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滌葬草子  作者: 相宮祐紀
〈二〉 歌村
18/40

十八  板戸





  **  **





 斬るのだ。

 ほんとうに斬るのだ。いつものように木刀でもなく、寸止めでもなくほんとうに斬る。刺す。抜く。斬っては刺して、刺して抜いては刺して刺す。殺す。熱く、こぼれあふれる流れるものに濡れていく。濡れそぼっていく熱い。冷たい。なにも出ていかないはずなのに、なにかが、とめようもなく噴き出し、もうもどらない。もうなにひとつ。これは、みずから決めたこと。あがなうことも、つぐなうことも、むくいをうけることもできない、できない。でも、できるはずがない。ゆるすことなどとてもできない。血まみれにされて踏み躙られた。淡紫(うすむらさき)の花のさなかに、だれか。だれかが、呼んでいる。

「おーい、ふせまる。おい、しぬなよ」

 声で、意識が浮きあがる。どうやら気絶していたらしい。すぐそばにだれかいるようだ。そして遠くから、清冽な気配。寄る波のように広がってくる。包み込まれてまた浮きあがる。沈みきることも浮くことも、なににも値打ちはないが浮く。

「おい、ふせまる。……しらせに行くかあ……」

 伏丸(ふせまる)は少し軽くなった手を伸ばし、サクの腕を掴んだ。サクがぎょっと身体をひねる。

「ひえぇっ、おばけっ」

「おばけじゃない」

 まぶたをこじ開け、半身を起こすと、ぐにゃりと景色が折りたたまれた。ぶつかるように支えられる。

「おいおまえさあ、きゅうに起きるなよ」

 サクがうんざりした調子で言った。なんだか急にいじらしく思え、ぴょんと結われた髪を撫でてやる。すると無言で身体が離れ、伏丸は横ざまに倒れ込んだ。

「気がつかれましたか。ずいぶんはやい」

 冷たくも聞こえる声が降り、静かな足音が近づいてくる。背負ってくれたあのひとらしいと、伏丸は薄く目を開けた。

「お加減のほうは、いかがでしょうか。まだ万全ではないようですね」

 広い板敷の部屋だった。まんなかに布がしつらえられて、その上に寝かされていたらしい。そばに膝をついているのは、目もとの涼しい男だった。吉弥(きちや)とおなじくらいに見える。確か、加也(かや)となのっていた。伏丸はどうにか起こした身体をじぶんで支えながらこたえた。

「ありがとうございます、ずいぶん楽です」

 おそらく、宮が(すすぎ)をしている。宮はいるだけでその場をすすぐし、歌えば遠くまですすいでしまうので、力が伝わってきたのだろう。(わざわい)で卒倒していたらしいが、こうしてちゃんと目が覚めた。

「さようですか。よろしゅうございました。確かに、お顔の色もよい。さきほどよりはということですが」

 加也は持っていた平たい折敷(おしき)を、床に置きながら平坦に言う。よろしければ水をどうぞと、折敷の上の椀を示した。

「あ、ありがとうございます……」

「いえ。とんでもないことです。こちらがたいへんお世話になります。滌宮(すすぎのみや)さまはいま、離れで姫──吉弥さまの嫁御寮の、ごようすをみてくださっています」

 加也が淡々と述べている途中、部屋の外からばたばたと、慌てた音が迫ってきた。なんだと目をまるめていると、板戸がすぱんとひらかれた。

「加也、加也! 姫さまが!」

「どうしたアコ。騒がしいぞ」

「姫さまがおこたえくださったの! 前の、いつもの、姫さまなの……」

 走ってきたアコはそう告げるなり、そこへくずおれて顔を覆った。





  **  **





 

 吉弥の嫁御は名を(いと)といった。ひと月もわれを失って、禍のわだかまる洞穴のほうへ向かい続けたそのひとは、宮にすすがれてもとにもどった。ことばにこたえ、微笑んで、ごめんなさいとなみだをこぼした。しかし吉弥のほうが泣きすぎて、絃に笑われてしまったという。部屋に入ってきた宮から聞いた。

 絃が己を取りもどしたので、夜だが村は大騒ぎである。吉弥は客人を気にしたが、あまり気遣われても困ってしまうので、おかまいなしにと宮は言ったらしい。そのため引っ張り出されはしないが、部屋には膳が運び込まれた。絃のそばつきだというアコが、張り切ったようすで持ってきたのだ。伏丸の調子が万全でないので、とりあえず雑炊なのだと言った。野菜や鳥肉がごろごろ入り、じゅうぶん豪勢なものだったが。サクはあっという間に食べて、すでに三度ほどおかわりをした。牛馬のように食うちびすけだ。

「今宵、滌宮さまは、姫のお部屋にお泊まりいただくということになっておりますので」

 サクのおかわりをよそってきた加也が、生真面目にそう報告した。伏丸はうなずいてみせた。宮はいちどここへ入ってきたが、すぐに絃のところへ行ったので、そうなのだろうと思っていた。絃は禍を集めやすいのだという。洞穴にはまだ禍があるが、宮は少し休む必要がある。そのあいだ、洞穴にある禍が、また絃にたかってくるかもしれない。宮がそばにいるならば、その害をやわらげることができる。

「伏丸さまは、だいじございませんか」

 椀をひったくったサクを注意していると、加也がいきなり問うてきた。伏丸は思わず目をしばたいた。

「ええ、平気です。だいじありません」

「ほんとかなこいつ。ぜんぜん食ってない。おれがかわりに食ってるぐらい」

 サクが珍妙なことを言うので、伏丸はじとりと睨めつけた。

「おまえはもっと味わっていただけ。こんなの滅多に食べられないぞ」

「そうだよ。だからいっぱい食わなきゃ」

 不敵な笑みを浮かべつつ、雑炊をずるずるかき込んでいる。なんだかもうため息がこぼれる。灯台のちいさな明かりに照らされ、サクは生き生きとして見えた。

「わたしはなんともありませんから、ご心配には及びません」

「さようにございますか。承知いたしました」

 向き直って笑ってみせると、それだけのことばが返ってきた。加也は、いろいろなものがこぼれたサクの膳の上を整えていた。かと思えば、ほんのちいさくつぶやく。

「お互い(あるじ)には難儀しますな」

 ためらいと、親しみの熱が感じられ、伏丸は思わずどきりとした。とっさに聞き返そうとするも、加也のほうがひと足はやく。失礼します、と冷然と告げ、部屋から出ていってしまった。

 伏丸の主は宮なのだが、わざとサクであるようなことを言って冗談めかしたのだろうと察する。板戸を見つめて思い返す。加也の主は吉弥である。

 さきほどアコが来たときに、吉弥はきょう、加也を伴って町へ行ったのだと話していた。絃の好む菓子を買いにいったらしい。その帰りに宮を見つけ、声をかけるために町へもどった。帰りが遅いと屋敷のひとたちに心配をかけてしまうので、加也だけを先に帰らせたようだ。加也がかなり案じていたと、アコはおかしそうに言っていた。

「確かに、難儀しそうだな……」

 雑炊を混ぜながらつぶやく。宮も、食べているのだろうか。団子を串から外す手際を、ぼんやりと思い出していた。

 その、夜半のことだった。サクのありがたい寝相のもたらす恵みらしきものをこうむりながら、ゆるりゆるりと増していく、身体の重みを感じていると。板戸が静かに滑って開いた。

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