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滌葬草子  作者: 相宮祐紀
〈三〉 小庵
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二十一 木陰





  **  **





 果てをなくしたような空から、まぶしい光が射していた。歩けば滲んでくる汗を、さわやかな風がさらりとさらう。風とおなじほうを目指す小川の、流れに沿った道を行く。歌村(うたむら)をあとにしてから、もう十日ほどが経っていた。

 列の先頭はサクである。村を出るときに譲ってもらった、新しい小袖が似合っている。明るい橙色の背中は、こころなしか張り切っているようだった。そのうしろから行くのは宮で、ひとつに束ねておろした髪を小蛇のようにゆらしている。伏丸(ふせまる)は列のいちばんうしろを、行李(こうり)を背負って歩いていた。

 村を出てからいままでのあいだ、山の中や町の片隅で、(すすぎ)をしながら進んできた。ひとの家や宿に泊まりながら、ゆっくりと旅を進めている。宮はときおり、伏丸にたかった余分な(わざわい)もすすいでいた。そのたびに身体がかろやかになる。

「見ろよー、あの雲、いもみたいだろー。そんであっちはむぎめしだー」

 サクが空を指差しながら、なぜか面倒そうに言っている。それならあれは団子です、と宮までどこかを示しているが、その指先がどこを向くのか、伏丸にはさっぱりわからなかった。しかしサクには通じたらしい。ああ、あれか、と声をあげ、よろこんでいるようだった。

「伏丸」

 突然、宮が振り向く。そういうことにももう慣れてきた。伏丸は首をかしげてみせて、どうされましたか宮さまとたずねる。すると宮は、若草の肩にかかった髪を払って言った。

「そろそろ、あなたをすすぎましょうか」

「さっきしていただいたばかりですよ」

「さっき。三日ほど前でしょう」

「きのうではありませんでしたか、いや──」

 おとといだよ、とサクが怒鳴った。

「なんだおまえら、覚えわるいな」

「ともかく、溜まってきていますから、すすいだほうがよいでしょう。溜まりすぎると負担になります」

 前に向き直った宮が言う。伏丸は反論しかけ、思い直して口をつぐんだ。少ないうちにすすいだほうが、楽にできると聞いている。

「では、休憩も兼ねてとまりましょうか」

「のどかわいた!」

 また大声を出し、サクが道をそれていく。駆けていく先には木があった。いちはやく陰を見つけたようだ。サクがさっそく寝転んだそこへ、宮とともに向かっていく。途中で、宮は歌いはじめた。あまり大きな声は発さず、子守歌みたく口ずさむ。

 宮は、歌い終わるころには、サクのとなりに腰かけていた。向かい合って立った伏丸は、腰にかけた竹の水筒を取って宮とサクの手に渡した。じぶんの瓢箪は行李から取り出す。栓を抜いて思いきりあおると、今朝汲んだばかりの湧き水は、さらさらと喉を通っていった。日射しも風も、いままでよりも、目の覚めるようにここちよい。身体の中が、磨き込まれた新品になったようだった。けれども、これに礼を述べると、宮は柳眉をひそめてしまう。あなたのためにするのではないと、言うのだ。確かにそうなので、伏丸は今回も、目礼だけにとどめておいた。

 宮は水を飲みながら、器用に少し目を細める。そらされた喉がこくりと動き、生きているのだとふいに思った。

「たりん。おれ、水くんでくる」

 サクが宮の水筒もひったくり、小川のほうへ駆けていく。気をつけろよと声をかけると、うるせぇふせまると返ってきた。しかたがないので、ようすを見ておく。サクは川辺の茂みを突っ切り、そのあとは慎重な足どりで水の流れに近づいていった。少しだけ頬がゆるんでしまう。

「あなたも、座ってはどうですか」

 宮に言われて顔を向けると、かたわらの木の根を叩いている。ここに座れということだろうか。伏丸は首を横に振った。軽く幹にもたれながら応じる。

「立っているほうが楽なのです」

「そんなことが、ありますか」

「あります。すすいでいただきましたし」

「骨や肉が強くなるようなことは、ないのですよ。わかっていますか」

「そうなのですか。知りませんでした」

 楽になってしまうだけではなく、強くもなるような気がしていた。どうやら、気のせいだったらしい。宮はあきれた顔をした。

「なにやらおめでたい餌袋(えぶくろ)ですね」

(みこと)(まにま)に。滌宮(すすぎのみや)さま」

 教えられたことばをはじめて使った。口に出してみてしばらくしてから、耳のあたりが熱くなってくる。悟られまいとよそを向いていると、宮がぽつりとつぶやいた。

「それは使いかたを誤っています」

 え、と宮のほうを見る。そのときちょうど、水を汲んだサクが川のほとりから駆けだした。いそいそと木陰にもどってくる。水筒をふたつ掲げているのを、迎えようと宮が立ちあがる。かくりと、膝が力なく折れた。

 とっさに、伏丸は手を伸ばし、くずおれる宮を受けとめた。思ったよりも手ごたえがなく、心臓がいやな音を立てる。いちど抱えたこともあるが、そのときよりも軽い気がする。力の抜けた身体を支え、かがんだ膝に座らせた。のぞいた顔は青ざめて見えた。

「みやさま、どした? だいじょぶか?」

 サクが慌てて走り寄ってくる。伏丸が人差し指を立てると、水筒を抱えて口を閉ざした。伏丸はあらためて宮の顔を見た。やはり、色を失っている。木の葉の影のせいなのか、やつれているようにさえ思える。水を飲んだばかりで濡れた唇は、少し荒れているらしい。うっすらとひらかれた目が、さまよって、伏丸をとらえた。

「宮さま」

 ゆさぶって叫びたいのをこらえ、伏丸は宮に呼びかけた。宮はこくりとうなずいて、口を動かすが、声が出てこない。掠れた音が喉にこすれる。伏丸は奥歯を噛みしめた。宮は、ずっと無理をしていたのだ。

 旅が続いていたからか、滌をしすぎていたからか。おそらく、その両方だろう。気づけなかった。いや、きっと、気づいていたのに流していたのだ。宮はいつでも凛然として、落ち着き払っていると思って。

 どうしようもない焦りがこみあげ、宮を支える腕がふるえる。伏丸はぐっと息を詰めると、顔をあげ、あたりを見回した。サクが無言で固まっている。川がある。木がある。向こうに山が。そばには、蝶が飛んでいる。ふせまる、とサクがつぶやいた。

「近くの里までおぶっていく」

 たすけをもとめられそうなところは、このすぐそばにはないらしかった。背負って歩くとゆれてしまうが、土の上には寝かせられない。

「そうだな、わかった。おれがこれ持つ」

 サクが水筒を抱きしめる。伏丸はその頭を撫でると、木の根に宮を座らせた。幹に背中を預けさせる。

「宮さま、申し訳ありません。いま少しだけこらえてください」

 宮は蒼白のまぶたを閉じて、ほんのちいさくうなずいた。その(ひたい)を袖で拭うと、伏丸は転がった笠を拾って、サクの頭の上にかぶせた。行李をおろして腹側に抱え、サクの手を借りて宮を背に負う。すっかり力がないというのに、ひどく軽くて、細かった。すみません、と耳もとで、かすかにこぼれた息を聞く。

「へいき、みやさま。ふせまるなんか、こき使っとけばいいんだよ」

 宮の背をさすって言うサクに、伏丸ははじめて同意した。

「それでは、行きますね、宮さま」

 ことばをかけて立ちあがったとき、どこからかひとの声が響いた。

「どうしましたか、だいじょうぶかい?」

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