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滌葬草子  作者: 相宮祐紀
〈二〉 歌村
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十二  休息

 宮のまなざしは伏丸(ふせまる)をすり抜け、通ってきた道に注がれていた。だが、あるのは土と草、そして聳える木々ばかり。それでも、宮はたったいま、だれかに話しかけていた。伏丸は宮に駆け寄った。ぐるりとあたりに視線を走らせ、感覚を研ぎ澄ませていく。腰には刀を帯びており、よく切れることを確かめてある。伏丸は警戒を解かぬまま、背後の宮にささやいた。

「なにがいますか。(わざわい)ですか」

「いいえ。禍ではありません。ひとです。害はありません」

 え、と聞き返しかけたとき、宮がふたたび声を張る。

「おそろしいかもしれませんが、平気です。出てきてかまいませんよ」

 萌える風のようにやわらかだった。まだ出会ったばかりではあるが、はじめて耳にする声だった。

「伏丸。あなたも固くならずに、力を抜いておきなさい」

 宮の指先が背中にふれて、勝手に力が抜けてしまう。そのとき、小鳥が高く鳴く。ざあっと脇の草がそよいで、静まる。向こうの枝の陰から、わずかに(ころも)の色がのぞいた。梔子(くちなし)で染めたような黄色だ。

「ほら、こちらへおいでなさい」

 宮がのどやかにことばをかける。梔子色は迷うのか、尻尾を見せたまま動かない。伏丸は目を細めて見た。ずいぶん小柄で、幼子らしい。ひとりか、なにかを盗むつもりか。いろいろ頭をよぎったのだが、ひとまず軽い調子で問うた。

「どうした、なんか用事あるのか?」

 ことばは木立にはね返されて、細かくふるえて消えていく。梔子色がわずか身じろぐ。伏丸は宮と目を見交わした。(くろ)の瞳とつながって、思わず一瞬たじろいだ、その隙にぴょんと飛び出してくる。十歩より多く離れたところに、立ったのはやはり、幼子だった。十歳にもなっていないくらいに見える、幼く小柄な男の子。梔子色は丈が短く、細っこい脚が剥き出しである。裸足に擦り切れた草履(ぞうり)を引っ掛け、しっかり地面を踏みしめている。肩肘張ったところを見ると、ほんとうに害はないらしい。怪しい者は弱いふりをする。武器を隠し持っているようでもなかった。伏丸は距離を保ったまま、少しばかり腰をかがめた。

「このひとに、ついてきたのか?」

 宮のほうを示しつつ、ついそんなことを問うていた。幼子は、わずかに身体を縮めた。くるくると大きな両の目が、強くこちらを見据えている。顔だちはかわいらしいのだが、ひどく強張らせているようだった。

「なんか、用があるんだろ?」

 そうでなければこんなところまで、ついてくることはないだろう。そう思って問いを投げかけてみたが、幼子は口を閉ざしたままだ。そんなようすを見かねたか、うしろから宮が進み出た。

「あなた、われらについてきますか」

 澄みきった問いはよく通る。幼子がはっと目をみひらいた。宮はゆっくりと歩を進め、幼子のほうへ近づいていく。続こうとした伏丸は、宮に片手で制された。

「長らくうしろにいたでしょう。ともに社へ行きますか」

 ふれるまであと少しのところで、宮は立ちどまり、かがみ込む。伏丸は動けないままに、絶えずふたりを交互に見ていた。宮にはどこにも力みがなく、幼子もやや険が取れている。いちばん固いのは己だと、頭の隅で気がついた。

「来たければ来てかまわない。では、行きましょうか。伏丸」

 宮はそう言って立ちあがる。ふわりと幼子に背を向けて、伏丸の横も通り過ぎ、道の先へと進んでいく。伏丸は思わず幼子を見た。いきなり視線がぶつかったので、ぱちりとまばたきしてみせる。幼子は顔をそむけてしまった。

「宮さま……」

「置いていきますよ」

 宮がどんどん行ってしまうので、伏丸は急いで追いかけた。かえりみたところ、幼子はひとりその場に立ったままでいる。ついてくるつもりはあるのだろうか。

「前を見なければ転びます」

 宮がちいさくつぶやいたとき、伏丸は窪みに躓いた。間抜けだ。宮が笑みを滲ませる。

「前を見ていればついてきますよ」

 悟ったような言いぶりは、なるほどそのとおりなのだった。もう二度と躓いてなるものかと、前方を向いて歩きだしたところ、背後の気配が動きはじめた。幼子がついてくるらしい。伏丸は宮との間を詰めて、その耳もとにひっそりと問う。

「いつからお気づきだったのですか」

「山に入ったころでしょうかね」

 宮は煙に巻くようにこたえ、軽い足音で山道をゆく。伏丸は頭のうしろを掻いた。見られているような気がしていたのは、あの幼子がいたからだろう。

「なんの用事なのでしょうか。ついてきたいともしも言ったら、宮さまはよろしいのですか」

「よろしくなければ追い払います。伏丸、あなたはいやですか」

「いいえ、まさか」

 首を振ったとき、急に目の前の景色がひらける。細くくねった道ではなく、平らな土地が広がっていた。山の空気は淀みがないが、そこはひときわしんと張りつめ、まるですきとおった宝玉(ほうぎょく)の中に封じ込められているようだった。

「ちょうど着きました。(やしろ)です」

 宮が大きめの声で告げる。そのことばすら静謐に吸われ、あっという間にとけ込んでいく。ここは清らかなところなのだと、身体じゅうでわかってしまう。地面は苔むしてふっかりやわく、太くひび割れた幹を持つ木々が、数多く並び立っている。その奥に、木造りのちいさな、古い建物がたたずんでいた。それはたてられているというよりも、植わっているというふうだ。いまにも朽ちそうでありながら、どこかみずみずしくもある。ふしぎな(おもむき)を持つものだった。

「ここは、旅のはじめから数えて七つ目になる社です。ここで(すすぎ)をおこないます」

 宮の口調は変わらなかった。社にみとれていた伏丸は、われに返って宮を見た。ここで滌をおこなうと言った。

「ここに、禍があるのですか」

 このどこまでも清冽な場所に、黒い霧が感じられるのか。なぜかすがるような心地になった。宮は静かに否定した。

「禍はありません。ここで滌をおこなうのは、休息のようなものですね。己が身を少しすすぎます」

 宮はつと木々の葉を仰ぐ。空の白藍(しらあい)を見せては隠し、さやさやと鳴りきらめいている。光のしずくが降り注いでは、宮のすがたを彩っている。

「ここにいるとあなたがたも、胸がすく心地がするでしょう。ここは空気が澄んでいます。いるだけで禍がすすがれていく。ずっと内側に溜め込んでいると、さすがにもちませんからね」

 宮は喉をそらしたまま言った。すすいで内に溜めてきたものを、少し手放せるということらしい。伏丸ははっとして、思わず前のめりになった。

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