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滌葬草子  作者: 相宮祐紀
〈三〉 小庵
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二十二 静寂

 低いが朗らかな声だった。伏丸(ふせまる)はあたりを見回し、木の向こう側の草むらに、ひとりの女のすがたをみとめた。齢は四十くらいに見える。葡萄染(えびぞめ)の袖が青葉の中で、しっとりとよく映えていた。

「どうしたの、倒れちまったのかい?」

 女は迷いもなくそばへ来る。ざっくばらんなその態度に、伏丸はつい気圧される、というより気がゆるんでしまった。

「おばちゃん、だれ?」

 サクがたずねる。警戒は見せずかろやかな、その声に伏丸ははっとした。確かに、このひとは何者だ。頭に布を巻きつけて髪をたくし込んでおり、働き者のように見えるが妙なところから現れた。女は、おばちゃんだってとふきだし、草むらのほうを指差した。

「その奥の(いおり)に住んでんだ。フミっていう。この子疲れてるね。すぐ寝かせてやんなきゃね」

 女は、そう言うがはやいか、示したほうへ駆けもどっていく。サクとふたり、唖然と眺めていると、くるり振り返って顔をしかめた。

「なにしてんだい。さっさとおいで」

「でも──」

「わかった。わかった、いいよ」

 ためらった伏丸のほうへ向かって、女は片手を突き出した。しかたない奴と言わんばかりにため息を吐き、ひとつうなずく。

「いいよ、怪しんでるんだろ。そんなら見せてやろうじゃないか」

 女は頭に巻いてある布に手をかけ、一気に取り去った。長い髪の毛が滑り落ち、葡萄染の肩に広がった。くせがあるが、すこやかそうな髪。だが、いきなりなにをするのか。さらに身体を引きかけたとき、女は得意げに言い放った。

「ほらね、わたしのいのち見せたよ。どうだい、信用できるだろ」

「なにをおっしゃってるんですか?」

 つい溜まっていた苛立ちをぶつけ、そのとき、肩口が掴まれる。きゅっと、弱くも確かな力。

「伏丸、非礼はゆるしませんよ────」

 掠れた声でささやいた。宮が言うなら、しかたがない。伏丸はすっと息を吸い込み、女を真正面にとらえた。少し離れて立つそのひとは、やはり親しみの湧くようす。サクが見あげてくるのがわかる。伏丸は女を見据えたまま、ちいさくうなずいてみせた。

「伏丸と申します。おいのち見せていただきました、フミさん。よろしくおねがいします」

「わかりゃあいいよ、フセマルちゃん」

 フミは愉快そうに言い、すぐに表情を引き締める。

「おいで。ちょっと歩くけど」

 伏丸はサクに袖を握らせ、フミに続いて草むらに分け入る。ゆかしい日陰の香りを感じた。





  **  **





 やわらかい土の細道を行き、見えたのはちいさな草庵だった。屋根はほとんど苔に覆われ、板で組まれた壁や引き戸は、すっかり色が抜けている。軒からは乾いた草花や、(ざる)(かご)などが吊りさがっていた。木陰の涼しい静寂の中、楚々とたたずんでいるという風情。ほかにひとの気配は感じられない。戸口のそばには畑があり、なにかの葉が青々としていた。フミが先に行って、戸を開けた。ざっと潔い音がした。

「入んな、だれもいないから。奥に寝床つくるからね、それまでそこの(むしろ)でいいかい?」

 庵の中から大声で言う。伏丸は戸口で一礼をして、そっと足を踏み入れた。サクもつられたようにお辞儀して、するりと中へ入ってくる。囲炉裏のついた板の間があった。フミは間仕切りを引っぱってきて、その奥でなにか支度している。手前のほうには、ささくれもない筵が一枚、敷かれていた。フミが言ったのはこれらしい。それをみとめた瞬間に、サクがくるくると働きはじめた。

 まず伏丸の草鞋(わらじ)を脱がせ、じぶんも脱ぎ捨てて板敷にあがる。伏丸から行李(こうり)を引きずり落とすと、宮をおろすのも手伝った。サクは宮にはよくなついている。宮のためならかいがいしくなる。そのすがたが頼もしく思えた。

 宮を筵の上に寝かせ、きりりと結ばれた帯をゆるめる。サクが、あっと声をあげたが、いまは気にしている場合ではない。宮がかすかに目をひらくので、伏丸は顔を近づけた。やはり、唇まで青白い。

「宮さま……」

「ミヤちゃんっていうのかい? あんたはフセマルちゃんだろ、そんで、あんたは?」

 フミが朗らかに問う。サクがこたえると、いい名だと笑い、伏丸の肩をちょいとつついた。

「寝床できたよ。その奥ね。筵とそんなに変わらないけど、目隠しあるから落ち着くだろうよ」

「ありがとうございます」

 伏丸は、こわれものより慎重に宮を抱きあげて奥へ移した。布が何枚もかさねられ、枕も用意されていた。紙の張られた窓も近く、風通しのよい寝床。宮の表情もこころなしか、おだやかになったような気がした。フミは、土間へおりていき、なにか音を立てて作業しながらサクに話しかけている。そのあいだ、伏丸は宮を見ていた。

 じろじろと見ては無礼だと、わかっていても、目を離せない。離せばほろほろくずれていって、散って消えそうな気がしてしまう。この目で見つめていることに、値打ちがあるとも思えないのに。

 夏草のようにあざやかだった、戦場(いくさば)でのすがたがよみがえる。あのときは、なんでもその手でかなえる天上人のようだった。でもいまは、ひどく幼く見える。いつもきっちりとまとまった髪が、ほつれて、耳もとにこぼれている。身じろぎさえままならずにいると、フミがまたそばへやってきた。宮の(ひたい)に手を当てて、そこへ絞った手拭いをのせる。

「あんたもちょっと休みなよ。眉間にしわが寄っちまってさ、せっかくの色男が台無しだ」

 フミはからりとした笑みを見せると、伏丸の背中を軽く叩いた。

「あっち行って、水でも飲みな。ミヤちゃんにもいま飲ませるから」

 手は大きめで、あたたかかった。

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