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滌葬草子  作者: 相宮祐紀
〈三〉 小庵
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三十  梔子

 夏草のようなひとだった。生き生きとして清冽だった。それでいてやわい憂いをたたえ、凛と冷たいぬくもりを帯び、ときおり、ほのかにとけゆくように、春に咲く花を思わせる。すくわれながら、おとされる。それは結局のところ救いだ。餌袋(えぶくろ)としてそばにいるのだが、はじめからいてよいものではなかった。青臭い端者(はもの)。宮はそう言った。あの声が胸に刺さったせいで、それもうつくしいように思えて。

 伏丸(ふせまる)は足に力をこめた。座り込んでしまいそうだった。洩れそうな呻きを噛み殺したとき、ふいに、背後に気配を感じる。ふっと余計な力が抜けて、胸苦しさがとけていく。伏丸は振り返らなかった。これを、ずっと、待っていたのだ。

 うしろに、じっと立っている。ちいさく頼りない影がある。その手が握りしめているのは、抜き放ったあの匕首(あいくち)だろう。フミの(いおり)に荒くれ者が押しかけてきたすぐあとから、持ち歩くことにしていた匕首。行李(こうり)の底に埋まっているのを、伏丸は前から知っていた。いちども使ったことがなかった。鞘を払うと刃毀れしており、使いにくそうだったから。でもいま、ちょうどよいはずだ。唇にゆるりと笑みが滲んだ。うしろに立ったその影に、気がついていないふりをする。ただ無防備に背中を晒す。音もなくにじり寄ってくる。切っ先が背まで、あと少し。それなのにそこで、声を発した。

「ふせまる」

 静かに凍てついていた。伏丸は振り返れなかった。問いを投げたくて息が詰まった。サク。どうして呼んだんだ。じり、とサクは土を踏み、手にした(やいば)を投げ捨てた。

「おまえのことは、ころしたかった」

 サクは、ひたすら平らに言った。知っていた。

「ちがう。殺したい」

 知っていた。見えていたからだ。着ている(ころも)梔子色(くちなしいろ)が、あのとき枝の陰から見えた。その色が矢を放ってきたのだ。

「おまえのせいで、みんな捕まった。殺されたんだ。おまえのせいで」

 宮を攫ったひと買いたちの、サクがその仲間だったこと。伏丸ははじめから知っていた。山の上の(やしろ)を目指す道中、うしろにサクが現れたとき。樹上から矢を射てきたひとと、おなじ梔子の衣を着ていた。おなじひとなのだと、そのとき悟った。

「おまえが、みやさまを取り返しにきて、そのときみんなをめちゃくちゃにした。品物にはぜんぶ逃げられた。それが偉いやつらに告げ口したんだ。そいつらはあほうだったから、処分するしか頭になかった。みんな動けないから捕まって、その場で斬られた。お(かしら)たちは、あの川のとこで殺された」

 おまえのせいだと、サクはつぶやく。

「おれはちいさいし、すばしこいから、かならず逃げきれる平気って。仲間とも思われないだろうって、ひとりだけ、逃げろって言われた。だから逃げたよ。逃げて、逃げたら、おまえを道で見つけたよ。ずっと、ずっと追いかけてたよ。殺してやろうって、思ったよ。山で、見つかっちゃったけど、そのほうがいいかもって思った。近くのほうが、仲間のほうが、ぜったい殺しやすいと思った」

 どこまでも、どこまでも淡々としている。どこかでだれかが悲鳴をあげる。

「最近、なんかうわのそらだし、これってそろそろなのかもなって。いまからやってやろうかなって。でも」

 だめだおれ、だめなんだ。だめだと、サクはくり返す。少しも、ゆらがずふるえないまま。

「だめだ。そんな値打ちない。おれがおまえのこと殺すには、かなり力がいると思うし、けっこう疲れると思うんだけど。おまえにそこまでする値打ちない。いろいろ、きたなくなりそうだしさ」

 ひゅう、と通りを風が抜け、首筋を舐めるように過ぎ去る。やはりこのひとは、聡いのだ。(さと)くて(さと)い。知っていた。あとさあ、と伸びをするのがわかる。

「おまえ、ほしがってるんだろ。おれにそうしてほしがってんだ。そんなあほらしいことってないよ。なんでおまえなんかのさあ、ほしいものおれがやらなくちゃならない」

 はなはだ面倒そうに吐き捨て、サクは匕首を踏みつけた。

「ぜったい。絶対やらないよ」

 土に埋め込むように擦りつけ、じりじりと音を立てて擦って。じゃあなと、それだけ言って、去った。





  **  **





 男が幼子に殺された。それは体のことではなく、心が完膚なきまでに、叩きのめされたという話。滌宮(すすぎのみや)を見張る(しのび)御佩(みはかし)のひとりであるマガネは、そのようすを古着屋の陰から見ていた。

 あの男と幼子のあいだに、なにがあったのかはわからない。なみだをこらえていた幼子が、どこへ行くのかもわからない。

 夜半にいきなり外へ出て、ひどく沈んでいたらしい男がなにを考えていたのかも知らない。臓腑をすべて失ったように呆然として立ち尽くし、息をしているのかどうかも怪しい、それだけのことが確かなのだった。あれでは、いまにも死んでいきそうだ。どこかしら宮に似ていると、それは即座に打ち消した。宮とあの男が似ているなどと、そのようなこと認めない。

 ただやはり、男はあやうげだった。いちどはとっさに石をほうって、ごろつきに刺されそうなところをたすけたこともあるというのに。あの朗らかな殿さまには、じぶんでやったことにされていたが。御佩として、手を出すことは控えなければならなかったが。

 男の背はひどく頼りなく、月も差さない曇った闇にもくもくと食われそうだった。どうなろうと知ったことではないが、宮が男を気に入っているので、そうとも言い切れぬところがある。男も、宮を慕っているらしい。この男ならばあるいはと、マガネはぼんやり考える。

 やがて男は、くらりと踏み出し、どこへともなく歩きだしていた。のっぺり濃淡のない闇の中、死人がさまよいはじめたみたい。

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