二十八 酒瓶
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宮は真杭又二郎の申し出を、丁重に断った。これまでの滌宮も、みずからの力で旅してきたので、一国の主や兵などをわずらわせることはできないと述べた。それならば、道や土塁の修繕にひとを回してほしいと言って、真杭又二郎を降参させた。
殿さまは屋敷に帰ることになり、フミの見送りをいらぬと言った。かわりに、なぜか伏丸を呼んだ。
庵を出る殿さまに続くと、外はすっかり暗かった。大股でずんずん歩く背中が、すぐに見えなくなりそうだ。伏丸は小走りに追いかけた。頭上で木の葉がさやさやと鳴り、風はどこかしらなまぬるかった。伏丸は己が浮足立って、焦っていると自覚していた。
庵の明かりが遠ざかり、大きな木の影が見えてくる。宮が倒れた場所だった。その木には馬がつながれており、桶から水を飲んでいる。そういえばフミが食事の前に、桶を持ってどこかへ行っていた。馬の世話をしに来ていたのだなと、伏丸はふわりと思い出す。
茂みの中から抜けてしまうと、案外さほど暗くない。笠と垂れ衣をかぶったように、おぼろにかすんだ月であっても道を照らすにはじゅうぶんらしい。ぼやけた星はうっかりと、こちらへこぼれてきそうでもある。真杭又二郎はまだなにも言わず、馬の鼻面を撫でている。撫でつつ、ようやく口をひらく。
「そなた、わたしに仕えぬか」
なにを言われたか、わからなかった。伏丸が思わず聞き返すと、真杭又二郎はからりと笑った。
「わたしのもとへ来ぬかと申した。そなたは腕が立つようであるし、心くばりも細やかだ。幼子も扱えるらしい。単にほしいと思うたのだ」
伏丸はいっそ困惑した。なにを言っているかやはりわからない。このひとはだれを見たのだろうか。幼子など手に余っているし、粗雑さもなにも隠せていない。それなのに、殿さまは朗らかに続ける。
「口数は多くないのだが、つねに周囲を見ておるし、動くべきときに動いている。身に染みついておるようにも見えた。サクも、ごちゃごちゃと申しておるが、つまるところそなたになついておろう。よい。それに、かなり腕が立つらしい」
その、最後のことばを聞いて。どくりと、心臓が強く縮んだ。考える前に首を振る。
「いえ、そのようなことありません。わたしは」
「そのようなこと、あったぞ」
「いいえ。真杭さまのお力がなければ、いまごろ生きてはいませんでした。あのとき、刀を弾き飛ばして……」
「はじき?」
声が裏返る。はっとして顔をあげてみれば、真杭又二郎は首をかしげていた。
「わたしは、そのようなことしておらぬ。そなたみずからしたのであろう」
「いいえ──」
刺されそうになったとき。いきなりなにかが吹っ飛んできて、刃を弾いてしまったのだ。決して、じぶんではできないことだ。しかし確かに、真杭又二郎らが来たのとは逆から飛んだかもしれない。
「わたしの供がしたのであろうか、ともかくわたしではないぞ。そのような芸当は身につけておらぬ」
真杭又二郎はおかしそうに言い、伏丸のほうへ身体を向けた。
「しかし、それができずとも、そなたがほしいことは変わらぬ。どうだ。考えてはみぬか」
「わたしは」
宮の供をしている。滌宮の餌袋だ。そう言いかけて、口ごもる。
「わたしは────」
「滌宮の供だろう。そののちのことは考えておるのか」
そののち。そののちと、頭に響く。そんなものなど知らないが、この旅路には、おわりがあった。どうしようもなく、もどれぬおわり。
「いま問うことは酷であろうが、もう会わぬやもと思うとな。それからサクだ。あの子も聡い。気が向いたならば連れてもどるとよい」
真杭又二郎はそれだけ告げると、馬の綱を木の枝から解いて、その背にひらりとまたがった。腰にさげたものを引きちぎり、投げてよこした。弧を描き、すとんと腕の中におさまる。それは焼物の酒瓶だった。
「半端に余ったゆえ授ける。好むなら飲め」
言い捨てて、真杭又二郎は駆け去った。伏丸は酒瓶を抱いたまま、ひとりのこされ立ち尽くす。ただ呆然と立ち尽くす。
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それから数日のあいだ、フミの庵で世話になった。宮の顔色は徐々によくなり、サクとフミの仲もよくなった。三人でフミを手伝いながら、しばらくおだやかな日々が続いた。しかし、この旅には果てがある、そこへ向かわなければならない。きのう、フミに別れを告げて、進みはじめたところだった。
きょうはちいさな町にさしかかり、古着屋の隅に泊まることになった。宿は、男も女もなしに雑魚寝するところしか見つからず、この店に泊めてくれと頼んだのだ。店主がなぜか早とちりしたので、宮は身重ということになっている。それは静かなほうがよいだろう、と店主は大いに納得し、店に招き入れてくれたのだった。宮は腹までたいへん華奢だが、訂正はするに忍びない。
板張りの簡素なつくりの店で、隅に座り込んで見あげると、屋根には穴があいていた。さほど大きい穴でもないので、直さずほうっているのだろう。少し横着なのかと思えば、売りものは長持の中におさめてしっかりと鍵をかけてある。店主は長持ちの横に転がり、腹を掻きながら眠っていた。
サクと宮は伏丸のそばで、古着に埋もれて横になっている。サクの枕もとには、持ち歩くことにした古い匕首が置かれてあった。古着は、店主が長持の中から旅びとに貸したものである。宮が夜露に冷えないようにと、置炉までそばに据えられている。話をあまり聞かないが、根のまっすぐなひとであるようだ。
伏丸は、屋根の穴を見つめていた。そこへ落ちていく気がしていた。旅がおわるのはまだなのに、これまでのことが思い起こされる。
戦場で宮をはじめて見た。宮が攫われ、連れ出しに行った。社への道でサクと出くわし、ともに歌村に入った。歌村の洞穴にあった、禍。宮がすすいだ。すべてではない。相反することを頼み込まれて、宮が選んだのはいちどきりの滌。宮は村長にだけそれを話した。そのあと、吉弥も絃も、加也も、なにかを宮に問うことはなかった。礼だとひらかれかけた宴は、断ってあの村を出た。
それからのち、しばらくのあいだ、フミの庵に置いてもらった。フミは別れ際、だれにともなく言った。いつでももどってくるといいよ。
ぐしゃりと、髪を掻き回し、伏丸はゆっくり立ちあがった。酒瓶をおさめた行李を横目に、板戸を開けて外へ出る。舞う土埃が目に沁みる。




