十三 野蛮
「それなら、ここに長くいらしたら」
すっかり楽になるのではないか。最後に禍を封じるためと、埋まらずともよくなるのでは。それを言うことはできなかった。宮がかぶりを振ったので。
「禍をすすぐということは、どこかに移すのとおなじことです。よごれた衣を洗ったときには、よごれた水が流れるでしょう。わたくしがここですべてをすすげば、ここに溜まることはないのでしょうが、禍を放つことにはなります。少しすすぐだけだったとしても、少しは放つことになるのです」
伏丸はことばを失った。身体を洗った川を思い出す。水も足もとの石ころも、赤黒く染まりきっていた。
「ですからたくさんすすいでしまうと、それがまた集まり溜まってしまう。ひとびとに害を及ぼします。ゆえに、すべてはすすげません。これまでやってきたことが、無に帰すことにもなりますからね。最後に土の中に埋まって、禍が代を経て清められるのに任せることがいちばんなのです」
水を飲むついでのように話すと、宮はかすかに微笑んだ。
「皇命の娘である、皇女がそれをするところにも、意味があるということになっています」
いたずらっぽくつけ加え、社のほうへ歩みを進める。
「あなたがたも、しばしゆるりとなさい。わたくしも少しすすぎます」
さっきから、「あなたがた」と言う。もしやと思って見てみると、すぐそばにさっきの幼子がいた。はじめから一緒だったかのように、あたりまえの顔して立っている。
「おまえ」
伏丸が思わず叫ぶと、幼子はひょいと肩をすくめた。
「おまえじゃない。サク」
「ではサク。伏丸とそこで待っていなさい」
宮が振り向かずに言いつけた。はーい、と幼子もといサクは、両手をあげて返事している。伏丸は知らず眉を寄せていた。このちびすけはなんなのか。伏丸が見ていることに気づくと、サクはふいっと顔をそらした。
「おまえ、ふせまるっていうんだろ。犬みたいななまえだな」
「こら。ひとの名をそう言うな黙れ」
苛立ちと諭し半分ずつで、サクの頭に拳を置いた。わずかに、安堵もあったかもしれない。もしもついてきていなかったら、この山の中で迷ったのかと思い、寝覚めがわるくなっていた気がする。
「で、あのひとはみやさまだろ。すげぇな、なんかぴかぴかしてる」
露骨に声を明るくして、宮のほうを指差している。差すな折るぞと脅したところ、こいつ野蛮だと引っ込めた。このちびすけはなんなのか。でも。
「確かに、そうだよな」
社の前にたたずむすがたは、光の羽衣をまとうよう。それより、内からかがやいている。埋めるしかない禍を、たくさん抱えているはずなのに。
「なんか、ぴかぴかしてるよな──」
「きしょくわる」
一蹴したサクの額を、伏丸は指の先ではじいた。
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サクとともに社をあとにすると、身体がひどく軽くなっていた。息を吸えば、新しい空気がすみずみにまで染みわたり、どこまでも走っていける気がした。宮の表情も心なしか明るく、サクなどは跳ねまわっていた。
しかしこれが、世の中に向かって、少なからず禍を放ったからだと。考えたとたん息が詰まる。いまさらそんなことを気に病もうと、しかたがないので笑えそうだが。
いままで長らく旅を続けて禍をすすいできた宮は、どんな思いでいるのだろうかと顔をのぞくも、なにもわからない。少し、やわらいでいるとは言っても凛と平らかなことは変わらず、内を推し量ることができない。いまも。
「だって、いい感じでさ」
木の洞にはまり込むように座り、でかい握り飯を頬張りながら、サクはなにげない調子で言った。
「身なりはいいけど、よすぎないし、旅なれてそうな感じがしたから。なんか、ちょっといいかもなって」
社のある頂からくだり、いまは休んでいるところだった。今朝もらった握り飯を広げ、サクに腹ごしらえをさせている。腹が減ってかなわないと、しきりに騒いでいたからだ。なぜついてきたのかと問うと、サクは近頃親をなくして、ひとりさまよっていたからとこたえた。宮と伏丸は、受け入れそうだと勘が言ったのでついてきたらしい。正解だったと、にやついている。
「それじゃあこれから、どうするんだ? ずっとついてくるつもりなのか」
伏丸は、サクの口のまわりの米粒を取りながらたずねた。するとサクは握り飯を齧り、噛みつつ、ぽてりと首をかしげた。
「ずっとかどうかわかんないよ。ずっとって言ったって、みやさまの旅にもおしまいがあるんだろ?」
「そうですね。ひと月かからずおしまいになると思います」
宮はサクにも、旅のおわりについて詳しいところを話してしまった。社の前でも聞かせていたし、サクは、ふうんと言ったきりだった。
「おれの好きなとこまでついてくよ。旅がおわったらどうにかするよ。いままでだってどうにかしてきた」
サクはあっけらかんと述べ、わしわしと握り飯を食らった。ふたつとも食べてしまいそうだ。よほど腹をすかせていたのだろう。伏丸の指についた米まで、ちょっと貸してと言ってしゃぶった。
「指は舐めるもんじゃない」
「知ってる」
放るような返事があって、伏丸はついため息をこぼした。ちらりと宮のほうを見る。サクを挟んで腰かけた宮は、涅を封じたような瞳を静かにサクへ向けていた。ほどなく、その唇が動いた。
「好きなところまでついてくるとよい。もしも最後までついてくるなら、あとは伏丸と都へ行きなさい」
伏丸は思わず腰を浮かせた。そんなことは聞いていない。しかし宮は平然と続ける。
「わたくしをたすけたということで、御上からご褒美がいただけます。そのあとはふたりでたすけ合うなり、別れるなりするとよいでしょう」
「ほうび?」
サクは眉をひそめた。顔じゅうに米粒をくっつけたまま、気難しいふうに宮を眺める。
「それってほんとにもらえるのか? おれみたいなこわっぱでもか?」
「はい。御上との約定なのです。わたくしをたすけたひとたちは、こちらを持って都へ行けば、よく取り計らわれることになっています」
宮は背に負った包みを示し、そのあと笠のずれを直した。帝から賜った御璽というものを、伏丸もまだ見たことがない。ふと、サクのほうをのぞくと、目が怪しげに光っている。伏丸はその首根っこをとらえた。
「へんなこと考えたってだめだぞ。宮さまはものすごくお強いからな」
「なにを言っているのです、伏丸」
宮が口を挟もうとするが、今度ばかりは聞き流す。
「宮さまはものすごくお強いからな」
まったくおなじことをくり返すと、サクは盛大に顔をしかめた。
「なに言ってんだ、この犬ころ」
「おい。口はいいが手に気をつけろ。もし宮さまになにかやったら、おまえ、わかるな。ただじゃおかない」




