。そのときに身体が軽くなり、それからなにも変わっていない。宮は少しだけ目をみはり、そしてひっそりと眉をひそめる。
「なにを言っているのですか」
「わたしはなんともありませんから、平気ですと申しています」
「いけません」
「いえ、かまいません」
幼子のような言い合いになり、伏丸はじりりとあとずさった。せめて、もう少し時が経ってから。もっと言うなら、すすがないでほしい。ことばは喉に詰まって出ない。なにを投げかけられるかわかる。
「勘ちがいしてはなりません。あなたのためではないのですよ。滌宮のつとめのためです」
やはり、宮の声は澄みきっている。まっすぐに突き刺さってくる。伏丸はいちど口を引き結び、なんとかひとつ、絞り出した。
「では、もう少しここにいて、海を見てからにしませんか」
口走ってから、殴りたくなる。背筋が痒くなることを言った。どうにかごまかせないものかと、散らかる頭で考えるのだがなにも微塵も思いつかない。伏丸はとうとう、うなだれた。いよいよ身体じゅう痛痒く、熱がじわじわ広がっていく。妙な汗まで噴き出してきて、宮のほうなど見られない。いっそ目も耳も塞ぎたい。
「ええ、そうですね。かまいません」
だから、宮がそう言ったとき、聞きまちがえたのだろうと思った。けれども、宮の深い瞳は、伏丸をしかととらえていた。
「海を見たことはありましたか」
「はい、ありました────」
「わたくしもです。けれどひさしぶりでしたから、もう少し眺めてもよいでしょう」
「命の随に……?」
「やはり、それは、使いかたを少し誤っています」
焦りや照れを隠そうとした、ことばはやはりずれていた。宮はおだやかな表情で、遠くのほうへ視線を放る。吹き抜けた風にしぶきが混じり、ほのかに潮の味がする。宮はちいさく舌をのぞかせ、酒のようだとつぶやいた。
「あなたは酒が飲めるのですか」
突然の問いに、心臓が跳ねる。行李にふれる背が冷える気がした。そこに入れてある酒瓶のこと。宮には言っていないはずだが。伏丸は、なに食わぬ顔で応じた。
「はい。それなりに。宮さまは」
「わたくしは、さほど好みませんが飲めます。あなた、弱いのですか」
「いいえ……多く飲むと寝ますが」
「それは弱いというのでは」
「いいえ」
潮風に髪を遊ばせ、宮はほのかに目もとをゆるめる。伏丸はさりげなく顔をそらした。酒のようだと言われた潮は、舌の上なぜか苦く広がる。




