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滌葬草子  作者: 相宮祐紀
〈二〉 歌村
20/40

二十  洞穴





 **  **





 (いと)吉弥(きちや)は、互いにのぞんで一緒になったわけではなかった。村どうしの仲を取り持つため、夫婦(めおと)になることが決められたのだ。絃は竟子(さかいこ)にそう話した。

 絃には、ふるさとに想うひとがいた。物心ついたころからの、幼なじみだったという。口にすることはなかったけれど、ずっとともにあることを、あたりまえのように考えていた。けれども、村長(むらおさ)の娘の絃は、歌村(うたむら)のつぎの村長である吉弥に嫁ぐことになった。

 絃と、その幼なじみは、なにも約していなかった。互いを縛れるものはなかった。絃は歌村へやってきた。吉弥は絃をだいじにしたし、絃はそれをあたたかく感じた。そうして時が過ぎていき、ひと月前、ふるさとにのこった幼なじみはなくなった。病にかかってしまったのだという。

 それから絃は、そのひとのことが頭から、心から離れなくなった。忘れていたときもあったのに、慈しみ深い夫がいるのに。

 そんな話をしおわったあと、絃は細い息を吐き出し、力尽きたように眠ってしまった。竟子はその脈をとり、異常のないことを確かめてから敷布の上に横たわらせた。それからじぶんも敷布にもどり、明るい障子を眺めていた。

 絃の中で、さまざまな思いがぶつかり合っては食らい合い、徐々に腐れて溜まっていった。それが(わざわい)を招き寄せ、絃を、吉弥をも苦しめていた。絃は己をゆるすことができず、禍がたかったことも作用してみずから禍のほうへ向かった。そうしなければならないのだと、思い込むようになってしまった。さらに禍を溜め込んだのだ。

 それをすすいだあとだとしても、心持ちはすぐに変わらない。もしも絃の言うとおり、禍を穴にのこすとすれば、絃はまたとりつかれてしまうだろう。それに、絃の話だけでは、禍がおよそひと月前から村に広がりはじめたわけも、また禍が数年前から洞穴に溜まりはじめたわけも、知れない。けれどもしかたがない。知っていようと、そうでなかろうと、ただ、すすぐだけのこと。

 竟子はゆっくりと立ちあがり、音を立てぬよう障子戸を開けた。しんとして少し湿った風が、するりと滑り込んでくる。外は思っていたより暗く、障子のように白くはなかった。竟子は植え込みの向こうの、暗闇を見つめ問いかけた。

「あなたはどう思いますか。マガネ」

 問いには無言のこたえが返る。闇がうごめき、かたちを持って、浮き出るように現れるのだ。夜にとけゆく筒袖に袴、頭巾をまとったほそやかなひと。口もしっかり覆ってあるので、見えているのは目もとだけ。金物(かなもの)めいて冷えているのだが、よく見ればまんまるくてあいらしい。妖変化(あやかしへんげ)のようでありつつ、マガネはただのひとなのだ。御佩(みはかし)滌宮(すすぎのみや)の旅路を見張り、その顛末を都に知らせるつとめを負った(しのび)である。そのうち、もっとも近くにいるのが、このマガネというひとだ。

「どうすべきでしょう、ねえ、マガネ。きっと……、姉上がたもこちらへ、お立ち寄りになっていたのでしょうね。吉弥どのがちらとおっしゃっていました。(やしろ)にも近い村ですし、寄りやすいところなのでしょう」

 マガネは黙ってうしろへさがり、足音も立てず闇に紛れた。いつものことだ。二年経っても、ひとことも口をきくことがない。けれども、夜半にひとりのときに、呼べばかならずすがたを見せる。

「どうなのでしょう。わたくしは────」

 ゆるゆると障子を閉めながら、竟子は目を伏せ、ひとりごちた。





  **  **





 まだ日ののぼりきらない時分、支度を整え洞穴へ発つ。村長と吉弥に先導され、朝霧のかかる青い小径(こみち)を、粛々と歩いていく。サクと伏丸(ふせまる)は置いてきた。サクはまだよく眠っていたし、伏丸は禍に近づいて、倒れるなどしては面倒だからだ。そばへ行くほどとりつかれやすい。わざわざ寄っていくことはない。念のため、村長と吉弥も、案内があらかた済んだらとまって、待つということになっている。

 前を歩く村長と吉弥は、ごくふつうのようすに見えた。これから禍がすすがれるので、少しそわそわするようすはあるが、ほかは取り繕うふうでもなく、なにげなくことばを交わすこともある。けれど、洞穴の禍については、思いが食いちがい交わらない。そんなことを考えていると、小枝をぱきりと踏みつけた。

 背筋を打たれたように思った。朝の空気は、決意にも似て寂しいくらいに澄んでいるので、ちいさな音でもよく響くのだ。葉末(はずえ)の露のこぼれる音も。枝の鳴る音も足音も。濡れて、匂い立ち萌える若葉が、細く日射しを濾している。その跡のような木洩れ日をたどり、やがて洞穴にたどり着く。

 そこには、岩壁がそびえ立っていた。苔むしてやさしげにも見えるが、ふれれば痛みそうに鋭い。その下のほうにぽっかりと、まるい穴があいている。中は暗く、ひとつも見えない。禍の気配が黒く濃く、暗雲じみて垂れ込めている。

 小径を進むにつれてだんだん、濃くなっていくのを感じていた。あたりまえのことなので、あまり気にしないようにしていたのだが。蒸し風呂に押し込まれたときのような息苦しさを覚えつつ、竟子は穴へ近づいた。ざわざわと耳の奥が鳴り、苦い砂利を噛む気分になるが、よく慣れている。顔をあげ、澄んでいるはずの空気を取り込む。

 竟子は、滌詞(すすぎごと)を唱えた。すべて、いつものとおり歌った。とどくだろうかと、ふとよぎったのは、ここへ来る前に話したからだ。伏丸は、竟子のもとへ来て、昨夜の出来事をひそかに伝えた。

 夜半、寝ていた伏丸のもとに訪ねてきたひとがいたという。いきなり板戸が滑って開くので、ひどくおどろいたと言っていた。やってきたのは加也(かや)だった。加也は伏丸に頭をさげて、滌宮に口添えしてくれと熱心なようすで頼み込んだ。だれかが、なにか言うかもしれないが、どうか禍をすすぎきってほしい、(あるじ)の想いをかなえてほしいと。滌宮に直に頼みたいが、部屋へ突っ込むわけにもいかない、伏丸に頼むと言っていたようだ。

 伏丸は仰天したが、徐々に落ち着きを取りもどしてくると、なにかがおかしいことを察した。加也がほんとうに言いたいことは、それではないという気がしたらしい。話をおえて出ていく加也を、いろいろと言って引き留めた。そうしていると、ふと加也が、落としもののようにつぶやいた。洞穴に禍が溜まりだしたのは、それは、わたしのせいなのです。

 幼なじみでもあった主の、ねがいならすべてかなえたい。この手ですべてかなえたい。心を占めるそのなにかには、色も名もつけてはならなかったと。加也は(こうべ)を垂れて呻いた。伏丸はわずかに顔をゆがめて、竟子にそのようすを話した。

 想いを閉じ込めようとした。抑えようとしてあざやかになり、それでも抑えて腐れていって。腐れて、身体の内から飛び出た。ふたりでよく遊んでいた場所、ひとりで悩み抜いていた場所に、だんだんと溜まり溜まっていった。ひと月前から広がったのは、主の妻であるひとの思いを、その鋭敏さで見抜いたからだ。主の妻はあろうことか、死んだべつの男に焦がれていた。

 加也は、己が禍を生んだと、はじめから気づいていたようだ。それでもどうすることもできずに、主さえも苦しめるのを見ていることしかできなかった。せめてもと、伏丸を訪ねて、頼みごとをしたが愚かなことだ。そんなことを言っていたという。

 加也のことを語る伏丸の声を、思い起こしながら竟子は歌う。すべてをすすぎきろうと歌う。けれども、これは多すぎる。だから加也のせいばかりではない。長い時をかけ、溜まってきたのだ。いちどではすべてすすげない。どうしても少しのこってしまう。そしてすすぐべきは、ここだけではない。この村だけではないのである。いちどのせいいっぱいをぶつけたら、おしまいにする。それがこたえだ。

 端者(はもの)。ひとのことを言えない。最後の音が岩肌に染み、かすかに濁った静寂が降る。

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